星渦のエンコーダー

山森むむむ

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巨星落つ闇の中

私の翼

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 髪飾りを外す。

「クリスちゃん、はい……お水持ってきたよ」
 親友を目の前にしても、なかなか言葉が出てこない。柳が姿を消し、死んだと思っていたらまだ生きていた。そしてこれからも生き続けられるかは、わからない。

 柳の両親が病院につきそっているが、きっと検査やら何やらで、診断結果が出るのは遅くになるだろう。本人の意識がないのだ。医師が出した結論も、自分たちが持っている情報以上の具体的な名称が出るとは限らない。
 多分、こういった事例は他にない。謎の組織に取り入られ、自ら電脳世界で生体情報を譲渡し、命を握られています、なんて。

「……ありがと」
 全身が、重い。この重みを跳ね除けて流磨は、戻ってきた途端に繭から飛び出したのか。流石は、筋肉バカ。
「クリスちゃん、この後……根岸さんと大分さんから、聞き取りがあると思うけど」

 そうだった。感情が揺れ動き続けていて、もう何も気力がわかない。
 疲れ切っているが、柳が戻ってくるかどうかは、もしかして私達がこれから何をするかにかかっているのかもしれない。手を抜く訳にはいかない。
「ねえ、れおちゃん……」
「なに?」
 ボトルのキャップを捻る。普段より、すごく硬い気がした。
 喉がカラカラ。十分に飲み込むと、そばにあるテーブルにおざなりに置いた。全身に流れる血が、まるでタールにでもなったかのようだった。

「私……目の前にいたのに、柳を止められなかった」
 不思議だ。泣いてばかりいたのに、今はちっとも悲しくならない。
 悲しいというより、心の奥がずんと重くなっている。鳩尾が痛い。喉の奥が固くなっていく。
「……あのときと同じだ……私、柳を助け出せなかったときと、ちっとも変わってなかった」
 苦しむ柳を見ることが怖かった。害意を向けられる柳が。その害意が、私に向けられることが。私は、なんてずるいんだろう。

「クリスちゃんは強くなったよ……!」
「でも柳を助けられなかったの!! 結果は同じなの!!」
 ああ、なんでなんだろう。酷いことを言ってしまうときって、どうして、言ってからじゃなきゃわからないの。自分が立ち上がっていたことに気づく。
 用意されていた簡易ベッドが無機質に並ぶ室内。それが今はまるで岩に囲われた牢獄のように、ひどく冷たく感じた。
「……う……っ」
 れおちゃんの泣き出しそうな顔を、何年ぶりかに見た。れおちゃんは、十分に成長した。強くなったよ。弱いのは私。

「…………ごめん、ほんと、最低だ私」
「あ……ち、違うの……駄目だね、私も混乱して……」
 れおちゃんは無理をして笑っていた。そうだね。そうするしかない。本当にごめんね。
「体育館倉庫の扉が、鉄でできていてよかったって思った」
 守られる人間としてだけ生きていくのは、嫌だった。何かを、誰かを守れる人間になりたい。
「開けなかったことの、言い訳になりそうで」
 物理的に? 心理的に? 状況、相性が悪かった? 私はただ弱かった。たったそれだけのこと。

「そんなの……っそんなの当たり前だよ! だってその先輩怖かったんでしょ?! 大きくて……その時、クリスちゃんたちはまだそんなに背も高くなくて……」
「そう……私はそれも言い訳にした」
 れおちゃんが私に覆いかぶさるように迫る。
 二の腕を掴まれて、私は黒糖飴みたく鈍く光る瞳を見る。今はそれが艷やかに涙の膜で包まれていた。その瞳の色がずっと羨ましかった。この場所でみんなが持つその色。色眼鏡なく見てもらえる、深いその色が。

「クリスちゃんは、シノくんが危ない時、なにかしたいって思ったんでしょ?! 今もそうなんでしょう?! だったら、今なら何か……」
 言いかけて、れおちゃんは止まった。そう。私はまたできなかった。失敗した。柳を助けられない。
 強くなりたいと思っていた。パパや、人を守るパパの会社や、島を作った強いママみたいに。大切な人が困っていたら、助けられる人間に。
 逃げたこともある。現実逃避しようとしたことも。だけど問題は終わらない。逃げても終わらないなら、立ち向かわなくちゃ。
 柳はずっと戦っている。彼の隣に並び立つ資格を得るために、私は強くならなくちゃ。肉体的には、柳みたいに強くはなれない。努力し続けている柳には、体が大きくなる流磨には、きっと敵わない。
 だって自分は女だ。体の構造上、そういうふうにできていない。では女が発揮できる、最も適した強さとはなんだ。
 強くなりたい、強くなりたい、強くなりたい強くなりたい強くなりたい。考え続けて出た結論に愚直に従う毎日だ。柳がいなくなってしまったら、もうそれも意味がない。

「……つよくなりたい」
 私はずっと鉄の扉の前に立ってる。柳を助けたいって思いながら、何もできない子供のまま。
「クリスちゃん……」
「れおちゃん、リリアと鞠也に、伝えてきてほしいことがあるの……」
「うん……なに?」

