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果心居士
三
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大店に帰ってから、果心居士は百合の絡繰り人形の修繕をしつつも、器の修繕に取りかかっていた。椿の模様の美しさに、店子は目を見張っていた。
「素晴らしいです……まさか砕けたものがこれだけ綺麗なものとして蘇るとは思いもせず」
「いやいや。この器が元からいいものだったからこそ、これだけいい品に蘇らせることができたんだ。もしこれを自分だけでいちからつくるとなったら、骨が折れていただろうさ」
「それでも……素晴らしいです」
器が完成し、百合の絡繰り人形の修繕が終われば、この奇妙な滞在期間も終了する。
小十郎は果心居士の修繕作業を見ながら、部屋で転がって足をぶらぶらさせていた。
「そういえばさあ、あんたはここを出たら、次はなにすんの?」
「さてねえ。基本的に自分は根無し草だ。行きたい場所に行くさね。お前さんたちは?」
「大坂。元々は師匠の体を直してくれる人を探していたのもあるけれど、そこに人魚の肝を売っている店がないかって、探しに行くんだ。果心が師匠を直してくれるから、もう技師は探さなくってもいいけれど、人魚の肝は探さないと駄目だろう?」
「なるほどなるほど……妖怪の肝は全ての薬の期限となります。特に不老不死を解消する妙薬ともなったら、人魚の肝をおいて他にないでしょうしなあ」
「なんだ、知ってるんだ。師匠はずっとそれを探してるんだけど。売っている店は知っているかい?」
「さてねえ。大坂は人の移り変わりが激しく、行商の回転も速い。売っていると言い切れませんな」
果心居士がそう言いながら、百合がさんざん無茶して壊した腕の破損を丁寧に磨いて直していた。女性の細腕のように見える腕だが、それの正体は木だ。漆を染み込ませた腕をしっかりと磨き込んでおかないと、女性の細腕のようななよやかさは出ない。
その作業を眺めつつ、百合は口を挟んだ。
「その言い方だと、大坂で人魚の肝を見たことがあるように聞こえるが」
「そりゃそうですよ。たまぁに来るんですよ。若狭《わかさ》の漁師がわざわざ大坂くんだりまでやってきて、怪しげな肉を売っているのが」
「…………っ!」
百合が目を見開いたのを、小十郎は不思議そうな顔で見つめた。
「師匠?」
「……なんでもない」
百合はきっぱりとなかったことにしたが、果心居士はあっさりと教えてくれた。
「ああ、知らないかい? 八百比丘尼が生まれた漁村は若狭にあったとされている。八百比丘尼が人魚の肉を食らって不老不死になった土地だね」
若狭は北方に存在する国であり、その地は多くの魚が獲られるとされている。かつては御食国《みけつくに》に指定され、朝廷に多くの海産物を献上していた記録が存在している。
そして若狭はかつては人魚が出たらしく、その人魚の肉を食らって八百比丘尼は不老不死になり……その体は呪いの塊になってしまったという。
百合は思わず果心居士の肩を掴んだ。しかし果心居士の態度は変わらない。
「おひいさん。困ります。手元がぶれたら、おひいさんの元の体もただではすみませんよ」
「……どうしたら、人魚の肝を手に入れられる?」
「さあてね。そればかりは、運だと思いますよ。おひいさん。どうせ今の体であったのなら、酒が飲めるし食も楽しめるのでしょう? そこの坊主と、楽しんできなせい。自分は作業が終わったら付き合いますから」
「……そうか」
「明日にはおひいさんの着物も取りに行きましょう。さぞや別嬪さんになっていることでしょうしね」
百合はなんとも言えない顔で、果心居士の背中を見てから、ようやっと腕を離した。
彼が作業している間、百合は小十郎と一緒に出された食事を食べていた。久々に食べる馳走の味に、酒の酩酊感。それらを覚えながら、ずっと果心居士を見ていた。
食事を摂りながら、小十郎がやれやれと首を振った。
「師匠、そんなに気に入ったのなら夜這いでもかけりゃいいだろう?」
「よば……どこで覚えたんだ、そんな言葉は」
「うちの村だったら、だいたい暇を持て余して夜はそうなってたよ。うるさくって子供は皆端っこで固まって寝てた」
開拓農民の村に、都のように娯楽や道楽がある訳もなく、夜の時間を潰すのはもっぱらしもの話だった。それだけの話だ。そして村の中でたらい回しになっていた小十郎は、年の功に反して耳年増になるのも仕方のない。
それに久々に百合は頬にどっと熱を持つのを感じた。
「……あまり私をからかうな」
「別に俺はからかっちゃいないよ。だって師匠、あいつに会ってからずっと変だもん」
