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第5章 ルネッサンス攻防編
第556話 ならばドイル。お前は彼らに何を教えるつもりだ?
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戦う必要のない世界になれば、戦う魔術師は必要ない。生活魔法こそが社会に必要な技術となる。
「最後の弟子を用なしの剣にしたくはない。ジローに輝く機会を与えてやってくれ」
マランツ師はもったいつけることもなく、当然のごとく頭を下げた。
「頭を上げてください。当校への留学生がアカデミー卒業資格を得たとなれば、当校への信頼が増すだろう。ジローの受け入れに得はあっても、損はない」
「なるほど。それはもっともな判断ですね」
黙ってやり取りを聞いていたスールーがしたり顔で頷いた。
「アカデミーとしても教える手間が省けて幸いでしょう。今後も同様の留学制度が定着するんじゃないかな」
スールーが功利主義的な評価を述べている傍らで、ステファノはチャンやミョウシンのことを考えていた。彼女たちはアカデミーのカリキュラムでは魔力を開放するのが難しい。しかし、ウニベルシタスであれば魔視脳開放にまで至ることができるのだ。
「万人のための教育……」
ステファノの口から、その言葉が漏れ出た。
「そういうことだ。アカデミーの理念は当校において完成する」
ネルソンに気負いはなく、ただ信念に満ちていた。
「時代が変わるのは魔術師にとってだけではありません。騎士にとってもそうです」
ネルソンの後ろに控えるマルチェルが口を開いた。
「騎士の素質を持つ者が魔核錬成に至れば、イドの鎧をまとい、気功を使いこなすことができます」
「確かにそうですね」
ステファノは著しく成長したミョウシンの姿を脳裏に描いた。そして、イドの制御を磨き上げたドリーの姿を。
「魔法教授を生活魔法に制限するなら、当校で『強さ』を得るのは主に騎士階級ということになりましょう」
騎士こそが貴族と平民の間にあって、武力を体現する集団だ。
ルネッサンスの灯りは誰にも消せないが、夜明けの訪れを早くするか遅くするかは騎士たちの動きにかかっていた。
「魔法が生活魔法に限られるというのはこちらにとっても好都合じゃ」
マランツは言った。
ジローは既に攻撃魔術を身につけている。それも相当に高いレベルで。
魔法師の輩出はジローの影を薄めてしまいそうだが、武力の担い手として見ればむしろジローの希少性は増すだろう。
世間の評価は常に周りとの比較によってなされるからだ。
「肝心なのは騎士たちに科学の精神を植えつけることさ」
ジローのことなど興味がないと言わんばかりに、ドイルが注釈をつけた。
「自分の頭で考えられるようにしてやらないとな。人間は犬とは違うということを教えてやる」
「お手柔らかにな、ドイル。お前がむきになったら生徒が1人もいなくなりそうだ」
息まくドイルに、マルチェルは釘を刺すことを忘れなかった。調子に乗らせると、生徒全員を追い出すくらいのことは平気でやりそうだった。
「わかっているよ。相手は頭蓋骨に筋肉が詰まっているような連中だろう? 元から真理を理解させようなんて思っちゃいないさ」
「ならばドイル。お前は彼らに何を教えるつもりだ?」
ネルソンはドイルの存念を訪ねた。
「簡単なこと。1人の人間として決して忘れてはいけないこと。僕が教えてやるのはそれだけだ」
ドイルの口調はいつもの皮肉屋のものとは違った。彼はいっそ物静かに、その真意を語る。
「全ての科学の基となる、たった1つの姿勢。人間が自由であるために失ってはいけない、生来の権利。それは『疑う心』だ」
「いかにもお前らしい言い分だな、ドイル。お前の脳の主は、お前だけということだな」
「もちろんだとも、何人であろうと僕から思考の自由を奪うことは許さない」
つき合いの長いネルソンはすぐにドイルの意図をくんで見せた。
「そこで『思考の自由』と言うところがお前らしいですね」
