星渦のエンコーダー

山森むむむ

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巨星落つ闇の中

東雲柳救出作戦 出立の瞬間

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 最後に繭に入ったのはユエンだった。長岡が拳を突き出す。意図を察して、右手を握って突き合わせた。
「東雲に、また昼休みのゲームしたいって言っておいてくれよ」
「ああ……行ってくる」
 電子黒板が目に入った。部の会議に繰り返し利用された表示面は、すでに階層が多くなり過ぎているために整理が必要だった。しかし透かして奥にある物理的な書き込み面に、おそらくこれは……文字が書かれている。手書きで、しかも量と密度が尋常じゃない。目を凝らして内容を読み取る。

『シノくんがいてこそのミク高ネオトラ部!』
『勝ち逃げは許さん! 俺が勝つまでいてもらわないと困る』
『東雲先輩、絶対取り返すぞ!』
『シノくんには次期部長の椅子を進呈してもいい』
『帰ってこい東雲』
『みんな待ってるよ シノ』
『先輩は私が守る!』

「これ……?」
 長岡は頭を掻いた。
「バレた? ……お前ら中心メンバーがあんまり必死だから、昨日皆で書いたんだよ」
「見せてくれればいいのに……」
「プレッシャーになったら悪いだろ。それに、お前らの気合いにはどうしたって勝てない。だから皆の団結力でそこをカバーするために……まあ、試合みたいなことだよ。一つにならなきゃダメだ。足りないもんはみんなでやれば、なんとかなるかもしれないだろ」
 精神論というやつだ。しかし、それがなければ多数の人間が一致団結するのは難しい。ネオトラバース部の全学年、クラスメイトに協力者たちを全て集めると100人ほどがいるのだ。

「……あとさ、繭のシートの隙間にこんなもん見つけちまったんだけど、俺……」
 長岡はユエンの掌に、小さな何かを乗せた。樹脂と金属で形作られ、木を模したフレーム。それに囲われた、つるりとした不思議な玉。
 その風変わりなキーホルダーが手のひらで転がった。それは、心を映す石。夏の大会に出場し、クリスが玲緒奈と初勝利を飾ったあの日、チームJ全員で色違いを購入したものだった。これを柳は持っていた。恐怖の対象と対峙する為に。
「……それ!」
 玲緒奈が目を大きく開け、小走りで近寄ってくる。
「前、見せてくれたんだよ。チェンがカバンにつけてたから。同じだーって思って……チームの皆で買ったんだよね?」
 冷たく突き放したはずの仲間との思い出を、柳が、震えて動けなくなるほど怖がっていた繭に持ち込んでいた証拠。
「…………東雲がいた繭のシートに挟まってた」
「……シノくん……!」
 玲緒奈は、もう涙を抑えきれなかった。
「嫌いになんてなってない……」
 柳は、理解されない孤独を抱えていた。だが、それは同時に自分から他人に近づこうとすることを阻んでもいる。再び傷を負うことへの恐れ。多重の仮面で心を隠し、痛みを隠し、機能不全に陥ってもまだやめられない、嘘で覆われた人生だ。
 他人を全員突っぱねて一人きりで生きることを選べただろう。だが彼は、そうしなかったのだ。
「シノ、くん……お兄ちゃんや……クリスちゃんに、自分から離れろって色々、やりながら……最後にこれを持ってたの……?」
 その道を選んだ理由はひとえに、クリスをはじめとする身近な人々への、愛だ。愛を示し続けるための、分厚い仮面。その下で苦しむ自分自身をひたすらに見ないふりをしながら、いつか自然に笑える日が来ることを願っていたのだろう。

 しかし、その願いは潰えた。隠蔽者ヒドゥンハンズの介入によって、無惨に踏み躙られてしまった。
「いやだよ……シノくんがこのまま帰ってこないなんて、そんなことやだ……っ! だってずっと一生懸命に、クリスちゃんと一緒に、……ッく、生きてきたのに……2人が、離れたままなんて……」
 ここが大部分の人間から死角になるスペースで助かった。ユエンは椅子の並ぶメインスペースから玲緒奈を隠すように立ち、長岡も同じように体の向きを変えた。
 隠蔽者からもたらされた虚構は柳の中で真実になり、絶望に変わり、今までの努力と想いは全てが無駄であったと、命を終わらせる動機に変わってしまった。
 ただ騙された、と一言言えば、事情を知らない人間は柳を愚かだと断罪するだろう。だが、図書館で目にした精巧な偽造文書の数々。人間一人を絶望に浸らせるには、十分すぎる情報量だ。暴力的なまでの『証拠』の物量を前に、抵抗する思考を形作ること、その行為自体に無力さを感じざるを得なかったに違いない。

「これ、どうしよう……? クリスちゃんに見せますか?」
 やや落ち着いたのか、鼻を啜りながら玲緒奈はユエンを見上げた。
「……おれたちの心境的にはぜひ見せたいところだが、いい方に転ぶか悪い方に転ぶかわからない……見せないでおこう、帰るまで……流磨にも」
 長岡は俯きながら言う。
「同意だわ。俺さえも正直、これ拾った時動揺したから……」



 まだ若干の時間がある。繭の中に流磨は座っていた。

 自分は、本当は感情に流されやすい人間だ。こう言う時にこそ培ったスキルが試される。しかしこの事態に陥ってからは、既に怒りや悲しみに支配されて何度も醜態を晒している。落ち着かなければクリスを守れないし、柳を取り戻すことも難しくなるかもしれない。柔らかく人体を受け止める繭のシートに背中を深く沈め、ゆっくりと呼吸する。
 重い扉を最後に閉めるのは、長岡の役割だ。まだ定刻ではないため、もしも再度開ける必要が生じた時に備えて少しだけ扉は開かれていた。閉じてロックまでしてしまえば、開くのに手間取る。

 暫く目を閉じていると時間がやってきたようで、声がかかる。
「清宮、準備いいか?」
「ああ、閉めていい」
 思ったよりも硬質な、落ち着いているかのような声音が出た。
 これでいい。落ち着いていると思えば、更に暗示をかけるように冷静さを増すことができる。目を閉じ、シンクロヘルムを装着した。いつでもいい。この状況を打ち壊すためなら、気力体力の続く限り何度でも電脳世界へ行く。
 厚い扉は閉じられ、電子的にロックがかかったことを示すランプが点った。マジックミラーのように内側からは外が見えない。

『3人とも準備いいか? トランジョン開始するぞ』
 幾らか真剣な渋川のアナウンスが届いた。
「了解」

『はい』
『いつでもどうぞ』
 クリス、続いてユエンが返答した。クリスは意外と落ち着いているように思える。その声に自分の方が安心した。
 集中して、友を無事取り戻す。今、どんな場所で何をしているのかも分からないが、どんなことをしてでも連れて帰る決意を拳に込め、握る。光の中で肉体から意志が離れていき、精神は電脳世界へと移し替えられていった。
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