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Ⅶ.倉知編
結果オーライ
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リビングに入ると、父が映画のパンフレットをテーブルに並べて眺めていた。
「おかえり、早かったね」
六花が言うと、父が顔を上げた。
「うん、レイトじゃないし。お、ええと、加賀さん?」
ソファから腰を上げて、頭を下げる。加賀さんも、爽やかに笑って頭を下げた。
「こんばんは、お邪魔してます」
「七世がお世話になってるようで。すいませんね、こんなでかい奴が部屋にいたら邪魔でしょうに」
「いえ、縦にでかいだけなんで、むしろ高いところにあるものが取れて役に立ってます」
加賀さんが俺を見ながら言った。父が「おっ」と嬉しそうな声を出す。
「さては加賀さんは楽しい人だな? ちょっとお母さん、加賀さんにサーティワンあげて、サーティワン」
「こっち、座ってください」
六花がダイニングの椅子を引いた。リビングのソファには五月が毛布をかぶって寝ている。二人とも、髪をばっさりと切ったことに気づいていない。見たらきっと、大騒ぎになる。
五月がもぞもぞと動き出す。多分、サーティワンという単語に反応したのだろう。
加賀さんと母がお互いに頭を下げて、ありがとうございます、いえいえこちらこそ、と挨拶をしているのを横目で見て、椅子に座る。
「加賀さん、どれにします?」
ずらりと並ぶアイスを差し出して、六花が言う。
「じゃあ、ラムレーズンで」
「ラムレーズン!」
五月が叫んで毛布をはね除け、飛び起きた。父と母が、同時に悲鳴を上げた。その悲鳴はしばらく尾を引いて、リビングに響いた。
「誰だ、お前は!」
父が身をひるがえしてソファの裏に回り込む。腰の辺りに手をやって、ハッとした顔になる。
「くそっ、銃がない……!」
「え、あ、お父さんだ。おかえり。う、うぇ、気持ち悪っ」
五月がソファに倒れ込む。父は五月の頭を撫でながら首をかしげた。
「五月、お前、この髪、どうしてこうなった。カツラ飛んでったか?」
「いやああああ、モンチッチみたい!」
母が五月に駆け寄って、泣くのかと思えば大笑いを始めた。
「何よ、モンチッチって」
「猿だよ、猿。お前、切るくらいなら半分俺に分けてくれよ」
父と母ががちゃがちゃと騒いでいるのを加賀さんが笑って見ている。
「すいません、騒がしくて」
「何これ、めっちゃ面白い」
「大体いつもこんな感じなんですよ。ほっといて食べましょう」
六花が皿にラムレーズンをのせて、スプーンと一緒に加賀さんの前に置いた。
「倉知家全員面白いよね。すげえ楽しいわ」
目を細めてしみじみとそう言った。楽しんでもらえてよかった。
「あ、そうだ、加賀さん」
六花が加賀さんを手招きして、何か耳打ちした。
うんうん、とうなずいているが、俺には何も聞こえない。
「了解。ありがとう」
「なんですか?」
「ん、消し方のアドバイス」
「消し方?」
加賀さんがスプーンを咥えながら、首の絆創膏を指差した。顔が熱くなる。
「すいません」
「もうこれほとんど怪我だからなあ。全身打撲の域だよ」
「全身?」
六花が身を乗り出す。
「どの辺ですか?」
「こことか、こことか、この辺も」
加賀さんが胸と脇腹、腹を指差すと、六花が鼻息を荒くして言った。
「ちょっと見たい」
「駄目!」
慌てて立ち上がると、椅子が派手な音を立てて転がっていった。
「六花まで、何言ってるんだよ」
「倉知君」
加賀さんが冷静に、人差し指を唇に当てた。六花も同様に冷静だった。両手のひらを俺に向けてゆっくりと下ろしていく。
