蛙の半兵衛泣き笑い

藍染 迅

文字の大きさ
上 下
9 / 10

第8話 蛙のおっちゃん

しおりを挟む
かわずの先生、もう切り上げやしょう」
 半時見張ったら戻るよう大吉から厳命されていた若い衆は、必死に半兵衛の袂を引いた。
「……分かった。引き上げよう」
 これ以上無理を言う訳にも行かず、半兵衛は素直に従った。何かあったら大吉の顔を潰すことになる。
 本堂の上には、月を遮って黒々と雲が浮かんでいた。

 長屋に戻った半兵衛は、五郎蔵親分に捜索を頼んで来たから大丈夫だとお福夫婦を安心させ、自分の家に戻った。
 行燈を灯すと、畳の上に胡坐をかいて一升徳利から湯呑茶碗に酒を注いだ。
「今夜は夜中から雨になる。すべてはそれからだ」
 ぐいぐいと湯呑の酒を飲み干す。
「降れ。降って来い。どっと降れ」
 ぐびりと酒を飲み下す度に、ずきんと頬の傷が疼く。おきせがこんな痛い目に合っていないかと、半兵衛の心が痛む。
 一升徳利が空になった頃、辺りに雨音が響き始めた。
 
「おい、おるい!」
 突然寝静まったはずの隣から参次の声が聞こえて来た。ばたばたと障子を開けて走り出す足音がする。
 入り口を開けて半兵衛の家に飛び込んで来たのは、泣き疲れて寝入った筈のるいであった。
「あ、あ、あ!」
 裸足のまま走り込んで来ると、半兵衛の膝に縋り付いた。
「戻るんだ、おるい!」
 戸口から参次が呼ぶが、るいは見向きもしなかった。涙を流し、顔を歪めながら必死に何事かを半兵衛に伝えようとする。
「あ、あうぅー……」
 半兵衛はそっとその背を撫ぜた。
「どうした、おるい? 悪い夢でも見たか?」
「あ、あうー」
「何も怖いことは無いぞ。蛙のおっちゃんがおるからな。悪い虫はみんな食らってやる」
「あ、あー」
「げろげろ。ほら、げろげろってな」
 半兵衛は団栗眼どんぐりまなこをぐるぐると回して見せた。
「あ、あああーっ! あうけて、たうけて! おんちゃん・・・・・をたうけて!」
 半兵衛はじっとおるいを見詰めた後、にこりと笑って見せた。
「おきせのことか。心配ない。心配ない。雨が降っておろう? 雨降りは蛙の好物じゃ。蛙のおっちゃんがおきせを連れて帰るぞ」
「るい? お前、口を利いて……」
 参次が土間に膝を突いた。後ろから、お福がそっと肩に手を置いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

歴史酒場謎語りーー合掌造りの里五箇山と硝石

藍染 迅
歴史・時代
酒場に集う歴史好きの酒呑み二人。 今日は何を語らうのか? 合掌造の里五箇山。そこは火薬の里でもあった。 なぜそこで、なぜ硝石を? 呑めば呑む程に謎は深まるーー。

番太と浪人のヲカシ話

井田いづ
歴史・時代
木戸番の小太郎と浪人者の昌良は暇人である。二人があれやこれやと暇つぶしに精を出すだけの平和な日常系短編集。 (レーティングは「本屋」のお題向け、念のため程度) ※決まった「お題」に沿って777文字で各話完結しています。 ※カクヨムに掲載したものです。 ※字数カウント調整のため、一部修正しております。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

検非違使異聞 読星師

魔茶来
歴史・時代
京の「陰陽師の末裔」でありながら「検非違使」である主人公が、江戸時代を舞台にモフモフなネコ式神達と活躍する。 時代は江戸時代中期、六代将軍家宣の死後、後の将軍鍋松は朝廷から諱(イミナ)を与えられ七代将軍家継となり、さらに将軍家継の婚約者となったのは皇女である八十宮吉子内親王であった。 徳川幕府と朝廷が大きく接近した時期、今後の覇権を睨み朝廷から特殊任務を授けて裏検非違使佐官の読星師を江戸に差し向けた。 しかし、話は当初から思わぬ方向に進んで行く。

仙吉の猫

鈴木 了馬
歴史・時代
Some 100 stories of cats(猫にまつわる小篇たち)のシリーズ第20作目。

名無しの権兵衛あやかし道中~生類憐れみの巻~

碧美安紗奈
歴史・時代
元録末期。 徳川綱吉による生類憐れみの令は、人々を苦しめだしていた。 その裏に妖魔の気配を察知して動きだした浪人が一人。 十種神宝を操り〝名無しの権兵衛〟を名乗るこの謎の青年は、歴史に隠された妖との戦いを始めようとしていた。

戦国の子供たち

くしき 妙
歴史・時代
戦国時代武田10勇士の一人穴山梅雪に繋がる縁戚の子供がいた。 真田軍に入った子の初めての任務のお話 母の遺稿を投稿させていただいてます。

処理中です...