上 下
1 / 638
第1章 少年立志編

第1話 もう嫌、こんな生活。

しおりを挟む
「ステファノ、これも洗っておけ!」
 
 小さな飯屋の狭い厨房。そのまた狭い洗い場で、ステファノは皿の山と向かい合う。今掃除が終わったばかりだというのに。
 
「これだけの量――。かめの水が足りないな」
 
 はあと大きなため息を吐き、ステファノはトボトボと井戸に向かう。何度も水を汲み上げては、大きな桶を満たしていく。
 桶が一杯になったらそれを運んで水瓶みずがめに移す。
 それを10回繰り返さなければ洗い場のかめは満たされない。

 2つの桶を天秤棒で担ぐ。棒は肩に食い込み、一歩進むたびに骨と筋がきしみを上げる。両手は桶を釣る縄を支えており、額からしたたる汗をぬぐうことすらできない。

「しまった!」

 気を付けているつもりだったが、石畳に足を取られて足首を捻ってしまった。たまらず膝をつき、桶の水を半分ぶちまけてしまった。泣きたい思いをこらえて立ち上がり、もう一度井戸に向かう。
  
 1時間は経っただろうか。水瓶に水が溜まった頃には、ステファノは腕が上がらなくなる程に疲弊していた。足も腰もフラフラだ。
 捻ってしまった足首もうっ血し始めていた。
 
 一息入れなければ洗い物の山に立ち向かう気力も湧いてこない。
 
 店を支度中にしたのであろう。昼の部の後の休みを取りに、亭主であり父親のバンスが厨房に入ってきた。
 
「何だ? まだ終わってねえのか?」

 厨房の隅の椅子に腰を下ろすと、バンスは煙草を取り出した。

「水瓶が空だったんだ」
「それがどうした。水汲みにどれだけ時を掛けてんだ? 日が暮れちまうぞ!」
 
 バンスは乱暴者ではなかったが、口も気も荒い。もたもたしていては職人は務まらない。そう言って生きてきた男である。
 
「大体おめえはだらしがねえんだ。ひょろひょろしてやがって踏ん張りもききゃあしねえ」
 
 そう言われてもステファノには言い返す言葉もない。そんな元気もない。10程数えてきしむ足腰で立ち上がった。
 
「夕方までには終わらせるよ――」
「しっかり洗えよ。客は待っちゃくれねえぞ」
 
 煙草一服の休憩の後、バンスは夜の部の仕込みに入る。家族経営の大衆食堂だ。ダラダラする暇などありはしない。
 バンスはそうして下働きからここまでやってきた。自分ができたことはせがれにもできるはずだ。それが当たり前だと思っていた。

 筋肉が鉛になったかのような腕を動かして、ステファノは皿を洗い始めた。握力がまだ戻らない。危うく皿が掌をすり抜けそうになる。
 
「おっとっと! 危ねえ――」

 ステファノは思わず冷や汗をかいた。

「おい、気を付けろ! 割った分はてめえの給金から引くぞ」
 
 親子だからといってバンスは手加減しない。仕事に親も子も関係ないというのが、バンスの流儀だ。
 それは当然だとステファノも思う。自分がしっかりすれば良いことなのだ。

 更に小1時間も掛けて、ようやくステファノは皿の山を洗い終わった。
 皿洗いが終わったら、今度は皿を拭いた布巾を洗って干さなければならない。しっかりやって置かなければ、次に使うとき自分が困るのだ。
 
 洗い物がおわったら、店の片付けをする。テーブル・セッティングなどという気の利いたことは必要ないが、椅子を揃えたり、テーブルを清拭せいしきしたりの雑用は存在する。こういう準備に手を抜くと店がだらしなく見える。ひいてはメシが不味くなるというのが、バンスの口癖だ。
 
「親方、片付けが終わったよ」

 ステファノの報告を聞いて、バンスが頷く頃には夜の営業が始まろうとしていた。

「良し。パンとスープの残りで飯を済ませておけ。十分で終わらせろ」
 
 昼食なのか晩飯なのかわからない食事――冷めたスープの残りと固いパン――を無理やり腹に入れた頃には、「支度中」の札がひっくり返される。
 後は昼の仕事の繰り返しだ。
 
