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狐火に憂鬱
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明日は衣更市天文台に行くことに決まり、最後は私たちで今晩と明日以降のご飯の買い出しに行くことで話はまとまった。
料理は基本的に私と風花ちゃんで行う一方、成人しているうらら先生は行儀悪く言う。
「……いい加減、酒が飲みたいよ。こうも飲みたいのに未成年ばっかりだと飲めないしねえ」
「小草生先生っ、さすがにそれはちょっと……」
そう桜子さんが咎める。
ちなみに桜子さんは、元々はうちの学校に教育実習生の名目でやってきていたから、一応は飲める年頃のはずだ。
一応衣更市は海の幸も山の幸もおいしい土地であり、ついでの酒所でもあるため、たしかにお酒はおいしいと思うし、この時期だったら蔵開きのせいでおいしいお酒も出回っているはずだ。
私は風花ちゃんにそれとなく尋ねてみる。
「うらら先生もずっと共同生活で我慢させちゃってるし、いっそのこと、うらら先生が買ってくるんだったら、それでいいってことでお酒に合う料理にしませんか?」
「それはかまいませんけど……この時期だったら鍋かな。合うとなったら」
「鍋! いいねえ、なににする? 鶏? てっちり? 牛すき?」
「うらら先生、まだ飲んでませんよね? まだ飲んでませんよね?」
お酒の許可を出した途端に、うらら先生は「じゃああんたも飲むかい?」と桜子さんににこやかに尋ね、本当にうきうきした様子でお酒を買いに行ってしまった。
さすがに未成年で飲む訳にもいかないしなあ。私たちは鍋の材料を買いに、電車で乗り継いで仲春くん家に戻ると、スーパーに寄ることにした。
「じゃあシンプルに寄せ鍋にしましょうか。今日は取り立てて安い魚介類もお肉もありませんから、シンプルに」
「そうしよっか。四人だから、野菜も思っているより少なく済むね」
私たちはしんみりとした空気を醸し出しながら、とりあえず明日の朝は残った出汁でおじさを食べようとだけ打ち合わせし、寄せ鍋の材料を買い漁った。
つみれはつくろうかどうか悩んだ末、豆腐と鶏肉と生姜でつくろうと材料を取ってきた。私は白菜のどれを買うべきかじっくり見定めている風花ちゃんに、「風花ちゃん」と声をかけた。
「……私、契約したの」
それに、風花ちゃんは目を見開いた。
「みもざちゃん、どうして……」
「ずっと悩んでて、考えたんだよ」
「待って。仲春くんがいなくなってから、まだそんなに時間経ってないのに……桜子さんを選ぶのなら、わたしはそれでいいと思ってたけど……いくらなんでも、契約するんだったら、もう、みもざちゃんは……」
「……私、正気を失いたくない。理性が奪われたら、今日倒した土蜘蛛みたいになっちゃうんだよ」
応急処置として、何度も何度も斬られてしまう。血を流すことで、異形の血を薄めることでしか、理性が削ぎ落とされて暴走する先祖返りを止める手立ては、結界が修復されない限りはない。
でも、人間には戻りたくない……暴力的なのも、自分の一部だからだ。
みもざ本人は、仲春くんが好き過ぎる余りに、自分が戦闘嫌いの戦闘狂だって事実に目を背けてしまった。好きな人が喜ぶファッションばかり選ぶ子と同じように、みもざは自分の本質をまるっと無視して、仲春くんの望む人間になろうとした結果……彼に選ばれなかったショックで混乱して、精神的に死んでしまった。
力は努力したら自分自身で強くなれるけれど、理性を奪う血だけは、退魔師の体液以外ではどうすることもできなかったし、恋は時間も努力も意味をなさない。好きかそうじゃないか以外は、なんの意味もないから。
そう考えたら、桜子さんに好かれなくっても、せめて自分の持っている衝動に折り合いを付ける方法が欲しかった。それが契約だったのだから。
風花ちゃんは人魚の先祖返りであり、鬼の先祖返りの持っている衝動が多分理解できないと思う。私が残されてしまう人魚の恐怖が、想像はできても身をもっては理解できないのと同じで。
風花ちゃんは私のほうを悲しげに見つめた。