「七世、落ち着いて。はい、深呼吸」
丸井の件がなければ、俺もこんなふうにピリピリしていなかったかもしれない。立て続けに裸を見たいと言われ、焦っていた。
「なんでみんな、加賀さんの裸、見たがるんだよ」
「加賀さんの裸?」
父と母と五月が、同時に言った。
「なんの話かわからないけど、お母さんも見たいわあ。若返るかも」
母が言う。
「あたしだって見たい」
五月が言う。
「じゃあ俺も見たい」
父が言う。
俺は切れた。
「加賀さんの裸見ていいのは、俺だけ!」
リビングが、静寂に包まれた。全員が動きを止めた。呼吸まで止めている気がした。静かすぎて、耳が痛い。
金属音が鳴り響き、ハッとなる。
六花がスプーンを床に落とした音だった。顔を両手で覆って何かブツブツ言っている。
「えっと」
加賀さんが気まずそうに第一声を発した。
「とりあえず、脱ごうか?」
「やめてください」
自分のものだと思えないほどしわがれた声が出た。
「冗談だよ。六花ちゃん、さすがにもうアウトだと思う?」
加賀さんが六花に訊いた。六花は両手をどけて、一度ため息を吐くと、首を横に振った。
「母だけならごまかせますけど」
「お前ら、アレか? ゲイか?」
父がなんの躊躇もなく訊いた。振り返ると、父と目が合った。怒っているわけではなさそうだが、明らかに困惑していた。
加賀さんがスプーンを皿にそっと置くと、椅子から立ち上がった。
「お父さん、お母さん。黙っていて申し訳ありませんでした。七世君とは、先週からお付き合いさせていただいています」
「は、お、ええ?」
父が声を裏返らせた。母はポカンとしている。
「七世、お前」
「お父さん、ごめん、でも、俺、俺が悪いんだ。俺が勝手に好きになって、告白して、だから、加賀さんはゲイとかじゃない。それに、ちゃんとした人だし、全然悪くない。俺が悪いんだ」
「おい、待て。ちょっとお前、座れ。でかすぎて首が疲れる」
父が倒れた椅子を戻して、俺の体を強引に座らせた。
「お父さん、ごめん」
怖くて涙が溢れてきた。きっと、怒られる。殴られる。男を好きになるなんて、おかしいと罵られる。
父は俺の目の前に屈むと、手を握って、顔を覗き込んできた。
「なんで謝る?」
「だって」
しゃくり上げると、父が俺の頭を乱暴に撫でた。
「泣くな。何も悪いことしてないのに、謝るんじゃない。お前がどんな人間であろうと、否定しない。人を殺したわけでもない、たかが男に惚れただけだろ」
「お父さん」
涙が止まらなくなった。
「まったく、お前は大げさなんだよ。泣くことか?」
父が容赦なく俺の頭を何発も叩きながら立ち上がった。
顔を上げると、父はニヤリと笑った。
「次は俺の葬式まで泣くなよ」
「う、お、お父さん、死なないで」
ぐずぐずと鼻をすすりながら言うと、「いや、当分死なないよ?」と不安そうに肩をすくめて両腕をさする。
「七世ぇ」
ぼやける視界に、六花が飛び込んできた。泣きながら、俺に抱きついてくる。
「よかった、勘当されるかと思ったよぉ」
「六花、お前、知ってたのか。あ、五月もか?」
五月はうつろな目でこっちを見ていた。ソファの背もたれから顔を半分だけ出して、こくりとうなずく。
「ちくしょう、なんで俺に内緒なんだよ。あー、あの、加賀さん」
父が加賀さんに向き直る。加賀さんは一瞬気圧された様子だったが、真顔で姿勢を正し、直立して返事をする。
「はい」
「こいつ、根暗で疲れることもあると思うけど、飽きたら捨てて構わないんで、しばらく相手してやってくれる?」
加賀さんが、表情を和らげた。俺を見て優しく笑ってから、頭を掻きながら言った。
「一生飽きないと思いますけど、いいんですか?」
「お、言うね。そんときは貰ってやってよ」
