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神に嫁入り
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こうして私と喜多さんは、ふたりで観世屋に出かけていった。
相変わらずの極彩色の見世は、案内されて歩くだけでめまいを覚える。ここで働いているひとは慣れるんだろうかと、掃除をしている男衆たちを見るが、皆元気でぴんぴんしているのだから、ずっといたら慣れるんだろうかとぼんやりと思った。
「菖蒲様からご依頼の品のお届けに伺いました」
「ありがとうございます。それなら奥へどうぞ」
男衆のひとに案内され、またしても出入り口で男衆のひとに見張られながら、私たちは菖蒲様の部屋に向かった。
「失礼します。繕い屋です。ご依頼のお品、お届けに上がりました」
「ありがとうございます。こちらにどうぞ」
そう言って中に入れられたとき。
荷物のほとんどは、身請けの際に必要なくなるからとここに住まう遊女や禿に配られたんだろうが。残っているのは、派手に鶴の描かれた色打掛だった。
それに目を奪われていると、菖蒲様はくすりと笑った。美しいひとは口角を上げるだけで艶が溢れる。
「本当だったら、初めていただいた依頼した着物で身請けされる予定だったんですが……まさかこんなものを贈ってくださるとは思わなかったんです」
「……それは」
いくらなんでも、色打掛を贈ってきて、それで身請けされるっていうんだったら、意味が変わってくる。
……その神様、菖蒲様を娶る気なんだ。
菖蒲様は喜多さんが修繕した着物の入った桐箱を大切に受け取ったあと、私に目を入れて、すぐに文机に座ってさらさらと書きはじめた。
「はい、残りの見世の紹介状です。大見世ですが、私の名前と、私の神様の名前が通ったら、それで入れるかと思います」
「なにからなにまでありがとうございます……」
「いえ。あなたは」
菖蒲様は私のほうをじぃーっと見た。その黒真珠の瞳は、こちらを見抜くような色を帯びているのに、私はドキリとする。
それから菖蒲様はふっと笑った。
馬鹿にする笑みではなく、諭すような笑みだった。
「あなたはつらい立場だったのでしょうね。私が身請けの話をいただいたと伝えたときから、ずっとあなたの瞳は暗い色を帯びている」
「……私は」
「ええ。私たちは一度死んだ身。死んだ人間がここでは遊女として駆り出され、ときには人とは違うものに転じ、ときには神に愛される。それが不幸だと、可哀想だと思われても仕方がないかと思います。ですが、私は自分に憐憫をかけたことはありません」
「……え?」
菖蒲様のあまりにものきっぱりとした言い方に、私は茫然と彼女を見つめた。
彼女はどこまでもどこまでも、その名の通り、真っ直ぐに伸びた姿勢を崩さないまま続ける。
「私は元々芸で身を立てていた身。その芸で生きて芸で死ぬのならば本望でしたが、その前に命は尽きました……ここでやっとやり直しができたんです。私の芸を、私を身請けしてくださる方は愛してくださいました……それで私の生は報われたようなものです」
その言葉のひとつひとつは発光している。
まるで私がずっと日の届かない物置に篭もって、ちくちくと繕い物をして、なんとかその日の稼ぎをあげていたのとは比べものにならないくらいに、強い光だった。
彼女は自分の生き方を、ちっとも後ろめたく思ってないんだ。夜の花なのに、このひとの光は太陽みたいだ。
私が言葉を失っている中、菖蒲様は微笑んだ。
「どうか、あなたの捜し人が見つかり、あなたの憂いが晴れることを祈ります」
「……ありがとうございます」
「もしよろしかったら、身請けの場を見ていきますか?」
「え……?」
そんな現場、表の吉原でだって見たことがない。びっくりして思わず喜多さんのほうに振り返ったら、喜多さんもまた「知らない知らない」と大きく手を振っていた。
私はポロリと尋ねる。
「そんな……私たちがジロジロ見てて、邪魔になりませんか?」
「いいえ、ちっとも。特にあなたは人間。裏吉原から出るということはどういうことか、どうぞ見届けてくださいな」
そう言われて、私たちはそれをお受けすることとなった次第だ。
****
既に夜の大通りは、あちこち灯りに火が入れられ、赤々とした街並みになっている。
時には洋服のひと、時には着物のひとが、珍しくも今日は老若男女問わず、夜の吉原の大通りを皆で見守っている。
長屋に住んでいるような人々までやってきているんだから、神の身請けが、それも大見世の遊女が身請けされるってことは、相当な娯楽なんだなと思い知らされる。
やがて、カラカラと音が響いてきた。
それは私がいつか先生が動かしてくれたような車だった。人力車ではなく、勝手に動く車で、その車からひとり誰かが降りてきた。
真っ白な髪に真っ白な肌。灯りが照る大通りにあって、私たちが見学している部屋からでも神々しく光って見えるひとは、まさしく神なんだろう。