「……みもざちゃんは、本当にそれでよかったんですか? 使い魔になるってことは、ずっと戦い続けることと同じですよ? 本当に?」
「私も悩んだよ。でも……風花ちゃんとうらら先生は人間に戻らないと駄目だけれど、私が人間に戻りたかった理由は、私の好きな人が私に人間に戻ることを望んでいたからなんだよ。もうその人はいないから……戻っても、ただ怖くて不安なくらいなら、もう人間をやめてしまいたいって、そう思っただけだから」
「……もう、契約を切るってことは、できないんですよね?」
「多分」
「……このことは、まだうらら先生には話してないんですか?」
「話したら怒られないかなあ」
「そりゃ怒りますよ。どうして相談しなかったんだって。わたしたちのカウンセリング、ずっと続けてくれてたんですからね。うらら先生は」
「うーん……わかりました。ちゃんと話してみますね」
こうして、私たちは寄せ鍋の材料を重い重いと言いながら買い込んで、それを持って仲春くん家に帰ることにした。
これだけ寒いと、そろそろ雪も積もるだろう。
****
私たちが寄せ鍋用の野菜やつみれの準備をしている間、うらら先生は本当に日本酒を買ってきて、桜子さんと一緒に飲んでいた。
うらら先生はいくら飲んでもちっとも顔に出ない性質らしくて、音を立てて気持ちよく飲んでいる。どこで買ってきたのか、クリームチーズの酒粕漬けを酒の宛にしている。酒粕漬けなら大丈夫かなと、私と風花ちゃんも少しだけいただいたけれど、あまりにも酒の味が濃過ぎてこれ以上食べたら駄目な奴だと、ひとつだけで中断した。
一方桜子さんの飲むペースはちまちましている。ほんのり頬が赤くなっているものの、飲んですぐ駄目って訳でもないから、強くはないけれど弱くもないというところだろう。
「うらら先生、鍋できましたよぉ」
「ありがとうありがとう。いやあ、未成年もったいないねえ。今が折角蔵開きでいい酒がわんと売ってるのにね。麦秋も結構いい酒を経費で落としてくれたんだからさあ」
「それ経費で大丈夫なんですか?」
「……出張料金ですよ。食事もお酒もなかったら、出張なんてやってられませんもん。風俗行ったんじゃあるまいし」
いつもよりも子供っぽい舌っ足らずな感じになっている桜子さんに、思わず私たちは噴き出しそうになりながらも、寄せ鍋を皆にそれぞれ器に注いで食べはじめた。
うらら先生は、酒を器にまで注いで、それに出汁を入れて飲みはじめた。酒の出汁割りはおいしいけれど、それでグビグビ飲まれたら明日の分のおじやの出汁がなくなるから勘弁して欲しい。
私たちは、どうにかうらら先生に「これ以上飲まないでくださいよぉ」「明日の朝はおじやですから」「明日に響きますよ」と必死で止めながら、どうにかお鍋をつついた。
お風呂は順番をじゃんけんで決め、最初は風花ちゃんで、次は桜子さん、お酒が冷めてからうらら先生が入るということで、私は後片付けをしながら、うらら先生に水を出していた。
「先生、さすがに飲み過ぎですよぉ。明日響きませんか?」
「響かない響かない。酒に不純物入っていると悪酔いするけどねえ。私も酒は選んで飲んでるから。安い酒だとすぐに効くけど、私は丸い味の日本酒が好きなんだよ」
……なにが効くんですかとは、さすがに効かなかった。
水を飲みながら、うらら先生は「で」と声を上げた。
「あ、はい」
「みもざ。あんた匂いが変わったけど。まさか契約したのかい?」
「……っ!」
思わず喉を詰まらせる。九尾の狐の先祖返りであるうらら先生が、神通力が強いだけでなく、鼻も利くのは当たり前の話だった。私は「あーうー……」と声を裏返らせたあと、観念して頷いた。
クラスで浮いていた私は風花ちゃんと一緒にずっと保健室に通い、うらら先生に面倒を見てもらっていたんだ。この人を騙しきれるとも、隠し通せるとも思っていなかった。
うらら先生はコップを掌で温めながら、ふっと笑う。
「馬鹿だねえ……若気の至りでそんなことして。あんたの人生まだまだこれからなのに、いきなり進路をすぼめるようなことしてえ」
「……ご、ごめんなさ」
