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第一章

3話「大賢者は白い魔女に狙われる」

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 ジェラードと共に旅をするにはそれ相応の身分が必要だと言う事で、王都が発行している魔術師の証が必要になったアナスタシアは彼のもとで日々身を痛めながら特訓に励んでいた。

 魔術師認定試験には筆記は無論の事だが実技もそれなりに重要となってくるのだ。
 ただ頭が良くても、それが魔法として発動出来なければ意味がないからだ。

 ある時の雨が強く降っている日にはアナスタシアは只管にジェラードが放った魔法を避けたりと、逆に反撃したりとで体にはかすり傷や打撲の跡が日数の経過と共に増している。
 それでも彼女は諦める様子を微塵も感じさせずに特訓に食らいつてくるのだ。

 アナスタシアのそのポジティブな思考と前向きな性格はジェラードとて感心している部分で、このまま彼が出した一日のスケジュールをこなしていけば何とか試験ギリギリの日に仕上がる予定なのだ。

 ちなみに彼が出した一日のスケジュールとは、朝昼夜の炊事と、その合間に魔法学の書かれた書物を見て魔法の勉強、あとは魔女としての立ち振る舞いや戦い方などの行動をジェラードから教わって実践という忙しいものだ。

 ――だがそんな日々も最初の頃は当然のように苦悶とした弱音を吐いていたアナスタシアだが、それも最終日が近くなるにつれて無くなっていき今では軽快に全ての事が出来るぐらいに成長を遂げているのだ。

「うむ、よくここまで俺の出した無理難題の課題に食らいつてこれたな。やはりお前はシャロンの娘で間違いないな。それと明日はいよいよ試験だが……今日ぐらいはゆっくりすると良いぞ」

 ジェラードが木製の安楽椅子に座って揺られながら呟くと窓辺に映る風景は漆黒色で、もうすっかり夜だと言う事を告げてきている。
 つまりゆっくりするも何も、あとは寝るだけとなっているのだ。

 そしてジェラードとアナスタシアが今居る場所は迷いの森の家ではないのだ。
 ここはそう、人里と言うには余りにも人が多く建物も多い。何故ならここは……、
 
「自分でも無理難題って分かっていたんですね……。しかしゆっくりするも何も今は王都が用意した受験者専用の宿屋ですよここ。ジェラード先生は一体どうやって入って来たんですか……」

 アナスタシアは呆れた表情を見せながら彼に向かって言っていた。
 そう、ここは彼女が言っている通りに魔術師の試験を受ける人に用意された宿屋なのだ。
 と言っても内装は簡易的なベッドと机とランプが置いてあるぐらいだ。

「なに、気にするな。俺は大賢者だ。ゆえに何処にでも居るし、何処にも居ない存在だ」

 ジェラードが自身の顎を触りながら答える。

「……ジェラード先生は私の睡眠を邪魔しに来たんですか? 流石に怒りますよ? もしこれが影響して明日の試験落ちたら、私は先生に見様見真似の呪術魔法を掛けますからね」

 アナスタシアはどうやら自分を茶化しに来たのかと勘違いしている様子だった。

 しかもあろう事か初心者が使うと大抵はとんでもない規模で失敗を起こして、何が起こるか大賢者ですら予測不可能の呪術魔法を掛けると言ってきたのだ。
 最早それは脅しを越えて脅迫に近いものだろう。

「別に邪魔しに来た訳ではないぞ。……まあ、お前の頑張りは俺が一番知っているからな。精々他の試験者達に負けないように。では、おやすみ」

 ジェラードは素直に相手を褒めると言うのが昔から得意ではない方で、こうやって勢いを付けないと言えないのだ。
 そして頑張れとも言える言葉を残すと彼は椅子から立ち上がって指を鳴らすと姿を消した。

「あっ……ちょっ!」

 その刹那にアナスタシアが手を伸ばして何かを言いかけていたようだったが、今は体を休める事を優先させた方がいいとジェラードは思い無視をして部屋から出て行った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 それから試験当日の朝を迎えると王都全体は賑やかな盛り上がりを見せていた。
 それも偏に各地から未来ある魔術師のたまご達が己の才を信じて、魔女や魔法使いになろうと言うのを街全体で応援しているのだろう。
 
 現王都の支配者【CliffordクリフォードGabelガベル】も恐らくは魔術師という兵士が増える事が嬉しくてこの祭典のような催し物を開いているに違いないと、ジェラードは露店で買った野菜と肉が挟まったパンを齧りながら思った。

「……にしても、ビュンビュンと上が騒がしいな」

 そのまま彼がパンを食べながら街中を歩いていると、空の方から風を切るような音が止めどなく聞こえてくる。
 
 その音に多少なりともジェラードは苛立ちを覚えると顔を上げて様子を確認した。
 すると上空には大勢の魔術師達が箒に跨って空を飛んでいる光景が広がっていたのだ。

「よくもまぁ、そんなに魔力を無駄に消費して飛ぶものだ。現代の魔術師達はいまだに箒に頼らないと空も飛べないのか。……これでは俺の魔法基礎学を理解できる者とは当分会えそうにないな」

 恐らく空を飛んでいる魔術師達はこれから試験を受ける教え子達を見守りに来た師匠達か……はたまた王都の魔術教会の輩か……どちらにせよ彼にとって鬱陶しい事に変わりはなかった。
 
 それと普通の魔術師は箒に乗って空を飛ぶことは当たり前で、ジェラードが地に足を付けて街をうろうろと徘徊しいてる方が珍しい方なのだ。

「ん? ……お、おい! あの人って大賢者ジェラード様じゃないのか!?」
「えっ嘘でしょ!? あの人っていつの日か突然と消えて行方不明じゃなかったの!」

 彼が空を見上げたまま固まっているとその様子が変に映ったのか、空を飛んでいた男女の魔術師達がジェラードを見て大きな声を上げていた。
 それはまるで周りの魔術師達にも知らせるような感じで。