 いや、違った。夜は酔っ払いが出る分だけ昼よりも厄介だ。壊された食器を片付けたり、喧嘩の仲裁をさせられたり。運が悪ければ自分が殴られる。

「さっさと持って来い! この屑が! わざとらしく足なんか引きずってんじゃねえよ!」

 紫色に腫れ上がった足首を冷やす暇もなく、ステファノは配膳を急ぐ。
 言い訳したところで、殴られるだけだ。
 
 深夜に店を閉め、奥の部屋で倒れるようにベッドに潜り込む頃には、ステファノはもう何も考えられなくなる。ただ休みたい。眠りたい。
 
「あーあ、明日が来なけりゃ良いのに――」

 ステファノは毎晩そうやって眠りにつく。
 毎晩だ。

 ある朝目覚めた途端、心の底から思った。

「もう嫌、こんな生活!」

 その日からステファノは生き方を変えた。

「俺は魔術師になって、自由に生きる!」

 15歳になったばかりのその日から、ステファノは魔術師になるという目標にすべてを賭けた。

――――――――――
今回はここまで。
読んでいただいてありがとうございます。

次回でステファノは、生まれ故郷の街を出る決意をします。
己の知恵と努力で魔術師になるために。

◆次回「第2話 ステファノ、決意する。」
 
「そんなことで魔術を覚えられんのか?」
 
 バンスの声が心配の色を帯びた。きついことを言っても、やっぱり親なのだ。
 
「確信はない。でも、分の悪い賭けじゃないはずだ」

 ステファノはきっぱりと言い切った。
 ……

◆お楽しみに。
◆「飯屋のせがれ、魔術師になる。」は毎週火木土17:50から営業です。(=新話公開)
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

精霊のジレンマ

さんが
ファンタジー
普通の社会人だったはずだが、気が付けば異世界にいた。アシスという精霊と魔法が存在する世界。しかし異世界転移した、瞬間に消滅しそうになる。存在を否定されるかのように。 そこに精霊が自らを犠牲にして、主人公の命を助ける。居ても居なくても変わらない、誰も覚えてもいない存在。でも、何故か精霊達が助けてくれる。 自分の存在とは何なんだ? 主人公と精霊達や仲間達との旅で、この世界の隠された秘密が解き明かされていく。 小説家になろうでも投稿しています。また閑話も投稿していますので興味ある方は、そちらも宜しくお願いします。

男装の皇族姫

shishamo346
ファンタジー
辺境の食糧庫と呼ばれる領地の領主の息子として誕生したアーサーは、実の父、平民の義母、腹違いの義兄と義妹に嫌われていた。 領地では、妖精憑きを嫌う文化があるため、妖精憑きに愛されるアーサーは、領地民からも嫌われていた。 しかし、領地の借金返済のために、アーサーの母は持参金をもって嫁ぎ、アーサーを次期領主とすることを母の生家である男爵家と契約で約束させられていた。 だが、誕生したアーサーは女の子であった。帝国では、跡継ぎは男のみ。そのため、アーサーは男として育てられた。 そして、十年に一度、王都で行われる舞踏会で、アーサーの復讐劇が始まることとなる。 なろうで妖精憑きシリーズの一つとして書いていたものをこちらで投稿しました。

弓使いの成り上がり~「弓なんて役に立たない」と追放された弓使いは実は最強の狙撃手でした~

平山和人
ファンタジー
弓使いのカイトはSランクパーティー【黄金の獅子王】から、弓使いなんて役立たずと追放される。 しかし、彼らは気づいてなかった。カイトの狙撃がパーティーの危機をいくつも救った来たことに、カイトの狙撃が世界最強レベルだということに。 パーティーを追放されたカイトは自らも自覚していない狙撃で魔物を倒し、美少女から惚れられ、やがて最強の狙撃手として世界中に名を轟かせていくことになる。 一方、カイトを失った【黄金の獅子王】は没落の道を歩むことになるのであった。

あなたの冒険者資格は失効しました〜最強パーティが最下級から成り上がるお話

此寺 美津己
ファンタジー
祖国が田舎だってわかってた。 電車もねえ、駅もねえ、騎士さま馬でぐーるぐる。 信号ねえ、あるわけねえ、おらの国には電気がねえ。 そうだ。西へ行こう。 西域の大国、別名冒険者の国ランゴバルドへ、ぼくらはやってきた。迷宮内で知り合った仲間は強者ぞろい。 ここで、ぼくらは名をあげる! ランゴバルドを皮切りに世界中を冒険してまわるんだ。 と、思ってた時期がぼくにもありました…