「そうだな。『思想の自由』ではなく、『自由思想』でもないのだな?」
マルチェルもドイルの言わんとするところを正確にとらえていた。ネルソンが更に念を押す。
「ふん。政治的思想になど興味はないよ。正義なんてものは人間が創り出すもので、力関係によっていくらでも入れ替わる。それは世界の真理ではなく、科学者が扱うべきものじゃない」
ドイルはどこまでも研究者であり、思想家でも運動家でもなかった。彼にとってのルネッサンスは「思考の自由」を手に入れることであり、それ以上でもそれ以下でもない。
「自分たちに都合が悪い内容だからと、研究成果を黙殺したり、活動を弾圧する奴らが許せないだけさ」
「だとしたら、やはり我らは敵を同じくする者同士ということだ」
都合の悪い真実を捻じ曲げ、覆い隠すのは、常に既得権益を有する人間たちだ。
それは特権階級であり、支配者階級ということになる。
「迎合しているつもりはないが、そうなるのだろうね。構わんさ。階級闘争とやらは君たちに任せる」
「積極的に関わるつもりはないが、利害が一致すれば協力するというところか?」
「そんなところだ。他人同士が『生きるも死ぬも一緒』などと手を取り合う方がおかしいんだ。最初から是々非々のつき合いをすると割り切っていた方が健全というものさ」
「ふふ。人間関係に臆病なお前らしい言い草ですね」
距離感を持ってネルソンに対するドイルのことを、「臆病者」とマルチェルは呼ぶ。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第557話 ヨシズミ師匠に魔法を学びたいと言う人がいます。」
「ふん。世の中とうまくやれているとは言えないからな。臆病にもなるさ」
ドイル自身、己の欠点を重々理解していた。アカデミーを追放されて以来、何年も世捨て人の暮らしをしていたのだ。人と交わることが得意なわけがない。
ドイルの高飛車で独善的な物言いは、人間関係で傷つくことから身を守る「鎧」でもあった。
「僕に言わせれば、誰とでもつき合う人間の方がどうかしている。一歩表に出れば、馬鹿と泥棒だらけだというのにね」
……
◆お楽しみに。
「最後の弟子を用なしの剣にしたくはない。ジローに輝く機会を与えてやってくれ」
マランツ師はもったいつけることもなく、当然のごとく頭を下げた。
「頭を上げてください。当校への留学生がアカデミー卒業資格を得たとなれば、当校への信頼が増すだろう。ジローの受け入れに得はあっても、損はない」
「なるほど。それはもっともな判断ですね」
黙ってやり取りを聞いていたスールーがしたり顔で頷いた。
「アカデミーとしても教える手間が省けて幸いでしょう。今後も同様の留学制度が定着するんじゃないかな」
スールーが功利主義的な評価を述べている傍らで、ステファノはチャンやミョウシンのことを考えていた。彼女たちはアカデミーのカリキュラムでは魔力を開放するのが難しい。しかし、ウニベルシタスであれば魔視脳開放にまで至ることができるのだ。
「万人のための教育……」
ステファノの口から、その言葉が漏れ出た。
「そういうことだ。アカデミーの理念は当校において完成する」
ネルソンに気負いはなく、ただ信念に満ちていた。
「時代が変わるのは魔術師にとってだけではありません。騎士にとってもそうです」
ネルソンの後ろに控えるマルチェルが口を開いた。
「騎士の素質を持つ者が魔核錬成に至れば、イドの鎧をまとい、気功を使いこなすことができます」
「確かにそうですね」
ステファノは著しく成長したミョウシンの姿を脳裏に描いた。そして、イドの制御を磨き上げたドリーの姿を。
「魔法教授を生活魔法に制限するなら、当校で『強さ』を得るのは主に騎士階級ということになりましょう」
騎士こそが貴族と平民の間にあって、武力を体現する集団だ。
ルネッサンスの灯りは誰にも消せないが、夜明けの訪れを早くするか遅くするかは騎士たちの動きにかかっていた。
「魔法が生活魔法に限られるというのはこちらにとっても好都合じゃ」
