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第一章 境界を飛び越えたんだが、もう俺は限界かもしれない

6. 魔除けのローブ

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 皆一様に目覚め、光を浴び一頻り朝を感じてから、町へ出る。商人であろう人々が、朝も早くから客の呼びかけを始めている。この時間帯にすでに店を開けているということは、仕込みはもっと早くから始めているのだろう。それこそ、まだ夜をほのかに感じる時間帯から。一方、それ以外はというと、昼に比べればまばらであるが、それでもわりに多くの人々によって町は賑わいを見せている。

「どうしよう、これ。やっぱり余っちゃった」

エナは、所在なさげに布袋をぐるぐると回しながら言った。剣技大会での圧倒的活躍から一夜明け、町の注目は彼女に注がれているといっても過言ではないほどだったが、自身はというと、まるでそれに気づかないようであった。

「食べよう。美味しいもの」
「みんなリュカなわけじゃないんだから。食べることにそんな興味ないって人も、いるでしょうよ。私もそんなに食べる方じゃないし」

赤髪の少女は、エナの答えにがっくりと肩を落とした。昨晩の食べっぷりは彼女を筋骨隆々の大男であると錯覚するほどであり、自慢げに盛られた大皿料理の数々も彼女の前には全て無力だった。が、賞金はそれでも一定数余るほどの額であり、人々の剣技大会への力の入れ様と、それを赤子の手を捻るように制したエナの技量がそこから見て取れた。

「じゃあ、装備を買おうか」
「良いんじゃない」

ネルの提案をエナは即座に肯定した。そのことにリュカはやや不満げであったが、提案自体にさして異議はないようで、黙ったまま頷いた。

「装備って、全員分?」
「もちろん。今目的地にしてるダンジョンっていうのは、ここと同じ名前を冠してロアのダンジョン、っていうんだけど。ロアのダンジョンって、名を馳せている冒険者が挑むようなところではないから、僕たちの力ならまあ大した装備がなくても制覇できるかな、って思ってたんだけどね。装備がみすぼらしいことで周囲の冒険者に蔑まれるっていうのも癪だし、お金が余ってるなら買っておいて不便なことはないと思うから」

なるほど、と滝沢は感心した。冒険者、という概念が‘こちら‘に存在することを知ったのは初めてだが、剣技大会の件や、魔物と人間との共存が未だ叶っていないいないことを考えると、容易に理解できた。金策、暇潰し、その他欲求を満たすために各地を巡っている者がいたとしてさほど不自然なことではないし、そもそも王の命で動いているのが自分達だけなのかどうかも、‘こちら‘の記憶のない自分には定かではない、と滝沢は思った。



 町が賑わいを見せているのに似て、武器店内の品揃えは非常に豊富だった。剣を始め、弓、棍棒、ナックルダスターなど、多種多様に渡っていた。当然、鎧もまたそうであった。安全性の観点からだろうが、武器は頑丈そうなショーケースの中で展示、という形をとっていた。滝沢は、魔法使いと言えば杖、杖はないのか、と一通り店内を見回してみたが、どこにもその姿を見つけることはできなかった。その他は充実しているのに、と首を捻ったが、自らの手のひらに魔方陣が浮かび上がったことを思い出し、杖はあくまで魔法補助的に使うものなのだろうか、と一応の納得を見せた。


「はぁ…良いわ…美しい…」

滝沢にとって予想通り、といえば予想通りであったが、エナは鎧を眺め、恍惚としていた。その視線は頭頂から足先にまで一点も余すことなく向けられており、事情を知らぬものから見れば不審、奇妙という言葉がとても良く似合っていた。

「うん、悪くない」

ネルは、試用場のようなところで剣を振るっていた。明らかに振るい慣れていることは素人目に見ても明白だった。いつかネルに、帯刀しているその剣は使わないのか、と尋ねてみたが、

