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男娼からの相談
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それからというもの、私は先生と不明門くんと一緒に裏吉原の細々とした相談事を片付けて行った。
頼まれた店での買い出し。人出が足りないからと台所で食器洗いや掃除に駆り出されたり、飼い猫がいなくなったからと探しに行ったり。
そうこうしながら、最初は瓶の底程度にしか溜まっていなかった徳も積まれ、瓶の半分くらいにまで溜まったのには「おー……」と声を上げた。
「不思議ですね。徳なんて表の吉原では見えませんのに」
「そうだな」
「って、不明門くんも裏吉原の外を知ってるんですか?」
「そりゃな。流されたらここに来るんだし」
それに私は思わず黙ってしまった。
姐さんがなんとか裏吉原に流れてきてないかと、それとなくひとに聞いてみても、それらしきひとは見つからなかった。
まさか、裏吉原の遊郭に閉じ込められてないかと気が気じゃなかったものの、私は未だに裏吉原の遊郭には足を踏み入れたことはない……遊郭の情報って、外からでは本当に漏れてこない。遊女が逃げ出したら一大事だと見世の関係者は全員口が固くなってしまうからだ。
私がひとり落ち込んでいる中、不明門くんは私の頭をゴリゴリと手を押し付けてきた……撫でるというには乱暴過ぎる手付きだ。
「いたいいたいいたい」
「なんだよそれ。せっかく慰めてやってるのにさあ。オマエの知り合い、見つかんないんだろ」
「……はい」
「生きてりゃそりゃ音羽みたいに流れ着いてるだろうけどさあ。死んでたら厄介だ」
「死んでたら……姐さんやっぱり……」
「不明門が言ってるのは、死んでるならここには来ないってことじゃないよ」
私たちの会話を店番しながら煙管をくゆらせていた先生が割り込んできた。
最近は立て続けにうちにひとが来ていたのに、今日は静かで未だに客は来ない。
先生は続けた。
「死んでた場合のほうが厄介さね。遊郭に入れられてるかもしれないからねえ」
「……ええ? 死んでたらって……死んでたら、どうやって?」
「ここに住んでるののほとんどはあやかし。妖怪とかもののけとかそう呼ばれている類だね。で、ここの利用客のほとんどは神。そして遊郭にいるののほとんどは、死んでる……幽霊だからねえ」
それにめまいを覚えた。
苦界が嫌で逃げ出したのに、死んだら裏吉原の遊郭に捕まって働かされるって、救いがどこにもないじゃないか。
「なんでそんなひどいことするんですかあ……」
思わずうめき声が出る。
しかし先生は相変わらずの淡泊な口調で返してくる。
「だから言っただろ。裏吉原は極楽浄土なんてもんとは程遠いって。神に嫁入りできるような幸運な遊女はごく稀さね。あちらはあちらで、徳のために媚を売るものは見慣れてるんだから」
どこまで言っても救いがないじゃないか。私はお願いだから、姐さんは無事に吉原を抜け出せましたように、せめて生きて裏吉原に流されていますように。間違っても死んでしまって裏吉原の遊郭に閉じ込められていませんようにと祈らずにはいられなかった。
そうこうしている内にカロンカロンと下駄を転がす音が響いた。そして戸がするりと開かれる。
「ごめんあそばせ」
そう言って入ってきた人を、私はポカンと眺めてしまった。
亜麻色の髪を束ねた厚着の女性だった。黒と白の格子柄の着物に派手に牡丹と蝶があしらわれ、金色の帯が異様に豪奢に見える。
ただ。肩幅がやけに広く、しゃなりしゃなりとした動きに反して下駄を履く足はたくましい。
