鬼の閻火とおんぼろ喫茶

究極の選択

7

「どうぞお引き取りください。お出口はあちらですので」

　私の落ち着き払った様子が癇に障ったのか、蜜香子は立ち上がると今まで見たことのない醜い表情をした。

「なんであんたみたいななんの取り柄もない女が私よりうまくいくのよ、バカにして、絶対に許さな――」

　蜜香子の台詞はそこで途切れた。
　ピンヒールの底がふわりと浮いたかと思うと、気流に腹を押されるように一度に空に舞い上がる。
　紙クズのように巻き上げられた蜜香子の身体は、つるりとしたクリーム色の天井にぶつかって止まった。
　なにが起きているかわからない彼女は、なおも押し寄せる透明な圧に息をつめ、目を見開き嗚咽を漏らしていた。
　私は驚きはしたものの、力の正体を瞬時に理解した。
　パッと見上げた閻火は剣つるぎのように鋭い眼で、宙に浮く彼女を睨みつけていた。

「俺の妻を愚弄するとはいい度胸だ、未来永劫悔やむがいい」

　その瞳が下に移動するとともに、蜜香子自身も床に叩きつけられる。
　操り人形と化した彼女は、うつ伏せでフローリングにめり込むような形で震撼していた。
　
「閻火っ！」

　しばし呆気に取られていた私は、我に返るとすぐに閻火の腕を掴んだ。
　
「そんなことしなくていい、大丈夫だから」

　声をかけて制止すると赤い視線が彼女から私に移る。
　閻火は不服さを残すものの、仕方ない、と言いたげに小さく息をついて術じゅつを解いた。
　身体は楽になったはずなのに腰が抜けたのか、蜜香子は声も持たないままテーブルを支えに這いずるように立ち上がる。
　そして蒼白の肌と恐怖に慄いた目でふらつきながら玄関へ向かった。
　その手が鈴を鳴らした時、素早くあとを追った私は、テーブルに置き忘れたハンドバッグを眼前に提示した。

「お元気で、二度とうちの敷居跨がないでくださいね」

　にーっこりと擬音がつくほど嫌味たっぷりに微笑んでやると、蜜香子はおぼつかない指を持ち手に添え、顔面を痙攣させ開いた扉から逃げるように出ていった。