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紅華
三
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鬱金が悶々としながらも、櫻守の仕事は待ってくれない。
その日は大鋏を持っていき、雑草刈りを行っていた。今までは桜の世話や物の怪退治が中心だったがために、雑草を刈るという作業が不思議なものに思える。
「どうして雑草を刈るの? 桜が咲くための栄養が持っていかれるから?」
大鋏でざくざくと伸びた雑草を狩り、根本は丁寧に掘り起こして、桜の根が傷付かないよう気を付けながら引き抜く。その作業自体は単調なものだったが、量が多いとくたびれてくる。雑草は溜まったら火を点けて燃やし、完全に火が消えたら肥料として土に混ぜ込んでおく。
雑草を刈りながら、薄墨は答える。
「春になったら、桜が咲く。桜が咲けば、都から貴族や帝が花見に訪れるから、見物しやすいように、桜以外の邪魔なものはなるべく少なくしておくんだ」
「帝……帝は朝廷にいるんだよね?」
そもそも鬱金は都には縁遠いし、都には朝廷があり、役所の一番上のところくらいのことしか頭に浮かばない。いけ好かない庭師が貴族なのまではなんとか理解できているが、彼らを統括しているはずの帝はますますもってなにをしている人なのかもわかってはいなかった。
本気で理解できないという顔をしている鬱金に、薄墨は溜息をついた。
「貴族は役所にいる役人を取りまとめている偉い人物で、その偉い人物をまとめているのが帝、くらいに覚えておけばいい」
「じゃあ帝に頼んだら、庭師に対する苦情や千年花の代替わりを伝えられないの?」
鬱金が思ったことを口にしたら、今度は薄墨が困ったように肩を下げてしまった。
「棟梁……?」
「あー……そうか。記憶喪失のお前は、そもそも身分制度までわかってはいなかったか」
「そうなの?」
「ああ、そうだ」
相変わらず物事に対して疎い鬱金に、薄墨は辛抱強く教えてくれる。
「元々庭師は俺たちを下に見ているのはな、あいつらは一応は貴族の一画にいるからだ。貴族の下に平民がいて、俺たちはその平民に値する。貴族と平民の差はいろいろあるが、現場で仕事をしているのが平民、その平民に指示を飛ばしているのが貴族、と思えばいい」
その話はたびたび出てはいるし覚えてもいるが、納得はしていない。どうして仕事の邪魔をするなと抗議を入れ続けているのに、ずっと無視されないといけないのか。
鬱金は釈然としないまま、言葉を探した。
「でも……庭師は櫻守の仕事の邪魔をしていたよね? それに棟梁から指示をもらった覚えはあっても、庭師からは指示をもらった覚えはないんだけれど」
「そりゃそうだな……あいつらは、自分たちのことを上だと思っているから、櫻守の仕事すら自分たちの手足くらいにしか思っていないさ」
「そもそも庭師の仕事ってなんなの?」
一度だけ見た覚えのある庭師のことを思い返しながら、鬱金は尋ねる。
前に出会った鼻持ちならない庭師は術を使っていたが、それ以外だとなにをする仕事なのかがさっぱりわからなかった。そもそも未だに山や麓でうろうろしている理由は、横柄な物言いをするばかりで教えてくれない。
そんな言い方ばかりしていたら、嫌われても仕方ないのにと、物事に疎い鬱金すら思い至る。
それに薄墨はしかめっ面で答える。
「あれは千年花を守るのが仕事だ」
それに驚いて鬱金は振り返った。じゃくん、と持った大鋏が雑草を切り落とした。
「……ぼくたちの邪魔をしているのに?」
物の怪の始末はずさんだから、後始末は全部櫻守がしている。日頃の仕事に加えて、庭師の仕事の後片付けまでしているので、このところ櫻守の仕事はかなり増えていた。
薄墨は頷いた。