「えっ! ジェラード様!? ど、どこ!?」
「なんだと? あの高貴なるお方が近くにいるのか?」
「私はジェラード様と結ばれる為に魔女になったのよ! 今こそ願いが叶う時だわ!」

 なにやら二人の魔術師が余計な事を言ったせいで周りを浮遊していた魔術師達もその場に静止し始めて周りを見渡しては彼の事を探し始めていた。

「ああ、しまったな。少しばかり目立ち過ぎたか……。ここは面倒事になる前に逃げるとするか」

 自由気ままな性格が多いとされる魔術師だが、こういう時だけは団結力が高い事を知るとジェラードは溜息を吐いて近くの建物へと身を隠した。

 どうやらここからはアナスタシアの試験が終わるまで彼は王都内に滞在している魔術師と追いかけっこをしないとならないようだ。

「あの雰囲気から察するに多分だが俺の事は意思魔法を経由して王都内……いや、下手したら魔術師教会にも報告されているだろうな……。くそ、面倒だが逃げるしかないか。だが時間的にはそろそろ試験開始だな。あまり柄ではないが合格ぐらいは祈っといてやろう」

 建物と建物の間に身を隠しながら呟くと、彼は彼なりにアナスタシアの事を考えているのだ。
 何故なら彼女は唯一母親のシャロンですら出来なかった事をジェラードの見ている前で成し遂げたただ一人の人物だからだ。

 ……そのシャロンですら出来なかった事ととは――

「あぁぁっ! やっと見つけましたよジェラード様! 教会がお呼びです! さあ、僕と一緒に参りましょう!」
「チッ、意外と見つけるのが上手だな教会の犬は」

 突然貴公子のような喋り方をした魔女が彼の目の前に現れると、やはり教会には既に報告が伝わっているらしい。
 
 しかも目を凝らして見れば、その魔女の見た目は黒色のショートヘアをしていて片目が隠れている感じだ。更に身長はジェラードより低くて胸がアナスタシアより大きいようだ。

 だが極めつけは全身を純白のロングコートと真っ白なキュロットスカートに包んでいて太陽の明かりを反射させると視界がチカチカとして眩しい印象だった。
 しかし胸元にはしっかりと魔術師教会の証がつけられている事から正規の魔術師なのは明らかだろう。

「当然ですともっ! 僕はジェラード様がお書きなられた魔術の書を読んでこの道に入りましたから! ならば憧れの人を街中で見つける事は造作もありません!」

 彼の目の前で両手を使って演劇でもしているかのように大袈裟な感じで白色の魔女が伝えてくる。

「……そうか。俺のせいで何か色々と歪ませてしまったようだな。ごめん」

 ジェラードは不思議と何故か謝らないといけない気がした。
 そして魔術の書とは彼がまだ二十二歳という若い頃に腹痛に悩まされながらトイレの中で書き上げた一種のエッセイみたいなものだ。

「なぜ謝るんですか! 寧ろ僕は感謝すらしているのですよ! さあ、僕と一緒に教会に行きましょうジェラード様。教皇様が大聖堂にてお待ちです」

 そう言って白色の魔女は手を差し出してくると、やはり仕草も何処となく貴公子っぽいものだった。恐らく純血の家系に生まれた者なのだろう。

「あー……重ね重ねですまないが、俺にはやることが残っているのでな。また何処かで会うことがあればその時はサインの一つでも書いてやるから今日は無理だ。じゃまた」

 ジェラードは右手を上げながら白色の魔女に向かって軽い雰囲気で謝ると、そのまま指を鳴らしてその場から姿を消した。しかし彼が姿を消したあと白色の魔女は何を思ったのか急に怖い事を言い出したようなのだ。

「ああ、あの気まぐれな性格……やはり僕の思っていた通りに間違いない。あの人こそ、本物の大賢者であり僕の初めてを捧げるに相応しいお人だっ! はははっ! だけど……実際にまだ生きていた事を知れただけでも、今日は良しとするべきだね」

 白色の魔女は笑いながらそう言うと、背負っていた箒を浮かせてそれに乗って教会の方角へと飛び去っていった。

 実はジェラードは姿を消したと言ってもその場で透明化状態になっていただけなのだ。
 つまりその言葉はしっかりと耳に入っていて、また面倒事が一つ増えたと彼は思えてならなかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆

 
 それからジェラードは教会側の魔術師達に見つかると厄介な事になると分かった事から、常に透明化状態を維持してアナスタシアの試験が終わるまで街中を徘徊して過ごした。
 
 無論だがこの状態は誰にも見えないのだ。
 もし見える術があるとすればそれは魔眼の類だけだろう。
 
 そして魔術師の試験は夕方の十八時頃に全てが終わり、その場で試験官から合否の判定が下されるのだ。……となればもう直ぐでその時刻となる。
 
 ジェラードは一足先にアナスタシアが使っている宿屋へと戻る事にした。
 結果がどうであったとしても、この日まで立派に特訓に食らいついてきた事は素直に褒めるに値するのだ。

 だからこそジェラードは彼女が好きそうな甘い菓子を残り少ない金を使って購入したあと勝手に部屋へと入ると椅子に腰を下ろして待つことにした。

 シャロンの時も同じだったが、大賢者であるジェラードとて意外とこの待ち時間というのは妙に落ち着かない感じなのだ。それは彼の中にまだ人としての感情が残っているからだろうか。
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