「いただきます、ありがとうございます」
加賀さんが頭を下げると、六花がキャーと奇声を発した。
「私、お父さんのこと、尊敬するよ。超カッコイイ、紳士、優しい、世界一!」
「お、おお、そうか? そうだろ?」
六花に抱きつかれ、満足そうに父が鼻を鳴らす。ちら、と五月を見て、お前も抱きついてこないのか? という顔をしたが、それどころじゃなかった。
「はい、吐っきまーす」
五月が右手を挙げて、左手で口を覆って宣言した。
「七世、トイレ!」
六花が叫ぶ。素早く椅子から立ち上がり、五月の体を抱えてトイレに連れ込んだ。便器を抱えて嘔吐する五月の背中をさする。
「うえーん、ウコンが効かないよお。つらいい」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない! 七世!」
「うん」
「良かったね」
それだけ言って、再びえずく。五月の背中をひたすらさすっていると、開けっ放しのドアの向こうで母が「七世」と俺を呼んだ。
「加賀さん、お父さんがアパートまで送ってくって。一緒に行く?」
母はいつもと変わらなかった。息子が男と付き合っていたというのに、まったくショックを受けていない。
これは、あれだ。
何もわかっていない。
俺が泣いていたのも、きっと意味がわからずぼんやり見ていただけだ。
「うん、行く。お母さん」
「なあに?」
「俺、加賀さんが好きなんだ」
「うん、お母さんも好きだよ」
やっぱり、何もわかっていない。どう言えばいいのか。
「そういう好きじゃなくて、その、触りたいとか、抱きしめたいとか、恋愛的な意味で」
母が目を丸くして、乙女のように両手を頬に当てた。
「まあ、そうなの? 恋しちゃったの? そう、うん、加賀さん、素敵だから……。七世、お母さん、応援するね」
「う、うん、あの、まあいいや」
半分だけ理解してくれたようだが、残りの半分を説明するのはまた帰ってからにしようと思った。
「もう、馬鹿、お母さん馬鹿ぁ」
五月が便器を抱きしめて嘆いている。母ははいはい、と言いながら五月の背中をさする。二人を置いて玄関に行くと、加賀さんが靴を履いていた。六花が俺を見上げて意味ありげな笑みを浮かべ、背中を叩く。
「加賀さん、ごめんなさい」
振り返った加賀さんは、真顔で俺を見て、ポケットに両手を突っ込んだ。大きく息を吐きだし、ニコリともせずに、じっと俺を見てくる。
いくら心が広い加賀さんでも、怒らないはずがない。心の準備もなく、両親に関係を暴露してしまった。それに、頭を下げさせた。この人は、何も悪くないのに。
「倉知君」
「は、はい」
「グッジョブ」
「え」
「どうせばれるんだから、早いほうがいい。俺も気が楽になった」
屈託のない笑顔を見せて、胸を撫で下ろす仕草をした。
「お父さん、思った通り、いい人だな」
外で車のエンジンがかかる音が聞こえた。加賀さんがドアのほうを振り返って言った。
「子は親を映す鏡って言うしな。三人見てたらどんな親か想像できる」
「加賀さん、怒ってません?」
「なんで? 怒る要素ある? まあ、別れさせられてたかもしれないけど」
そうなっていたら、俺は立ち直れない。この若さで廃人になっていた。
「結果オーライだよ。お前も来るの?」
「あ、はい、行きます」
慌てて靴を履く。
「六花ちゃん、ありがとう。またね。五月ちゃんとお母さんにもよろしく」
「はい、また来てくださいね」
六花が頭を下げて嬉しそうに手を振った。
外に出ると、エンジンのかかったヴォクシーがヘッドライトを灯す。後部座席のドアを開けて、先に乗り込み、次に加賀さんが続く。
「すいません、こんな時間に車出してもらって」
「いやあ、気にしないで。だってもうちょっとお話ししたいじゃない?」
