DROP DEAD!MOTHERFUCKER

月世

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 中学までは、ほぼ毎朝時生と登校していた。
 高校に上がると別行動になったが、仲が悪くなったわけじゃない。俺には友人と呼べる相手はただ一人だが、時生は女にモテて忙しい。今付き合っている女は別の高校で、朝は同じ電車に乗るために早起きをしている。
 一緒に登校しなければ友情が崩れるなんてことはまずありえないし、女を優先してこそ時生だと思っている。
 だから、朝、玄関のドアを開けると時生がうずくまっていて、軽く飛び上がるほど驚いた。
「昨日ごめんな」
「昨日?」
 昨日、時生は何をしでかしただろうかと考えて、ああ、と思い至った。無理やり女をあてがおうとした件を言っているらしい。
 翼のしたことに比べれば、可愛いものだ。
「別に、もういい」
 悪気がないのはわかっている。うずくまる時生に手を差し伸べた。時生が俺の手をつかんで立ち上がる。
「大野ちゃんと美佳ちゃん、ちゃんと宥めておいたから」
 美佳という女はともかく、大野を宥められるのだから時生はすごいと思う。
「美佳ちゃん、本当にカズのことずっと好きで」
「わかってる」
 女の望みを叶えたいという優しさが、暴走しただけだ。
「カズ、殴って」
「あ?」
「俺を、殴ってくれ……!」
 時生がぎゅ、と目をつぶってわめいた。
「カズごめん、ごめん、俺のこと嫌いにならないで」
「俺が本気で殴ったらお前、顔面吹っ飛ぶぞ」
「えっ、怖い、待って」
 時生が目を開けて両手を顔の前にかざした。
「もういいって。行こう」
 時生の背中を軽く叩いて、駅に向かって歩き出す。時生が隣に並んで、俺の顔を覗き込んでくる。
「怒ってないの?」
「腹は立った」
「ごめんな」
「しつけーって」
「だって、俺、カズに嫌われたら死んじゃう」
 歩きながら、時生が腕にすがってくる。すれ違う通行人が横目で見てきたが、時生は意に介していない。
「それは俺も」
「え?」
「お前に嫌われたくない」
 俺には大切な人間が、この世に二人しか存在しないのだなと気がついた。誰にどう思われてもいいが、母さんと時生だけは、ずっと、そばにいて欲しい。
 肉親以外で大切な人間は、時生ただ一人なのだ。
「カズ、なんかあった?」
 父親のことも翼のことも、話せば時生が離れていく気がした。
 言えない。
「今日、母さんが退院する」
「おおっ、よかったじゃん。おめでとう」
 いいことだってある。これで不幸の連鎖は断ち切れる。きっと、もう、嫌なことなんて何も起こらない。
 学校は相変わらず退屈だったし、クラスメイトの意味ありげな視線はうっとうしかったが、翼の自殺未遂が噂になっている様子もなかった。
 一日が、平和に終わる。家に帰れば母さんがいて、俺の日常は元に戻る。
 そう思っていた。
 授業が終わると、部活には行かずに、家路を急ぐ。
「そういや今日翼見なかったな」
 時生が言った。ちら、と横目で見ると、「なんか知ってる?」と訊かれ、言葉を濁す。
「いや、……何も」
「こんにちは」
 校門を出てすぐに、後ろから声をかけられた。振り向くと、眼鏡と髭面の厳つい男が立っていた。
「なんですか?」
 時生が訊いた。男は俺だけを見ている。時生が小さく「誰?」と耳打ちをしたが、知らない男だ。首を横に振った。
「俺を覚えてない? 昨日会ったじゃないか」
 男が笑って、肩にかけている鞄を指差した。猫のキーホルダーが揺れている。見覚えがあった。翼の鞄だ。それで、思い出した。こいつは昨日、翼が落ちたときにしゃしゃり出てきた男だ。
「忘れ物を届けにきたんだが」
 意味がわからない。どうしてこの学校がわかったのかと身構えたが、制服だ。ここらで学ランなのはうちの高校だけだ。
「あれ? それ、翼のじゃない?」
