鬼の閻火とおんぼろ喫茶

碧野葉菜

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赤鬼と青鬼

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 私が異変を察知したのはこの時だった。
 いつもよりお客様の声が低い気がする。 
 そのくせざわざわと、店全体が落ち着かない空気に包まれているような奇妙な雰囲気だった。
 
「席に着くなり『萌香を出せ』って言われて……萌香って栗添さんのことだよね? ちょっと変わった人なんだけど、大丈夫?」

 耳打ちしながら窺いを立てる店長に、額に手を当て盛大にため息をつく。
 チェーン店の雇われなんだもの、なるべくことを大きくせず穏やかに収めてほしい気持ちはわかる。

「……大丈夫です、たぶん知り合いだと思うので。で、注文は?」
「それが冷たくない料理全部出せとかわけのわからないこと言うんだよ」

 店長の台詞に確信を得る。
 事情を知らないとただの冷やかしか気がふれている人間にしか思えない。
 私はあきらめたように力なく頷くと「運びます」と渋々了承した。
 調理担当がカウンターに出した品を両手で受け取り目的地に向かう。
 暖色系の明かりに照らされ客席に座った人々は仲間同士でこそこそ話したり、身を乗り出して覗いたりしている。好奇心に満ちた眼差しが溢れる道を通り抜け、一番奥のソファー席で足を止めた。
 黒い布でできたやや弾力のある椅子。
 壁面についた二人がけのソファーに、招かれざる客は大層偉そうに腰を据えていた。
 私の部屋にあるファッション誌でも見たのだろうか。深みのあるボルドー色のスーツを嫌味なくらい着こなしている。豪快に開いた両手は肩を抱くようにソファーの背に置かれ、足はしっかりと組まれていた。
 とりあえず額、口、指先に目を配り、尖りがないこと確かめて一安心する。

「……この店、指名制じゃないんですけど」

 じっとりとした目で見ながら嫌味も込めて言ってやる。
 けれど閻火は満足そうに口角を上げるだけで反省の色など微塵もない。
 悪気がないというのは厄介だ。
 そして最も厄介なのはその言動を認めさせてしまう風貌だ。
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