やがて、大通りにひとが降りてきた……菖蒲様だ。あの絢爛な色打掛を着て、神様の元に寄っていく。神は彼女の腰を抱き締めると、そのまま車に一緒に乗った。車はふたりを乗せた途端に浮き上がり、またからからと音を立てて走り去っていった。
その光景は美しく、私はいつまでもいつまでも見守っていた。
「……すごかったですね。私も大見世の遊女が身請けされていくのは初めて見ました」
「……普段身請けって、あんなものなんですか? 私にはあれは、嫁入りに見えましたけど」
「はい。神に身請けされるっていうのは、基本的には神嫁になることだと言われていますが。でもあれだけ丁重に身請けされる例は稀かと思いますよ。神は気まぐれですから、基本的に神が身請けした遊女を妻として娶るっていうのが珍しいです」
この辺りは、表の吉原ともあまり変わらないらしい。
基本的に吉原の遊女を身請けしてくるような人は、お金を持っていて普通に妻がいる。要は遊女を身請けして愛人として囲うのだ。
才覚のある人であったら身請けした家を盛り立てるために執事や職務の相方となる場合もあるけれど、才覚がない人や正妻とやり取りができない人は、基本的に軟禁生活となり、吉原にいるときよりもつらい立場になる人が多い。
私が身請けに対していい印象を持っていないのはこの辺りが原因なんだけれど。少なくとも菖蒲様は本気で相手を慕っているようだったから、彼女にとっては幸せなんだろう。
それに。私は残り二件の大見世の紹介状を見つめる。どちらから先に行けばいいのだろう。
「……どちらの見世がどうとかってありますか?」
「残念ながら、私も大見世には観世屋で初めて入りましたから……すみません」
「いえ! 私は喜多さんのおかげで入れたようなものですから。あとで御陵さんからきちんと依頼料の徳もらってくださいよ。そのとき、御陵さんに大見世の詳細を聞いてみます」
「そうですか……あと、万屋の皆さんにも相談したほうがいいと思いますよ?」
「先生や不明門くんは大見世のほうに伝手はないみたいですけど……」
「いえ。大きなことをしようとしているときは、ちゃんと身内に相談してからはじめたほうがきっといいですよ」
そう喜多さんからきっぱりとした助言をもらってしまった。
……それもそうか。私自身はよくわかっていなくても、ふたりだったらわかることだってある。なにかある前に相談しておこう。
でもそういえば。
菖蒲様は私についてやたらめったらと心配してから去って行った。
私のなにをそこまで心配したんだろう。
──どうか……私がここを去ってからも、頑張って生きてな
表で別れた姐さんの言葉が、ふと頭に閃いた。
相変わらずの極彩色の見世は、案内されて歩くだけでめまいを覚える。ここで働いているひとは慣れるんだろうかと、掃除をしている男衆たちを見るが、皆元気でぴんぴんしているのだから、ずっといたら慣れるんだろうかとぼんやりと思った。
「菖蒲様からご依頼の品のお届けに伺いました」
「ありがとうございます。それなら奥へどうぞ」
男衆のひとに案内され、またしても出入り口で男衆のひとに見張られながら、私たちは菖蒲様の部屋に向かった。
「失礼します。繕い屋です。ご依頼のお品、お届けに上がりました」
「ありがとうございます。こちらにどうぞ」
そう言って中に入れられたとき。
荷物のほとんどは、身請けの際に必要なくなるからとここに住まう遊女や禿に配られたんだろうが。残っているのは、派手に鶴の描かれた色打掛だった。
それに目を奪われていると、菖蒲様はくすりと笑った。美しいひとは口角を上げるだけで艶が溢れる。
「本当だったら、初めていただいた依頼した着物で身請けされる予定だったんですが……まさかこんなものを贈ってくださるとは思わなかったんです」
「……それは」
いくらなんでも、色打掛を贈ってきて、それで身請けされるっていうんだったら、意味が変わってくる。
……その神様、菖蒲様を娶る気なんだ。
菖蒲様は喜多さんが修繕した着物の入った桐箱を大切に受け取ったあと、私に目を入れて、すぐに文机に座ってさらさらと書きはじめた。
「はい、残りの見世の紹介状です。大見世ですが、私の名前と、私の神様の名前が通ったら、それで入れるかと思います」
「なにからなにまでありがとうございます……」
「いえ。あなたは」
菖蒲様は私のほうをじぃーっと見た。その黒真珠の瞳は、こちらを見抜くような色を帯びているのに、私はドキリとする。
それから菖蒲様はふっと笑った。
馬鹿にする笑みではなく、諭すような笑みだった。
「あなたはつらい立場だったのでしょうね。私が身請けの話をいただいたと伝えたときから、ずっとあなたの瞳は暗い色を帯びている」
「……私は」
「ええ。私たちは一度死んだ身。死んだ人間がここでは遊女として駆り出され、ときには人とは違うものに転じ、ときには神に愛される。それが不幸だと、可哀想だと思われても仕方がないかと思います。ですが、私は自分に憐憫をかけたことはありません」
