鬼の閻火とおんぼろ喫茶

碧野葉菜

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原点回帰

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「感謝の気持ちは行動で示すべきだろう。キッスで許してやる」

 嫌な予感がすると思ったけれど、やっぱり。
 なんとなく閻火の表情の変化で次に言うことがわかってきた気がする。

「とりあえずキッスって言い方をやめてください」
「む? ならチュウか?」
「やめてください、虫唾が走るんで。普通にキスで……」

 額に手を置き呼吸を整える。
 キッスだのチュウだの、そんな議論をしている時点で平和だと思う。
 冷静に考えてみてあのすごい力の謝礼がキスというのは、拍子抜けするレベルだ。
 少しくらい譲歩してもいいかもしれない。
 
「……ほっぺになら」

 閻火はやや不服そうな顔をしつつも「仕方がない」と了承した。
 身長差を埋めるため閻火が前かがみになると、燃えるような赤毛がさらりと落ちてくる。
 真っ直ぐに伸びた虹色の角が青空の日差しを浴びてきらきら光る。
 閉じた瞼にかぶさる髪と同じ色の長いまつ毛に、つい見惚れてしまう自分がいた。
 違う違う、とぶんぶん首を横に振ると、気合いを入れて目を瞑る。
 当然そうすると前が見えない。かといって目を見開いたままするのも違う気がする。
 迷った私は間を取って薄目でやることにした。

 頬なら海外だと友達同士でするくらいだし。
 そう言い聞かせながらつま先立ちをし、あと数センチで閻火の肌に唇が触れようとした時だった。
 突然目を開けこちらを振り向いた閻火と、口と口がぶつかった。
 なにが起きたか理解するまで時間がかかった。
 あんぐりと開いた口に柔らかな感触が残っているのを認識すると、熱が上がってくる。
 閻火はそんな私を見ながら、愉快そうに目を細めている。
 ――騙された。

「ちょ、ちょっと、嘘ついちゃダメなんじゃないんですか!?」
「誰も最中にそちらを振り向かない、とは言っていないだろう」

 ぎゃあ。揚げ足だそんなの。納得いかない。
 これはあれだ。幼児期にふざけて遊んでいたら親や兄弟としてしまった場合と同じだ。
 親族と鬼は数には入りません。

「さ、最悪、初めてだったのに……!」
「なにぃっ、それはめでたい!」

 私のなけなしの乙女心などどこ吹く風、閻火は上機嫌で手足を広げた。

「この閻火が萌香の初めての男であるぞーーっ!!」

 地球の果てまで届くような轟音が北の大地にこだました。
 翌朝ネットニュースのトップに取り上げられていた見出しはこうだ。

『十勝に謎の咆哮、神の怒りか!?』

 いや、閻魔大王、歓喜の雄叫びです。
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