アオハルのタクト

碧野葉菜

文字の大きさ
上 下
27 / 70
夢想曲(トロイメライ)

17

しおりを挟む
「ああ、そ、そう、やな……まあ、まあまあ、やったんちゃう」

 スマホの角度を調節するふりをして、手の甲で額の汗を拭い、表情を整える。粉々に砕け散った心のなにかを、懸命に拾い集めて、振り返った。
 すると春歌はすでに立ち上がり、席を退いていた。そしてピアノの脇に立ち、俺に小さな笑みを向けている。
 行かなければ。次は俺の番や。重い足を持ち上げ、ピアノの椅子に腰を下ろす。
 大丈夫や、楽譜を見んでも弾けるくらい、あんなに練習した。得意な方の曲やし、落ち着きさえすれば――。
 気持ちの整理の途中で、肩に手が置かれる。そっと訪れた耳元の気配に、すべてを持っていかれる予感がした。

「まさか失敗なんてしないよ、ねぇ、せんせ?」

 耳たぶに触れる生温かな吐息。鼓膜を通して、俺の視神経に響く。  
 
「早く弾いてね、もう今から撮るし」

 さらりと流れる繊細な髪が、俺の頬をかすめて去ってゆく。必要に迫られ、逃げ道がなくなる。この期に及んで、手に汗を握るなんて、冗談やない。
 コンクールの時と同じや。怖いのは最初だけ。指を動かせば、後は自然とついてくる、体が弾き方を覚えているから。
 始まりは緩やかに、優しく、目を閉じて小鳥の囀りに耳を澄ますイメージで。問題は中盤や。激しくも切なく、螺旋のような旋律を繰り返す。
 あれ……これでほんまに合ってるか、俺は今までどんなふうに弾いてた?
 春歌は、どんなふうに――。
 
「あっ」

 躓いた。本番中に、声を出した。指の動きが最も速い場所で。一箇所遅れると、全部ずれてゆく。焦ってリズムを取り戻そうとして、イメージどころやなくなる。情緒はどこに行った。俺の「別れの曲」は――。
 最後の鍵盤の音が消えてゆくと、荒い呼吸音が目立つ。全力疾走したみたいに、肩で息をする俺の耳に、パチパチとまばらな拍手が聞こえた。
 振り返った先におった春歌は、俺のベッドに座っている。賞賛の反応やないことは、すぐにわかった。あくびをしながら手を打っている。とりあえず、もしくは、バカにしてるんか。それから気だるそうに腰を上げた春歌は、そばに設置されたスマホを操作し録画機能を止めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

処理中です...