荷車尼僧の回顧録

石田空

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人魚

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 助っ人の百合と小十郎は、大きな大道芸の中でも派手な役割は与えられていない。大きな芝居じみた動きをしている男女の後ろで槍を振るうのが仕事だ。
 ひらひらとした着物。槍の振る舞い。後ろに控えている楽団の華やかな音楽。それで陽気に振る舞っていたら、あっという間に人々は集まり、たくさんお金を投げ入れてくれた。

「ありがとうございます、ありがとうございます!」

 それらをせっせと回収していく童たちを見届けながら、なんとか演目を終えた。

「疲れた……」
「ふふふ、お疲れ様です。小十郎」
「でもこれでお金と肉屋の情報もらえるんだよなあ?」
「はい、そのはずですけれど」

 しばらくしたら、自分たちに声をかけてきた娘が戻ってきた。

「ありがとうございます! おかげで助かりました! これお駄賃です」
「ありがとうございます……んっ?」

 その重みは普段知っているものではなく、思わず渡された革袋の中身を検め、百合はあわあわと口を開いた。

「こ、こんなにですか……!?」
「当然です。公演の穴は空けられませんから」
「ありがとうございます……」
「それと、あなたがおっしゃっていた肉屋ですけれど。詳しい話はうちの人たちも知らなかったんですが、常連客のひとりからお話は伺いました」
「……はい」

 思わずしゃんと向き直ると、彼女は思い出すように語ってくれた。

「たしかに謎の肉屋は存在しているみたいなんですが……仕入れがバラバラでよくわからないし、店が出る出ないもその日の仕入れ次第だそうです」
「そうなんですか……」
「ただ、肉屋で肉を食べた人たちは皆一様においしかったとおっしゃっているそうで。そこまでですかね」
「……ありがとうございます。探してみますね」

 こうして、百合と小十郎は服を着替えると、その問題の肉屋を探すことにした。
 どのみち粟の粥だけでは栄養なんてほぼあってないようなものだから、もう少し栄養のあるものは食べさせないといけない。せめて汁物にして食べさせないといけない。

「人魚の肉でなくっても、せめて肉くらいは食べさせられたらいいんですけど」
「そうだなあ……」

 ふたりでてくてくと歩いて、その問題の肉屋を探すことにした。
 小三太の様子も見に行かなくてはいけない上、もし肉屋がなかったときに備えてせめて安価の薬や似た類いのものを探さなければならないのも頭の痛い話だった。

****

 大通りの店はあらかた見たが、どこにも肉屋らしき店は出ていなかった。肉屋なのだから、捌かねばならないだろうと包丁や刀を打っている鍛冶師の元にも向かったが、そこでも有力な情報を得ることができなかった。
 日だけはどんどんと傾く中、さすがに今日は諦めて、食事を買いに行こうとする、そのときだった。

「ああ、すまないね。今から少々店を出さないといけないから、ちょっとそこをどいておくれ」
「あ、はい。すみません」

 やけに仰々しい荷車を引いた男が現れ、せっせと並べはじめた。既に日は傾きかけ、どこの店も閉店作業をはじめたというのに、意に介することもなく開店準備を進めていく。

「あのう……今から店を開くのですか?」
「うちはいつも仕入れるときによって店を開ける時間が変わるからねえ。季節やその日の猟師の腕で変わるから仕方がないのだけれど」

 笹の葉にくるんだなにかを並べ、そこに札を付けはじめた。

【鹿】【猪】【鳩】【雀】【鴨】

 それらを眺めていた百合は「あっ……」と声を上げた。

「あなた……まさか肉屋さんで!?」
「そうだね。肉を仕入れているよ。まさか探してたのかい?」
「探してました! 今、ちょっと病人がいまして、滋養のあるものを探していまして」
「ふーむ……病人って、どれくらいの?」
「……肺を患っておりまして。なんとか粥は全部食べられたのですけれど、それ以外はあまり……」
「ふーむ……」

 肉屋は目を細くすると、がさがさと笹の葉でくるんだ内のひとつを百合に差し出した。

「鴨の肝の味噌漬けがあるから、それをお食べ」
「肝の味噌漬けですか……」
「なんでもねえ、味噌が体にいいって触れ回ってる大名がいてね、味噌の普及をしまくったのさ。それを粥の具にでもするといい。最初は体も驚くだろうから、少しずつ食べさせな」
「……ありがとうございます」

 肝を食べるという習慣のなかった百合だが、多分大丈夫だろうと思って買うことにした。なによりも味噌を焼けば美味いのだから、味噌に漬けた肝も美味いのだろうと想像ができた。
 それを見ていた小十郎が尋ねる。

「それでさあ、他に面白いもんはないのかい?」
「面白い……はて。うちはたしかにその日によって仕入れもばらばらですけど、普通の肉屋ですが」
「ならさあ、人魚の肉とか売ってないの? 人魚の肝でもいいけれど」
「ほう……お客さんお目が高い」