「そうだな、あれは俺たちの仕事を、千年花を守るおまけくらいにしか思っていない。だが物の怪を屠るのも、術を操るのも、全ては千年花を守るためだ。そもそも、櫻花国は千年花の上に乗っているのだから、千年花を守らなければ、この国が沈むのは時間の問題だ。だからありとあらゆる手段を使って千年花を守っているが、俺も具体的なことは知らん」
「……同じ桜を守る仕事をしているのに、どうしてこうも噛み合ってないんだろうね?」
ぽつりとした鬱金の疑問に、薄墨は苦虫を噛み潰したような顔をしてみせた。
「そうだな。話ができればいいんだが……先入観が抜けないと、どうこうできるもんでもないな」
それ以降は雑草を刈る仕事に戻り、皆で雑草の山をつくって、それに火を点けて終わった。パチンパチンと燃えるのを怖がって鬱金は遠巻きにしながら、薄墨から聞かされたことにしきりに首を捻っていた。
紅華がさんざん怒っていた庭師。本当にたまたま現れて、紅華を逆上させるだけさせていなくなった彼。結局なんのために現れたのだろうか。
櫻守の許可なく山に入って物の怪を殺して回っていることに加えて、普段は足を踏み入れない櫻守の管轄にまでやってきたりと、今まではいてもいなくてもかまわなかったはずの庭師が、不審な動きをしている。
どうして自分たちの仕事を邪魔することが、千年花を守ることになるのか。
鬱金にはなにもわからなかった。そもそも棟梁である鬱金や先輩である紅華すら、理解できないでいる。
現在の場所の雑草を刈り終え、次の場所へと馬で移動中、突然馬が嘶いた。
「ちょっと……! いったいどうしたんだい!」
紅華がどうにか馬を鎮めようと手綱を掴むが、馬はぶんぶんと首を振り回すばかりだ。だが、馬が暴れはじめた理由がわかった。
山の上から、地響きが聞こえてきた。最初は地震か土砂崩れが頭に浮かんだが、それにしては音が不規則だし、だんだん鼻が捻じ曲がりそうなにおいが近付いてくるのがわかる。
その獣のにおいを嗅いで、絶句した。
今まで、物の怪のにおいを嗅いだとしても、ここまで圧縮されたようなきついにおいを嗅いだのは初めてだ。それ以前に、これだけの数の物の怪の集団を、鬱金は知らなかった。
……山を埋め尽くすほどに大量の物の怪が、押し寄せてきたのだ。こんな肉眼で見えるほどのおびただしい量は、今まで見たことがない。
「おい……! 誰だこんな時期に物の怪の巣をつつき回したのは……!」
よっぽどのことがない限りは老獪な物言いしかしない薄墨が、珍しく焦ったような怒号を上げる。一方、紅華の声には悲鳴が混ざっている。
「こんなの、山から降りて人郷を襲ったら……それ以前に、こんな量が最下層にまで降りたら……!」
「……母樹の根が、食いつくされる」
ふたりの言葉に、鬱金は絶句した。
いつも戦っている薄墨や紅華の強さは知っているが、こんな量、たったふたりの櫻守だけでどうこうできるものではあるまい。だがこんなものをこれ以上下に降りさせる訳にもいかない。
薄墨が叫ぶ。
「鬱金! お前は今すぐ役所に行け! そして救援要請を出せ! こんなもん、俺たちだけで対処するのは無理だ!」
櫻守の棟梁の判断としては間違っていないし、どう見ても人数がないと、これだけのおびただしい量の物の怪の相手は無理である。
「で、でも……棟梁と紅華は!?」
「前にも言ったな! 棟梁の話は四の五の言わずに聞け! 早く行け!」
薄墨は無理矢理鬱金の馬の尻を蹴り上げると、そのまま走らせた。
普段であったら大人しく鬱金の言うことを聞くはずの馬は、まるで乗っている鬱金を振り落とさんとばかりの速さで、山を下っていく。
鬱金は馬にしがみつきながらも、後ろを振り返った。既に物の怪たちのなだれに向かって、薄墨と紅華が走っていくのが見えた。紅華の高く結われた赤い髪。前に薄墨から聞いた彼女の生い立ちを考えれば、ここで物の怪たちを止めないという行動を、彼女が取る訳がなかった。
鬱金はそれにぎゅっと前に向き直して、手綱を握りしめた。
鬱金は自分の意志で毒を出すこともできなければ、そもそも物の怪を殺したくない……これだけ押し寄せてきて襲い掛かって来る物の怪にすらそう思っている自分のことが、本気で信じられなくて鬱金は自然と唇を噛み締めていた。