私が思わず見つめてしまったのに気付いたのか、そのひとは妖艶に微笑んだ。
「あら? あなた? 柊野様が久々に弟子を取ったっておっしゃっていた子は?」
その声が年若い女性にも男性にも聞こえ、一瞬私がとまどうと、先生は少々不機嫌気味に火鉢にカツンカツンと煙管の灰を落とした。
「勘弁しておくれ御陵。厄介ごとついでにおぼこを口説くのは」
「口説く……ええ?」
「見てわかるだろう。こいつは御陵。男娼さね」
「だんしょ……ええ?」
私は思わず二度見してしまった。
立ち振る舞いは妖艶な上に、しゃなりしゃなりとした身のこなしはどう見繕っても女性だけれど、たしかに袖から伸びる手、下駄から見える足の大きさは男性のものだ。
江戸時代までは陰間と呼ばれる男娼も吉原にはいたが、明治を境に陰間は表立っては店を構えなくなった……西洋文化の弊害で陰間が認められなくなったらしい……けれど、裏吉原では今でも存在していたらしい。
なるほど、こんなに綺麗なひとなのかと納得していたら、御陵さんはクスクスと口元に手を当てて笑う。
私が思わず見とれたままな中、隣の不明門くんは心底嫌そうに声を上げる。
「……あのひとうちに来ると本当に厄介ごとしか持ち込まないから困るんだよな。先生が魔法使うしかなくなるようなこととかしょっちゅう」
「ええ……?」
それに思わず目を瞬かせてしまう。
私が裏吉原に流れ着き、先生に弟子入りしてからというもの、一度だって先生が魔法を使っているのを見たことがない。今までだって万屋に持ち込まれた仕事は簡単なお使い程度だったからこんなものだと思っていたのに、「厄介」とふたり揃って言う依頼ってなんなんだろう。
しかし、その厄介ごと専門の御陵さんはくすくすと笑うばかりだ。
「あら、あんまりこの子を怖がらせないでちょうだいな? 私は万屋さんの常連ですもの?」
「……ああ、そうだったね。それでなんだい。相談って」
「ええ。うちの茶屋の芸子の三味線が壊れてしまったから、それを修繕して欲しいんですよ」
あれ。思っているような大問題ではない? そう一瞬思ったものの、先生も不明門くんも、全然油断ならないという態度を変えていない。
「……ひとつふたつ質問するけれど。まずひとつ。どうして三味線を壊した芸子が直接うちに相談に来ないんだい? ふたつ。あんたが来たってことは、これには期限があるんだろう。期限はいつだい?」
「まあ、嬉しい。きちんとお請けしてくれますのね」
「内容に寄るさね。お前さん、毎度毎度うちを騙し討ちにするんだから、ちゃんと聞き出さないといくら徳を積めるからって割に合わないさね」
「まあまあ」
そう心底面白そうに笑う御陵さんに、私は遊郭でさんざん見た遊女の姐さんたちと客の駆け引きを思わせた。
いかにお金を引くか、いかに客の気を引くかで、口八丁手八丁の歴戦錬磨の人たちばかりを見た。そうじゃなかったら、遊郭で長生きできなかったのだから、それらの技術は必需品だった。
ものすごく綺麗なひとだと見惚れてしまった御陵さんもその手のひとなのだろうと、どうして先生も不明門くんも警戒を続けているかがよくわかった。
「まあ、あまり怖がらないでくださいましね。まずはひとつ。三味線を壊した芸子は今脅え過ぎて物置に引きこもっております。そしてその三味線が壊れたことを知られたくないために、楽器職人に修繕依頼を頼むことができません。ふたつ、今晩の夜の見世が開くまでに、です」
脅え過ぎて引きこもっている上に、さっさと職人に修繕依頼を出せば済む話をそれができない……しかも今晩中に直さないとまずいというのに?