バックミラー越しに父と目が合った。
一体何を訊かれるのか。
目だけ映る父の表情は、読みづらかった。
「おかえり、早かったね」
六花が言うと、父が顔を上げた。
「うん、レイトじゃないし。お、ええと、加賀さん?」
ソファから腰を上げて、頭を下げる。加賀さんも、爽やかに笑って頭を下げた。
「こんばんは、お邪魔してます」
「七世がお世話になってるようで。すいませんね、こんなでかい奴が部屋にいたら邪魔でしょうに」
「いえ、縦にでかいだけなんで、むしろ高いところにあるものが取れて役に立ってます」
加賀さんが俺を見ながら言った。父が「おっ」と嬉しそうな声を出す。
「さては加賀さんは楽しい人だな? ちょっとお母さん、加賀さんにサーティワンあげて、サーティワン」
「こっち、座ってください」
六花がダイニングの椅子を引いた。リビングのソファには五月が毛布をかぶって寝ている。二人とも、髪をばっさりと切ったことに気づいていない。見たらきっと、大騒ぎになる。
五月がもぞもぞと動き出す。多分、サーティワンという単語に反応したのだろう。
加賀さんと母がお互いに頭を下げて、ありがとうございます、いえいえこちらこそ、と挨拶をしているのを横目で見て、椅子に座る。
「加賀さん、どれにします?」
ずらりと並ぶアイスを差し出して、六花が言う。
「じゃあ、ラムレーズンで」
「ラムレーズン!」
五月が叫んで毛布をはね除け、飛び起きた。父と母が、同時に悲鳴を上げた。その悲鳴はしばらく尾を引いて、リビングに響いた。
「誰だ、お前は!」
父が身をひるがえしてソファの裏に回り込む。腰の辺りに手をやって、ハッとした顔になる。
「くそっ、銃がない……!」
「え、あ、お父さんだ。おかえり。う、うぇ、気持ち悪っ」
五月がソファに倒れ込む。父は五月の頭を撫でながら首をかしげた。
「五月、お前、この髪、どうしてこうなった。カツラ飛んでったか?」
「いやああああ、モンチッチみたい!」
母が五月に駆け寄って、泣くのかと思えば大笑いを始めた。
「何よ、モンチッチって」
「猿だよ、猿。お前、切るくらいなら半分俺に分けてくれよ」
父と母ががちゃがちゃと騒いでいるのを加賀さんが笑って見ている。
「すいません、騒がしくて」
「何これ、めっちゃ面白い」
「大体いつもこんな感じなんですよ。ほっといて食べましょう」
六花が皿にラムレーズンをのせて、スプーンと一緒に加賀さんの前に置いた。
「倉知家全員面白いよね。すげえ楽しいわ」
目を細めてしみじみとそう言った。楽しんでもらえてよかった。
「あ、そうだ、加賀さん」
六花が加賀さんを手招きして、何か耳打ちした。
うんうん、とうなずいているが、俺には何も聞こえない。
「了解。ありがとう」
「なんですか?」
「ん、消し方のアドバイス」
「消し方?」
加賀さんがスプーンを咥えながら、首の絆創膏を指差した。顔が熱くなる。
「すいません」
「もうこれほとんど怪我だからなあ。全身打撲の域だよ」
「全身?」
六花が身を乗り出す。
「どの辺ですか?」
「こことか、こことか、この辺も」
加賀さんが胸と脇腹、腹を指差すと、六花が鼻息を荒くして言った。
「ちょっと見たい」
「駄目!」
慌てて立ち上がると、椅子が派手な音を立てて転がっていった。
「六花まで、何言ってるんだよ」
「倉知君」
加賀さんが冷静に、人差し指を唇に当てた。六花も同様に冷静だった。両手のひらを俺に向けてゆっくりと下ろしていく。
「七世、落ち着いて。はい、深呼吸」
丸井の件がなければ、俺もこんなふうにピリピリしていなかったかもしれない。立て続けに裸を見たいと言われ、焦っていた。
「なんでみんな、加賀さんの裸、見たがるんだよ」
「加賀さんの裸?」