「……変って?」
「酒飲んで惚れた男ほっつき回してる女みてえ」
そこまで言って、とうとう百合は小十郎の脳天に手刀を食らわせた。いざ仕方なし。そこまで言われ、百合は思わず酒を飲んだ。
(……思えば。私はそういうものとはとんと縁がなかったから。お館様だけだったから)
彼女は十年前の城主以外に、大きな感情を人に向けたことがほぼない。そもそも自由恋愛というものからはとことん縁遠い立場だったから、それをしたことなんてなかった。
そもそも、いったいどこでそこまで果心居士に惹かれたのか、自分でもさっぱりわからないのだ。
「……理由もなく、人に惚れるものなのか?」
「知らねえ。単純に子作りしたかっただけじゃねえの?」
あけすけなことを言う小十郎に、再び百合は手刀を食らわせた。
「そう何度も何度もぽんぽん叩くなよ。俺の頭が頑丈だからって、痛いもんは痛いんだからなっ」
「あーあーあーあーあー、私が悪かった。もういい、私は寝るっ。久々に寝るっ!」
飲めるものをさっさと全部飲み干すと、百合はさっさと不貞寝してしまった。
思えば絡繰り人形になっているときは、眠ることはなかった。眠ることがないと、時間の区切りができないのと同時に、心の区切りも歪になる。
寝る。食事をする。酒を飲む。散歩して町の空気や匂いを嗅ぐ。
どれもこれも、絡繰りの器ではできないことだった。
(……思えば。私はこの体をその内もらうのだった……私は、この体のまま人間になりたいのかしら。それとも……)
思えば、このことはあまり考えないようにしていた。いや、絡繰りの器では考えが及ばなかったというのが正しいのか。
百合の体は十年と少し前に、既に戦で焼け落ちた。もし残っていたとしても、それは既につるりとした骨になっていることだろう。肉はない。
今の体は八百比丘尼のもの。十人男がいれば、十人とも振り返るような美貌のもの。しかし、百合の体や顔には遠く、もし人間に戻るとしたら、一生彼女の体で生きなければならない。
(それは本当に……私の望んだことだったのかしら)
ひどくおそろしい選択を迫られているような気がした。
美貌の体から呪いが完全に取り払われて自分のものになったとしても、自分のものとして大事にできるんだろうか。
醜女ではないものの、ものすごく美しくもない、穏やかな百合の存在が、一生失われてしまう。
自分が完全に自分でなくなってしまうというのは、ひどくおそろしくて……眠れるときでなかったら考えたくもなかった話だった。
「素晴らしいです……まさか砕けたものがこれだけ綺麗なものとして蘇るとは思いもせず」
「いやいや。この器が元からいいものだったからこそ、これだけいい品に蘇らせることができたんだ。もしこれを自分だけでいちからつくるとなったら、骨が折れていただろうさ」
「それでも……素晴らしいです」
器が完成し、百合の絡繰り人形の修繕が終われば、この奇妙な滞在期間も終了する。
小十郎は果心居士の修繕作業を見ながら、部屋で転がって足をぶらぶらさせていた。
「そういえばさあ、あんたはここを出たら、次はなにすんの?」
「さてねえ。基本的に自分は根無し草だ。行きたい場所に行くさね。お前さんたちは?」
「大坂。元々は師匠の体を直してくれる人を探していたのもあるけれど、そこに人魚の肝を売っている店がないかって、探しに行くんだ。果心が師匠を直してくれるから、もう技師は探さなくってもいいけれど、人魚の肝は探さないと駄目だろう?」
「なるほどなるほど……妖怪の肝は全ての薬の期限となります。特に不老不死を解消する妙薬ともなったら、人魚の肝をおいて他にないでしょうしなあ」
「なんだ、知ってるんだ。師匠はずっとそれを探してるんだけど。売っている店は知っているかい?」
「さてねえ。大坂は人の移り変わりが激しく、行商の回転も速い。売っていると言い切れませんな」
果心居士がそう言いながら、百合がさんざん無茶して壊した腕の破損を丁寧に磨いて直していた。女性の細腕のように見える腕だが、それの正体は木だ。漆を染み込ませた腕をしっかりと磨き込んでおかないと、女性の細腕のようななよやかさは出ない。
その作業を眺めつつ、百合は口を挟んだ。
「その言い方だと、大坂で人魚の肝を見たことがあるように聞こえるが」
「そりゃそうですよ。たまぁに来るんですよ。若狭《わかさ》の漁師がわざわざ大坂くんだりまでやってきて、怪しげな肉を売っているのが」
「…………っ!」
百合が目を見開いたのを、小十郎は不思議そうな顔で見つめた。
「師匠?」
「……なんでもない」
百合はきっぱりとなかったことにしたが、果心居士はあっさりと教えてくれた。