「なんて、教師だったら言うんだろうねえ。ただ、私は保険医だし、同じ先祖返りだからねえ。自分の本質と気質、どちらを重きに置くかで答えが変わってくるから、みもざのことをあんまり強くは言えないんだよねえ……」
「……うらら先生は。人間に戻りたいんですか?」
「そうだねえ……」
うらら先生は「暑い」と言いながらとっくりセーターを脱ぎはじめた。その下に着ているのはハイネックで、これでも充分豊満な体型は強調されている。
そして、コップを手で弄びながら続けた。
「自分の目の前で、どんどん人間関係が壊れていくのは、なかなかつらいからねえ……コントロールできないほどの魅了。勝手に惚れてくる男。惚れないのは先祖返りか退魔師しかいない現状じゃ、婚活だってままならないし、それ以前に大量に女に恨まれるのは、結構つらいからねえ」
「先生……」
うらら先生の豊満が過ぎる体型を抜きにしても……それこそ体のラインが出ない冬物コート仕様ですら、男の人たちはこぞってうらら先生に振り返る。九尾の狐の持っている魅了が原因で、人間関係を破壊の限りを尽くしていたんだから、そりゃ人間に戻りたくもなる。
うらら先生はにっこりと笑った。
「私はね、みもざみたいに今を選ぶことも、風花みたいに未来を選ぶこともできない以上は、昨日の幸せを抱いて生きていきたいんだよ。年を取るってつらいねえ」
「うらら先生まだ二十代じゃないですか……そんなこと言わないでくださいよぉ」
「十代と比べたら、もう天井も見えてるのに、考えなしで生きてはいけないんだよ。その意味では、仲春はいい男だったんだけどねえ……たくさん迷ったけれど、結局は惚れた女連れて逃げ出したっていうね。あの若さも青さも、今の私では手に負えないから」
そうしみじみと言われてしまい、私はなんとも言えなくなってしまった。
うらら先生は、私みたいに選択肢がないって思い詰めることもできず、風花ちゃんみたいに未来をひとりで生きたくないからと選ぶこともできず、流されたまんま今を精一杯生きるしかない、そのときに生きてるかどうかもわからないけれどって生き方しかできない。
それは多分寂しいことなんじゃないかなと思ったとき、ふと気付いた。
……私はまだ、桜子さんが現状を精一杯生きているだけで、どう思っているのかをなにも聞いていないということに。
料理は基本的に私と風花ちゃんで行う一方、成人しているうらら先生は行儀悪く言う。
「……いい加減、酒が飲みたいよ。こうも飲みたいのに未成年ばっかりだと飲めないしねえ」
「小草生先生っ、さすがにそれはちょっと……」
そう桜子さんが咎める。
ちなみに桜子さんは、元々はうちの学校に教育実習生の名目でやってきていたから、一応は飲める年頃のはずだ。
一応衣更市は海の幸も山の幸もおいしい土地であり、ついでの酒所でもあるため、たしかにお酒はおいしいと思うし、この時期だったら蔵開きのせいでおいしいお酒も出回っているはずだ。
私は風花ちゃんにそれとなく尋ねてみる。
「うらら先生もずっと共同生活で我慢させちゃってるし、いっそのこと、うらら先生が買ってくるんだったら、それでいいってことでお酒に合う料理にしませんか?」
「それはかまいませんけど……この時期だったら鍋かな。合うとなったら」
「鍋! いいねえ、なににする? 鶏? てっちり? 牛すき?」
「うらら先生、まだ飲んでませんよね? まだ飲んでませんよね?」
お酒の許可を出した途端に、うらら先生は「じゃああんたも飲むかい?」と桜子さんににこやかに尋ね、本当にうきうきした様子でお酒を買いに行ってしまった。
さすがに未成年で飲む訳にもいかないしなあ。私たちは鍋の材料を買いに、電車で乗り継いで仲春くん家に戻ると、スーパーに寄ることにした。
「じゃあシンプルに寄せ鍋にしましょうか。今日は取り立てて安い魚介類もお肉もありませんから、シンプルに」
「そうしよっか。四人だから、野菜も思っているより少なく済むね」
私たちはしんみりとした空気を醸し出しながら、とりあえず明日の朝は残った出汁でおじさを食べようとだけ打ち合わせし、寄せ鍋の材料を買い漁った。
つみれはつくろうかどうか悩んだ末、豆腐と鶏肉と生姜でつくろうと材料を取ってきた。私は白菜のどれを買うべきかじっくり見定めている風花ちゃんに、「風花ちゃん」と声をかけた。
