30 / 34
第二十九章:醍醐寺勃興
しおりを挟む
「貞崇といえば、雷神封じを務めたという話だったな」
「我が家の伝承によればだがね」
三善氏の出自で、金峰山で修行を積み、密法を究めたと世に言われている。
「醍醐天皇の後ろ盾で、天神ネットワークから送り込まれたエージェントっていう訳さ」
須佐はぎこちなくウインクをして見せた。眼に虫が入った様にしか見えなかったが。
「道真の盟友、三善清行が属する三善氏もやはり渡来系の氏族だ。一説には、百済王族の末裔とされている。『みよし』は『住吉』に通じ、瀬戸内海から住吉地区に上陸、定住し、住吉三神を祀る一族という意味ではないかと考えている。そもそも住吉三神とは、『底筒男神』、『中筒男神』、『表筒男神』の事で、海の神、航海の神であるとされている」
住吉は古くは「すみのえ」と読み、「住之江」という地名に由来する。住み易い良港であったのだろう。大陸からの渡来人は住之江に至り、其処に定住した。三善氏も其の様な一族だと言うのだ。
「秋田県に三吉神社という古い神社がある。社殿によれば白鳳二年(六六〇年頃)の創建というから、相当に古い事は間違いないだろう。此処の祭神は、大己貴大神、少彦名大神と三吉霊神だ」
「オオナムチがいるってことは、出雲系の神社という事だな?」
「そういう事。三吉霊神を山岳神とする見方もあるのだが、住吉三神に繋がっていると俺は見ている」
「海洋神だと言うのか?」
「そう。そもそも出雲系のオオナムチが秋田という隔絶した土地で祀られた経緯を考えれば、海を渡ったと考える方が自然じゃないか」
出雲の勢力は日本海岸に沿って秋田とも交流していたという事であろう。古代における地域間交流は、考古学的な発掘物からも実証されている。
「始め俺には、住吉三神というのが良く分からなかった。属性のはっきりしない神なんだな。悩んだ結果、俺は『筒』がキーワードだと考えた」
「当たり前に海の神だと言われてきたけど、海と筒が直接繋がるものでもないな」
「俺は、筒とは鉱山の坑道なんじゃないかという仮説を立ててみた。地面から浅い所、深い所、中位の所に三つの坑道があったのじゃないかとね」
「成程。井戸の事を井筒という様にか」
「そして住吉三神は『男神』すなわち『ヲノカミ』だ。是は『尾の神』ということでもあり、『スサノヲ』に連なる鉱山系の神と見るのが自然だろう」
住吉三神とは、「海人が祀る鉱山神」ではないかと須佐は語った。
「鉱山にまつわる神なので、三吉霊神の場合は山岳神と看做されたという訳さ」
三善氏には山に棲む一派がおり、彼らの一部は鉱山師であったり、或いは修験者であったりしたのであろう。其の修験者の一人を僧侶に仕立て、宇多上皇肝煎りで仏教界に送り込んだのが貞崇であった。
其れは暴走し始めた寺院勢力への牽制策であった。
須佐は言葉を続けた。
「当時の仏教という存在は何か。そもそもは『西洋文明』導入手段として採用された物と考えるべきだ。新興宗教であった事に間違いはないが、同時に『文化事業』でもあった筈だ。其の思想は遣隋使制度に引き継がれて行く」
「蘇我氏と聖徳太子の事績と言われている事業だね」
「そう。そして西洋化事業は、藤原氏と中大兄皇子にバトンタッチされる。むしろ乗っ取られたと言った方が相応しいだろうが」
須佐は腕組みをした。
「蘇我氏・聖徳太子連合は、ざっくり言えば『中国大陸志向』だった。一方で、藤原氏・中大兄皇子連合は『朝鮮半島志向』という見方が出来るかもしれない」
大化の改新こと、乙巳の変において蘇我入鹿が「韓人に殺された」と、目撃者である古人大兄皇子は記している。其の解釈は定まらないのであるが、実行犯が半島人であったか、半島勢力と手を組んだ一派が殺害者だという意味と考えるのが自然であろう。
鎌足の時代には、中国の技術や知識は朝鮮半島にしっかり伝わっており、朝鮮勢力と組めば「西洋文明」を取り入れることができる状況になっていたのだ。
「わざわざロサンゼルスに行かなくても、浦安に行けばディズニーランドは体験できるっていう訳さ」
須佐は、分かったような分からないような説明を加えた。
藤原氏・中大兄皇子連合が日朝同盟を組んだ相手は、百済勢力であった。