その日は大鋏を持っていき、雑草刈りを行っていた。今までは桜の世話や物の怪退治が中心だったがために、雑草を刈るという作業が不思議なものに思える。
「どうして雑草を刈るの? 桜が咲くための栄養が持っていかれるから?」
大鋏でざくざくと伸びた雑草を狩り、根本は丁寧に掘り起こして、桜の根が傷付かないよう気を付けながら引き抜く。その作業自体は単調なものだったが、量が多いとくたびれてくる。雑草は溜まったら火を点けて燃やし、完全に火が消えたら肥料として土に混ぜ込んでおく。
雑草を刈りながら、薄墨は答える。
「春になったら、桜が咲く。桜が咲けば、都から貴族や帝が花見に訪れるから、見物しやすいように、桜以外の邪魔なものはなるべく少なくしておくんだ」
「帝……帝は朝廷にいるんだよね?」
そもそも鬱金は都には縁遠いし、都には朝廷があり、役所の一番上のところくらいのことしか頭に浮かばない。いけ好かない庭師が貴族なのまではなんとか理解できているが、彼らを統括しているはずの帝はますますもってなにをしている人なのかもわかってはいなかった。
本気で理解できないという顔をしている鬱金に、薄墨は溜息をついた。
「貴族は役所にいる役人を取りまとめている偉い人物で、その偉い人物をまとめているのが帝、くらいに覚えておけばいい」
「じゃあ帝に頼んだら、庭師に対する苦情や千年花の代替わりを伝えられないの?」
鬱金が思ったことを口にしたら、今度は薄墨が困ったように肩を下げてしまった。
「棟梁……?」
「あー……そうか。記憶喪失のお前は、そもそも身分制度までわかってはいなかったか」
「そうなの?」
「ああ、そうだ」
相変わらず物事に対して疎い鬱金に、薄墨は辛抱強く教えてくれる。
「元々庭師は俺たちを下に見ているのはな、あいつらは一応は貴族の一画にいるからだ。貴族の下に平民がいて、俺たちはその平民に値する。貴族と平民の差はいろいろあるが、現場で仕事をしているのが平民、その平民に指示を飛ばしているのが貴族、と思えばいい」
その話はたびたび出てはいるし覚えてもいるが、納得はしていない。どうして仕事の邪魔をするなと抗議を入れ続けているのに、ずっと無視されないといけないのか。
鬱金は釈然としないまま、言葉を探した。
「でも……庭師は櫻守の仕事の邪魔をしていたよね? それに棟梁から指示をもらった覚えはあっても、庭師からは指示をもらった覚えはないんだけれど」
「そりゃそうだな……あいつらは、自分たちのことを上だと思っているから、櫻守の仕事すら自分たちの手足くらいにしか思っていないさ」
「そもそも庭師の仕事ってなんなの?」
一度だけ見た覚えのある庭師のことを思い返しながら、鬱金は尋ねる。
前に出会った鼻持ちならない庭師は術を使っていたが、それ以外だとなにをする仕事なのかがさっぱりわからなかった。そもそも未だに山や麓でうろうろしている理由は、横柄な物言いをするばかりで教えてくれない。
そんな言い方ばかりしていたら、嫌われても仕方ないのにと、物事に疎い鬱金すら思い至る。
それに薄墨はしかめっ面で答える。
「あれは千年花を守るのが仕事だ」
それに驚いて鬱金は振り返った。じゃくん、と持った大鋏が雑草を切り落とした。
「……ぼくたちの邪魔をしているのに?」
物の怪の始末はずさんだから、後始末は全部櫻守がしている。日頃の仕事に加えて、庭師の仕事の後片付けまでしているので、このところ櫻守の仕事はかなり増えていた。
薄墨は頷いた。
「そうだな、あれは俺たちの仕事を、千年花を守るおまけくらいにしか思っていない。だが物の怪を屠るのも、術を操るのも、全ては千年花を守るためだ。そもそも、櫻花国は千年花の上に乗っているのだから、千年花を守らなければ、この国が沈むのは時間の問題だ。だからありとあらゆる手段を使って千年花を守っているが、俺も具体的なことは知らん」
