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そうだ、古民家を買おう
しおりを挟む都会から少し離れた、海の近い街に引っ越そうと思ったのは他でもない。
どこを歩いていても人が多い都会の生活に、いい加減嫌気が差したからである。電車に乗れば寿司詰め状態で、いつ鞄が壊れるんじゃないかという危機感を募るし、休みの日に買い物に行けば、冠婚葬祭と関係なく人が出歩いている光景に目眩を覚える。
だからと言って地元に帰るのも嫌だった。ど田舎というほどど田舎でもないが、新幹線も通っておらず、私鉄しか走ってない町は、東か西かの都会に行かなかったら物が売っていない上に、特に自然もない。
田舎過ぎたら返ってご近所付き合いが面倒臭い。都会過ぎたら人が多過ぎて嫌。
程よく都会から離れて、自然があって、ご近所付き合いが希薄な場所。幸いにもうちの会社はテレワークを取り入れてくれたから、休みの日に引っ越し先を吟味することができた。
不動産情報サイトをはしごして、時には現地に車で出向いて街の雰囲気を掴み、なんとか理想の街と家を発見した。
海の近くの街に、古民家があった。既にリノベーション済みだから、あとは家財一式と引っ越せばなんとかなる。私は貯金をいっさいかっさいはたいて、その古民家を買うことにした。
ローンも組まずに一括現金払いのため、不動産屋は心底嫌そうな顔をした。
「節税もろもろとかでしたら、分割払いのほうがお得ですよ?」
「いや結構です。一括現金払いでお願いします」
「女性ひとりで、ですか?」
「はい。一括現金払いでお願いします」
アパートを借りるときも、一括現金払いをしようとすると嫌がられる。でも持ち家じゃん。古民家じゃん。家のオーナーもすぐ手元にお金入るじゃん。いいじゃん。何度も何度も押し問答をし、上の人に問い合わせて、どうにか許可をくれた。
銀行に行ったら銀行に行ったで、お金を一括で引き下ろそうとしたときに心配された。
「詐欺ではございませんか?」
「いえ、家を買います」
「最近は財テクがございまして」
「いや、そういう転売商法してないです」
世の大金持ちは、土地や家を転がしまくって財を得ているらしいが、単純に私は人混みが嫌い過ぎて貯め込んだお金を一気に使って、経済を回したいだけだ。あと純粋に早く都会から離れたい。
不動産屋に支払いを済ませたあと、税務署から電話があった。いきなり私の口座から貯め込んだお金が引き下ろされたから、なにか脱税じゃないかと疑われたらしい。あまり税務署と縁遠い生活をしていたけど、本当に税務署って仕事しているんだなと感心してしまった。
「いえ、家買いました」
「一括でですか?」
「一括でです」
引っ越し屋さんに連絡し、各方面に連絡し、少しずつ段ボールに荷物を詰め込みながら、不動産屋に家の鍵を取りに行ったとき。
ふと可愛い女の子が目に留まった。
年は私より下だろうか。二十代半ばくらいのセミロングの髪に緩くウェーブのかかった子が、不動産屋で話をしていた。
「あの、審査は……」
「あー……ごめんなさいね、大家さんが許可をくれなくって」
「そうですか……」
彼女の荷物を見ていて、私は「んっ?」と目を見張った。彼女の鞄にはカートが付いている。あまりにもの大荷物で、しょんぼりと肩を落としながら去って行ったのを、私は思わず視線を追ってしまっていた。
程なくして、私に鍵をくれる担当さんが現れた。
「お待たせしました。こちらがお客様の家の鍵です。どうぞ大事になさってくださいね」
「あのー……さっきの人、落ち込んでましたけど? 大家さんが許可くれないって、あの人アパート借りれなかったんですか?」
何気なく担当さんに聞くと、担当さんは慌てた様子で、「これはこの場限りの話にしてくださいね」と咎められた。そりゃこっちも、わざわざ人の不幸でご飯が美味くなるタイプではない。
「昔ながらのアパートだと、仕事によっては弾かれますから」
「はあ……」
「最近はかなり稼いでいる人もいますから、うちでも問題ないと思うんですけどねえ」
その言い方からすると、さっきの人はフリーランスかなんかなのかな。
私は「そうなんですか」と言いながら、鍵を受け取った。
