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Ⅶ.倉知編
父の尋問
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「加賀さんっていくつ?」
車が発進すると、早速質問が飛んできた。
「今年二十七です」
「へえ、若く見えるね。大学出たてくらいかと思った。勤め先どこ?」
父の質問攻撃は止みそうにない。加賀さんはちら、と俺を見てから、すべての質問に丁寧に答えた。親の職業まで訊いたときには、さすがに止めようかと思ったが、加賀さんは迷うことなく簡単に答えた。
「なんか、娘が彼氏連れてきた感じに似てるな」
父がそう言って、一人で大笑いした。
「前に五月が連れてきたあいつ、最悪だったな。顔がいいだけで敬語も使えないし礼儀もないし耳に穴開けまくって、人と話してんのにいきなり携帯いじりだしたりな」
五月の歴代の彼氏の共通点は「顔がいい」だけで、他に重きを置いていないせいで、酷いときもあった。
別に、両親に紹介するつもりで連れてきたのではなく、たまたま鉢合わせになっただけなのだが、父はその最悪な彼氏が帰ったあとで、笑いながら「まあいいんじゃない、どうせ別れるだろ」と、こともなげに言った。そして数日後、本当に二人は別れた。
父が、俺と加賀さんが付き合っていると知っても、怒らずに許してくれたのは、だからかもしれない。
頭のどこかで、どうせ別れる、と思っている。
「加賀さんなら安心だな。七世を任せてもよさそうだ」
「本当にそう思ってる?」
思わず口をついて出た。ハンドルを握る父が、バックミラーで俺を見た。
「どうせ別れるって思ってない?」
父は俺から目を逸らし、前を見た。
「どうかな。それはお前ら次第だ」
「本当は、別れればいいとか思ってる?」
「思ってないよ」
父は冷静だった。
「お前はもう自分で考えて行動できる年齢だし、善悪の区別もついてる。お前が決めたことなら、俺は反対しない。それに」
前方の信号が黄色になり、車が減速する。
「六花のお墨付きもあるから、本気で大丈夫だと思ってるよ」
俺との仲を応援したいのも勿論あると思う。でも、六花自身が加賀さんに一目置いていて、気に入っているのは確かだ。
「で、お前ら、泊まってまで何やってんの?」
急に父が直球を投げてきた。加賀さんがむせた。
「あ、そういうこと? ごめん」
勝手に理解した父が「熱い熱い」と手で扇いで、ウインドウを少し下げた。
「あの、違う。えっと、ゾンビを、そう、ゾンビ一緒に観てた」
「ゾンビぃ?」
父が笑って「なんだ、映画か?」と言った。
「映画じゃなくてドラマ」
「ああ、はいはい、あれね」
父は映画とか海外ドラマが好きだ。大体有名どころは押さえている。
「海外ドラマ一気観か。そりゃ楽しいよな。加賀さんは映画よく観る人?」
「はい、映画館より家派ですけど」
「そうかあ、どんなジャンルが好き?」
監督は誰が好き? 好きな俳優は誰? と映画に関する質問が続いた。
二人が映画の話で盛り上がる中、退屈で窓の外を眺めていたが、ふと、もったいない、と気づいた。
せっかく隣にいるのに。何もしないのは非常にもったいない。
車内は暗いし、父は運転中だし、見えないだろう。
手探りで加賀さんの手を見つけた。重ね合わせて、軽く握る。
横目で確認すると、加賀さんは前を見たまま、かすかに微笑んでいた。
指を絡ませたり、手の甲を撫でたり、没頭していると、アパートが見えた。
「ありがとうございます、ここで大丈夫です」
加賀さんが言いながら、さり気なく手をふりほどこうとする。離したくない。むきになって、握力を強めた。
「いって、いてえよ、潰れる」
「七世、離してやれー」