「ああ、これは大して価値のあるものでもないんだ。ただの飾り、格好つけているだけさ」

と返されたことがあった。盗賊の件からしても、思い出すだけで嘔吐いてしまうが、彼は魔法を使っているようだったので、剣の扱いに慣れていることは意外だった。

「どうしよう」

これが、滝沢が最も驚愕したことだった。リュカが見つめていたものはナックルダスターであった。日本人男子平均程度の身長の滝沢と比べても彼女の背丈はおよそ肩ほどまでであり、だからこそ食事量が際立っていたのだが、興味を示す武器がナックルダスターというのは、ネルと比較できないほど意外だった。彼女が常々持ち歩いているものは短刀だったので、恐らくはリーチの短い武器の方が取り回しが良くて気に入っているのだろう、と思った。

 さて、自分は―――と、滝沢が見回していると、隅に置かれている、所謂ローブが目についた。くすんだ紺に青のアクセントが効いたそれは、彼には数ある防具の中で異彩を放っているように見えた。

「兄ちゃん、それが気に入ったのかい」

じいっ、としばらく滝沢がローブを見つめていると、店主と見られる男が話しかけてきた。初め、滝沢は話しかけられたことに気づかなかったが、はっ、と我に返り、ええ、そうなんです、と返事をした。

「これは魔除けのローブといってな。高位の魔物にはまるで効かないんだが、下級魔物なら、寄せ付けることさえしない代物だぜ。高位の魔物相手であっても、魔法に対しての耐性が高いから着ててある程度の恩恵は受けられるんじゃないか」

魔物全てを寄せ付けない、なんて防具は流石にないか、と滝沢は思ったが、下級魔物を寄せ付けない、という時点ですでに破格の性能であった。ダンジョン攻略を目的とする身として、持っておいて損はないな、と思った。黒く日に焼けた肌の店主は、さらに続ける。

「それを作った人間も、とうとう同じものを作れなくてな。それだけなんだ。所謂一点もの、ってやつだな。その上そんな優れた性能だから、誰にでも売る、ってわけじゃないんだけどな」

そんな、と滝沢が言いかけるのを静止し、店主は嬉しそうに笑みを浮かべて言った。

「だけどなあ、兄ちゃん、他に目移りもせずにそれ見てただろ。意識しての行動なのか、無意識だったのか、それは兄ちゃんになってみなきゃ分からんのだが…。少なくとも俺には、そいつの良さ、本質を確かに感じているように見えたんだ。俺はずっとこの仕事やってきて、色んな客を見てきたんだがよ。アンタほど純粋に武器を見つめる客は初めてだよ。だからさ…、売ってやる、アンタになら。その代わり、これからもレイモンド武具店をよろしくな」

自分にセンスがある、というよりこのローブにそうさせる魅力があるのだ、と滝沢は感じていたが、中々感じ取れない魅力を自分が感じることができたらしいことを誇らしく思った。



 武具店に入る前とは違い、一行が歩くのには、ガチャ、ガチャ、という音が加わった。

「なあ、エナ。ずっと鎧着てなくても良いんじゃないか?」
「馬鹿言わないでよ。こんなに美しい鎧と出会ったのは初めてなんだから。いつでも肌身離さず、よ」

苦笑いを浮かべる滝沢に、エナは、はっはっは、と言って答えた。兜は腕に抱えていたが、もしそれを被っていたなら、表情も全く見えなくてコミュニケーションを取りづらいんだろうな、と滝沢は思った。

「おっ、君はローブか」

ネルは滝沢を見て言った。

「そうそう。中々良い買い物ができた。ネルは剣だけ?」

「ああ。防具は体も重くなるし、僕には不要だからね。その代わり、剣は上等なのを選んで買ってきたよ。リュカの、それはなんだい?」

「拳鍔、ナックルダスター、というらしい。こうやって指にはめて使う」

リュカはそう言うと、得意げに右手にナックルダスターを装着した。黒塗りの中で、特殊材質で作られたであろう銀の棘が光っている。

「あれ、あんまりリーチはなさそうだね。でもまあ、リュカぐらいのスピードがあれば、リーチなんてあってないようなものだしね。良いんじゃないかな」

物知りのイメージのあるネルがナックルダスターを知らない、というのは滝沢にとって少し意外であった。だが、その疑問は、装備を纏った初めてのダンジョン、というワクワクにかき消された。気分が高揚するのは、きっといつかの自分がそうだったからなのだろう、と滝沢は思った。
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