 途端に肉屋がにんまりと笑うので、百合は「はあ……」と言う。

「ありますよ、人魚の肉も。肝も。どちらになさいますか?」
「師匠、あるってさ。どうする?」
「あの……本当にありますか? 本当なんですよね? 伝説では、人魚の肉を食べると不老不死になるとか言われてますけど、本当に……?」

 百合が重ね重ね尋ねると、肉屋はころころと笑う。

「しょうもない嘘をついてどうするんですか。あるものはある。ないものはない、ですよ」
「あ、あのう……小十郎どうしましょうか」
「うーん……あるんだったらいいんじゃねえの?」
「買います! それも買います!」
「はいはい。なら人魚の肉の糠漬けを」

 肉屋はそれはそれはにやにやと笑いながら、笹の包みを差し出してくれた。そして百合にねっとりとした声を放つ。

「今の時期にしかありませんから、お客さんは本当にお目が高いですよ」
「……まあ」

 百合はお金を支払うと、それを大事に抱えた。

「ありがとうございます、ありがとうございます」
「それではお買い上げありがとうございましたー」

 肉屋に手を振られ、百合は浮かれる気持ちを抑えて歩いて行った。一方、聞いた張本人の小十郎はしらけきった顔をしていた。

「師匠、ぼったくられたんじゃないかい?」
「小十郎、なにを言いますか」
「だってさあ、あの肉屋。なんというか胡散臭かったもん。粥を食べるのが精一杯の病人が、こてこてしたもんなんて食べられねえから、師匠だって困ってたんだろう? 食べさせてもいいのかね。それに」

 人魚の肉だと言われていたもの。それは糠漬けにされていた。それを指差しながら小十郎は目を細める。

「それ、本当に人魚の肉なのかい? 他の肉を糠漬けにされてるかもしれないし……」
「小十郎、なんでそんなこと言うんですか」
「だってさあ。あいつうちの村にときどき尋ねてきたおっかない行商と同じ感じがしたんだよ」

 小十郎は肩を竦めた。百合は小十郎の故郷の村を思い浮かべて、首を捻る。

「あなたの故郷、売れるものなんてないじゃないですか……なんでそんな人が来るんですか」
「逆だよ。俺たちが貧乏なの知ってて足下見て、好き勝手嘘を吹聴し回っていろんなもんを好き勝手持ち逃げしようとしたんだよ。弱っちくっても口がよく回る奴だったから、うちの村の腕っ節のいい連中もころっと騙されちまったんだよ。だから俺はああいうのが信用ならねえんだ」

 それに百合は少なからず納得した。

(この子、開拓農民の子にしては、やけに口が回ると思ったら……騙されて巻き上げられた人たちを大勢見ていたから……この子にはいろいろ残さないといけないのかもしれない)

 百合はそう思いつつ、小十郎の頭を撫でた。それにむっとしたらしい小十郎はぺちんと百合の手を払いのける。それでも百合は笑った。

「ありがとうございます。でもひとまずは小三太のお父様をどうにかいたしましょう」
「……おう」

 小十郎的には相変わらず小三太とは関わりたがらなかったが、それでも彼の看病は拒絶しなかった。それでいいと思いながら、百合は小三太の家へと続く道を足早に歩いて行った。

****

 百合と小十郎が戻ってきたことに、小三太は少なからず驚いていた。

「てっきり嘘ついて帰ったのかと思っていたけれど」
「この地に用事があったのは本当です。それに、肺を患ってらっしゃる方を放置はできませんから」
「そういうもんなのかい? 父ちゃん。姉ちゃんたち戻ってきたよ」

 お粥を食べて栄養が少しだけ回ったのか、今の父の呼吸は楽そうだった。
 百合は再び体を拭いてあげてから、買ってきた肉に火を通しはじめた。
 なるほど、味噌に漬け込んだ肉は火を通すと香ばしく、それに小三太がよだれを垂らしはじめたので、粟と一緒にやると、小躍りしはじめた。

「美味い! すごい! 美味い!」
「味噌を少し火を通しただけでこれだけおいしいんですからね。肉も付けばおいしいですね」
「いいなあ……」

 小十郎は百合の持っているもうひとつをあからさまに警戒していたので、百合はそれをひとりで食べることにした。
 そもそも人魚の肝を食べなければいけないので、百合は八百比丘尼の体にならなければならなかった。
 百合は目を閉じる。

(もし……人間に戻ったとしたら、私はもう百合としては生きられないんでしょうね)

 人間に戻りたかった。絡繰り人形として共に生きようと言った果心居士を拒絶するほどには、百合は人間に戻りたかった。
 しかし別に絶世の美貌を持つ八百比丘尼にもなりたくなかった。
 百合の体は絡繰り人形で、多少なりとも果心居士に弄ってもらったので感触を覚えることはできるようになったが、それでも人間の体とは程遠いなにかだ。
 人間として生きられるのは八百比丘尼のほうだが……あの呪いに成り果てた体は、果心居士が幻術をかけ続けなかったらすぐ身勝手な言動をする。
 百合は、百合という人間には、どうあっても戻れやしないのだ。
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