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第15話 聖女の祈りは時空を超えた

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「ミレイユ様、どうかお逃げください!」
「馬鹿なことを言わないで、婆や。国と民を見捨てて王族がどこに逃げると言うの?」

 ミレイユと呼ばれたのは紫の髪の少女であった。まだ10代半ばであろう。染みひとつない肌は百合のように白く、気品をたたえていた。

 今、すべての防衛線が魔犬によって破られ、王城が蹂躙されようとしているその時にもミレイユの眼に恐れの色は無かった。

「聖廟に籠る。婆や、供を頼みます」
「ミレイユ様、それは……」
「わが命を捧げて、勇者の召喚を神に願います」
「確かに召喚の儀式は伝わっておりますが、成功した例はないと……」

 王女ミレイユは微笑んだ。

「いずれにせよ、私が死ぬことに変わりはありません。ならば国と民を救える可能性に、この命を捧げます。どんなに小さな可能性であろうとも」
「お嬢様!」
「婆や、私の側にいて。わたしの心を支えて頂戴」

 王女の顔面は血の気を失い、その指は細かく震えていた。しかし、その決意に微塵の揺らぎも無かった。

「……かしこまりました。この婆が黄泉路よみじまでお供いたします」
「ありがとう、婆やメリーアン

 美しい唇をかみしめて、ミレイユは聖廟への道筋を歩き出した。

(私の命は、今この時のためにあった)

 ミレイユはロマーニ王国の第2王女であった。国の定めにより、「時の女神」の巫女として10歳から神殿に入った。国に危機ある時、その身を投げ出して救済を願うのがその役目であった。

 今こそが我が身を捧げるときと、恐怖に身を震わせながらも心の奥は落ち着いていた。この日のために生きて来た6年間ではなかったか?

 王宮最深部に所在する聖廟は、時の女神イルミナに仕える聖職者のみが入ることを許された聖域であった。

 ミレイユは「時の巫女」として聖職者の頂点に立っていた。彼女が聖廟入りすると同時に、筆頭侍女であるメリーアンは「時のしもべ」としてこれに従った。
 聖廟にはメリーアンを含む20人の僕がミレイユを支えて女神に仕えていたが、時の女神の「声」を聴くことができるのは神に選ばれたミレイユだけであった。

 ロマーニ王国に危機が迫る時、時の女神はミレイユの心に直接語り掛けた。人々はこれを「神託」と呼び、神の奇跡として崇めた。
 天変地異、不作・不漁、疫病、反乱、他国の侵入などが起こる時、ミレイユは将来の出来事を国民に伝えて備えを促した。

 数多の命が神託のお陰で死を免れた。歴代の巫女の中でミレイユの伝える神託が最も正確で、詳細に渡っていた。「女神に愛された巫女」、「神の子」としてミレイユ自身が崇められる状態であった。

「私は神の子などではありません。すべてはイルミナ様の思し召しによるものです」

 ミレイユは自身に対する崇拝を止めさせようと努めたが、信仰の象徴を求める民の心が美しき王女を「女神の化身」として頂くことを求めた。

 ミレイユが重大な神託を受けたのは1年前のことであった。

 ◆◆◆
 
「滅びの時が来た……」

 神託はその不吉な言葉で始まった。

「2つの世界が重なる時、闇の扉が開く。扉は魔物を生み、魔物は命を滅ぼし、貪るだろう。
「魔物は王国に広がり、闇の王を迎えるために邪悪なる闇で大地を覆うであろう。
「魔物は人の理を超えて強く、闇の力はとどめる術なくあらゆるものを飲み込む。
「世界に闇の気が満ちる時、闇の王が降臨する。闇の王はすべての命を蹂躙し、闇と一つになるであろう。
「世界は闇となり、闇が世界となる。それより先に世界なく、永遠の闇がある」

 ミレイユは救いの道を得ようと必死に祈った。しかし、どれだけ祈ろうとも神託が変わることは無かった。

 新たな神託が降りたのは半年前である。

「1つの世界が滅び、光の扉が開く。扉は勇者を招き、救いを導くだろう。
「勇者は魔物を倒し、光で闇を払う。
「勇者は人の理を超えて強く、愛と正義の名のもとに戦うであろう。
「ついに勇者は世界の存続を掛けて、闇の王と対峙する。
「光が勝てば世界はあり、闇が勝れば命は悉く消え去る――」

 新しい神託はミレーユの心に希望の灯をともした。

「勇者が来れば、この世界が救われる!」

 ミレーユはその希望にすべてを託した。
 毎日、朝な夕なに女神イルミナに祈りを捧げた。勇者の訪れを願い、どうすれば勇者を招くことができるのか、女神に伺いを立てた。

 必死に祈り続けたある日、イルミナの神託が降りた。

「勇者は世界の滅びと共に降臨する。滅びの光が扉を開く。呼び掛けるほか勇者を招く道は無し。
「世界を超えて声届けるには、命を捧げるほかに無し。時満ちる時、命を捧げて呼び掛け祈るべし」

 神託は謎に満ちていた。

「『滅びの光』とは何でしょう? 『世界の滅び』と共に降臨する勇者は世界を滅びから救えるのでしょうか?」
「ミレイユ様……」
「こちらからできることは、命を捧げ呼び掛けることのみなのか? 祈りに応えは得られるのでしょうか?」
「姫様!」

「わからない! どうしたら良いのか、私にはわからない……」

 命を捧げれば勇者が降臨すると決まっているなら、命を断つことにためらいはない。だが、時満ちる時に呼びかけよとは、一体いつのことなのか? 時を間違えば、無駄死にになるということではないか?

「ミレイユ様、気をしっかりお持ちください」
「メリーアン……」
「時が来れば、きっと……きっと女神さまからお印を頂けます。今がその時とわかるはずです。それまでは、女神さまを信じてひたすら祈りましょう!」

 メリーアンの言葉でミレイユは迷いを振り捨てることができた。涙を拭い去り、顔を上げる。

「そうですね。私にできることは祈ることと、命を捧げることの2つだけです。女神さまをひたすら信じて『その時』を待ちましょう」
「はい!」

 16歳の少女は国と民を救うために、その命を捧げる心を決めた。会うこともないであろう勇者に呼びかける、ただその一事のために命を捧げようと。
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