父が前を見たままハンドルにもたれて言った。手を握っていることに気づいていたらしい。
「目ぇつぶっててやるから、おやすみなさいのチューでもしてさよならしなさい」
父の科白に、加賀さんがうろたえた。
「お父さんは冗談で言ったんだぞ? わかる? わかるよな?」
「わかりません」
手を握ったまま、距離を詰める。
「ちょ」
慌てて俺の体を押したが、力任せに肩をつかんでキスをした。触れるだけですぐに離すと、息が触れる距離で「おやすみなさい」と囁いた。
加賀さんは目を逸らして気まずそうに咳払いをすると、軽く俺の頬をつねってから後部座席のドアを開けた。
「おやすみ、また明日。お父さん、ありがとうございました。気をつけて帰ってください」
「はーい、またね」
ドアが閉まる。すぐに窓ガラスに張りついて、外を見た。街灯の明かりで、加賀さんの顔がよく見えた。
困った顔で笑って、手を振っている。
車が走り出す。加賀さんの姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。
「本当にするんだな」
しばらくすると、父が、しんみりとした口調で言った。
「え、目、つぶってたんだよね?」
「つぶってないけど?」
裏切られた気持ちになった。
「なんだろう。妙なところで息子の成長を見たっていうか、なんかそわそわするわ」
一日に二回も家族にキスシーンを見られた。見られたというか、俺がするのが悪い。
二度も公開キスをさせられた加賀さんは、もう少し怒っても罰は当たらないと思う。
「恥ずかしい」
うなだれて呟くと、父が「あっはっは」と豪快に笑った。
「お前みたいな猪突猛進野郎、なかなか受け止めてくれる人も少ないだろうな。いい人じゃないか。大事にしなさい」
「うん、お父さん、あの」
父がバックミラーで俺を確認してくる。
「黙ってて、ごめんなさい。俺、これから先も言わないつもりだった。嘘ついて、泊まったりして、ごめんなさい」
父は無言になった。黙って運転し続け、やがて自宅が見えると、大きく息を吐いた。
「七世」
車庫入れをしながら、やっと父が口を開いた。
「俺はお前に、嘘をつくなとか、悪いことをしてしまったら正直に話せとか、隠し事をするなとか、散々言ってきたよな」
「はい」
説教タイムだろうか。後部座席で姿勢を正す。
車のエンジンを切ると、ようやくこっちを振り向いた。
「嘘をつくのが人間で、隠し事がない人間もいない」
神妙な顔でそう言ってから、ニヤリと笑った。
「カミングアウトしたゲイでもなければ馬鹿正直に男と付き合ってますなんて、普通言わないぞ。それに付き合って一週間だろ? 親に言う段階でもないよ。まあ、五月と六花が知ってて自分が知らないってのは正直傷ついたけど」
「それは」
言い訳をしようとする俺を、父が止める。
「姉と弟で、仲良くやってくれてるならいいよ」
父が車を降りた。そこでようやく、大事なことを思い出した。
「お父さん、俺、忘れ物した」
「はあ?」
車から飛び降りて、がっかりと肩を落とす。
「加賀さんとこに忘れ物か?」
「そうじゃなくて、俺……」
二人の写真を撮りたかった。それどころじゃなくて、すっかり忘れていた。
とぼとぼと家に入り、リビングのソファに倒れ込む。
母は帰ってきた俺たちには気づかず、ドラマに没頭している。
「何を忘れたんだ? ちゃんとおやすみなさいのチューもしただろ?」
「えっ、何それ」
六花の声が響いた。風呂上がりの格好で、頭からタオルをかぶり、アイスを手に持って飛んできた。
「おやすみなさいのチュー!」
「おお、こいつ、冗談で言ったら真に受けてほんとにしてやんの」
「私もついていけばよかったあああ!」
床に膝をつき、悔しそうに拳を叩きつけている。
