鬼の閻火とおんぼろ喫茶

碧野葉菜

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エピローグ

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 今までの気持ちを噛みしめるように一度深く頷くと、次はとびきりの笑顔を見せた。
 軽い足取りでキッチンを出る。
 闊歩するように胸を張って。
 ぐんと伸ばした手が垣根の扉を開け放つ。
 すりガラスの店名上に飾られたのは、おばあちゃんと一緒に公園で拾ったまつぼっくりで作ったリース。
 てっぺんについた真っ赤なリボンも、みんなみんな力をくれる。

「いらっしゃいませ」

 雲の切間から光が漏れ出す。
 舞い落ちる恵みの雫を受けながら、佇むように彼は振り向いた。
 私が出ていったあとの心労を物語る痩せた頬に、心臓の辺りがきゅっと軋む。
 なにか言おうと顔を上げては、切なげに俯きを繰り返す彼。
 こんなに寒い中でフリース一枚なんて、身なりに行き届かないのは私と同じだ。
 古くから使っている綿でできたベージュのズボン。その横にぶら下がった手には、四角い箱が持たれていた。実家の近くにある街角のケーキ屋さん。忘れるはずもない、二人きりで暮らしていた時、記念日によく買いに行った。
 雨で入れ物が濡れたせいで中身も湿気っているかもしれない。
 けれどそんなことは重要じゃない。
 誰かを想って選ぶ時、その贈り物には最高の魔法がかかる。
 
「……寒いでしょ、入って」

 開いた扉の先を手のひらで案内する。
 お父さんはあたふたしたあと、頭をかいて背中を丸めた。その左手薬指には、もう輪っかはついていなかった。

 雨上がりの虹は綺麗だ。
 とりあえずはそんな取り留めのない話から始めましょう。
 コーヒーはお好きですか?
 よかったらあなたの味を教えてください。
 卵の焼き加減、承ります。
 中間なんて店主泣かせなことは言わないで。
 ソースにご飯、パスタに食パン、量はご自由に。食べられるだけ頼んでください。
 え、ケチャップはべちゃべちゃがいいって? 
 ふふふ、私と同じですね。
 どうぞ肩を張らず、うちは部屋着でも歓迎ですよ。
 ちょっとくらい傷つけても気にしないで、それも皆様との思い出になります。
 そうそう、鬼もいますけどいいですか?
 幸せを運ぶ鬼なんて珍妙で縁起がいいでしょう。
 節分の時、お外しないであげてくださいね。
 この世に一つのおんぼろ喫茶、いつでもお客様をお待ちしています。




 ――end――
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