鬼の閻火とおんぼろ喫茶

碧野葉菜

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転機

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 私はお父さんに、ぽつりぽつりと思いを語った。
 今のお母さんにされたこと、私がどんな気持ちで一緒に暮らしてきたかを。
 ここまで打ち明けずにいたのは、お父さんの笑顔を壊したくなかったから。というのは半分で、残りは自分のため。口に出して言ってしまったら、お前は哀れな存在だとありありと突きつけられる気がして。
 お父さんは黙って聞いていた。
 受け止めてくれる器があるかわからないけれど、通話を切らずにいてくれた。
 私が言葉を切ると、やがて話が終わったと察したのか、一言だけ告げた。

「……すまなかった」

 機器で隔てた向こう側から聞こえたのは、低くかすれた声だった。
 こんなにしゃがれていただろうか。
 少し会わない間のやつれた気配。
 その謝罪は私の変化に気づけなかったことについてか。それとも私よりもあの女を選ぶという意味なのか。
 答えは定かではなかったけれど、追求する気持ちも不満も湧かなかった。
 私にできることは全部した。
 長い間蓄積した腐敗物を綺麗に排出したような、清々しい気分だった。
 
 その後「店に行っても?」と聞くお父さんに「いつかね」とお茶を濁した。
 私はおばあちゃんの店を手放す気なんて一切ないのだから、それを勧めるあの女を認められない。けれどお父さんが愛しているなら仕方ないと思う。誰かを好きになる気持ちは止められないと知ったから。
 それでもいつか、彼女の機嫌を窺うよりも私に会いたいと望んだら。いつでもお父さんが来られるように、笑顔でこの店を守っていたい。
 最後に「身体に気をつけてね」と言うとお父さんは申し訳なさそうに小さく笑った。
 くしゃりと目尻に皺を寄せた笑顔が蘇ると、静かに終話ボタンを押した。
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