その声に反応して、母がテレビから目を離してこっちを見た。
「あら、おかえりなさい」
「ただいま。お母さん、七世はなかなかやるもんだよ。いやあ、なんか久々にゾクッときたっていうか、こう、甘ったるい気持ちになったっていうか。車ん中でずっと手ぇ握ってるし、恋愛映画でも観てる気分だったわ」
「え? なんの話?」
母が首をかしげた。
「な、何それ、何それ! お父さんずるい! ちょっと再現して、再現!」
「よし、七世、ちゃんと座れ」
父が俺の体を起こして、無理矢理座らせる。人が落ち込んでいても構わないようだった。
俺の隣に座ると、父が手を握ってきた。
「こう」
「それで?」
「で、アパート着いても離さないから、おやすみのチューしてバイバイしろって言ったら、こう、肩をがしっとやって、チュッて」
父が俺の顔に自分の顔を近づけて、キスの真似をする。
ひいい、と六花が甲高い悲鳴を上げた。
母は不思議そうに父の奇行を見守っていたが、それよりもドラマのほうが気になるようだ。テレビの音量を上げて、周囲をシャットアウトし始めた。
「そんで至近距離で、おやすみなさいって囁くんだから、熟練の技を見た気がしたね」
「駄目だ、相手がお父さんじゃ萌えない」
六花が腕をさすって文句を言う。
「ひどい! 六花がやれって言ったんじゃないか!」
「あ、お父さん。この際だから、私も今まで隠してたこと話すよ」
「えっ」
父が動揺して「待って」と自分の顔面を撫でさすり始めた。
「私、実は」
「な、なんだよお」
怯えた様子で俺にしがみついてくる。
「実はね、腐女子なんだ」
真剣な顔の六花が、呟いた。
「は?」
「男同士の恋愛が、大好物なの」
「それ、別に隠してないじゃないか」
父が語尾にため息を重ね、ソファにふんぞり返る。
「なんだよ、何かと思った」
「え? もっと驚いてよ。あ、十八禁の漫画だって描いてるんだからね」
「何、それはけしからんな。見せなさい」
六花が満足そうに笑って、「見せないけど」とアイスを口に放り込む。
「七世、お風呂空いてるから入っておいでよ。ていうか何凹んでんの?」
「加賀さんと写真撮るの忘れてた」
放心状態で呟いた。六花がスプーンを舐めて、ニヤニヤする。
「さっき部屋で二人きりの時間あったのにねえ。何してたのかな?」
イチャイチャしていて忘れていた。とは言えない。
「別に今日じゃなくてもいいじゃん」
「次の土日、加賀さん会社の旅行でいないんだ。だから」
写真が欲しかった。水曜も会えるかどうか定かじゃないし、確実なチャンスは今日しかなかった。
「あ、じゃあさっき撮ったやつあげようか」
「あの動画?」
「あれは門外不出だから。ちょっと待ってて」
六花がダイニングテーブルの上のスマホを操作し始めると、父が俺をじっと見つめた。
「お前は乙女みたいだな。乙女座だっけ?」
「獅子座だよ」
それは何か関係があるのだろうか。
「送ったー」
六花が言った。すぐに携帯が震える。LINEの新着メッセージだ。送られた画像を開く。俺がお好み焼きをあーんで食べさせている写真だった。
「これいつの間に撮ったの?」
「え、撮るって言ったじゃん。加賀さん、駄目って言わなかったし撮っちゃった」
画面を眺めていると、顔がにやけてくる。俺の箸にかぶりつく様は、なんだかワイルドでカッコイイ。
「六花、ありがとう」
「どれ、見せて」
父が覗き込もうとするのを阻止して、立ち上がる。
「お風呂入ろ」
「パパにも見せて!」
すがってくる父を無視して風呂場に急いだ。
脱衣所のドアを閉めて、もう一度写真を見た。もう会いたい。触れたい。そばにいたい。
「加賀さん」
呟いた。その直後に写真が消え、電話の着信画面に切り替わる。
驚いてスマホを落とすところだった。
「もしもし」
