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受難曲(パッション)
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最高の理由を携え、親戚との約束を断るべくリビングまで歩く。檜色のドアの中央に入ったすりガラスから、対面キッチンに立つ母さんの背中と、その前にあるダイニングチェアに座った父さんの横顔が見えた。
俺が二階にいる間に、仕事から帰ってきたらしい。重役勤務ってやつか、最近は夕方に帰宅することも珍しくない。行動が早い父さんはすでにスーツから部屋着になって、新聞を読んでいた。
少し開いたままのドアから、俺も中に入ろうとノブに手を伸ばす。
「やっぱり、たっちゃんはあの子が好きなんやろか」
ドアの隙間から聞こえた母さんの声に、ピタリと動きを止める。
「あの子って、春歌ちゃんか?」
「そう。中学生になってからは、あまり言わんようになったけど……あれからもずっと仲良くしてるみたい」
息を潜めて、聴覚を研ぎ澄ます。母さんはドアに背中を向けているし、父さんは新聞を見ているから、俺の存在に気づかんかった。
「この間、久しぶりに家に来た言うてたな」
「私もずいぶん久しぶりに会ったけど、ますます気が強くなった感じがしたわ、小さい頃から愛想なかったけど、お母さんは暗くて幼稚園の時に会ったきりやし……なんであんな子がええんやろね、ゆうちゃんの方がずっと可愛いのに」
足に大きな重りをつけられたよう。軽かった体が嘘のように、暗い海の底に沈んでゆく感覚。
シンクの水道水の音、新聞紙をめくる音、いつもの生活音に混ざって繰り広げられる会話は、なにより残酷で狂気に満ちている。
「でもその子、心臓悪いんやろ。どうせ短い命やし、気を揉む必要ないわ」
「そうやね、きっと、近いうちにええ思い出に変わるわよね」
この時、俺は初めて、親が嫌いやと思った。
戦慄く手でドアノブを強く握り、突き飛ばすように開ける。するとようやく俺に気づいた二人が、驚いた顔でこちらを振り向いた。
「俺、親戚の集まり、行かんから」
二人が口を開く前に、ハッキリとした口調で宣言した。あっけに取られた両親を見ると、ほんの少し胸がスッとした。
必要なことを言い終わったから、また部屋に戻ろうと踵を返す。すると廊下を歩く俺の後ろから、急ぐ足音が迫ってきた。
Tシャツの裾を掴まれ、半ば強制的に立ち止まる。見んでも、気配で母さんやとわかる。今どれだけ必死な表情をしてるんかも。
「どうしたん急に、もしかしてゆうちゃんと――」
急でもないし、なにかにつけて優希を出すなって。希望が大半の疑問を投げかけるんはやめてほしい。それって結局は親の夢で、俺のやない。そんなことにすら気づかんって、この人たちは俺のなにを見てるんやろう。
「違う。好きな子とデート」
幻想を砕きたくて、咄嗟に放った氷の弓矢。突き刺さったかどうかなんて、知りたくない。見たくもない。
階段を走って上りながら、今日の出来事が脳内を駆け巡る。
あんなに淡々と、平然と、なにを言った?
なぁ、春歌、俺は悔しい。自分のことやないのに、お前が卑下されるんは、心臓を絞られる思いや。
だから俺は心に決めた。春歌に告白するって。
俺が二階にいる間に、仕事から帰ってきたらしい。重役勤務ってやつか、最近は夕方に帰宅することも珍しくない。行動が早い父さんはすでにスーツから部屋着になって、新聞を読んでいた。
少し開いたままのドアから、俺も中に入ろうとノブに手を伸ばす。
「やっぱり、たっちゃんはあの子が好きなんやろか」
ドアの隙間から聞こえた母さんの声に、ピタリと動きを止める。
「あの子って、春歌ちゃんか?」
「そう。中学生になってからは、あまり言わんようになったけど……あれからもずっと仲良くしてるみたい」
息を潜めて、聴覚を研ぎ澄ます。母さんはドアに背中を向けているし、父さんは新聞を見ているから、俺の存在に気づかんかった。
「この間、久しぶりに家に来た言うてたな」
「私もずいぶん久しぶりに会ったけど、ますます気が強くなった感じがしたわ、小さい頃から愛想なかったけど、お母さんは暗くて幼稚園の時に会ったきりやし……なんであんな子がええんやろね、ゆうちゃんの方がずっと可愛いのに」
足に大きな重りをつけられたよう。軽かった体が嘘のように、暗い海の底に沈んでゆく感覚。
シンクの水道水の音、新聞紙をめくる音、いつもの生活音に混ざって繰り広げられる会話は、なにより残酷で狂気に満ちている。
「でもその子、心臓悪いんやろ。どうせ短い命やし、気を揉む必要ないわ」
「そうやね、きっと、近いうちにええ思い出に変わるわよね」
この時、俺は初めて、親が嫌いやと思った。
戦慄く手でドアノブを強く握り、突き飛ばすように開ける。するとようやく俺に気づいた二人が、驚いた顔でこちらを振り向いた。
「俺、親戚の集まり、行かんから」
二人が口を開く前に、ハッキリとした口調で宣言した。あっけに取られた両親を見ると、ほんの少し胸がスッとした。
必要なことを言い終わったから、また部屋に戻ろうと踵を返す。すると廊下を歩く俺の後ろから、急ぐ足音が迫ってきた。
Tシャツの裾を掴まれ、半ば強制的に立ち止まる。見んでも、気配で母さんやとわかる。今どれだけ必死な表情をしてるんかも。
「どうしたん急に、もしかしてゆうちゃんと――」
急でもないし、なにかにつけて優希を出すなって。希望が大半の疑問を投げかけるんはやめてほしい。それって結局は親の夢で、俺のやない。そんなことにすら気づかんって、この人たちは俺のなにを見てるんやろう。
「違う。好きな子とデート」
幻想を砕きたくて、咄嗟に放った氷の弓矢。突き刺さったかどうかなんて、知りたくない。見たくもない。
階段を走って上りながら、今日の出来事が脳内を駆け巡る。
あんなに淡々と、平然と、なにを言った?
なぁ、春歌、俺は悔しい。自分のことやないのに、お前が卑下されるんは、心臓を絞られる思いや。
だから俺は心に決めた。春歌に告白するって。
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