マランツは言った。
ジローは既に攻撃魔術を身につけている。それも相当に高いレベルで。
魔法師の輩出はジローの影を薄めてしまいそうだが、武力の担い手として見ればむしろジローの希少性は増すだろう。
世間の評価は常に周りとの比較によってなされるからだ。
「肝心なのは騎士たちに科学の精神を植えつけることさ」
ジローのことなど興味がないと言わんばかりに、ドイルが注釈をつけた。
「自分の頭で考えられるようにしてやらないとな。人間は犬とは違うということを教えてやる」
「お手柔らかにな、ドイル。お前がむきになったら生徒が1人もいなくなりそうだ」
息まくドイルに、マルチェルは釘を刺すことを忘れなかった。調子に乗らせると、生徒全員を追い出すくらいのことは平気でやりそうだった。
「わかっているよ。相手は頭蓋骨に筋肉が詰まっているような連中だろう? 元から真理を理解させようなんて思っちゃいないさ」
「ならばドイル。お前は彼らに何を教えるつもりだ?」
ネルソンはドイルの存念を訪ねた。
「簡単なこと。1人の人間として決して忘れてはいけないこと。僕が教えてやるのはそれだけだ」
ドイルの口調はいつもの皮肉屋のものとは違った。彼はいっそ物静かに、その真意を語る。
「全ての科学の基となる、たった1つの姿勢。人間が自由であるために失ってはいけない、生来の権利。それは『疑う心』だ」
「いかにもお前らしい言い分だな、ドイル。お前の脳の主は、お前だけということだな」
「もちろんだとも、何人であろうと僕から思考の自由を奪うことは許さない」
つき合いの長いネルソンはすぐにドイルの意図をくんで見せた。
「そこで『思考の自由』と言うところがお前らしいですね」
「そうだな。『思想の自由』ではなく、『自由思想』でもないのだな?」
マルチェルもドイルの言わんとするところを正確にとらえていた。ネルソンが更に念を押す。
「ふん。政治的思想になど興味はないよ。正義なんてものは人間が創り出すもので、力関係によっていくらでも入れ替わる。それは世界の真理ではなく、科学者が扱うべきものじゃない」
ドイルはどこまでも研究者であり、思想家でも運動家でもなかった。彼にとってのルネッサンスは「思考の自由」を手に入れることであり、それ以上でもそれ以下でもない。
「自分たちに都合が悪い内容だからと、研究成果を黙殺したり、活動を弾圧する奴らが許せないだけさ」
「だとしたら、やはり我らは敵を同じくする者同士ということだ」
都合の悪い真実を捻じ曲げ、覆い隠すのは、常に既得権益を有する人間たちだ。
それは特権階級であり、支配者階級ということになる。
「迎合しているつもりはないが、そうなるのだろうね。構わんさ。階級闘争とやらは君たちに任せる」
「積極的に関わるつもりはないが、利害が一致すれば協力するというところか?」
「そんなところだ。他人同士が『生きるも死ぬも一緒』などと手を取り合う方がおかしいんだ。最初から是々非々のつき合いをすると割り切っていた方が健全というものさ」
「ふふ。人間関係に臆病なお前らしい言い草ですね」
距離感を持ってネルソンに対するドイルのことを、「臆病者」とマルチェルは呼ぶ。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第557話 ヨシズミ師匠に魔法を学びたいと言う人がいます。」
「ふん。世の中とうまくやれているとは言えないからな。臆病にもなるさ」
ドイル自身、己の欠点を重々理解していた。アカデミーを追放されて以来、何年も世捨て人の暮らしをしていたのだ。人と交わることが得意なわけがない。
ドイルの高飛車で独善的な物言いは、人間関係で傷つくことから身を守る「鎧」でもあった。
「僕に言わせれば、誰とでもつき合う人間の方がどうかしている。一歩表に出れば、馬鹿と泥棒だらけだというのにね」
……
◆お楽しみに。
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