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そして今日もお使いに
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神無月が終わったら、裏吉原にも客足が戻り、いつにも増して忙しくなった。
裏吉原も師走は走るという言葉があるらしい。万屋にも仕事が増えてきた。
「はい、仕出し屋のおせちの材料の買い出しのお使い終わりました」
「ご苦労さん。まだ泉水は戻ってないみたいだね?」
「はい……大晦日の遊女の髪結い仕事、なかなか終わらなくって……」
この時期になったらどこの髪結いも予約が殺到して、年末年始に備えて髪を整える依頼を引き受けてくれるところが見つからない。当然ながら姐さんが受け持つ仕事もなかなか終わりが見えずにてんてこ舞いになっていた。
やっと終わりを迎えて戻ってきた姐さんは、ふらふらになっていた。
「ただいま戻りましたぁ……」
「お帰りなさい、姐さん。大丈夫ですか?」
「飛び入りが増えててんてこ舞いになってたさ……本当に勘弁して欲しいよ」
「お疲れ様です……」
全然昼ご飯も食べられなかったので、とりあえず火鉢に網を敷いて餅を焼き、それを皆で食べはじめる。
先生は先生で、この時期になると魔法を使わないといけないような仕事が……特に帷子《かたびら》さんたち死神に頼まれるようなひと捜しの依頼が増え、こうやって万屋で餅を食べられるようになるまでだいぶ時間がかかった。
それにしても。
「不明門くん帰ってきませんね」
「そうだね……あの子もこの時期になると運が悪いから。厄介な仕事を引き受けてこないといいんだけどね」
「そうなんですか?」
「ところで柊野さん」
姐さんが先生に声をかけると、先生は餅をひとつ食べ終えて、次の餅を網で焼こうとしていた。
「どうかしたかい泉水」
「万屋では年末年始、食事はどうするんです? おせちを今からつくろうにも、残念ながらあたしたちも大したもんつくれませんし……」
「あたしだっておせちをつくれなんて言いやしないよ。毎年毎年仕出し屋で買っているから、今年もそのつもりだよ。去年の倍の人数で正月を祝うことになるとは、贅沢な話だね」
そういえばそうだ。今までは先生と不明門くんのふたりでやっていたのだから、来年の正月は私と姐さんも混ざるのだ。
それはなんだかとても幸せなことだな。私はそう思いながら伸びるがままの餅を噛んでいたところで、万屋の戸が開いた。
「ただいまー……あと、すみません」
「お帰りなさい。不明門くん。遅かったね……あ」
「あら、ごめんなさいね」
不明門くんが気まずげにしていると思ったら、後ろにはひょっこりと御陵さんが姿を見せた。冬のせいか外套を着込んでいるとはいえど、相変わらず艶っぽいひとだ。
このひとが来ると、大概は厄介なことになる。
今は真冬の、それも師走の忙しい中なのに。先生は餅がぐずついた匂いになるのを無視して、機嫌悪く煙管に葉煙草を入れると火を点けた。
「で、今日はなんの用だい?」
「ごめんなさいね。師走の忙しい時期に。それでお願いがございます。捜しびとがいますの」
万屋にいた全員……どうも姐さんのいた荒木屋にも御陵さんの厄介事を持ち込む性質が伝わっていたらしく……が、「勘弁してくれ」と思ったが、渋々と話を聞いてみる。
聞いてみたら、年末だというのに、つけ払いでちっとも回収できない客がいるらしい。御陵さんはたおやかに笑った。
「捜し出してくれますか? 私が押しかけると、どうにも脅迫みたいに取られかねませんから。ただお話したいだけですのに」
その笑顔が既に怖かったが、それをどうこう言ったところで厄介事が消える訳じゃない。先生はイライラしながら御陵さんに促す。
「それで、その捜しびとの特定のためのもの、揃えて持ってきてるんだろうね」
「それはもちろん」
御陵さんは外套からその客が御陵さんを指名する際に落としていったとされる手拭いを差し出した。念のため不明門くんは匂いを嗅いでくれたが、「おしろいの匂いで本人の匂いが飛んでる」と顔をしかめて突っ返されたため、ここからは魔法の仕事だ。