「……私、契約したの」
それに、風花ちゃんは目を見開いた。
「みもざちゃん、どうして……」
「ずっと悩んでて、考えたんだよ」
「待って。仲春くんがいなくなってから、まだそんなに時間経ってないのに……桜子さんを選ぶのなら、わたしはそれでいいと思ってたけど……いくらなんでも、契約するんだったら、もう、みもざちゃんは……」
「……私、正気を失いたくない。理性が奪われたら、今日倒した土蜘蛛みたいになっちゃうんだよ」
応急処置として、何度も何度も斬られてしまう。血を流すことで、異形の血を薄めることでしか、理性が削ぎ落とされて暴走する先祖返りを止める手立ては、結界が修復されない限りはない。
でも、人間には戻りたくない……暴力的なのも、自分の一部だからだ。
みもざ本人は、仲春くんが好き過ぎる余りに、自分が戦闘嫌いの戦闘狂だって事実に目を背けてしまった。好きな人が喜ぶファッションばかり選ぶ子と同じように、みもざは自分の本質をまるっと無視して、仲春くんの望む人間になろうとした結果……彼に選ばれなかったショックで混乱して、精神的に死んでしまった。
力は努力したら自分自身で強くなれるけれど、理性を奪う血だけは、退魔師の体液以外ではどうすることもできなかったし、恋は時間も努力も意味をなさない。好きかそうじゃないか以外は、なんの意味もないから。
そう考えたら、桜子さんに好かれなくっても、せめて自分の持っている衝動に折り合いを付ける方法が欲しかった。それが契約だったのだから。
風花ちゃんは人魚の先祖返りであり、鬼の先祖返りの持っている衝動が多分理解できないと思う。私が残されてしまう人魚の恐怖が、想像はできても身をもっては理解できないのと同じで。
風花ちゃんは私のほうを悲しげに見つめた。
「……みもざちゃんは、本当にそれでよかったんですか? 使い魔になるってことは、ずっと戦い続けることと同じですよ? 本当に?」
「私も悩んだよ。でも……風花ちゃんとうらら先生は人間に戻らないと駄目だけれど、私が人間に戻りたかった理由は、私の好きな人が私に人間に戻ることを望んでいたからなんだよ。もうその人はいないから……戻っても、ただ怖くて不安なくらいなら、もう人間をやめてしまいたいって、そう思っただけだから」
「……もう、契約を切るってことは、できないんですよね?」
「多分」
「……このことは、まだうらら先生には話してないんですか?」
「話したら怒られないかなあ」
「そりゃ怒りますよ。どうして相談しなかったんだって。わたしたちのカウンセリング、ずっと続けてくれてたんですからね。うらら先生は」
「うーん……わかりました。ちゃんと話してみますね」
こうして、私たちは寄せ鍋の材料を重い重いと言いながら買い込んで、それを持って仲春くん家に帰ることにした。
これだけ寒いと、そろそろ雪も積もるだろう。
****
私たちが寄せ鍋用の野菜やつみれの準備をしている間、うらら先生は本当に日本酒を買ってきて、桜子さんと一緒に飲んでいた。
うらら先生はいくら飲んでもちっとも顔に出ない性質らしくて、音を立てて気持ちよく飲んでいる。どこで買ってきたのか、クリームチーズの酒粕漬けを酒の宛にしている。酒粕漬けなら大丈夫かなと、私と風花ちゃんも少しだけいただいたけれど、あまりにも酒の味が濃過ぎてこれ以上食べたら駄目な奴だと、ひとつだけで中断した。
一方桜子さんの飲むペースはちまちましている。ほんのり頬が赤くなっているものの、飲んですぐ駄目って訳でもないから、強くはないけれど弱くもないというところだろう。
「うらら先生、鍋できましたよぉ」
「ありがとうありがとう。いやあ、未成年もったいないねえ。今が折角蔵開きでいい酒がわんと売ってるのにね。麦秋も結構いい酒を経費で落としてくれたんだからさあ」
「それ経費で大丈夫なんですか?」
「……出張料金ですよ。食事もお酒もなかったら、出張なんてやってられませんもん。風俗行ったんじゃあるまいし」
いつもよりも子供っぽい舌っ足らずな感じになっている桜子さんに、思わず私たちは噴き出しそうになりながらも、寄せ鍋を皆にそれぞれ器に注いで食べはじめた。