父と母と五月が、同時に言った。
「なんの話かわからないけど、お母さんも見たいわあ。若返るかも」
母が言う。
「あたしだって見たい」
五月が言う。
「じゃあ俺も見たい」
父が言う。
俺は切れた。
「加賀さんの裸見ていいのは、俺だけ!」
リビングが、静寂に包まれた。全員が動きを止めた。呼吸まで止めている気がした。静かすぎて、耳が痛い。
金属音が鳴り響き、ハッとなる。
六花がスプーンを床に落とした音だった。顔を両手で覆って何かブツブツ言っている。
「えっと」
加賀さんが気まずそうに第一声を発した。
「とりあえず、脱ごうか?」
「やめてください」
自分のものだと思えないほどしわがれた声が出た。
「冗談だよ。六花ちゃん、さすがにもうアウトだと思う?」
加賀さんが六花に訊いた。六花は両手をどけて、一度ため息を吐くと、首を横に振った。
「母だけならごまかせますけど」
「お前ら、アレか? ゲイか?」
父がなんの躊躇もなく訊いた。振り返ると、父と目が合った。怒っているわけではなさそうだが、明らかに困惑していた。
加賀さんがスプーンを皿にそっと置くと、椅子から立ち上がった。
「お父さん、お母さん。黙っていて申し訳ありませんでした。七世君とは、先週からお付き合いさせていただいています」
「は、お、ええ?」
父が声を裏返らせた。母はポカンとしている。
「七世、お前」
「お父さん、ごめん、でも、俺、俺が悪いんだ。俺が勝手に好きになって、告白して、だから、加賀さんはゲイとかじゃない。それに、ちゃんとした人だし、全然悪くない。俺が悪いんだ」
「おい、待て。ちょっとお前、座れ。でかすぎて首が疲れる」
父が倒れた椅子を戻して、俺の体を強引に座らせた。
「お父さん、ごめん」
怖くて涙が溢れてきた。きっと、怒られる。殴られる。男を好きになるなんて、おかしいと罵られる。
父は俺の目の前に屈むと、手を握って、顔を覗き込んできた。
「なんで謝る?」
「だって」
しゃくり上げると、父が俺の頭を乱暴に撫でた。
「泣くな。何も悪いことしてないのに、謝るんじゃない。お前がどんな人間であろうと、否定しない。人を殺したわけでもない、たかが男に惚れただけだろ」
「お父さん」
涙が止まらなくなった。
「まったく、お前は大げさなんだよ。泣くことか?」
父が容赦なく俺の頭を何発も叩きながら立ち上がった。
顔を上げると、父はニヤリと笑った。
「次は俺の葬式まで泣くなよ」
「う、お、お父さん、死なないで」
ぐずぐずと鼻をすすりながら言うと、「いや、当分死なないよ?」と不安そうに肩をすくめて両腕をさする。
「七世ぇ」
ぼやける視界に、六花が飛び込んできた。泣きながら、俺に抱きついてくる。
「よかった、勘当されるかと思ったよぉ」
「六花、お前、知ってたのか。あ、五月もか?」
五月はうつろな目でこっちを見ていた。ソファの背もたれから顔を半分だけ出して、こくりとうなずく。
「ちくしょう、なんで俺に内緒なんだよ。あー、あの、加賀さん」
父が加賀さんに向き直る。加賀さんは一瞬気圧された様子だったが、真顔で姿勢を正し、直立して返事をする。
「はい」
「こいつ、根暗で疲れることもあると思うけど、飽きたら捨てて構わないんで、しばらく相手してやってくれる?」
加賀さんが、表情を和らげた。俺を見て優しく笑ってから、頭を掻きながら言った。
「一生飽きないと思いますけど、いいんですか?」
「お、言うね。そんときは貰ってやってよ」
「いただきます、ありがとうございます」
加賀さんが頭を下げると、六花がキャーと奇声を発した。
「私、お父さんのこと、尊敬するよ。超カッコイイ、紳士、優しい、世界一!」
「お、おお、そうか? そうだろ?」