「ああ、知らないかい? 八百比丘尼が生まれた漁村は若狭にあったとされている。八百比丘尼が人魚の肉を食らって不老不死になった土地だね」
若狭は北方に存在する国であり、その地は多くの魚が獲られるとされている。かつては御食国《みけつくに》に指定され、朝廷に多くの海産物を献上していた記録が存在している。
そして若狭はかつては人魚が出たらしく、その人魚の肉を食らって八百比丘尼は不老不死になり……その体は呪いの塊になってしまったという。
百合は思わず果心居士の肩を掴んだ。しかし果心居士の態度は変わらない。
「おひいさん。困ります。手元がぶれたら、おひいさんの元の体もただではすみませんよ」
「……どうしたら、人魚の肝を手に入れられる?」
「さあてね。そればかりは、運だと思いますよ。おひいさん。どうせ今の体であったのなら、酒が飲めるし食も楽しめるのでしょう? そこの坊主と、楽しんできなせい。自分は作業が終わったら付き合いますから」
「……そうか」
「明日にはおひいさんの着物も取りに行きましょう。さぞや別嬪さんになっていることでしょうしね」
百合はなんとも言えない顔で、果心居士の背中を見てから、ようやっと腕を離した。
彼が作業している間、百合は小十郎と一緒に出された食事を食べていた。久々に食べる馳走の味に、酒の酩酊感。それらを覚えながら、ずっと果心居士を見ていた。
食事を摂りながら、小十郎がやれやれと首を振った。
「師匠、そんなに気に入ったのなら夜這いでもかけりゃいいだろう?」
「よば……どこで覚えたんだ、そんな言葉は」
「うちの村だったら、だいたい暇を持て余して夜はそうなってたよ。うるさくって子供は皆端っこで固まって寝てた」
開拓農民の村に、都のように娯楽や道楽がある訳もなく、夜の時間を潰すのはもっぱらしもの話だった。それだけの話だ。そして村の中でたらい回しになっていた小十郎は、年の功に反して耳年増になるのも仕方のない。
それに久々に百合は頬にどっと熱を持つのを感じた。
「……あまり私をからかうな」
「別に俺はからかっちゃいないよ。だって師匠、あいつに会ってからずっと変だもん」
「……変って?」
「酒飲んで惚れた男ほっつき回してる女みてえ」
そこまで言って、とうとう百合は小十郎の脳天に手刀を食らわせた。いざ仕方なし。そこまで言われ、百合は思わず酒を飲んだ。
(……思えば。私はそういうものとはとんと縁がなかったから。お館様だけだったから)
彼女は十年前の城主以外に、大きな感情を人に向けたことがほぼない。そもそも自由恋愛というものからはとことん縁遠い立場だったから、それをしたことなんてなかった。
そもそも、いったいどこでそこまで果心居士に惹かれたのか、自分でもさっぱりわからないのだ。
「……理由もなく、人に惚れるものなのか?」
「知らねえ。単純に子作りしたかっただけじゃねえの?」
あけすけなことを言う小十郎に、再び百合は手刀を食らわせた。
「そう何度も何度もぽんぽん叩くなよ。俺の頭が頑丈だからって、痛いもんは痛いんだからなっ」
「あーあーあーあーあー、私が悪かった。もういい、私は寝るっ。久々に寝るっ!」
飲めるものをさっさと全部飲み干すと、百合はさっさと不貞寝してしまった。
思えば絡繰り人形になっているときは、眠ることはなかった。眠ることがないと、時間の区切りができないのと同時に、心の区切りも歪になる。
寝る。食事をする。酒を飲む。散歩して町の空気や匂いを嗅ぐ。
どれもこれも、絡繰りの器ではできないことだった。
(……思えば。私はこの体をその内もらうのだった……私は、この体のまま人間になりたいのかしら。それとも……)
思えば、このことはあまり考えないようにしていた。いや、絡繰りの器では考えが及ばなかったというのが正しいのか。
百合の体は十年と少し前に、既に戦で焼け落ちた。もし残っていたとしても、それは既につるりとした骨になっていることだろう。肉はない。
今の体は八百比丘尼のもの。十人男がいれば、十人とも振り返るような美貌のもの。しかし、百合の体や顔には遠く、もし人間に戻るとしたら、一生彼女の体で生きなければならない。
(それは本当に……私の望んだことだったのかしら)
ひどくおそろしい選択を迫られているような気がした。
美貌の体から呪いが完全に取り払われて自分のものになったとしても、自分のものとして大事にできるんだろうか。
醜女ではないものの、ものすごく美しくもない、穏やかな百合の存在が、一生失われてしまう。
自分が完全に自分でなくなってしまうというのは、ひどくおそろしくて……眠れるときでなかったら考えたくもなかった話だった。
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