「……え?」
菖蒲様のあまりにものきっぱりとした言い方に、私は茫然と彼女を見つめた。
彼女はどこまでもどこまでも、その名の通り、真っ直ぐに伸びた姿勢を崩さないまま続ける。
「私は元々芸で身を立てていた身。その芸で生きて芸で死ぬのならば本望でしたが、その前に命は尽きました……ここでやっとやり直しができたんです。私の芸を、私を身請けしてくださる方は愛してくださいました……それで私の生は報われたようなものです」
その言葉のひとつひとつは発光している。
まるで私がずっと日の届かない物置に篭もって、ちくちくと繕い物をして、なんとかその日の稼ぎをあげていたのとは比べものにならないくらいに、強い光だった。
彼女は自分の生き方を、ちっとも後ろめたく思ってないんだ。夜の花なのに、このひとの光は太陽みたいだ。
私が言葉を失っている中、菖蒲様は微笑んだ。
「どうか、あなたの捜し人が見つかり、あなたの憂いが晴れることを祈ります」
「……ありがとうございます」
「もしよろしかったら、身請けの場を見ていきますか?」
「え……?」
そんな現場、表の吉原でだって見たことがない。びっくりして思わず喜多さんのほうに振り返ったら、喜多さんもまた「知らない知らない」と大きく手を振っていた。
私はポロリと尋ねる。
「そんな……私たちがジロジロ見てて、邪魔になりませんか?」
「いいえ、ちっとも。特にあなたは人間。裏吉原から出るということはどういうことか、どうぞ見届けてくださいな」
そう言われて、私たちはそれをお受けすることとなった次第だ。
****
既に夜の大通りは、あちこち灯りに火が入れられ、赤々とした街並みになっている。
時には洋服のひと、時には着物のひとが、珍しくも今日は老若男女問わず、夜の吉原の大通りを皆で見守っている。
長屋に住んでいるような人々までやってきているんだから、神の身請けが、それも大見世の遊女が身請けされるってことは、相当な娯楽なんだなと思い知らされる。
やがて、カラカラと音が響いてきた。
それは私がいつか先生が動かしてくれたような車だった。人力車ではなく、勝手に動く車で、その車からひとり誰かが降りてきた。
真っ白な髪に真っ白な肌。灯りが照る大通りにあって、私たちが見学している部屋からでも神々しく光って見えるひとは、まさしく神なんだろう。
やがて、大通りにひとが降りてきた……菖蒲様だ。あの絢爛な色打掛を着て、神様の元に寄っていく。神は彼女の腰を抱き締めると、そのまま車に一緒に乗った。車はふたりを乗せた途端に浮き上がり、またからからと音を立てて走り去っていった。
その光景は美しく、私はいつまでもいつまでも見守っていた。
「……すごかったですね。私も大見世の遊女が身請けされていくのは初めて見ました」
「……普段身請けって、あんなものなんですか? 私にはあれは、嫁入りに見えましたけど」
「はい。神に身請けされるっていうのは、基本的には神嫁になることだと言われていますが。でもあれだけ丁重に身請けされる例は稀かと思いますよ。神は気まぐれですから、基本的に神が身請けした遊女を妻として娶るっていうのが珍しいです」
この辺りは、表の吉原ともあまり変わらないらしい。
基本的に吉原の遊女を身請けしてくるような人は、お金を持っていて普通に妻がいる。要は遊女を身請けして愛人として囲うのだ。
才覚のある人であったら身請けした家を盛り立てるために執事や職務の相方となる場合もあるけれど、才覚がない人や正妻とやり取りができない人は、基本的に軟禁生活となり、吉原にいるときよりもつらい立場になる人が多い。
私が身請けに対していい印象を持っていないのはこの辺りが原因なんだけれど。少なくとも菖蒲様は本気で相手を慕っているようだったから、彼女にとっては幸せなんだろう。
それに。私は残り二件の大見世の紹介状を見つめる。どちらから先に行けばいいのだろう。
「……どちらの見世がどうとかってありますか?」
「残念ながら、私も大見世には観世屋で初めて入りましたから……すみません」
「いえ! 私は喜多さんのおかげで入れたようなものですから。あとで御陵さんからきちんと依頼料の徳もらってくださいよ。そのとき、御陵さんに大見世の詳細を聞いてみます」
「そうですか……あと、万屋の皆さんにも相談したほうがいいと思いますよ?」
「先生や不明門くんは大見世のほうに伝手はないみたいですけど……」
「いえ。大きなことをしようとしているときは、ちゃんと身内に相談してからはじめたほうがきっといいですよ」
そう喜多さんからきっぱりとした助言をもらってしまった。
……それもそうか。私自身はよくわかっていなくても、ふたりだったらわかることだってある。なにかある前に相談しておこう。
でもそういえば。
菖蒲様は私についてやたらめったらと心配してから去って行った。
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