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

悪行貴族のはずれ息子【第2部 魔法師匠編】

白波 鷹(しらなみ たか)【白波文庫】
ファンタジー
※表紙を第一部と統一しました ★作者個人でAmazonにて自費出版中。Kindle電子書籍有料ランキング「SF・ホラー・ファンタジー」「児童書>読み物」1位にWランクイン! ★第1部はこちら↓ https://www.alphapolis.co.jp/novel/162178383/822911083 「お前みたいな無能は分家がお似合いだ」 幼い頃から魔法を使う事ができた本家の息子リーヴは、そうして魔法の才能がない分家の息子アシックをいつも笑っていた。 東にある小さな街を領地としている悪名高き貴族『ユーグ家』―古くからその街を統治している彼らの実態は酷いものだった。 本家の当主がまともに管理せず、領地は放置状態。にもかかわらず、税の徴収だけ行うことから人々から嫌悪され、さらに近年はその長男であるリーヴ・ユーグの悪名高さもそれに拍車をかけていた。 容姿端麗、文武両道…というのは他の貴族への印象を良くする為の表向きの顔。その実態は父親の権力を駆使して悪ガキを集め、街の人々を困らせて楽しむガキ大将のような人間だった。 悪知恵が働き、魔法も使え、取り巻き達と好き放題するリーヴを誰も止めることができず、人々は『ユーグ家』をやっかんでいた。 さらにリーヴ達は街の人間だけではなく、自分達の分家も馬鹿にしており、中でも分家の長男として生まれたアシック・ユーグを『無能』と呼んで嘲笑うのが日課だった。だが、努力することなく才能に溺れていたリーヴは気付いていなかった。 自分が無能と嘲笑っていたアシックが努力し続けた結果、書庫に眠っていた魔法を全て習得し終えていたことを。そして、本家よりも街の人間達から感心を向けられ、分家の力が強まっていることを。 やがて、リーヴがその事実に気付いた時にはもう遅かった。 アシックに追い抜かれた焦りから魔法を再び学び始めたが、今さら才能が実ることもなく二人の差は徐々に広まっていくばかり。 そんな中、リーヴの妹で『忌み子』として幽閉されていたユミィを助けたのを機に、アシックは本家を変えていってしまい…? ◇過去最高ランキング ・アルファポリス 男性HOTランキング:10位 ・カクヨム 週間ランキング(総合):80位台 週間ランキング(異世界ファンタジー):43位

~唯一王の成り上がり~ 外れスキル「精霊王」の俺、パーティーを首になった瞬間スキルが開花、Sランク冒険者へと成り上がり、英雄となる

静内燕
ファンタジー
【カクヨムコン最終選考進出】 【複数サイトでランキング入り】 追放された主人公フライがその能力を覚醒させ、成り上がりっていく物語 主人公フライ。 仲間たちがスキルを開花させ、パーティーがSランクまで昇華していく中、彼が与えられたスキルは「精霊王」という伝説上の生き物にしか対象にできない使用用途が限られた外れスキルだった。 フライはダンジョンの案内役や、料理、周囲の加護、荷物持ちなど、あらゆる雑用を喜んでこなしていた。 外れスキルの自分でも、仲間達の役に立てるからと。 しかしその奮闘ぶりは、恵まれたスキルを持つ仲間たちからは認められず、毎日のように不当な扱いを受ける日々。 そしてとうとうダンジョンの中でパーティーからの追放を宣告されてしまう。 「お前みたいなゴミの変わりはいくらでもいる」 最後のクエストのダンジョンの主は、今までと比較にならないほど強く、歯が立たない敵だった。 仲間たちは我先に逃亡、残ったのはフライ一人だけ。 そこでダンジョンの主は告げる、あなたのスキルを待っていた。と──。 そして不遇だったスキルがようやく開花し、最強の冒険者へとのし上がっていく。 一方、裏方で支えていたフライがいなくなったパーティーたちが没落していく物語。 イラスト 卯月凪沙様より

42歳メジャーリーガー、異世界に転生。チートは無いけど、魔法と元日本最高級の豪速球で無双したいと思います。

町島航太
ファンタジー
 かつて日本最強投手と持て囃され、MLBでも大活躍した佐久間隼人。  しかし、老化による衰えと3度の靭帯損傷により、引退を余儀なくされてしまう。  失意の中、歩いていると球団の熱狂的ファンからポストシーズンに行けなかった理由と決めつけられ、刺し殺されてしまう。  だが、目を再び開くと、魔法が存在する世界『異世界』に転生していた。

処理中です...