鬼の閻火とおんぼろ喫茶

碧野葉菜

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赤鬼と青鬼

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「あー、美少年の幼なじみさん、こんにちは」
「どうぞどうぞ、食べていってくださいよ」

 注文された商品を運んだり空になった食器を下げたり、客席とカウンターを行き来する店員たちが声をかけてくる。 
 藍之介がここで食事をしたことはないけれど、うちが閉店したあとの流れで一緒に来たことが何度かある。
 二人で出かけている時にアルバイトの子と遭遇したこともあるので、藍之介の顔はここでもある程度知られている。
 藍之介といるところを見た女の子はまず「彼氏ですか?」と聞く。違うと言えば「じゃあ紹介してくださいよ」と来る。そして藍之介に聞いてみて断られたから無理だと返事をする流れだ。
 このアルバイト先でもそんなやり取りはすでに終えている。
 ふと、藍之介の弧を描いた眉がぴくりと動く。
 なにかに気づいたようにレジの手前から客席に視線を投げかけた。
 
「どうかした?」
「……いや、なんでもないよ。じゃあまたあとでね」

 私の答えを聞かずして藍之介が言い終わる。
 同時に後方から「栗添さーん!」と呼ばれる声がして、振り向きざまに返事をした。
 再度隣に視線を戻すと、もうそこには誰もいなかった。
 音も立てず風のように消える。
 藍之介はそんな時がある。
 さっきまでいなかったのに気づけば近くに立っていて、驚くこともよくあった。
 子供の頃「藍之介って忍者みたい」と言うと「それよりもっとすごいものだよ」って少し寂しそうに笑っていた。
 藍之介が出ていったであろう引き戸に背を向け、仕事に戻る。
 遠巻きにいた店長が早く早くと言わんばかりに手招きをするので、糸で引っ張られるかのように急いで現場にたどり着いた。
 三十代半ば、中肉中背に短髪の男性がこの店では一番偉い人だ。

「君に指名が入ってるんだけど」

 駆けつけるなり予想外のことを言われ、傍らに立つ彼を凝視した。
 この店はいつから指名制になったのだ。
 それこそ夜の蝶じゃあるまいし。
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