ただ可愛い女の子が、家を借りれなくって大丈夫なんだろうか、とだけ頭に過った。元々私はそこまでお人好しではない。単純にあの可愛い子が街の中でうろうろしていたら危ないんじゃないだろうかと、少し心配になっただけだ。
****
その例の可愛い女の子との再開は、唐突だった。
「あっ」
「はい?」
向こうは私の顔を見ていなかったらしいから、私の声に不思議そうにウェーブのかかった髪を揺らしただけだった。
家の鍵ももらったし、今日はひとりでおいしく飲むかと、入った飲み屋で隣になっただけだ。彼女は顔に似合わず唐揚げにネギのたっぷり載った冷や奴を肴に、ジョッキに入ったビールを飲んでいたところだった。おいしいけれど、なかなか豪快な組み合わせだ。
「いや、昼間に不動産屋にいましたよね?」
「あー……見られてましたかぁ……」
彼女は困ったように笑って頷いた。私は店員さんに「軟骨の唐揚げとジョッキビールくださーい」と頼んでから、彼女の隣に座った。彼女は恥ずかしがることもなく、もりもり唐揚げを食べてから、ビールを飲んでいた。
「ちょっと彼氏と別れたところで、今家がないんですよ。せめて引っ越し先見つけてから別れられたらよかったんですけどねえ……」
「あら、彼氏に家を取られたの?」
「んー……というよりわたしが逃げてきた、みたいな? 彼氏と同居していたときは、わたしもフリーランスじゃなかったんで、まだなんとかなったかもしれないんですけどねえ」
なんか込み入った事情がありそうだなと思っていたら、彼女がわざわざ唐揚げの皿を私のほうに押してきた。
「ここの唐揚げ、おいしいですよ。自分でもつくってみたいくらい」
「あら……私もらっても大丈夫です?」
「あとで軟骨の唐揚げくださいよ。わたしもあれ食べてみたいです」
まあ、トレードくらいいいか。
私は自分の注文が届くのを待ちながら、唐揚げを頬張った。程よくニンニクが利いた唐揚げは、少し冷めてもジューシーなままだった。借家だとなかなか勇気が出なくって、揚げ物揚げられないもんなあ……。
でもこの子、なおのこと心配だ。
「彼氏とはちゃんと別れられた?」
「別れました別れました。すぐスマホ解約して新しいのに替えるくらいには」
「それはよかった。でも家大丈夫?」
「んー……仕方ないから友達の家に泊まってから、探すしかないかなあと」
いや、今晩どうするの。
他人事ながら、この子自分の可愛さわかっているんだろうかと心配になる。渡る世間は鬼ばかりだと言っていたドラマがあったけれど、この言葉はちゃんと時代に残したほうがよかったんじゃないだろうか。
私は「あーうー……」と言ったあと、思わず尋ねた。
「うち、今度家買って引っ越すけど、よかったら来る?」
「はい?」
「さすがに今は段ボールだらけなアパートになるけど、今度の休みの日に引っ越すから。お仕事は大丈夫?」
「あ、それは大丈夫です。今週は仕事入ってないんで。でも……いいんですか?」
私をおずおずと見てくる。
うーん。私も飲み屋にひとりで行くような奴だから人のことは言えないけれど。でもこの子放っておくのも心配なんだよなあ。
私は鞄から名刺入れを取り出すと、一枚抜いて差し出した。
「兼平美奈穂__みなほ__#……さん?」
「さすがに家に上げようと思っているのに、不審者扱いされても困るから。これうちの会社。もし心配だったら、うちの人事課にでも連絡して。人事課の人のスマホに転送されるから、テレワークでも連絡は通じると思う」
「いやそこまで心配されなくっても大丈夫ですけど……ええっと、ちょっと待ってくださいね」
彼女はあのカート付きの大きな鞄を漁ると、上のほうから名刺入れを引っ張り出してきた。それで私はようやく彼女の職業を知る。
「フードコーディネーターの……渡瀬春陽さん?」
「はいー、彼氏と同居中に独立したんで、まさかこんなことになるとは思ってなかったんですけど。でも渡りに舟です」
えへ~と頼りなく笑う姿を見ていたら、なんだか力が抜けてくる。
元々人混みが嫌いなだけで、人付き合いが嫌いな訳でもないし。まあ古民家も空き部屋はたくさんあるからなんとかなるだろう。
「よろしく」
「よろしくお願いしまーす」
言っている間にビールと軟骨の唐揚げが来た。
ふたりでビールのジョッキをカチャンと馴らすと、再び唐揚げを食べるのに没頭しはじめた。
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