電話に出ると、加賀さんの声が「起きてた?」と確認する。
「ちょっと前に帰ってきました」
『なんともなかった? あとでお父さんに怒られたりしなかったか?』
心配してかけてくれたらしい。胸に温かいものが広がった。
「大丈夫です。嘘ついてたことも許してくれたし、何も怒ってないみたいです」
『そうか、ならよかった。で、お母さんは無反応だったけど、どうなの?』
「母は俺の片思いだと思ってます。でも、応援するって言ってたんで、大丈夫そうです」
丁寧に付き合っていると宣言してくれたのに、全然理解していないのだから恥ずかしい。
『マジか。お前の両親、心広いな』
「ですね」
はー、と安堵の息を吐いたあとで、思い出したように加賀さんが言った。
『なあ、写真撮るの忘れたな』
「はい、でも、いいんです。六花に貰いました、写真」
『え、それって俺が箸食ってるやつ? なんか撮ってたよね』
食べているのは箸じゃなくてお好み焼きだ。
『それ、俺にも送ってよ。ツーショットだろ?』
「え」
『俺も寂しいとき眺めるから』
頬が熱を帯びた。
「加賀さんも、寂しい?」
『誰もいない部屋に帰って、思ったよ。倉知君がいないのが寂しい。やたら広く感じるし、なんか寒い』
足がふらついた。壁に背中がぶつかって、ずるずると尻餅をついた。
『今まで一人で寂しいなんて思ったことなかったんだけど』
「加賀さん、会いたい」
電話の向こうで加賀さんが含み笑いをする。
『うん。そういうの、貴重だよな。ずっと一緒にいたら会いたいって思うこともないだろ。この感情はお前がくれたものなんだなって』
「加賀さん」
『サンキュ』
自分の体を抱きしめて、泣くのを堪えたのに、加賀さんが言った。
『泣くなよ』
なぜかばれてしまった。鼻をすすって「はい」と答えた。
『また明日な。おやすみ』
「おやすみなさい」
会いたいとか、寂しいとかいうのは、負の感情じゃない。加賀さんはそう言いたかったのだと思う。
でもなぜだか、とても苦しかった。
車が発進すると、早速質問が飛んできた。
「今年二十七です」
「へえ、若く見えるね。大学出たてくらいかと思った。勤め先どこ?」
父の質問攻撃は止みそうにない。加賀さんはちら、と俺を見てから、すべての質問に丁寧に答えた。親の職業まで訊いたときには、さすがに止めようかと思ったが、加賀さんは迷うことなく簡単に答えた。
「なんか、娘が彼氏連れてきた感じに似てるな」
父がそう言って、一人で大笑いした。
「前に五月が連れてきたあいつ、最悪だったな。顔がいいだけで敬語も使えないし礼儀もないし耳に穴開けまくって、人と話してんのにいきなり携帯いじりだしたりな」
五月の歴代の彼氏の共通点は「顔がいい」だけで、他に重きを置いていないせいで、酷いときもあった。
別に、両親に紹介するつもりで連れてきたのではなく、たまたま鉢合わせになっただけなのだが、父はその最悪な彼氏が帰ったあとで、笑いながら「まあいいんじゃない、どうせ別れるだろ」と、こともなげに言った。そして数日後、本当に二人は別れた。
父が、俺と加賀さんが付き合っていると知っても、怒らずに許してくれたのは、だからかもしれない。
頭のどこかで、どうせ別れる、と思っている。
「加賀さんなら安心だな。七世を任せてもよさそうだ」
「本当にそう思ってる?」
思わず口をついて出た。ハンドルを握る父が、バックミラーで俺を見た。
「どうせ別れるって思ってない?」
父は俺から目を逸らし、前を見た。
「どうかな。それはお前ら次第だ」
「本当は、別れればいいとか思ってる?」
「思ってないよ」
父は冷静だった。
「お前はもう自分で考えて行動できる年齢だし、善悪の区別もついてる。お前が決めたことなら、俺は反対しない。それに」
前方の信号が黄色になり、車が減速する。