私には御陵さんの回答の意味がさっぱりわからなかったけれど、どうも先生にはわかったようだ。心底「頭が痛い」という表情を浮かべ、落ち着かせるように煙管に吸い付いた。
「……その三味線、神からの頂き物かい?」
「はい。もしこれを表立って修繕依頼を出せば、大変なことになりましょう? 今晩その神が見世にいらっしゃいます。それまでに修繕を終わらせなければなりませんの。修繕、お任せしてよろしいですか?」
「……徳二本分。それくらい使うんだから、それと同等はもらわにゃ割に合わないよ」
「うふふふふ、だから私が依頼に来ましたもの。わかりました。それでお任せいたします」
そう言いながら、御陵さんは足取り軽やかに帰っていった。
一方、先生は心底イライラしながらも、徳を溜め込んだ大きな瓶を何本も取り出してきて、それを包みはじめる。
内容は全部はわからなかったが、大変なことだということだけはよくわかった。
「あの、先生……今の話……」
「……神に目を付けられたら厄介なんだよ。愛されるのも憎まれるのもどっちも厄介だが、一度憎まれたら死ぬだけじゃ済まないからね。さっさと修繕終わらせて、さっさと帰るよ。ついておいで」
「はっ、はいっ!」
先生は重そうな包みを不明門くんに持たせると、煙管を咥えて出かけて行った。私は慌てて店の戸締りを済ませると、その背中を追いかけて行った。
頼まれた店での買い出し。人出が足りないからと台所で食器洗いや掃除に駆り出されたり、飼い猫がいなくなったからと探しに行ったり。
そうこうしながら、最初は瓶の底程度にしか溜まっていなかった徳も積まれ、瓶の半分くらいにまで溜まったのには「おー……」と声を上げた。
「不思議ですね。徳なんて表の吉原では見えませんのに」
「そうだな」
「って、不明門くんも裏吉原の外を知ってるんですか?」
「そりゃな。流されたらここに来るんだし」
それに私は思わず黙ってしまった。
姐さんがなんとか裏吉原に流れてきてないかと、それとなくひとに聞いてみても、それらしきひとは見つからなかった。
まさか、裏吉原の遊郭に閉じ込められてないかと気が気じゃなかったものの、私は未だに裏吉原の遊郭には足を踏み入れたことはない……遊郭の情報って、外からでは本当に漏れてこない。遊女が逃げ出したら一大事だと見世の関係者は全員口が固くなってしまうからだ。
私がひとり落ち込んでいる中、不明門くんは私の頭をゴリゴリと手を押し付けてきた……撫でるというには乱暴過ぎる手付きだ。
「いたいいたいいたい」
「なんだよそれ。せっかく慰めてやってるのにさあ。オマエの知り合い、見つかんないんだろ」
「……はい」
「生きてりゃそりゃ音羽みたいに流れ着いてるだろうけどさあ。死んでたら厄介だ」
「死んでたら……姐さんやっぱり……」
「不明門が言ってるのは、死んでるならここには来ないってことじゃないよ」
私たちの会話を店番しながら煙管をくゆらせていた先生が割り込んできた。
最近は立て続けにうちにひとが来ていたのに、今日は静かで未だに客は来ない。
先生は続けた。
「死んでた場合のほうが厄介さね。遊郭に入れられてるかもしれないからねえ」
「……ええ? 死んでたらって……死んでたら、どうやって?」
「ここに住んでるののほとんどはあやかし。妖怪とかもののけとかそう呼ばれている類だね。で、ここの利用客のほとんどは神。そして遊郭にいるののほとんどは、死んでる……幽霊だからねえ」
それにめまいを覚えた。
苦界が嫌で逃げ出したのに、死んだら裏吉原の遊郭に捕まって働かされるって、救いがどこにもないじゃないか。
「なんでそんなひどいことするんですかあ……」
思わずうめき声が出る。
しかし先生は相変わらずの淡泊な口調で返してくる。
「だから言っただろ。裏吉原は極楽浄土なんてもんとは程遠いって。神に嫁入りできるような幸運な遊女はごく稀さね。あちらはあちらで、徳のために媚を売るものは見慣れてるんだから」
どこまで言っても救いがないじゃないか。私はお願いだから、姐さんは無事に吉原を抜け出せましたように、せめて生きて裏吉原に流されていますように。間違っても死んでしまって裏吉原の遊郭に閉じ込められていませんようにと祈らずにはいられなかった。
そうこうしている内にカロンカロンと下駄を転がす音が響いた。そして戸がするりと開かれる。
「ごめんあそばせ」
そう言って入ってきた人を、私はポカンと眺めてしまった。
亜麻色の髪を束ねた厚着の女性だった。黒と白の格子柄の着物に派手に牡丹と蝶があしらわれ、金色の帯が異様に豪奢に見える。
ただ。肩幅がやけに広く、しゃなりしゃなりとした動きに反して下駄を履く足はたくましい。
私が思わず見つめてしまったのに気付いたのか、そのひとは妖艶に微笑んだ。
「あら? あなた? 柊野様が久々に弟子を取ったっておっしゃっていた子は?」
