A*Iのキモチ

FEEL

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「でもこれ、特に面白そうなイベントもないけど。いいのか?」
「問題ないでしょう。参考資料でも特に何かをするわけでもなく、会話をしながら館内を回っているだけでした」
「言い方……」
「他の場所も検討しますか?」
「いや、いいよここで」
「そうですか。わかりました」

 ほかに行きたいところもなかった俺は了承すると。愛はパンフレットを片しはじめる。

「日時は四日後、今週の休日で大丈夫でしょうか?」
「あぁ、いいよ」

 片しながら言う愛に返事をする。鞄にパンフレットを直す彼女は、少しだけ嬉しそうに見えた。

 嬉しそう?

 そう思ってから俺はハッとした。何を馬鹿なことを。愛には感情がないというのに。それどころか、これから感情を学ぼうとしている。なのに嬉しく見えたとしたらデートに向かう意味がない。
 多分俺は、彼女とAを重ねて見ている。Aならきっと、いっしょに遊びにいくことを楽しそうにしてくれる。そういう願望を愛に投影して喜んでいるように感じただけだ。
 言い聞かせるように思えば思うほど、自分の行動が浅ましく感じて気分が落ちていった。一度気分が落ち込むと、さっきまで考えずにいた夏凪の姿が再びよみがえってくる。

「どうしました? また表情が険しくなってますけど」

 俺に話しかける愛の表情は感情が読み取れない。やっぱり嬉しく見えたのは俺の妄想なのかと思った。彼女の瞳は無機質で、光がない。十二月晦がいった言葉をふと思い出した。
 感情がないのは本能がないから。だとすれば、彼女のガラス玉のような瞳は彼女の中身に何も入っていないからそう見えるのだろう。愛は俺とのデートを楽しむわけではなく、目的に沿って動いているだけ。
 同じ時間に部屋を回る掃除ロボット、音に反応して適当な声を返す玩具。言い方は酷いが今の彼女はそれと同じ存在なのだ。だから決して勘違いをしてはいけない。彼女はAではないのだから。

「あの……」
「大丈夫、何でもないよ」
「そう、ですか」

 愛と同じように俺は淡々と言葉を返した。意図せず意趣返しをしてしまったことに少しだけ申し訳なさを感じたが、すぐに気持ちを切り替えた。このまま気分に振り回されていると、何が妄想で何が現実かわからなくなってくる。

「そろそろ教室に戻ろうか」
「はい、わかりました」

 愛がついてくるのを確認してから教室に戻る。片づけを終えて立ち上がった少女は人形のような表情をした、まごうことなき愛そのものだった。



 授業が終わってから夏凪に経緯を説明しようとした。しかし、話しかけるまえに夏凪は教室を出てしまった。いつもならあっちからやってきて、挨拶を交わしていたのに。いつもと違う態度に俺はいよいよ危機感を覚え始めていた。追いかけて話をしようか……いや、夏凪は俺と話しをしたくなくて挨拶もせずに帰ったんだ。なのに追いかけてしまうと更にややこしいことになってしまう気がする。
 どうしようかと悩んでいると、愛がこちらにやってきた。時間切れだ。

「翔琉君。帰りましょう」
「……わかった」

 返り支度を終わらせてから愛と一緒に教室を出た。
 どのみち夏凪と話をしたところで、その会話は十二月晦に聞かれているかも知れない。そうなれば愛の正体をばらしたということで彼女は何かをしてくるだろう。せめて話をするのなら、プライバシーが確保出来た場所だ。そうなると自分の部屋ぐらいしか思いつかないが、果たして夏凪は来てくれるだろうか。

「あ……」
「どうした?」

 息を漏らした愛に気付いて声をかけると、見たくもない光景が視界に広がった。Aが死んでしまった事故現場だ。考え事をしている内に、無意識に普段使っていたルートを取っていたようだ。
 ガードレールの下に置かれた献花はまだまだ新しいものが置かれていた。事故が起きてから暫く経つが、今でもAのために通いつめている人間がいるということだ。彼女の人気ぶりが嬉しい反面、いなくなってしまったのが現実なのだと思い知らされる。
 新品に交換されたガードレールを見ながら記憶を反芻する。彼女の顔こそ出てくるがやはり名前は思い出せない。それに深く考えると頭がずきずきと痛み出してそれ以上思い出すことが出来なくなった。
 あれだけ好きだった人のことの名前が思い出せない。それはとても悲しいことだ。頭ではそう思っていても、俺が壊れないように本能が感情を抑制する。これだと俺も、愛と同じようなものじゃないか。