 時生が気づいて声を上げる。俺は急いで手を出して、「どうも」と男を急かした。男は鞄を寄越さない。にや、と謎の笑みを浮かべて、ジャケットから何かを取り出した。
「君に話がある」
「は?」
 男が小さな紙切れを差し出してきた。名刺だ。受け取って、目を落とす。
「探偵?」
 名刺を覗き込んだ時生が、肩書きを読み上げた。木島探偵事務所、私立探偵木島龍二とある。
 探偵なんて俺には縁がない。数日前まではそう思っていた。
 こいつはおそらく、織田が言っていた探偵だ。昨日、あの場にいたのは俺を見張っていたからだ。家から出たところを尾行されたのだろう。
 織田が、こいつを雇って、俺を監視していた。
 本当に、反吐が出るほどに、気味が悪い。
「話って?」
「俺の雇い主の話だ。二人きりで話そう」
 道路脇でハザードを点滅させているシトロエンを振り返ると、木島が歩き出す。
「なあ、なんなの? 探偵って? 翼がなんか関係あるの?」
 オロオロしながら時生が言った。
「もしかして、翼、誘拐されちゃったとか?」
「そんなんじゃねーよ。漫画かよ」
「だって、なんで探偵が翼の鞄持ってるんだよ」
「一騎君」
 シトロエンの運転席から、木島が顔を出して俺を呼んだ。
「乗る? 乗らない? どっちだ?」
 翼の鞄を持った探偵が、俺の名前を知っている。
 時生に、すべて話さなければならなくなった。
「……クソが」
 毒づく俺の裾を引いて、時生がヒソヒソ声で言った。
「大丈夫なの? 警察呼ぶ?」
「大丈夫だから、あとで全部話す」
「カズ」
 呼び止める時生を振り返らず、助手席に乗り込んだ。不安げに立ち尽くす時生の前を、シトロエンが走り抜ける。
「どこに連れてくんだよ」
「うちの事務所で話そう。探偵事務所なんて来たことないだろ?」
「興味ない」
 木島は、フッと短く笑って、「いいね」と声を弾ませた。何がいいのかわからない。
「雇い主って、織田だろ」
「そうだ、俺は織田立人に雇われて、君をずっと調査してきた。十年だ。異常だろ」
 十年も、秘かに監視されていたなんて。吐き気がする。
 口を押さえ、黙り込む。木島も口を閉ざし、二十分ほど車を走らせ、到着したのは年季の入った雑居ビルだった。エレベーターすらない、寂れたビルだ。じめじめしたコンクリート壁の狭い階段を、木島の後ろについて上がる。
 三階に上がると、窓ガラスに木島探偵事務所と書かれたドアがあった。木島がドアを開け、俺を招き入れる。中にいた若い男が「あ」とデスクから腰を上げた。
「おかえりなさい」
「ただいま。飲み物出して。一騎君、ここに座って」
 茶色というより赤に近い、微妙な色味のソファに腰を下ろし、部屋の中を見回した。特別なことはない、普通の事務所という感じだ。ファイルが詰まったキャビネットに、観葉植物、デスクが二つに来客用のソファとテーブル。なんの面白味もない。
「ケーキ食べる? チーズケーキなら食べられるよな」
 俺の嗜好をよく知っている。そんなことまで調べたのかと、うんざりした。
「いらねー。とっとと話せ」
 木島はソファの向かい側に座ると、じっと俺を見た。何も言わない。ただ、無言で俺を見てくる。
「なんだよ」
「変な感じだな」
「何が」
「ずっと、隠れて見てきた一騎君が、目の前にいて、目が合ってる」
 一言ひとこと、やけにゆっくりと言葉を紡いで、テーブルに積み上げてある一番上のファイルを指で弾いた。
「これ、見ていいぞ」
「なんだよ」
「君には見る権利があるかなって」
 警戒して手を出さないでいると、さっきの若い男がテーブルにグラスを置いた。視線を感じる。めちゃくちゃ見てくる。睨み返すと、男が慌てて頭を下げ、逃げていった。
「今日は暑いな」
 木島がテーブルのグラスをとって、口に運ぶ。氷が揺れ、カランと音を鳴らす。つられてグラスをつかんで、喉に麦茶を流し込む。一気に飲み干すと、テーブルのファイルを指差して、「なんなんだよ?」と訊いた。
