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第33話 青天の霹靂

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 春の訪れにはまだ少し時間が必要そうな3月、俺は10歳の誕生日を迎えた。
 しかし父に言われたとおり、俺のお披露目は行われていない。

 何もなかった誕生日以降も変わらぬ日常を送っていると、5月に南方で開戦したとの知らせがあった。
 だが父から聞かされていたとおり、ヴォルフガング軍は参戦していない。
 軍が参戦していないのだ、お披露目もされていない嫡子の俺が、それらに関わることは当然なかった。



 開戦から2ヶ月経った7月の初旬。例年であればミルヒがガングにやってくるのだが、今回は中止になった。
 理由は、ヴォルフガング軍が戦争に参加することになったからだ。

 今回の戦争は、ローゼンクロイツ王国が有利な防衛戦。
 だからこそ王国上層部は、防衛戦であれば中央の軍を派遣しておけば大丈夫と余裕をかましていらしい。――が、どうやら戦況がかんばしくない様子。
 詳しく聞くと、相手国であるアルム王国はかなり用意周到に準備を進めていたようで、周辺国への根回しや軍事力の提供を受けており、想定外の戦力で攻め込んできたのだという。

 一方、楽観視していたローゼンクロイツ王国側としては、想定外の攻勢をギリギリしのぐのがやっとで、はやくも危機的状況に陥ってしまったらしい。

 そもそもアルム王国は、海に面する数少ない国の一つだが、海に面していること以外は突出したものがないもない、言ってしまえば弱小国だった。
 しかし、海塩を効率的に生産できるようになり、一気に主要国として躍り出てきたところを、ローゼンクロイツ王国が海塩の生産地を奪い取ってしまったのだという。

 元来、我々の住まうヴンダーバル大陸は、周囲を海に囲まれているにも拘わらず、超えられない山々に阻まれ、または断崖絶壁などの事情で、地図上では海に面していても実際に海に出られる地域が極端に少ない。
 そのため大陸中の塩は、大陸のほぼ中心で高い山々に囲まれた聖教国、そこにある巨大な塩湖から採れる岩塩がほぼすべてをまかなっていたのだ。

 そんな状況下で、アルム王国の海塩生産能力が上がったことは、とても大きな意味を持っていた。
 自国で塩が賄えるのであれば、聖教国に従う必要がなくなるのだ。

 だからこそ、ローゼンクロイツ王国はアルム王国を攻めた。
 その結果、自国で塩を賄えるようになったのだ。
 それにより、大陸第二位の領土を持つローゼンクロイツ王国は、今では大陸第一位の超大国となった。
 しかし逆に、塩が自国で賄えなくなると、対外的にかなり不味い状況に追い込まれてしまう。
 それを避けるには、今回の防衛戦に負けるわけにはいかないのであった。

「そんな状況なら、メンツがどうこうとか言ってないで、最初からヴォルフガング軍にお願いしとけば良かったのにな」
「中央貴族って、実利よりメンツが大事なのよ」

 情報通のヘクセと会話をしていて、俺は感じたことを率直に言ったのだが、なんだかなーな答えが返ってきた。

「でも結局、開戦からたった2ヶ月で応援要請がきてるじゃん」
「それは織り込み済みだったと思うよ。たぶん、貴族の派閥間で足の引っ張り合いをしてるんだと思うわ」

 ヘクセが言うには、最初から防衛が上手くいかないのをわかっていて、守りきれなかった派閥を責める。
 ヴォルフガング軍を呼び、上手くいったら自分の手柄にする。
 かといって、最初からヴォルフガング軍を呼んでいては、手柄がヴォルフガング軍のものになる。それは避けねばならない。
 それ以外にも多くの要素があり、様々な駆け引きがされているのだとか。

「だから事前に、ヴォルフガング軍に準備を促していたのよ」
「なるほどね」

 わからなくもない。
 日本の政治家も、言ってみれば貴族のようなもので上級国民様だ。
 そんな上級国民様は、派閥や党で責任の押し付け合いばかりして、下級国民のことなんか考えていない奴等ばかり。
 まずは自分たちのメンツを考え、手柄は自分のもので、問題があれば他人に擦り付ける。
 この世界の貴族もそんな奴等ばかりなのだろう。

「それで、イゴールくんはなんて言ってたの?」
「グレータは今年から軍に所属してるけど、流石に戦争に連れていけないから、留守番で適当な隊を指揮させて、経験を積ませるんだって」
「ほうほう」

 ヴォルフガング家の長子で長女のグレータは、何気に戦闘能力が高いらしい。
 少々おつむの出来が残念らしいが、それが功を奏して変に考えずに直感的な動きをし、結果を出しているのだとか。
 たしかに姉弟で手を組んで俺を殺そうとしていたときも、グレータはすんなりモーリッツの提案を聞き入れ、ろくに考えることもなく『っちゃいましょ』とか言っていた。
 たぶん、”狂狼”と呼ばれる父に一番似てる人物だろう。
 まだ幼さを残す12歳で、小生意気な性格なようだが見目も悪くなく、軍での人気が高いそうだ。

「モーリッツは自分で作った自警団と領都の警邏をしてるから、そのままそれをさせるらしい」
「なるほど」

 ヴォルフガング家長男のモーリッツは、10歳の時点で成人と見紛うくらいに立派な体躯で、11歳になった現状は更に逞しくなっており、見てくれは如何にも脳みそまで筋肉タイプだ。
 しかし、俺の悪評を市井しせいに流すなど、何気に知略寄りの人物である。
 それでいて体格に見合った戦闘能力もあるらしく、警邏中に悪漢を叩きのめしたりしていて、民からの人気はそこそこ高いらしい。