六花に抱きつかれ、満足そうに父が鼻を鳴らす。ちら、と五月を見て、お前も抱きついてこないのか? という顔をしたが、それどころじゃなかった。
「はい、吐っきまーす」
五月が右手を挙げて、左手で口を覆って宣言した。
「七世、トイレ!」
六花が叫ぶ。素早く椅子から立ち上がり、五月の体を抱えてトイレに連れ込んだ。便器を抱えて嘔吐する五月の背中をさする。
「うえーん、ウコンが効かないよお。つらいい」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない! 七世!」
「うん」
「良かったね」
それだけ言って、再びえずく。五月の背中をひたすらさすっていると、開けっ放しのドアの向こうで母が「七世」と俺を呼んだ。
「加賀さん、お父さんがアパートまで送ってくって。一緒に行く?」
母はいつもと変わらなかった。息子が男と付き合っていたというのに、まったくショックを受けていない。
これは、あれだ。
何もわかっていない。
俺が泣いていたのも、きっと意味がわからずぼんやり見ていただけだ。
「うん、行く。お母さん」
「なあに?」
「俺、加賀さんが好きなんだ」
「うん、お母さんも好きだよ」
やっぱり、何もわかっていない。どう言えばいいのか。
「そういう好きじゃなくて、その、触りたいとか、抱きしめたいとか、恋愛的な意味で」
母が目を丸くして、乙女のように両手を頬に当てた。
「まあ、そうなの? 恋しちゃったの? そう、うん、加賀さん、素敵だから……。七世、お母さん、応援するね」
「う、うん、あの、まあいいや」
半分だけ理解してくれたようだが、残りの半分を説明するのはまた帰ってからにしようと思った。
「もう、馬鹿、お母さん馬鹿ぁ」
五月が便器を抱きしめて嘆いている。母ははいはい、と言いながら五月の背中をさする。二人を置いて玄関に行くと、加賀さんが靴を履いていた。六花が俺を見上げて意味ありげな笑みを浮かべ、背中を叩く。
「加賀さん、ごめんなさい」
振り返った加賀さんは、真顔で俺を見て、ポケットに両手を突っ込んだ。大きく息を吐きだし、ニコリともせずに、じっと俺を見てくる。
いくら心が広い加賀さんでも、怒らないはずがない。心の準備もなく、両親に関係を暴露してしまった。それに、頭を下げさせた。この人は、何も悪くないのに。
「倉知君」
「は、はい」
「グッジョブ」
「え」
「どうせばれるんだから、早いほうがいい。俺も気が楽になった」
屈託のない笑顔を見せて、胸を撫で下ろす仕草をした。
「お父さん、思った通り、いい人だな」
外で車のエンジンがかかる音が聞こえた。加賀さんがドアのほうを振り返って言った。
「子は親を映す鏡って言うしな。三人見てたらどんな親か想像できる」
「加賀さん、怒ってません?」
「なんで? 怒る要素ある? まあ、別れさせられてたかもしれないけど」
そうなっていたら、俺は立ち直れない。この若さで廃人になっていた。
「結果オーライだよ。お前も来るの?」
「あ、はい、行きます」
慌てて靴を履く。
「六花ちゃん、ありがとう。またね。五月ちゃんとお母さんにもよろしく」
「はい、また来てくださいね」
六花が頭を下げて嬉しそうに手を振った。
外に出ると、エンジンのかかったヴォクシーがヘッドライトを灯す。後部座席のドアを開けて、先に乗り込み、次に加賀さんが続く。
「すいません、こんな時間に車出してもらって」
「いやあ、気にしないで。だってもうちょっとお話ししたいじゃない?」
バックミラー越しに父と目が合った。
一体何を訊かれるのか。
目だけ映る父の表情は、読みづらかった。
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