「だから、表向き百済系の三善氏は藤原氏の傘下にあった訳だ。よって、三善清行は道真追放の片棒を担いだ様に扱われている。しかし、裏では渡来人ソサエティを通じて土師氏の盟友だったのさ」
「それで清行は、祟りに遭わなかった訳だね」
話を戻そう。
醍醐天皇の祈願寺として、醍醐寺は勢力を強めた。其の勢力が決定的に強化されたのは、醍醐帝の死後である。
道真の怨霊が為したとされる「清涼殿落雷騒動」。其れを目撃した事が原因で醍醐帝は体調を崩し、死去に至ったとされる。
「平たく言えば、醍醐天皇は道真に殺された事にされているのさ」
いくら怨霊とはいえ、天皇を殺したとストレートに表現する事は出来ないので、間接的な死因という書き方で記録されているのだ。
「道真の怨霊を鎮め、醍醐帝の御魂を慰める為に、醍醐寺では数々の法事が行われた」
祈祷や写経の類から、仏像、卒塔婆の補修・建立、そして出家僧の公認などである。最後に挙げた得度の官許について触れると、此の時代には僧になる為に朝廷の許可が必要であり、東大寺や延暦寺など数カ所でしか此を行う事が出来なかった。しかも、各年に僧と成れる者の数は十名と定められていたのである。
僧とは国家公認の研究者であり、朝廷が直接的にコントロールするという思想があったのだ。公度僧に対しては、納税や課役の義務は免除されていた。国家によって保護されていたのだ。
其の様な状況において、醍醐天皇崩御前後には五百人、千人という単位で得度が認められている。
此は勿論、仏教思想における功徳の形成が目的であるが、須佐は其の裏にもう一つの狙いを想像していた。
「喩えて言えばだ、プロ野球における新球団設立のようなもんさ」
いつもの様に下世話な喩えを持ち出してきた。
「コミッショナーの許可がなければ、球団は設立できない。また、各球団が選手登録できる人数には上限がある訳だ。そんな状況で、一部の球団だけにドラフトの権利が偏っていたら、公平な優勝争いなど出来ないだろう?」
経済力と国家保護に支えられて、南都北嶺という巨大勢力が出来上がってしまった。宇多・醍醐政権は、此の勢力の歪みを是正する手段として臨時の得度官許を実行したという事である。
「我が家の伝承によればだがね」
三善氏の出自で、金峰山で修行を積み、密法を究めたと世に言われている。
「醍醐天皇の後ろ盾で、天神ネットワークから送り込まれたエージェントっていう訳さ」
須佐はぎこちなくウインクをして見せた。眼に虫が入った様にしか見えなかったが。
「道真の盟友、三善清行が属する三善氏もやはり渡来系の氏族だ。一説には、百済王族の末裔とされている。『みよし』は『住吉』に通じ、瀬戸内海から住吉地区に上陸、定住し、住吉三神を祀る一族という意味ではないかと考えている。そもそも住吉三神とは、『底筒男神』、『中筒男神』、『表筒男神』の事で、海の神、航海の神であるとされている」
住吉は古くは「すみのえ」と読み、「住之江」という地名に由来する。住み易い良港であったのだろう。大陸からの渡来人は住之江に至り、其処に定住した。三善氏も其の様な一族だと言うのだ。
「秋田県に三吉神社という古い神社がある。社殿によれば白鳳二年(六六〇年頃)の創建というから、相当に古い事は間違いないだろう。此処の祭神は、大己貴大神、少彦名大神と三吉霊神だ」
「オオナムチがいるってことは、出雲系の神社という事だな?」
「そういう事。三吉霊神を山岳神とする見方もあるのだが、住吉三神に繋がっていると俺は見ている」
「海洋神だと言うのか?」
「そう。そもそも出雲系のオオナムチが秋田という隔絶した土地で祀られた経緯を考えれば、海を渡ったと考える方が自然じゃないか」
出雲の勢力は日本海岸に沿って秋田とも交流していたという事であろう。古代における地域間交流は、考古学的な発掘物からも実証されている。
「始め俺には、住吉三神というのが良く分からなかった。属性のはっきりしない神なんだな。悩んだ結果、俺は『筒』がキーワードだと考えた」
「当たり前に海の神だと言われてきたけど、海と筒が直接繋がるものでもないな」
「俺は、筒とは鉱山の坑道なんじゃないかという仮説を立ててみた。地面から浅い所、深い所、中位の所に三つの坑道があったのじゃないかとね」
「成程。井戸の事を井筒という様にか」