「六花のお墨付きもあるから、本気で大丈夫だと思ってるよ」
俺との仲を応援したいのも勿論あると思う。でも、六花自身が加賀さんに一目置いていて、気に入っているのは確かだ。
「で、お前ら、泊まってまで何やってんの?」
急に父が直球を投げてきた。加賀さんがむせた。
「あ、そういうこと? ごめん」
勝手に理解した父が「熱い熱い」と手で扇いで、ウインドウを少し下げた。
「あの、違う。えっと、ゾンビを、そう、ゾンビ一緒に観てた」
「ゾンビぃ?」
父が笑って「なんだ、映画か?」と言った。
「映画じゃなくてドラマ」
「ああ、はいはい、あれね」
父は映画とか海外ドラマが好きだ。大体有名どころは押さえている。
「海外ドラマ一気観か。そりゃ楽しいよな。加賀さんは映画よく観る人?」
「はい、映画館より家派ですけど」
「そうかあ、どんなジャンルが好き?」
監督は誰が好き? 好きな俳優は誰? と映画に関する質問が続いた。
二人が映画の話で盛り上がる中、退屈で窓の外を眺めていたが、ふと、もったいない、と気づいた。
せっかく隣にいるのに。何もしないのは非常にもったいない。
車内は暗いし、父は運転中だし、見えないだろう。
手探りで加賀さんの手を見つけた。重ね合わせて、軽く握る。
横目で確認すると、加賀さんは前を見たまま、かすかに微笑んでいた。
指を絡ませたり、手の甲を撫でたり、没頭していると、アパートが見えた。
「ありがとうございます、ここで大丈夫です」
加賀さんが言いながら、さり気なく手をふりほどこうとする。離したくない。むきになって、握力を強めた。
「いって、いてえよ、潰れる」
「七世、離してやれー」
父が前を見たままハンドルにもたれて言った。手を握っていることに気づいていたらしい。
「目ぇつぶっててやるから、おやすみなさいのチューでもしてさよならしなさい」
父の科白に、加賀さんがうろたえた。
「お父さんは冗談で言ったんだぞ? わかる? わかるよな?」
「わかりません」
手を握ったまま、距離を詰める。
「ちょ」
慌てて俺の体を押したが、力任せに肩をつかんでキスをした。触れるだけですぐに離すと、息が触れる距離で「おやすみなさい」と囁いた。
加賀さんは目を逸らして気まずそうに咳払いをすると、軽く俺の頬をつねってから後部座席のドアを開けた。
「おやすみ、また明日。お父さん、ありがとうございました。気をつけて帰ってください」
「はーい、またね」
ドアが閉まる。すぐに窓ガラスに張りついて、外を見た。街灯の明かりで、加賀さんの顔がよく見えた。
困った顔で笑って、手を振っている。
車が走り出す。加賀さんの姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。
「本当にするんだな」
しばらくすると、父が、しんみりとした口調で言った。
「え、目、つぶってたんだよね?」
「つぶってないけど?」
裏切られた気持ちになった。
「なんだろう。妙なところで息子の成長を見たっていうか、なんかそわそわするわ」
一日に二回も家族にキスシーンを見られた。見られたというか、俺がするのが悪い。
二度も公開キスをさせられた加賀さんは、もう少し怒っても罰は当たらないと思う。
「恥ずかしい」
うなだれて呟くと、父が「あっはっは」と豪快に笑った。
「お前みたいな猪突猛進野郎、なかなか受け止めてくれる人も少ないだろうな。いい人じゃないか。大事にしなさい」
「うん、お父さん、あの」
父がバックミラーで俺を確認してくる。
「黙ってて、ごめんなさい。俺、これから先も言わないつもりだった。嘘ついて、泊まったりして、ごめんなさい」
父は無言になった。黙って運転し続け、やがて自宅が見えると、大きく息を吐いた。
「七世」