御陵さんは用件を押しつけるだけ押しつけて「それではよろしくお願いします」と立ち去っていったあと、私たちは溜息をつきながら、そのひとを探すことになった。
先生は墨色の徳を使って和紙に魔方陣を描くと、その上に手拭いを載せる。
「……厄介だね。これたてくりかえしだよ」
「え? たて……くり?」
「たてくりかえし。足音だけのあやかしさね。基本的に人に足を引っ掛けて転ばせる以外には害がないあやかしだけれど……それが御陵さんの見世で付けを溜め込んで食い逃げしてたんだったら、普通の方法じゃ見つけられない」
「あー……俺が匂いを嗅ぎ取れなかったのはそのせいかあ。でもそのたてくりかえしが手拭い持ってたんだから、普通に実体はあるんだよな?」
「そりゃね。裏吉原で変なことをしたら、死神に目を付けられる。そこはたてくりかえしも弁えてるだろうけどね。とにかく探さないと」
匂いがない以上、魔法で気配を覚えるしかない。私たちは手拭いにかろうじて残っている気配を辿るよう和紙に指示を描くと、それを鶴に折って飛ばすことにした。それについていくことになる。魔法の使えない姐さんは留守番をすることになった。
「それじゃあ、あたしは待ってますから」
「頼んだよ。ああ……餅が焦げちまったから適当に始末しておいておくれ」
「わかりました」
私たちは一斉に万屋を出ると、耳がキンとするほど冷え込む。
「寒い……!」
「ああ、もう。御陵さんに会わなかったら、今日はもう仕事終わりだったのに!」
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと探すよ。音羽は職人通りのほう、不明門は大通り。あたしは裏通り探してくるから」
「はいっ」
「はーい」
私たちは一斉に走り出した。
裏吉原のしきたりは、表とも違う。
ここには人がほとんどいないし、この街を占めるのはあやかしに幽霊、神のための遊び場だ。この遊び場が明日も明後日も無事かはわからないけれど、私はここを今日も生きている。
理不尽がない訳じゃない。危ない目に遭わないとも限らない。
それでも、私たちはこの街で必死に生きている。
<了>
裏吉原も師走は走るという言葉があるらしい。万屋にも仕事が増えてきた。
「はい、仕出し屋のおせちの材料の買い出しのお使い終わりました」
「ご苦労さん。まだ泉水は戻ってないみたいだね?」
「はい……大晦日の遊女の髪結い仕事、なかなか終わらなくって……」
この時期になったらどこの髪結いも予約が殺到して、年末年始に備えて髪を整える依頼を引き受けてくれるところが見つからない。当然ながら姐さんが受け持つ仕事もなかなか終わりが見えずにてんてこ舞いになっていた。
やっと終わりを迎えて戻ってきた姐さんは、ふらふらになっていた。
「ただいま戻りましたぁ……」
「お帰りなさい、姐さん。大丈夫ですか?」
「飛び入りが増えててんてこ舞いになってたさ……本当に勘弁して欲しいよ」
「お疲れ様です……」
全然昼ご飯も食べられなかったので、とりあえず火鉢に網を敷いて餅を焼き、それを皆で食べはじめる。
先生は先生で、この時期になると魔法を使わないといけないような仕事が……特に帷子《かたびら》さんたち死神に頼まれるようなひと捜しの依頼が増え、こうやって万屋で餅を食べられるようになるまでだいぶ時間がかかった。
それにしても。
「不明門くん帰ってきませんね」
「そうだね……あの子もこの時期になると運が悪いから。厄介な仕事を引き受けてこないといいんだけどね」
「そうなんですか?」
「ところで柊野さん」
姐さんが先生に声をかけると、先生は餅をひとつ食べ終えて、次の餅を網で焼こうとしていた。
「どうかしたかい泉水」
「万屋では年末年始、食事はどうするんです? おせちを今からつくろうにも、残念ながらあたしたちも大したもんつくれませんし……」
「あたしだっておせちをつくれなんて言いやしないよ。毎年毎年仕出し屋で買っているから、今年もそのつもりだよ。去年の倍の人数で正月を祝うことになるとは、贅沢な話だね」