その声が年若い女性にも男性にも聞こえ、一瞬私がとまどうと、先生は少々不機嫌気味に火鉢にカツンカツンと煙管の灰を落とした。
「勘弁しておくれ御陵。厄介ごとついでにおぼこを口説くのは」
「口説く……ええ?」
「見てわかるだろう。こいつは御陵。男娼さね」
「だんしょ……ええ?」
私は思わず二度見してしまった。
立ち振る舞いは妖艶な上に、しゃなりしゃなりとした身のこなしはどう見繕っても女性だけれど、たしかに袖から伸びる手、下駄から見える足の大きさは男性のものだ。
江戸時代までは陰間と呼ばれる男娼も吉原にはいたが、明治を境に陰間は表立っては店を構えなくなった……西洋文化の弊害で陰間が認められなくなったらしい……けれど、裏吉原では今でも存在していたらしい。
なるほど、こんなに綺麗なひとなのかと納得していたら、御陵さんはクスクスと口元に手を当てて笑う。
私が思わず見とれたままな中、隣の不明門くんは心底嫌そうに声を上げる。
「……あのひとうちに来ると本当に厄介ごとしか持ち込まないから困るんだよな。先生が魔法使うしかなくなるようなこととかしょっちゅう」
「ええ……?」
それに思わず目を瞬かせてしまう。
私が裏吉原に流れ着き、先生に弟子入りしてからというもの、一度だって先生が魔法を使っているのを見たことがない。今までだって万屋に持ち込まれた仕事は簡単なお使い程度だったからこんなものだと思っていたのに、「厄介」とふたり揃って言う依頼ってなんなんだろう。
しかし、その厄介ごと専門の御陵さんはくすくすと笑うばかりだ。
「あら、あんまりこの子を怖がらせないでちょうだいな? 私は万屋さんの常連ですもの?」
「……ああ、そうだったね。それでなんだい。相談って」
「ええ。うちの茶屋の芸子の三味線が壊れてしまったから、それを修繕して欲しいんですよ」
あれ。思っているような大問題ではない? そう一瞬思ったものの、先生も不明門くんも、全然油断ならないという態度を変えていない。
「……ひとつふたつ質問するけれど。まずひとつ。どうして三味線を壊した芸子が直接うちに相談に来ないんだい? ふたつ。あんたが来たってことは、これには期限があるんだろう。期限はいつだい?」
「まあ、嬉しい。きちんとお請けしてくれますのね」
「内容に寄るさね。お前さん、毎度毎度うちを騙し討ちにするんだから、ちゃんと聞き出さないといくら徳を積めるからって割に合わないさね」
「まあまあ」
そう心底面白そうに笑う御陵さんに、私は遊郭でさんざん見た遊女の姐さんたちと客の駆け引きを思わせた。
いかにお金を引くか、いかに客の気を引くかで、口八丁手八丁の歴戦錬磨の人たちばかりを見た。そうじゃなかったら、遊郭で長生きできなかったのだから、それらの技術は必需品だった。
ものすごく綺麗なひとだと見惚れてしまった御陵さんもその手のひとなのだろうと、どうして先生も不明門くんも警戒を続けているかがよくわかった。
「まあ、あまり怖がらないでくださいましね。まずはひとつ。三味線を壊した芸子は今脅え過ぎて物置に引きこもっております。そしてその三味線が壊れたことを知られたくないために、楽器職人に修繕依頼を頼むことができません。ふたつ、今晩の夜の見世が開くまでに、です」
脅え過ぎて引きこもっている上に、さっさと職人に修繕依頼を出せば済む話をそれができない……しかも今晩中に直さないとまずいというのに?
私には御陵さんの回答の意味がさっぱりわからなかったけれど、どうも先生にはわかったようだ。心底「頭が痛い」という表情を浮かべ、落ち着かせるように煙管に吸い付いた。
「……その三味線、神からの頂き物かい?」
「はい。もしこれを表立って修繕依頼を出せば、大変なことになりましょう? 今晩その神が見世にいらっしゃいます。それまでに修繕を終わらせなければなりませんの。修繕、お任せしてよろしいですか?」
「……徳二本分。それくらい使うんだから、それと同等はもらわにゃ割に合わないよ」
「うふふふふ、だから私が依頼に来ましたもの。わかりました。それでお任せいたします」
そう言いながら、御陵さんは足取り軽やかに帰っていった。
一方、先生は心底イライラしながらも、徳を溜め込んだ大きな瓶を何本も取り出してきて、それを包みはじめる。
内容は全部はわからなかったが、大変なことだということだけはよくわかった。
「あの、先生……今の話……」
「……神に目を付けられたら厄介なんだよ。愛されるのも憎まれるのもどっちも厄介だが、一度憎まれたら死ぬだけじゃ済まないからね。さっさと修繕終わらせて、さっさと帰るよ。ついておいで」
「はっ、はいっ!」
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