車庫入れをしながら、やっと父が口を開いた。
「俺はお前に、嘘をつくなとか、悪いことをしてしまったら正直に話せとか、隠し事をするなとか、散々言ってきたよな」
「はい」
説教タイムだろうか。後部座席で姿勢を正す。
車のエンジンを切ると、ようやくこっちを振り向いた。
「嘘をつくのが人間で、隠し事がない人間もいない」
神妙な顔でそう言ってから、ニヤリと笑った。
「カミングアウトしたゲイでもなければ馬鹿正直に男と付き合ってますなんて、普通言わないぞ。それに付き合って一週間だろ? 親に言う段階でもないよ。まあ、五月と六花が知ってて自分が知らないってのは正直傷ついたけど」
「それは」
言い訳をしようとする俺を、父が止める。
「姉と弟で、仲良くやってくれてるならいいよ」
父が車を降りた。そこでようやく、大事なことを思い出した。
「お父さん、俺、忘れ物した」
「はあ?」
車から飛び降りて、がっかりと肩を落とす。
「加賀さんとこに忘れ物か?」
「そうじゃなくて、俺……」
二人の写真を撮りたかった。それどころじゃなくて、すっかり忘れていた。
とぼとぼと家に入り、リビングのソファに倒れ込む。
母は帰ってきた俺たちには気づかず、ドラマに没頭している。
「何を忘れたんだ? ちゃんとおやすみなさいのチューもしただろ?」
「えっ、何それ」
六花の声が響いた。風呂上がりの格好で、頭からタオルをかぶり、アイスを手に持って飛んできた。
「おやすみなさいのチュー!」
「おお、こいつ、冗談で言ったら真に受けてほんとにしてやんの」
「私もついていけばよかったあああ!」
床に膝をつき、悔しそうに拳を叩きつけている。
その声に反応して、母がテレビから目を離してこっちを見た。
「あら、おかえりなさい」
「ただいま。お母さん、七世はなかなかやるもんだよ。いやあ、なんか久々にゾクッときたっていうか、こう、甘ったるい気持ちになったっていうか。車ん中でずっと手ぇ握ってるし、恋愛映画でも観てる気分だったわ」
「え? なんの話?」
母が首をかしげた。
「な、何それ、何それ! お父さんずるい! ちょっと再現して、再現!」
「よし、七世、ちゃんと座れ」
父が俺の体を起こして、無理矢理座らせる。人が落ち込んでいても構わないようだった。
俺の隣に座ると、父が手を握ってきた。
「こう」
「それで?」
「で、アパート着いても離さないから、おやすみのチューしてバイバイしろって言ったら、こう、肩をがしっとやって、チュッて」
父が俺の顔に自分の顔を近づけて、キスの真似をする。
ひいい、と六花が甲高い悲鳴を上げた。
母は不思議そうに父の奇行を見守っていたが、それよりもドラマのほうが気になるようだ。テレビの音量を上げて、周囲をシャットアウトし始めた。
「そんで至近距離で、おやすみなさいって囁くんだから、熟練の技を見た気がしたね」
「駄目だ、相手がお父さんじゃ萌えない」
六花が腕をさすって文句を言う。
「ひどい! 六花がやれって言ったんじゃないか!」
「あ、お父さん。この際だから、私も今まで隠してたこと話すよ」
「えっ」
父が動揺して「待って」と自分の顔面を撫でさすり始めた。
「私、実は」
「な、なんだよお」
怯えた様子で俺にしがみついてくる。
「実はね、腐女子なんだ」
真剣な顔の六花が、呟いた。
「は?」
「男同士の恋愛が、大好物なの」
「それ、別に隠してないじゃないか」
父が語尾にため息を重ね、ソファにふんぞり返る。
「なんだよ、何かと思った」
「え? もっと驚いてよ。あ、十八禁の漫画だって描いてるんだからね」
「何、それはけしからんな。見せなさい」
六花が満足そうに笑って、「見せないけど」とアイスを口に放り込む。
「七世、お風呂空いてるから入っておいでよ。ていうか何凹んでんの?」
