大罪人の娘・前編

いずもカリーシ

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第弐章 戦国乱世、お金の章

第十七節 秩序のために戦う、一人の天才

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「崩壊した『秩序』を立て直すためには……
室町幕府を討って悪い事柄の根をち、腐り切った世をあるべき姿に戻さねばならない」

ときは1337年。
京の都からはるかに遠い奥州おうしゅう[現在の東北地方]の地にいた一人の若者が、後醍醐天皇ごだいごてんのうの命令に従って幕府に戦いを挑む決意を固めた。
その年齢はわずか19歳に過ぎない。

8月には本拠地の霊山りょうぜん[現在の福島県伊達市、相馬市]を出発して関東へと攻め込む。
幕府は慌てて関東の武士たちをかき集めて迎撃するも、大敗をきっして房総半島ぼうそうはんとう[現在の千葉県]へと逃走した。
続いて4ヶ月あまりで関東を制圧した若者は、ついに京の都へ向かって進撃を開始する。

「防備に優れた鎌倉かまくらが一瞬で陥落したらしい」
関東支配の拠点を潰された幕府は、自分たちへ向かって突き進んで来る若者にひたすら恐怖した。

将軍・足利尊氏あしかがたかうじは全国の大名に軍勢を動員させた上で、こう命令を発する。
美濃国みののくに青野原あおのがはら[現在の岐阜県大垣市]に集結せよ。
奴の足を何としても止めるのじゃ!
そうすれば……
密かに追っている関東の幕府軍が、その背後を突くことができる。

と。

若者は、巧妙な挟み撃ちの罠にまりつつあった。

 ◇

足利尊氏の開いた室町幕府は、源頼朝の開いた鎌倉幕府よりも大きく劣っていた。

鎌倉幕府は全ての武士たちと直接の主従関係を結び、彼らの領地や財産を子孫代々に至るまで守ると誓った。
一方の武士たちは幕府をあるじあおいで忠誠を誓い、幕府という家の家人けにん[家来のこと]……
つまり御家人ごけにんとなった。
要するに武士たちを『直接』支配したのである。

御家人同士で争いが起こっても、自分たちで勝手に裁くことを許さない。
あるじである幕府に全ての裁きをあおがせ、勝手に戦いを始めた御家人は反逆行為と見なして討伐の対象とした。
こうして巧妙に、武士たちから戦う『自由』を取り上げたのだ。


家族や愛する人が誰かに傷付けられたとしても……
傷付けた相手に復讐する自由など一切ないのだから。

家族や愛する人が殺されたとしても、殺した犯人に復讐はできない。
指一本触れることも許されない。
警察が捜査し、検察が訴え、裁判所が裁く。

復讐以外にも、名誉棄損、誹謗中傷ひぼうちゅうしょう、あるいはいじめに至るまで……
すべて公共秩序を乱す犯罪行為となる。

ところが。
室町幕府は全ての武士たちと主従関係を結ばず、相応ふさわしい者を大名に任命して国や地域の支配を任せた。
支配を任されている以上、国や地域をある程度は自由に治めて良い。
要するに武士たちを『間接』支配したのである。

こうして幕府に加えて大名たちが武士たちを裁く権利を得たが……


問題が複雑になると、争いも複雑になる。
問題は解決せず、争いも解決せず、ついに大名同士の衝突が起こった。

衝突が小競こぜり合いに、小競り合いがついに合戦かっせん[戦争のこと]へと発展した。

 ◇

「凛よ。
若者は、室町幕府のことを徹底的に調べた。
こう結論付けた」

「どう結論付けたのです?」
「『室町幕府では、崩壊した秩序を立て直せない』
と」

「……」
後醍醐天皇ごだいごてんのうは、武士たちにこう求めていた。
『武士の役目とは……
民の平和で安全な生活のために治安を維持し、暴動や反乱をしずめることではないか。
おのれの利益のために武力を用いるなど言語道断ごんごどうだんであろう!』
とな」

「父上は、わたくしに教えてくださいました。
『武』という字は……
武器を止める、つまりいくさめるという意味だと。


「その通りだ」
「しかし……
武士たちは求めに応じなかったのでしょう?
応じないどころか、敵に回って別の天皇を立てることまでしました」

「実はな……
武士たちが敵に回ったまことの理由は、それではない」

「それではない?」
「銭[お金]だ。


「銭[お金]そのものを変える?」
「天皇は、こう考えた。
『問題はそうから買っている宋銭そうせんにある』
と」

「父上。
宋は、日ノ本と比べて人の数がはるかに多いと聞いたことがあります。
だからこそ……
宋銭は限りなく買えてしまうのです」

「そうなのだ!
宋銭を使うのを止め、独自で銭[お金]を作れば……
銭そのものの量を抑えることができる」

「それは妙案にございます。
ただ、人々は銭[お金]を作ることに反対したのではありませんか?