そういえばそうだ。今までは先生と不明門くんのふたりでやっていたのだから、来年の正月は私と姐さんも混ざるのだ。
それはなんだかとても幸せなことだな。私はそう思いながら伸びるがままの餅を噛んでいたところで、万屋の戸が開いた。
「ただいまー……あと、すみません」
「お帰りなさい。不明門くん。遅かったね……あ」
「あら、ごめんなさいね」
不明門くんが気まずげにしていると思ったら、後ろにはひょっこりと御陵さんが姿を見せた。冬のせいか外套を着込んでいるとはいえど、相変わらず艶っぽいひとだ。
このひとが来ると、大概は厄介なことになる。
今は真冬の、それも師走の忙しい中なのに。先生は餅がぐずついた匂いになるのを無視して、機嫌悪く煙管に葉煙草を入れると火を点けた。
「で、今日はなんの用だい?」
「ごめんなさいね。師走の忙しい時期に。それでお願いがございます。捜しびとがいますの」
万屋にいた全員……どうも姐さんのいた荒木屋にも御陵さんの厄介事を持ち込む性質が伝わっていたらしく……が、「勘弁してくれ」と思ったが、渋々と話を聞いてみる。
聞いてみたら、年末だというのに、つけ払いでちっとも回収できない客がいるらしい。御陵さんはたおやかに笑った。
「捜し出してくれますか? 私が押しかけると、どうにも脅迫みたいに取られかねませんから。ただお話したいだけですのに」
その笑顔が既に怖かったが、それをどうこう言ったところで厄介事が消える訳じゃない。先生はイライラしながら御陵さんに促す。
「それで、その捜しびとの特定のためのもの、揃えて持ってきてるんだろうね」
「それはもちろん」
御陵さんは外套からその客が御陵さんを指名する際に落としていったとされる手拭いを差し出した。念のため不明門くんは匂いを嗅いでくれたが、「おしろいの匂いで本人の匂いが飛んでる」と顔をしかめて突っ返されたため、ここからは魔法の仕事だ。
御陵さんは用件を押しつけるだけ押しつけて「それではよろしくお願いします」と立ち去っていったあと、私たちは溜息をつきながら、そのひとを探すことになった。
先生は墨色の徳を使って和紙に魔方陣を描くと、その上に手拭いを載せる。
「……厄介だね。これたてくりかえしだよ」
「え? たて……くり?」
「たてくりかえし。足音だけのあやかしさね。基本的に人に足を引っ掛けて転ばせる以外には害がないあやかしだけれど……それが御陵さんの見世で付けを溜め込んで食い逃げしてたんだったら、普通の方法じゃ見つけられない」
「あー……俺が匂いを嗅ぎ取れなかったのはそのせいかあ。でもそのたてくりかえしが手拭い持ってたんだから、普通に実体はあるんだよな?」
「そりゃね。裏吉原で変なことをしたら、死神に目を付けられる。そこはたてくりかえしも弁えてるだろうけどね。とにかく探さないと」
匂いがない以上、魔法で気配を覚えるしかない。私たちは手拭いにかろうじて残っている気配を辿るよう和紙に指示を描くと、それを鶴に折って飛ばすことにした。それについていくことになる。魔法の使えない姐さんは留守番をすることになった。
「それじゃあ、あたしは待ってますから」
「頼んだよ。ああ……餅が焦げちまったから適当に始末しておいておくれ」
「わかりました」
私たちは一斉に万屋を出ると、耳がキンとするほど冷え込む。
「寒い……!」
「ああ、もう。御陵さんに会わなかったら、今日はもう仕事終わりだったのに!」
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと探すよ。音羽は職人通りのほう、不明門は大通り。あたしは裏通り探してくるから」
「はいっ」
「はーい」
私たちは一斉に走り出した。
裏吉原のしきたりは、表とも違う。
ここには人がほとんどいないし、この街を占めるのはあやかしに幽霊、神のための遊び場だ。この遊び場が明日も明後日も無事かはわからないけれど、私はここを今日も生きている。
理不尽がない訳じゃない。危ない目に遭わないとも限らない。
それでも、私たちはこの街で必死に生きている。
<了>
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