「加賀さんと写真撮るの忘れてた」
放心状態で呟いた。六花がスプーンを舐めて、ニヤニヤする。
「さっき部屋で二人きりの時間あったのにねえ。何してたのかな?」
イチャイチャしていて忘れていた。とは言えない。
「別に今日じゃなくてもいいじゃん」
「次の土日、加賀さん会社の旅行でいないんだ。だから」
写真が欲しかった。水曜も会えるかどうか定かじゃないし、確実なチャンスは今日しかなかった。
「あ、じゃあさっき撮ったやつあげようか」
「あの動画?」
「あれは門外不出だから。ちょっと待ってて」
六花がダイニングテーブルの上のスマホを操作し始めると、父が俺をじっと見つめた。
「お前は乙女みたいだな。乙女座だっけ?」
「獅子座だよ」
それは何か関係があるのだろうか。
「送ったー」
六花が言った。すぐに携帯が震える。LINEの新着メッセージだ。送られた画像を開く。俺がお好み焼きをあーんで食べさせている写真だった。
「これいつの間に撮ったの?」
「え、撮るって言ったじゃん。加賀さん、駄目って言わなかったし撮っちゃった」
画面を眺めていると、顔がにやけてくる。俺の箸にかぶりつく様は、なんだかワイルドでカッコイイ。
「六花、ありがとう」
「どれ、見せて」
父が覗き込もうとするのを阻止して、立ち上がる。
「お風呂入ろ」
「パパにも見せて!」
すがってくる父を無視して風呂場に急いだ。
脱衣所のドアを閉めて、もう一度写真を見た。もう会いたい。触れたい。そばにいたい。
「加賀さん」
呟いた。その直後に写真が消え、電話の着信画面に切り替わる。
驚いてスマホを落とすところだった。
「もしもし」
電話に出ると、加賀さんの声が「起きてた?」と確認する。
「ちょっと前に帰ってきました」
『なんともなかった? あとでお父さんに怒られたりしなかったか?』
心配してかけてくれたらしい。胸に温かいものが広がった。
「大丈夫です。嘘ついてたことも許してくれたし、何も怒ってないみたいです」
『そうか、ならよかった。で、お母さんは無反応だったけど、どうなの?』
「母は俺の片思いだと思ってます。でも、応援するって言ってたんで、大丈夫そうです」
丁寧に付き合っていると宣言してくれたのに、全然理解していないのだから恥ずかしい。
『マジか。お前の両親、心広いな』
「ですね」
はー、と安堵の息を吐いたあとで、思い出したように加賀さんが言った。
『なあ、写真撮るの忘れたな』
「はい、でも、いいんです。六花に貰いました、写真」
『え、それって俺が箸食ってるやつ? なんか撮ってたよね』
食べているのは箸じゃなくてお好み焼きだ。
『それ、俺にも送ってよ。ツーショットだろ?』
「え」
『俺も寂しいとき眺めるから』
頬が熱を帯びた。
「加賀さんも、寂しい?」
『誰もいない部屋に帰って、思ったよ。倉知君がいないのが寂しい。やたら広く感じるし、なんか寒い』
足がふらついた。壁に背中がぶつかって、ずるずると尻餅をついた。
『今まで一人で寂しいなんて思ったことなかったんだけど』
「加賀さん、会いたい」
電話の向こうで加賀さんが含み笑いをする。
『うん。そういうの、貴重だよな。ずっと一緒にいたら会いたいって思うこともないだろ。この感情はお前がくれたものなんだなって』
「加賀さん」
『サンキュ』
自分の体を抱きしめて、泣くのを堪えたのに、加賀さんが言った。
『泣くなよ』
なぜかばれてしまった。鼻をすすって「はい」と答えた。
『また明日な。おやすみ』
「おやすみなさい」
会いたいとか、寂しいとかいうのは、負の感情じゃない。加賀さんはそう言いたかったのだと思う。
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