「そなたの見立て通りだ。
武士だけでなく……
公家くげ[貴族のこと]からも凄まじい反対の声が上がり、多くの者が敵に回った」

奥州おうしゅう[東北地方のこと]の地にいた若者は……
強い危機感を抱いたのではないでしょうか?
『室町幕府を討って悪い事柄の根をち、腐り切った世をあるべき姿に戻さねばならない』
と」

「『武人』としての使命をまっとうしようと決めた若者は……
ついに兵を挙げた。
奥州だけでなく関東にも、その若者のこころざしに共感する武士たちが現れた。
糠部郡ぬかぶぐん[現在の岩手県]の南部なんぶ家、伊達郡だてぐん[現在の福島県]の伊達だて家、下総国しもうさのくに[現在の茨城県]の結城ゆうき家、下野国しもつけのくに[現在の栃木県]の宇都宮うつのみや家などだ」

「そんなにもいたのですか!」

 ◇

ときをさかのぼる。

美濃国みののくに青野原あおのがはら[現在の岐阜県大垣市]に集結中の幕府軍は……
凄まじい早さで近付いてくる土煙つちけむりを見た。

「あれは何じゃ?」
「これから集結する味方であろう」

「なぜ、味方があれほど早く近付いて来る?
急ぐ必要などないではないか」

「も、もしや……
敵だと?」

「敵?
どの敵のことじゃ?」

「我らが挟み撃ちしようとしている奴のことに決まっておろう」
「何を馬鹿な!
奴が、こんなに早く来れるはずがあるまい。


土煙は速度を落とすことなく近付いてくる。
「あの軍旗……
風林火山に見えないか?」

「風林火山?
そ、その軍旗は……
まさか!」

「おい、落ち着け。
奴は関東を出発したばかりじゃ。
ここにいるわけがない」

「も、もしかしたら……
我らは……
奴の罠にまっているのでは?」

「何を申すかっ!
我らが、奴を罠に嵌めるのじゃ。
風林火山に似た軍旗を見ただけで狼狽うろたえおって、この臆病者めが」

そして。
はっきりと軍旗が見えたとき。
天地が引っくり返るほどの衝撃に襲われた。

「あ、あの軍旗を見よっ!
風林火山の旗だけではないぞ!
南部に、伊達に、結城に、宇都宮……」

「まさか……
そんなことが!」

「あれは……
き、北畠顕家きたばたけあきいえが率いる奥州軍ではないかっ!」

北畠顕家。
これが、奥州から来た若者の名前であった。

 ◇

幕府軍の大将たちは大混乱に陥った。

「こんなに早く来れるはずがない!」
「早い、早過ぎる!」

「なぜこんなに早く来れたのじゃ?」
「兵たちにろくな休息も取らせずに駆けてきたのでは?」

「何と非常識な!
顕家あきいえを追っている味方はどうした?
挟み撃ちにする作戦ではなかったのか?」

「話し合ってる場合ではない!
それよりも迎撃の備えを急げ!」

「いや、まだ集結中ぞ?」
「まだ来ない味方を待ってどうする?
まずはいる軍で備えを固めろ!」

「いかん、もう間に合わん!」
反応の遅れは致命的であった。

「幕府の兵どもは、反応が遅い!
我らの軍旗を見ただけで恐れおののいているぞ!
今こそ千載一遇せんさいいちぐうの好機!
全軍、突撃せよ!」

陣頭に立って雄叫びを上げた顕家に続いて、奥州軍の騎馬隊は幕府軍を次々にぎ倒していく。
青野原合戦あおのがはらかっせんは顕家率いる奥州軍の一方的な展開となった。

追撃する関東の幕府軍が到着したときには……
肝心の奥州軍は消え失せ、味方のおびただしい死体が転がっているばかりであった。

幕府は、関東に続いて二度目の大敗をきっした。

 ◇

「北畠顕家はどこに消えたのです?」

伊勢国いせのくに[現在の三重県]だ」
「なぜ勝った勢いのまま京の都へ向かわなかったのですか?」

「幕府は、京の都からさらに援軍を送っていた。
その援軍は近江国おうみのくに[現在の滋賀県]から美濃国みののくに[現在の岐阜県]へ到着しかけていた。
今度こそ、追って来る関東の幕府軍と挟み撃ちになってしまうではないか」

「それをかわすために伊勢国へ?」
「うむ。
幕府はたった一人の若者に関東と美濃国で大敗し、最後は肩透かしを食らったのだ」

「何と見事な戦い方なのでしょう……」


【次節予告 第十八節 天才に勝利できる唯一の方法】
戦いの天才に対して、幕府軍はなりふり構わない物量作戦で対応することに決めます。
兵力差が絶望的に開くのを見た北畠顕家は、ある作戦に最後の望みを託しました。
ついに幕府軍を崩壊寸前まで追い詰めたのです!
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