鬼の閻火とおんぼろ喫茶

碧野葉菜

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究極の選択

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 下町とはいえ関東だ。駅まで徒歩圏内で電車を使えば三十分とかからず東京の都心部にも出られる。上に載っている建物は別としても、土地代だけでなかなかの値段になるそうだ。
 彼女の狙いはこれ。
 おばあちゃんは私を相続人にしていた。
 通常孫に遺産相続の権利はない。
 しかもお父さんと離婚した母方の祖母なので、血は繋がっていても戸籍上は他人なのだ。
 複雑な手続きをしてまで私を後継人に据えてくれた。
 百歳まで現役と言っておきながらしっかり遺言書まで残していたおばあちゃんは本当にすごかったと思う。
 そこでこの女がお金の匂いを嗅ぎつけた。ハイエナなんかよりずっとタチの悪い人間だ。

「萌香ちゃんのために言ってるのよ。こんな潰れかけの店に縋りついたって貴重な青春を無駄にするだけじゃない。今ならまだ間に合うわ、土地を売れば私立の大学にだって行けるわよ、それくらいは分けてあげるから」
「分ける? ここはおばあちゃんの店で……今は私と、私を支えてくれる人たちの大事な場所です」
「箱なんてどうだっていいじゃない。親が子供の財産を受け取るのは当たり前でしょう?」

 歪んだ笑い方のせいか、皺が深く刻んで見える。
 これでも昔は私なりにうまくやろうとがんばった。
 笑顔を絶やさず、わがままを言わず、欲しいものも我慢した。
 そんなある日、学校でお母さんの似顔絵を描く授業があった。数日後、彼女に手渡したはずの紙をゴミ箱で見つけた。ビリビリに破られ無残な姿になった絵を前に、子供心ながら深く傷ついた。 
 お父さんが見ていないところで叩かれたことも何度もある。痣がつくほどの暴力を奮われなかったのが僅かな優しさだと思いたかったけれど、成長すると次第に自分の罪の形跡を残さないためだとわかった。
 お父さんは仕事で帰りが遅く、休みの日は必ず蜜香子が一緒で私はなにも言えなくなってしまった。
 今考えればあの時大声で、脇目も振らず泣き喚いて自己主張していればよかったかもしれない。けれど素直に気持ちを表現するには健全な精神が必要で、当時の私には難しかった。

「御言葉ですが今とても順調なんです。風子やお父さんから聞いてませんか?」

 コーラル色の紅を引いた唇が引き攣る。
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