うらら先生は、酒を器にまで注いで、それに出汁を入れて飲みはじめた。酒の出汁割りはおいしいけれど、それでグビグビ飲まれたら明日の分のおじやの出汁がなくなるから勘弁して欲しい。
私たちは、どうにかうらら先生に「これ以上飲まないでくださいよぉ」「明日の朝はおじやですから」「明日に響きますよ」と必死で止めながら、どうにかお鍋をつついた。
お風呂は順番をじゃんけんで決め、最初は風花ちゃんで、次は桜子さん、お酒が冷めてからうらら先生が入るということで、私は後片付けをしながら、うらら先生に水を出していた。
「先生、さすがに飲み過ぎですよぉ。明日響きませんか?」
「響かない響かない。酒に不純物入っていると悪酔いするけどねえ。私も酒は選んで飲んでるから。安い酒だとすぐに効くけど、私は丸い味の日本酒が好きなんだよ」
……なにが効くんですかとは、さすがに効かなかった。
水を飲みながら、うらら先生は「で」と声を上げた。
「あ、はい」
「みもざ。あんた匂いが変わったけど。まさか契約したのかい?」
「……っ!」
思わず喉を詰まらせる。九尾の狐の先祖返りであるうらら先生が、神通力が強いだけでなく、鼻も利くのは当たり前の話だった。私は「あーうー……」と声を裏返らせたあと、観念して頷いた。
クラスで浮いていた私は風花ちゃんと一緒にずっと保健室に通い、うらら先生に面倒を見てもらっていたんだ。この人を騙しきれるとも、隠し通せるとも思っていなかった。
うらら先生はコップを掌で温めながら、ふっと笑う。
「馬鹿だねえ……若気の至りでそんなことして。あんたの人生まだまだこれからなのに、いきなり進路をすぼめるようなことしてえ」
「……ご、ごめんなさ」
「なんて、教師だったら言うんだろうねえ。ただ、私は保険医だし、同じ先祖返りだからねえ。自分の本質と気質、どちらを重きに置くかで答えが変わってくるから、みもざのことをあんまり強くは言えないんだよねえ……」
「……うらら先生は。人間に戻りたいんですか?」
「そうだねえ……」
うらら先生は「暑い」と言いながらとっくりセーターを脱ぎはじめた。その下に着ているのはハイネックで、これでも充分豊満な体型は強調されている。
そして、コップを手で弄びながら続けた。
「自分の目の前で、どんどん人間関係が壊れていくのは、なかなかつらいからねえ……コントロールできないほどの魅了。勝手に惚れてくる男。惚れないのは先祖返りか退魔師しかいない現状じゃ、婚活だってままならないし、それ以前に大量に女に恨まれるのは、結構つらいからねえ」
「先生……」
うらら先生の豊満が過ぎる体型を抜きにしても……それこそ体のラインが出ない冬物コート仕様ですら、男の人たちはこぞってうらら先生に振り返る。九尾の狐の持っている魅了が原因で、人間関係を破壊の限りを尽くしていたんだから、そりゃ人間に戻りたくもなる。
うらら先生はにっこりと笑った。
「私はね、みもざみたいに今を選ぶことも、風花みたいに未来を選ぶこともできない以上は、昨日の幸せを抱いて生きていきたいんだよ。年を取るってつらいねえ」
「うらら先生まだ二十代じゃないですか……そんなこと言わないでくださいよぉ」
「十代と比べたら、もう天井も見えてるのに、考えなしで生きてはいけないんだよ。その意味では、仲春はいい男だったんだけどねえ……たくさん迷ったけれど、結局は惚れた女連れて逃げ出したっていうね。あの若さも青さも、今の私では手に負えないから」
そうしみじみと言われてしまい、私はなんとも言えなくなってしまった。
うらら先生は、私みたいに選択肢がないって思い詰めることもできず、風花ちゃんみたいに未来をひとりで生きたくないからと選ぶこともできず、流されたまんま今を精一杯生きるしかない、そのときに生きてるかどうかもわからないけれどって生き方しかできない。
それは多分寂しいことなんじゃないかなと思ったとき、ふと気付いた。
……私はまだ、桜子さんが現状を精一杯生きているだけで、どう思っているのかをなにも聞いていないということに。
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