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搭乗の際にはお足元にお気を付けください─誰かの未来を守るため─

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 その日は一限から授業に出ていた。
 大学でやっているのは教育学部で、俺の場合は中学の家庭科技術教師の免許を取るカリキュラムを組んでいる。生きるのに絶対に必要なことを教える授業がいいかなと思ったからだ。
 その中で、うちの大学が教育学部生徒に必修で取らせている授業があるけれど。
 普段一緒に授業を受けている野田が、いつまで経っても来ないのだ。あれ? あいつ大学から自転車で二十分の距離に住んでるから、よっぽどのことがない限り遅刻しないし、体調不良だったら、ノート取っててと連絡来るのに。
 念のために何度もメッセージアプリで連絡を入れるけれど、いつまで経っても既読が着かない。マジでなにかあったんじゃ?

「フクー! ごめん。さっきの授業寝てた! ノート抜けてる部分があるから貸して!」
「いいよー。ところでさ、今日野田を見てないんだけど見なかった? 今日の授業単位落としたら実習に引っかかるからやばいだろ」

 教育学部は、基本的に三年になったら教育実習に行くし、四年は就職活動だから、二年までに必修単位は全て取っておかないと足りないという計算になっている。
 それに、ノートを貸してやった松井は「んー……」とノートをスマホでパシャパシャ写真を撮りつつ首を傾げる。

「あいつ一昨日から見てないけど」
「はあ? 一昨日から?」
「バイト忙しいんじゃねえの?」
「そりゃまずいだろ……」

 そりゃ野田は俺と違って普通に実家から仕送りがあるし、留年しても学費の工面もそこまで問題ないだろうけど。でもあいつ、普段そんなことないし……。
 松井は「ありがとフク」とノートを返してきた。

「そんな心配なら、あいつのサークルにでも聞いてこれば?」
「……あいつどこのサークルだっけ?」
「ゴルフサークル」
「……うん、ありがと」

 ゴルフサークルかあ。一応つてはあるけど、またしつこそうなんだよなあ。
 俺は渋々、ゴルフサークルの普段使っているサークル棟に顔を出すことに決めた。
 ひと昔前だと、サークル活動は就職を左右すると言われていたけれど、今は余裕のある人がすることで、俺みたいな成績を常に優秀に修めないと奨学金もらい続けられないタイプの人間には遠い場所だ。サークル棟の独特のストロング缶の甘ったるい匂いに顔をしかめながら歩いていると「トク?」と声をかけられた。

「げぇ」
「なにがげぇよ。人を妖怪かなにかみたいに言わないで」
「そんなこと言ってないだろ、みなほ」

 思わず周りをきょろきょろとした。
 高校時代の知り合いはうちの大学を受けてないけれど、知り合いには俺とみなほが従兄弟同士だと特に言っていないから、勝手に付き合っていると思われても困る。
 俺があからさまに変な態度を取ったせいか、みなほの機嫌がどんどんと悪化してきた。

「なによ、こんなところで油を売って。あなた勉強しないとまずいんじゃなかったの?」
「今日は授業受けないほうがまずいから……それより、お前んところのサークルで、野田って知らない?」
「野田先輩? トクの友達なの?」
「そうそう。一緒に技術教師目指してる仲間仲間。今日必修の授業なのに来てなかったし、なんか最近顔を見せてないって聞いたから心配になって……お前知らない?」
「……野田先輩、たしかに最近顔を見せてないけど」
「やっぱりかあ……あいつん家に行きたいけど、住所知らんし……」

 俺が頭を抱えていると、みなほは冷静にスマホをタップして、なにやら打ち込みはじめた。

「みなほさん……?」
「うちの先輩たち、よくゴルフで打ち込みに行く際に、帰りに野田先輩ん家に集まって騒いでたから。トクはどうして行ったことないの?」
「……俺、酒そこまで強くないし、学校終わったらバイトしてるからなあ」
「そっ。今先輩たちに聞いたから住所わかるけど」
「えっ、教えて教えて。野田の様子を見に行ったらすぐに授業に戻るから」
「……私、今日の午後は授業ないんですけど」
「みなほ?」
「……一緒に行ってあげてもいいって言ってるのよ。そもそもなんでトクは私とアプリのID交換しない訳!? そんなこと、普通にID交換してたら事足りる話でしょうが!」

 みなほはまたも勝手に怒り出した。
 そういうとこだぞ。お前とID交換したくない理由。みなほは勝手に怒って勝手に心配して勝手に世話焼こうとしてくるのが目に見えているから、俺が大学入学を期にスマホを自分名義に変更した際にIDを教えなかったんだ。
 とにかく、俺は「とりあえず心配だから、野田の顔を見てから授業に戻るよ」の一点張りでどうにか誤魔化し、ふたり揃って野田の家へと向かうことにした。

「野田の家って、そんなに広いの?」
「私は行ったことないけど。でも大学から近いし、そこそこいいところなんじゃないの?」
「ふーん……」

 あいつは普通に世話焼きだから、狭いところでも先輩たちが押しかけてきたら断らなかった部類かなあ……だとしたら、厄介ごとに巻き込まれてないといいけれど。
 辿り着いた先は、結構小洒落たアパートだった。オートロックが付いている上に、有名警備会社とも契約している。
 ポチポチと番号を押して呼び出す。