「で俺は、大人しくヴォルフスシャンツェに引き篭もってろ、だってさ」
「あーね」

 ミルヒがガングに来れないのなら、俺がホルシュタイン伯爵領の領都ホルスに行くと言ったら、父からそんなことを言われた。
 更に、なんで引き篭もってないといけないのか聞いたら、「お前は弱いから」と言われ、俺は何も言い返せなかったのだ。

「イゴールくんもなんだかんだルドルフくんに期待してるのよ」
「そうかな?」
「領主であるイゴールくんがヴォルフスルーデル地方を出るってことは、本丸であるヴォルフスシャンツェを守る者が必要なわけでしょ? それを任せられたのは他でもないルドルフくんだよ」
「そうなのかなー?」
「そうに違いないって」

 ヘクセの言い草ももっともな気もするが、あの父が本当に期待しているとは思えない。

「そんなことより、今日こそ魔力操作ができるようにするわよ」
「どうせ無理だし」
「そんな投げやりな気持ちだから駄目なの!」
「わかりましたよ」

 約9ヶ月経っても魔力操作ができない俺は、もう無理ではないかと半ば諦めている。
 それでもヘクセは、こんな俺に根気強く付き合ってくれているのだ。



 月日が流れるのは早いもので、南方の防衛戦が始まって1年少々、父が出兵してから11ヶ月が経った。
 俺の生活は変わらず、日々訓練に明け暮れるも、魔力操作関連はこれっぽっちも進歩がない。
 一方で、11歳を迎えた俺の体型は随分と変わり、今の俺を見てデブやら豚だの言う者はいないだろう。
 身長こそまだまだ低いが、年齢相応だと思うので今後に期待できる。
 顔も、やや吊り目の三白眼で目つきが悪いのを除けば、なかなかイケメンだ。
 髪型も坊ちゃん刈りをやめ、なんとなく伸ばしている。
 自分で言うのもなんだが、心身ともにかなり成長したと思う。

「わ、若様!」
「なんだよ朝から騒がしい」

 なんとなくいつもより早く目覚め、それとなく姿見で確認した自分の姿に満足していると、ノックもなしに慌てた様子のカールが飛び込んできた。

「ミュンドゥングから伝令がやってきて……」
「伝令? 何の知らせだ?」
「お、奥様がお亡くなりになったと……」
「奥様? ……母上! 母上が亡くなったのか?!」 

 カールからもたらされた情報は、青天の霹靂へきれきとでも言うべき、想定外の内容だった。

「そ、そうだ! ベル、ベルはどうしてる?」
「すでに支度も整い、間もなく出発されるかと」
「カール、俺も行くぞ!」
「ですが、若様はヴォルフスシャンツェから出ることを禁じられ――」
「うるさい! 御託はいいからさっさと支度しろ!」
「か、かしこまりました」

 俺はいてもたってもいられず、着の身着のままで急いで馬車に乗った。
 馬車に乗った俺は、今まで感じたことのない感情に心がざわつく。

 俺が母に会うことは、ついぞなかった。
 何だかんだ理由をつけられてヴォルフスシャンツェから出られず、一度も見舞いに行けていなかったからだ。
 それでも、外出禁止が解けたら見舞いに行くつもりではあった。

 俺は気楽に考えていたのだ、”いつでも会える”と。

 過去二度の人生で、俺は親の死に目にあうこともなく親より先に死んでいた。
 いや、日本人時代は実の両親が亡くなっていて、両親だと思っていたのは実母の姉とその夫だと中学生時代に知ったため、正しくは親より後に死んだことになる。
 だがそれでも、育ての親を実の親だと思っていた俺からすると、両親とは俺を育ててくれた伯母夫婦のことだ。
 その観点で言えば、俺は親より先に死んでいたと言えよう。

 侯爵家嫡男時代は、両親と共に処刑されたのかもしれない。
 あのときは訳も分からず火炙りにされたため、両親と俺のどちらが先に死んだのか不明だ。
 だが両親の死を見てもいなければ告げられてもおらず、俺的には親より先に死んだ感覚であった。

 そんな過去の経験から、親が自分より先に死んでしまうとことがありえない、そう心のどこかで思っていたのかもしれない。
 だから俺は、記憶にもない母ではあるが、”俺より先に死なない”そう決めつけていたのだ。

 俺がこの世界で覚醒して2年、毎日の訓練と共に座学で日々様々な知識を教えられてきたが、人はいつか死ねという当たり前のことがわかっていなかった。

 過去の俺であれば、俺を生んだ母という他人が亡くなった、そんな風に思っただけだろう。
 しかし今の俺は違う。
 他者と関わりながら生きる道を歩みはじめ、気に入らないが俺を気にかけてくれているらしい父、俺を甘やかす叔母のベルという肉親と触れ合った。
 他にも多くの者と会話をし、心を通わせたことで、まだ見ぬ母のことも気になっていたのだ。

 だが俺は、父の言いつけを振り切ってでも母の見舞いに行こうとしなかった。
 今になって後悔している。が、後悔してももう遅いのだ。

 何が”心身ともにかなり成長した”だ! 俺は全然成長してないじゃないか!

 ミュンドゥングに向かう馬車の中で、俺はひたすら自分を責め続けた。
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