「……同じ桜を守る仕事をしているのに、どうしてこうも噛み合ってないんだろうね?」
ぽつりとした鬱金の疑問に、薄墨は苦虫を噛み潰したような顔をしてみせた。
「そうだな。話ができればいいんだが……先入観が抜けないと、どうこうできるもんでもないな」
それ以降は雑草を刈る仕事に戻り、皆で雑草の山をつくって、それに火を点けて終わった。パチンパチンと燃えるのを怖がって鬱金は遠巻きにしながら、薄墨から聞かされたことにしきりに首を捻っていた。
紅華がさんざん怒っていた庭師。本当にたまたま現れて、紅華を逆上させるだけさせていなくなった彼。結局なんのために現れたのだろうか。
櫻守の許可なく山に入って物の怪を殺して回っていることに加えて、普段は足を踏み入れない櫻守の管轄にまでやってきたりと、今まではいてもいなくてもかまわなかったはずの庭師が、不審な動きをしている。
どうして自分たちの仕事を邪魔することが、千年花を守ることになるのか。
鬱金にはなにもわからなかった。そもそも棟梁である鬱金や先輩である紅華すら、理解できないでいる。
現在の場所の雑草を刈り終え、次の場所へと馬で移動中、突然馬が嘶いた。
「ちょっと……! いったいどうしたんだい!」
紅華がどうにか馬を鎮めようと手綱を掴むが、馬はぶんぶんと首を振り回すばかりだ。だが、馬が暴れはじめた理由がわかった。
山の上から、地響きが聞こえてきた。最初は地震か土砂崩れが頭に浮かんだが、それにしては音が不規則だし、だんだん鼻が捻じ曲がりそうなにおいが近付いてくるのがわかる。
その獣のにおいを嗅いで、絶句した。
今まで、物の怪のにおいを嗅いだとしても、ここまで圧縮されたようなきついにおいを嗅いだのは初めてだ。それ以前に、これだけの数の物の怪の集団を、鬱金は知らなかった。
……山を埋め尽くすほどに大量の物の怪が、押し寄せてきたのだ。こんな肉眼で見えるほどのおびただしい量は、今まで見たことがない。
「おい……! 誰だこんな時期に物の怪の巣をつつき回したのは……!」
よっぽどのことがない限りは老獪な物言いしかしない薄墨が、珍しく焦ったような怒号を上げる。一方、紅華の声には悲鳴が混ざっている。
「こんなの、山から降りて人郷を襲ったら……それ以前に、こんな量が最下層にまで降りたら……!」
「……母樹の根が、食いつくされる」
ふたりの言葉に、鬱金は絶句した。
いつも戦っている薄墨や紅華の強さは知っているが、こんな量、たったふたりの櫻守だけでどうこうできるものではあるまい。だがこんなものをこれ以上下に降りさせる訳にもいかない。
薄墨が叫ぶ。
「鬱金! お前は今すぐ役所に行け! そして救援要請を出せ! こんなもん、俺たちだけで対処するのは無理だ!」
櫻守の棟梁の判断としては間違っていないし、どう見ても人数がないと、これだけのおびただしい量の物の怪の相手は無理である。
「で、でも……棟梁と紅華は!?」
「前にも言ったな! 棟梁の話は四の五の言わずに聞け! 早く行け!」
薄墨は無理矢理鬱金の馬の尻を蹴り上げると、そのまま走らせた。
普段であったら大人しく鬱金の言うことを聞くはずの馬は、まるで乗っている鬱金を振り落とさんとばかりの速さで、山を下っていく。
鬱金は馬にしがみつきながらも、後ろを振り返った。既に物の怪たちのなだれに向かって、薄墨と紅華が走っていくのが見えた。紅華の高く結われた赤い髪。前に薄墨から聞いた彼女の生い立ちを考えれば、ここで物の怪たちを止めないという行動を、彼女が取る訳がなかった。
鬱金はそれにぎゅっと前に向き直して、手綱を握りしめた。
鬱金は自分の意志で毒を出すこともできなければ、そもそも物の怪を殺したくない……これだけ押し寄せてきて襲い掛かって来る物の怪にすらそう思っている自分のことが、本気で信じられなくて鬱金は自然と唇を噛み締めていた。
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