「おーい、野田ー。今日の授業必修だけどどうかしたかー?」
「野田せんぱーい、こんにちはー。先輩の友達らしいトクを連れてきましたー」

 ふたりで銘々呼び出し板に話しかけるものの、ちっとも返事が来ない。
 これマジで大丈夫か? そう思ったら、オートロックが開いた。住人が出てきたのだ。ちょうど野田の家の向かいの人だったから、思わず呼び止めた。

「あ、あのう、ここの隣の家の野田に会いに来たんですけど、あいつ生きてますか?」
「お向かいさんですか?」

 そこを借りてるらしいどこかの大学生らしき人が、目をパチリとさせた。

「お向かいさん最近見かけてませんよ?」
「あ、ありがとうございます!」

 俺たちが中に入ろうとしたら、意外なことにその人も心配になったらしく、「管理会社に電話しましょうか?」と言ってくれた。
 ありがたく電話の準備をしてくれた大学生にお礼を言いながら、俺たちは野田の家のチャイムを鳴らした。

「野田ー、生きてるかー?」
「野田せんぱーい」

 声をかけると、向こうからかすかな声が聞こえてきた。

「──けて」
「野田?」
「たすけてー、でられないー」
「ちょ、野田!? どこかに閉じ込められてるのか!?」
「トイレに閉じ込められてでられないー! もう二日トイレから出られてないー!」

 おい、おい。
 トイレだから水は確保できるだろうけど、それ以外はなんも食べられてないだろ。
 慌ててお隣さんは「管理会社に電話します!」と慌ててここの大家さんに連絡を入れてくれ、みなほは「ちょっとおかゆかなんか買ってくる!」と走って行ってしまった。俺は野田が生きてるかどうか確認も兼ねて「心配するなー。もうすぐ助けが来るぞー」と励ましの声をかけ続けることになったのである……。

****

 管理会社に電話して一時間。二日もトイレに閉じ込められ、無精髭でトゲトゲになった野田が無事に助けられた。どうもトイレの向かいの置いていた物干し用の棒が倒れてきて、それがつっかえ棒になってしまって閉じ込められていたらしい。
 俺たちは何度も管理会社の人とお隣さんにお礼を言ってから、野田の家に上がり込んでみなほの買ってきたおかゆやスポーツドリンクを与えて、今に至るのだ。

「野田先輩、お粥このままで大丈夫ですか? もっと重湯みたいに薄くしますか?」
「大丈夫ー。ああ、カロリー! カロリー! 美味い!」

 風邪引きのとき以外は、特に美味いと感じない白粥をさもごちそうのように、野田はもりもりと食べていた。

「お前マジで心配したんだぞ。今日の授業のノート貸してやるから、今すぐ写真撮れ」
「ありがとうー! あとまさかお前らが従兄弟同士とは初めて知ったー!」

 俺とみなほを見て、野田はエヘエヘと笑った。なんだその態度は。
 俺が貸したノートをひと通り写真撮ったのを確認してから、他の授業は友達に頭を下げて後日写真を撮らせてもらうことにした。さすがに今からはもう授業に間に合いそうもない。

「でも怖いですね……ひとり暮らしでこんな事故は。これ私たちが来てなかったらやばかったんじゃないですか?」
「そう思うー。これあと三日閉じ込められたら大変だったかも」
「お前なんでそんなに元気なんだよ。念のため病院行くか?」
「大丈夫、あとで病院行くし。でもお前はバイト大丈夫なん?」

 野田はノートの写真を撮り終えてから、ようやく俺のほうに話題を替えた。俺はそこで「えっ……」と時計を見た。
 既にバイト時刻を一時間過ぎていた。

「ゲゲゲゲゲッ……!」
「バイト先に電話するか?」
「もうそのまま謝ってくる! 自転車……」
「もう俺の借りてっていいよ。明日返して」
「ありがと! じゃあみなほも適当に帰れよ」
「……もう出て行くからいいよ。野田先輩、他のお粥も置いていきますから、好きに食べてってくださいね」
「ありがとう! 命の恩人だから、岩屋さんにもなんかおごらせて!」
「……私は結構なんで、トクになんかおごってあげてください」

 相変わらず身持ちの堅いみなほがそう言い残し、俺は野田の自転車を借りてそれに跨がりアパートを出た。

「じゃあ俺、すぐバイトに向かうから。お前は真っ直ぐ帰れよ?」
「言われなくてもそうするから。事故らないでよ」
「わかってるよ。お前もありがとな!」

 そう言い残して、俺は急いで自転車を漕いでいった。
 いくらバイト先はパラレルラインで、お客さんはほぼ来ないからと言っても、それでさぼっていい理由にはならないし、あれだけ条件のいいバイト先なんて今後も見つかりそうもないし。なによりもあそこは、楽なんだよな。
 野田みたいに、理由もなく俺に親しく接してくれる奴だけじゃない。世の中には、人の不幸を慰み者にして、可哀想な人に優しくしている自分最高と、人を自分を上げるためのモチベーションとしか思ってない奴のほうが多いんだから。
 ……みなほや叔母さんたちがそうとは思ってないけど、家族だからこそ苦しいものがある。
 晴さんに会いたかった。
 特に意味はないけれど、ただなにも聞かずに話をしてくれる相手を、今は無性に欲していた。
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