「どうかしましたか?」

 ずっと立ち止まっていたからか、愛が声をかけてきた。心配そうな台詞と声の調子があってなくて、少し変な感覚になった。

「ここで大事な人が死んだんだ」
「Aさんですね。データに彼女の情報が入っています」
「Aの?」

 愛は頷く。

「在籍している学校生徒の情報はすべてデータに含まれていますが、Aさんの情報は特に綿密に書き込まれています。おそらく重要度の高いデータなのかと」
「そっか……」

 十二月晦の話しだと、彼女はAと俺の関係を知ったうえで愛を後がまに据えた。それならばAの情報が特別多かったとしても何も不思議はないと思った。むしろ十二月晦の徹底ぶりがうかがい知れる。彼女はそこまでして愛に感情というものを教え込みたいのだ。そのために俺の気持ちを弄んでしまったとしても。
 そこまで考えてふと疑問に思った。どうしてそこまで徹底しているのだろうか?
 十二月晦五月という人物のことは表面しか知らない。だから完璧主義だとか妥協が出来ないとか、そういう性分なのかとなんとなく考えていた。しかし、それなら愛の存在が他に気付かれてはいけないのはなぜだ?
 彼女が完璧主義や効率を優先する人間なのなら、むしろ率先してバラすべきなのだ。なにせ愛は無知な俺から見ても叡智の結晶だ。愛の存在が知れ渡れば、世の科学者たちがその先を見たくて率先して協力してくるのは間違いないと思った。
 だが彼女は愛の存在を隠した。そうなると完璧主義が取る行動とはほど遠い、不確かで曖昧な研究に実を費やさなければならない。
 愛の感情学習と彼女の秘匿。この二つは矛盾している。俺でもわかるんだから十二月晦がわからないはずはない。となるとそこには意図があるのだ。何かしらの意図が。

「お前はなんで俺と恋愛しないといけないのか、わからないのか?」
「それはそうプログラムされているからです」
「そういう話じゃなくてさ、なんでプログラムされているのかって話」
「それは……わかりません。考えたこともありませんでした」

 愛は意外そうな面持ちで考え込んで見せた。人間味を感じるその仕草に俺は少しだけ驚いた。相変わらずだと思った彼女の態度に少しずつ人間らしさが見えている。思い返せばデートの提案も愛からだった。

「愛。考えてるところ悪いんだけどさ、デートの話ってお前が考えたのか?」
「はい。より円滑な恋愛行動を取るために思案しました」
「やっぱりか。凄い学習能力だな」
「学習……私は上手く学習できているのでしょうか?」
「あぁ。ちょっと前にいきなりビームぶっぱなしてたロボットがデートのお誘いなんて、かなり女の子に見えてきたよ」
「そう、ですか」

 口ごもる愛は含みのある態度を見せた。もじもじとからだを揺らし、しきりに充電器を兼ねている髪を気にしている。

「どうした、何かあったか?」
「わからないんです」
「何が?」
「何があったのか、わからないんです」

 要点を得ない問答に、俺は首を傾げた。

「何だか体に不備がある気がするのですが、スキャンしてみても問題がないんです。でも平常時とは何かが違う……私、何か不具合が起きているのでしょうか?」
「わからない。わからないけど――問題はないんじゃないか?」
「いえ、でも問題が起きているのなら対処しないと」
「俺もよくわかんないんだけど、深刻じゃないんだろ?」
「恐らく、機能は正常です」
「だったら問題ないよ。そもそも俺も含めて人間なんてどこかしら壊れてるものだと思うし、常に何かが足りてないもんだよ。それでも問題なく過ごせている。愛が求めているのは感情なんだろう? だったら人間と同じ、自分のことがよくわからないってぐらいが丁度いいんじゃないかな」
「そう……でしょうか?」

 困惑する愛に俺は頷いてみせた。
 実際のところ、専門家じゃないから愛の状態がどうなっているのかなんてわからない。でも今話している彼女の姿が、とても人間らしく見えてしまって、俺はそんな仕草を見せる愛がいいと思ってしまった。それに本当に深刻な事態なら、五月晦が駆けつけてくるだろうという考えもあった。愛が目的を果たす前に壊れてしまうのは十二月晦も望んでいないはずだ。
 だから俺は、自分の気持ちをそのまま伝えた。困惑しながらも了承した愛の姿は、記憶に残るAとの日々を少しだけ思い返させるようだった。

「そろそろ帰ろう、冷えてきた」
「わかりました」

 話し込んでいる間に、陽は陰り始めていた。車の通りも多くなってきて立ち止まっているのは危険だと感じて自転車のペダルを踏んだ。その場から離れる時、供えられていた花を見ると、風に揺られて小さな花弁揺れていた。

「あれは、藤……?」

 プランターと一緒に供えられた藤の木が目に入った。見た時は何とも思わなかったが、改めて見ると献花としてはかなり異質だ。綺麗に手入れされた藤の木は見るからに元気で、供えられて間もないか、小まめに手入れをされているように思えた。この木を持ってきたのも定期的に花を添えている人なのだろうか。なんとなくそう思いながら、帰路についた。
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