「見たらいい」
 木島が脚を組んでソファにもたれ、手のひらを向けて、「どうぞ」と言った。
 一番上のファイルを手にとった。木島とファイルを見比べてから、恐る恐る表紙をめくる。
 俺だ。小学校低学年だろうか。写真がクリップで止められていて、何年何組だとか、当時の担任の名前だとか、得意な教科に苦手な教科、好きな食べ物、嫌いな食べ物、あらゆる情報が書き込まれていた。
 ゾッとした。
 ページをめくる手が、止まらない。
 六月十五日、傘と長靴を新調。青い傘を差して、ランドセルを担いだ小学生の頃の俺の写真がくっついている。
 八月三日、夏祭りで金魚すくい。りんご飴を持って、金魚の入った袋を持った、幼い俺の横顔の写真。
 こんなことを調べてどうなるのか。どうでもいいことばかりだ。
「もしかして、これ全部?」
 積まれたファイルは薄っぺらかったが、十や二十じゃなさそうだ。
「これは一部だ」
 汗が出て、息が上がってきた。いやに暑い。
 ファイルをテーブルに投げて、別のファイルを開く。どれも、全部、自分だ。息を荒げながら、どんどんページをめくり、床に投げ捨て、新しいファイルをめくり、投げ捨てる。
 虫唾が走る。
「なんで……、これを俺に? 普通、こういうのは守秘義務ってやつで、誰にも見せないもんだろ」
「その通り。普通は見せない」
「じゃあ、なんで」
「昨日、織田さんから契約は終了だと言われた。もう監視する必要はなくなったってね」
 木島は、はあ、とため息をついて髪を掻き乱す。
「十年付き合ってきたのに、いきなりお払い箱だ。あんまりだろ?」
 よくわからない同意を求められ、困惑した。
「俺は、もっと君を見ていたいんだ。無関係になりたくない。もうすでに、俺の一部だ」
 木島が立ち上がった。ビクッとして、体が大げさに震えた。木島は俺を見下ろしてから、床に散らばったファイルと写真をのろのろと拾い始めた。
「これを見せたのは、ただの時間稼ぎだ。君の関心を引きつける餌が必要だった」
「時間稼ぎ? ……餌?」
 木島の手が、俺の膝に触れた。
「汗がすごい。体が火照ってきたか?」
 内腿に、太い親指の感触。
「あっ」
 声が出た。おかしい。体が、変だ。
「勃起してるな」
 木島が俺の股間を見て言った。目線を下げて、ギョッとする。勃っている。
「なんだ、これ」
「催淫剤だよ。お茶に混ぜさせた」
「混ぜさせたって……、あんた、何言ってんだ?」
 唐突に、木島が俺の手首をつかみ、覆いかぶさってきた。
「織田さんが自慢するんだ。一騎を抱いた、一騎が抱いてくれってせがんできたって。ずるいだろ、そんなの」
 上に乗った木島の目が血走っていて恐怖を感じたが、それ以上に、性欲が、すごい。息苦しい。体の内側から情欲が溢れてくる。やりたくてたまらない。
「やめ、やめろ……っ」
 弱々しい声は明らかに上ずっていて、抵抗しなければと思うのに、できない。空いているほうの手で木島の胸を押したが、力が入らず、びくともしない。
「俺にも抱かせてくれ」
 木島の指が頬に触れる。それだけで、気持ちよかった。まるで痙攣のように、小刻みに体が震えた。
「感じてる? すごい効き目だな」
 指先ですりすりと頬を撫でられ、俺の口からは「あっ、あっ」と無様な声が漏れた。脚の間に割り込んでいる木島の膝に、股間をこすりつけたくて、気が狂いそうだった。
「挿れて欲しそうだな?」
「……ぶっ殺す」
「最近の若い奴はすぐに殺すと言うな。できもしないくせに」
 まず、顔面に頭突きをかまし、ひるんだところを腹に膝。
 いつもの俺なら、そうする。
 でも、全身が、快楽を欲している。
「もういい」
 胸倉をつかんで、引き寄せた。
「早くヤれよ」
 鼻先にある木島の目が、怪しく微笑んだ。
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