 隣をぽんぽんと叩いて、座るように促す。れおちゃんはちょこんと座った。向かい合い、手をつなぐ。言葉だけでは伝わらない思いを、皮膚を通じて教えるかのように。
「私は……柳に次にあったら、もう何をするかわからない。その瞬間のために覚悟を決めたい。後悔することだけはないようにする。その準備を今はしたい」
 思ったよりもするりと言葉が出てきた。きっと、こうすることは前から考えていたんだ。
 ────ただ、本当にそう決断することになるなんて、想像もできなかった。

「クリスちゃん」
 れおちゃんの丸い瞳が、表情を失ったまま私に答えを求めていた。両手を離して太ももにのせる。
「なに……?」
「こわいこと、考えてない?」
「こわい……?」
 れおちゃんが、小さな手で私に触れる。冷たくなっていた。指先は、趣味の手品のために短い爪がまるく整えられていて、かわいい。
 私にはないものを、れおちゃんはたくさん持ってるんだね。その爪先をなぞると、出会った頃から幾度となく繋いできた感触を、また新たに知る。

「そっか……こわい、のかな……? 今、よくわからない」
 れおちゃんは、また困ったような顔をして黙ってしまった。私は構わず、続きを話す。
「柳、私と流磨に、組織の情報を受け取った次の日にその内容を教えてくれたの。その時、目の前で日向が死んだっていう話もして」
「シノくん……本当に二人を信頼してるから」
「うん……でも、私はそのときに柳に聞いたの。どう思うのかって」
「シノくんは……」
「わからない、って言ってたの……私、信じられなくて。私は怒ってたの。日向が海底からこの島に出てきたこと、柳に接触したこと、なにかデータを渡したらしいけど、それで余計に柳の中をかき乱したこと……全てが憎くて……」
 れおちゃんは事件直後の柳を知らない。だけど、仮面の形成過程に近くにいた。想像しかできないだろう。私は言葉を尽くしたけど、こんなことを全て理解しろというのは無理な話だ。
 私も理解しようと頑張った。きっとどれだけ努力しても、無理なものは無理なんだ。だったら、隣で寄り添うことしかできない。

「だけど柳は……きっと柳が一番色々なことを感じて、それをずっと考え続けた結果、わからないって言ってたんだ……今ならあのときの柳がどう感じていたかが、少しだけ……少しだけわかるよ」
 れおちゃんは私を抱きしめた。私よりもずっと小さいのに、れおちゃんに抱きしめられると安心できる。
 背中に手が回された。そんなことするから、また涙腺が活動を再開してしまう。

 空調の音に意識をそらせようとした。だけど考えは止まらない。ごめんなさい。私は柳を諦められない。もう一度私の名前を呼んで。柳の隣を歩く幸せを願いたい。いつかを望めなくても、私はただ隣にいたかった。
 そんな些細な日常さえもが、今からしたら贅沢品。風前の灯。蜃気楼のような、不確かな未来。
「柳と」
「……うん、クリスちゃん」
 れおちゃんの手が、私の後頭部を触った。柳がいつでも側にいたときには、彼にそれを期待していた。そのぬくもりが永遠に失われるなんて、許されないこと。私なんかよりも、柳のほうがずっと、ずっと。

「本当の意味でわかり合いたい……柳と…………」
 なんて言ったらいいのか、自分の中に言葉を探した。目を閉じて柔らかい感覚に包まれる。どれくらい長い間そうしていたんだろう。涙がれおちゃんの肩口を濡らしていた。
 そうしてようやく、今の心のなかにピッタリの言葉を見つけられた。

「柳と……もう……ひとつになりたいくらいに……」
 はっとしたように、れおちゃんは体を離した。
 私の瞳を覗き込む。それは、柳がいつも私にしていたことによく似ていた。まるで私の瞳の中に答えが映し出されているみたいに、じっと私を見つめるのだ。
「どんなことになっても、れおちゃんは流磨と一緒に……」

 やばい、またやった。今のは失言だ。
「……ねえ、本当に、変なこと考えてないよね?」
「…………うん、なにも。ごめんね、緊張してるのかも……聞き取り、伝言の後に答えるって言って」
 れおちゃんは、なにかに気づいたように眉間にしわを寄せた。背中を軽く叩くと、仕方なく立ち上がる。
「あと、キスの件も二人に教えてあげて。私が言うのが筋だと思うんだけど……多分、今そのことについては冷静に話せないから……れおちゃんの口から……」
「私が……?」

 このままだと長岡が話すことになるだろう。長岡はいいやつだから迷うだろうけど、今は状況が状況だ。
 でも、私はれおちゃんにこそ話してほしかった。私に最も近しいあなたに。私の柳への思いをすべて知る、信頼できる特別な女の子、清宮玲緒奈に。
「お願い」
 指先を握る。
「わかった……」

 部屋から出たれおちゃんを見届けてから、外して枕元に置いていた髪飾りを摘む。
 その姿は翼を模していて、柳が私に、去年プレゼントしてくれたものだった。私の金色の髪が風にあおられ、目に入ってしまったとき。
 髪にからんだ落ち葉を取りながら、彼は言ったのだ。

「本当に、素敵な色だね。輝いて……クリスは、本当にきれいだ」

 私は鉄の扉を開く。
 柳がそこにいるなら、たとえどんなことをしてでも会いたいと、間違いなく思うから。
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