「そして住吉三神は『男神』すなわち『ヲノカミ』だ。是は『尾の神』ということでもあり、『スサノヲ』に連なる鉱山系の神と見るのが自然だろう」
住吉三神とは、「海人が祀る鉱山神」ではないかと須佐は語った。
「鉱山にまつわる神なので、三吉霊神の場合は山岳神と看做されたという訳さ」
三善氏には山に棲む一派がおり、彼らの一部は鉱山師であったり、或いは修験者であったりしたのであろう。其の修験者の一人を僧侶に仕立て、宇多上皇肝煎りで仏教界に送り込んだのが貞崇であった。
其れは暴走し始めた寺院勢力への牽制策であった。
須佐は言葉を続けた。
「当時の仏教という存在は何か。そもそもは『西洋文明』導入手段として採用された物と考えるべきだ。新興宗教であった事に間違いはないが、同時に『文化事業』でもあった筈だ。其の思想は遣隋使制度に引き継がれて行く」
「蘇我氏と聖徳太子の事績と言われている事業だね」
「そう。そして西洋化事業は、藤原氏と中大兄皇子にバトンタッチされる。むしろ乗っ取られたと言った方が相応しいだろうが」
須佐は腕組みをした。
「蘇我氏・聖徳太子連合は、ざっくり言えば『中国大陸志向』だった。一方で、藤原氏・中大兄皇子連合は『朝鮮半島志向』という見方が出来るかもしれない」
大化の改新こと、乙巳の変において蘇我入鹿が「韓人に殺された」と、目撃者である古人大兄皇子は記している。其の解釈は定まらないのであるが、実行犯が半島人であったか、半島勢力と手を組んだ一派が殺害者だという意味と考えるのが自然であろう。
鎌足の時代には、中国の技術や知識は朝鮮半島にしっかり伝わっており、朝鮮勢力と組めば「西洋文明」を取り入れることができる状況になっていたのだ。
「わざわざロサンゼルスに行かなくても、浦安に行けばディズニーランドは体験できるっていう訳さ」
須佐は、分かったような分からないような説明を加えた。
藤原氏・中大兄皇子連合が日朝同盟を組んだ相手は、百済勢力であった。
「だから、表向き百済系の三善氏は藤原氏の傘下にあった訳だ。よって、三善清行は道真追放の片棒を担いだ様に扱われている。しかし、裏では渡来人ソサエティを通じて土師氏の盟友だったのさ」
「それで清行は、祟りに遭わなかった訳だね」
話を戻そう。
醍醐天皇の祈願寺として、醍醐寺は勢力を強めた。其の勢力が決定的に強化されたのは、醍醐帝の死後である。
道真の怨霊が為したとされる「清涼殿落雷騒動」。其れを目撃した事が原因で醍醐帝は体調を崩し、死去に至ったとされる。
「平たく言えば、醍醐天皇は道真に殺された事にされているのさ」
いくら怨霊とはいえ、天皇を殺したとストレートに表現する事は出来ないので、間接的な死因という書き方で記録されているのだ。
「道真の怨霊を鎮め、醍醐帝の御魂を慰める為に、醍醐寺では数々の法事が行われた」
祈祷や写経の類から、仏像、卒塔婆の補修・建立、そして出家僧の公認などである。最後に挙げた得度の官許について触れると、此の時代には僧になる為に朝廷の許可が必要であり、東大寺や延暦寺など数カ所でしか此を行う事が出来なかった。しかも、各年に僧と成れる者の数は十名と定められていたのである。
僧とは国家公認の研究者であり、朝廷が直接的にコントロールするという思想があったのだ。公度僧に対しては、納税や課役の義務は免除されていた。国家によって保護されていたのだ。
其の様な状況において、醍醐天皇崩御前後には五百人、千人という単位で得度が認められている。
此は勿論、仏教思想における功徳の形成が目的であるが、須佐は其の裏にもう一つの狙いを想像していた。
「喩えて言えばだ、プロ野球における新球団設立のようなもんさ」
いつもの様に下世話な喩えを持ち出してきた。
「コミッショナーの許可がなければ、球団は設立できない。また、各球団が選手登録できる人数には上限がある訳だ。そんな状況で、一部の球団だけにドラフトの権利が偏っていたら、公平な優勝争いなど出来ないだろう?」
経済力と国家保護に支えられて、南都北嶺という巨大勢力が出来上がってしまった。宇多・醍醐政権は、此の勢力の歪みを是正する手段として臨時の得度官許を実行したという事である。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる