荷車尼僧の回顧録

石田空

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ぬっぺっぽう

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 尼僧は血抜きを終えた妖怪を、適当に短刀を持ってきてバラバラにしながらも、腰を抜かしたままの小十郎に淡々と話をする。

「私は百合であり、百合は私だ」
「……はあ? 師匠は……今気絶してて」
「ふむ。百合の魂は今は私の中に入っているからな」

 尼僧の言葉に、小十郎はもごもごと口を動かす。

「……その、しゃべり方も、できることも、全然違……」
「そりゃそうだろう。片や絡繰りの人形の器、片や人魚を食らった不老不死の器。同じ訳ないだろう。それで、私を師事するの、辞めておくか、続けるか。どうする。私たちは人魚を追っている以上、どうしても妖怪たちの元に関与することになるが」
「ど、どうして…………?」

 小十郎はおずおず尋ねる中、尼僧は鼻で笑った。

「不老不死なんて、権力を持った連中が黙っている訳がないからな。そんな欲深な人間はいくらでもいるのだから、表立って人魚の肉をばら撒く訳なかろう。だからこそ、どうしても薄暗い場所に分け入って情報を得るしかないのさ。ここは平和だ。たしかに熊は出るし、他の獣も出る。畑だってまだ税を賄えるほどの収穫もない。だが、欲深な人間たちに好き勝手されることのない自由だけは残っている。私たちもな、ときおり権力者に見つかっては面倒なことになったものだ。それに人間のままで関わることになるが、どうする?」

 尼僧の言葉は、百合ほど優し気ではないし、淡々としている。本当に同じ魂の持ち主が言っているかどうかもあやしく思えるが、そこには終始小十郎に対する気遣いが存在していた。
 小十郎は「ん-……」と喉を鳴らしてから、足に力を入れて立ち上がった。先程まで腰が抜けていたにしては、しゃんとした佇まいだった。

「やっぱり一緒に行くよ」
「そうか」
「だってさあ。俺、ここに置いてもらえるのは運がいいだけだし。その運だっていつまでも続くとは思えないから、出て行って力一本で生きていける術を探したほうがいいと思うんだ」

 それに尼僧はかすかに笑った。
 妖艶な笑みは、百合ではまずしない笑み。尼僧と百合の魂が同じだと教えられていなかったら、まず違和感を覚えなかっただろう。

「ならば、せいぜいついてくるがよい」
「うん」

 肉をひとまず皮でくるむ。本来なら乾燥させるか糠床にでも漬け込むが、妖怪の肉ならそこまで気を遣う必要もなく。
 小十郎が寝たあと、尼僧から魂が抜け落ち、百合のほうへと戻っていった。
 そしてすよすよと眠る小十郎を見て微笑んだ。

「……ありがとうございます」

 小十郎が寝てしまい、決して届かない感謝の例を示した。この二年間、百合は根無し草で放浪するしかなかった。
 人魚を探している。それは途方もない話だ。砂山からひと粒の砂金を探し出すことに等しい。いや、砂金のほうがまだ見つけられる。実際に人魚を食らっていつまで経っても年を取らなくなった八百比丘尼を見なければ、百合だってそれが実在するとは思わなかっただろう。
 その途方もない旅をしていると、百合自身がへこたれそうになる。絡繰り人形の体では季節の移り変わりを見ることはできても、肌で感じることができない。なにも感じない体にずっといる訳にもいかず、ときおり八百比丘尼の体に入るが、長時間使い続けるとその体は勝手にしゃべり、勝手に笑い出し、勝手なことをしでかす。
 絡繰り人形と不老不死の尼僧。
 どちらも百合ではあるが、どちらも百合とは言い難い。
 自分が何者かわからなくなる中、自分のことを「師匠」と定義してくれた少年のおかげで、少しだけ治まりがよくなりそうなのだ。
 八百比丘尼の体に長時間魂がとどまり続ければ、いずれ彼女は八百比丘尼の体に飲まれ、かつての彼女と同じような言動しかできなくなり、最終的に百合という魂が消え果てる。
 その時間を先延ばしできたことに、少なからずほっとしたのだった。
 夜は長い。寝ずの番を買って出たとは言えど、ひとりの夜は長い。それでも、道連れがいたら、長い夜も儚くなくなる。

****

 次の日、百合は小十郎に昨日の熊鍋の残りを食べさせると、そのまま村を出ることにした。


「まさかもう出て行かれるとは。熊をもらったのに、なんもなくって……」
「いえ。技師を紹介していただけましたし、次の目的もできましたから。お世話になりました。あのう……」

 百合はせかせかと仕事をして回る女たちを見ながら、自分の足元にいる小十郎の肩を叩く。

「この子を連れて行ってもいいでしょうか?」
「あらま。小十郎はまだなんの役にも立ちゃしませんが、それでよろしければ」
「うるせえ、ブス。師匠の役には立てるよ」
「まあ! 本当にこの子口悪くって腹立ちますけど、それでよろしかったら!」
「まあ……」

 皆、小十郎本人の文句は言えども、誰ひとりとして小十郎が普通についていくことに対してはなにも言わないのに、百合はなんとも言えない顔になった。

(本当の本当に、このまま言ったらこの子は捨てられていたのね……あの子も薄々気付いていたんだわ)

 貧すれば鈍する。力は強いほうから弱いほうに流れる。小さくて弱くて身内が誰もいないというのは、それだけで怖くておそろしいものだ。
 最後に尼僧を乗せた荷車を引きながら、百合は小十郎と歩いて行った。
 カラカラと車輪が鳴る。

「なにも言わなくてよろしかったんですか?」

 念のために百合は小十郎に聞いてみたが。

「皆、ようやっと俺がいなくなってせいせいしたって、今頃喜んでいるよ。俺のために仕事を探さなくって済んだって。まあ、赤ん坊の世話するガキがひとりいなくなったけれど、それだけだしなあ」

 小十郎は素っ気ない。彼は彼なりに、村に対して愛着はあっただろうが、それ以上に疎外感を覚えていたからこそ、早くここを出て行こうとしていたのだろう。
 そして小十郎は話をずらすようにして、尼僧の隣に積んだ妖怪の肉を見た。

「それでさあ……この妖怪って、結局なんだったんだい? 顔があってないようなもんだったし、なんか無茶苦茶生臭かったし……」
「幸いでしたね。この妖怪、死肉以外は食らう習慣がなかったようで。早めに殺して捌いたので、人魚のように不老不死でない限りは再生しませんよ」
「師匠、いっつもそんな妖怪ばっかりと会っているのかい?」

 小十郎はげんなりして百合を見上げると、百合はあっけらかんと答えた。

「そういう場所にでも行かなかったら、人魚の情報を得られませんから。昨日も言いませんでしたっけ」
「言ってたよ。言ってたけどさあ……妖怪だって、多分もっと見目がいいのだっているだろうけど、こんな不細工とばっかり会うんだったら気が滅入るなと思ってさ」
「そうですねえ。まあ小十郎だったら大丈夫なんじゃないでしょうか」
「なにが?」

 それに百合はなにも答えなかった。
 妖怪で見目がいいというのは、大概は相手を魅了して洗脳する妖術を持った妖怪だ。しかし小十郎はまだ子供であり、八百比丘尼の美貌にすら、びっくりはしても魅了を覚えていないようだった。これでは妖術にはかかるまい。
 旅は道連れ世は情け。
 ひとりで行っていたふたり旅が、本当にふたり旅になったという、それだけの話。
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