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時刻表のないバス停(希望浜) ④

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「お腹がすいたね。君は大丈夫?」

 女の子は体育座りの脚の間に顔を落として眠っているようだったが、僕の問いかけに首を上げた。

「でもこのあたりにお店なんて無いんじゃないかしら?」

「向こうにわたって、もっと賑やかそうな街中に行けばきっとあるはずだけど、行ってみる?ここにずっといたって、いつバスがやって来るか分からないもんね」

 女の子は少し考える素振りをしたあと、「ううん、ここでバスを待つわ。今日はきっと来るから」と言い、自分に言い聞かせるように大きく一度だけ頷いた。

「じゃあおじさんも待つよ。君をひとりで置いとけないから」

「ありがと」と彼女はホッとしたような表情になり、それからバッグに手を突っ込んでチョコの箱を取り出し、ひと欠片をパキッと音を立てて割り、それを口の中にゆっくりと沈めた。

「美味しい~」

「そんなに美味しいって言ってもらえると嬉しいね。まだあとふた箱あるから心配ない」

 僕は自分のバッグを右手で軽く叩きながら言った。

「うん、チョコ大好きなの」

 それから僕はバスの待合室から出て、日本海側を向いて柔軟体操をした。この三日あまり、歩き通したあとは板敷のベンチで寝たため、背中が平板のように固くなっていた。

 身体を上下左右にほぐして何度かジャンプすると、ずいぶんと軽くなったような気がして気力も復活してきた。
 振り向くと女の子も待合室から出てきていて、ラジオ体操のような仕草で身体を動かしていた。彼女のその姿を昔どこかで見たような錯覚に一瞬陥ったが、そんなことはあり得るはずもなかった。

「君は大島からって言ってたけど、どこにあるの?」

「大島は竹藪の向こうに行けば、海のずっと先の方に見えるよ」

「見たいな、大島」

「でも、バスが来ちゃうと困るでしょ」

「じゃあ、君はここで待ってて。おじさんがちょっとだけ浜の方へ行ってくるから。もしもその間にバスがやって来たら、運転手さんに少しだけ待ってもらってくれるかな。今までさんざん僕たちを待たせたんだから、それくらい大丈夫だよ」

 女の子は「分かった。早く戻ってきてね」と言った。

 僕はバッグを彼女にあずけて竹藪の方へ急ぎ足で向かい、海からの潮風で枯れ木に近くなった松林と竹藪をかき分けて海辺へ出ると、抜け出たところはサラサラの砂浜で、僕の足を柔らかく包み込むように迎えてくれた。

 周りの風景と遠くの景色を眺めてみて、これまでこんなに綺麗な浜辺を見たことがないと思った。しばらくはゴミひとつ落ちていない砂浜と、その先に静かに寄せては戻るさざ波に見惚れていたが、思い起こして顔を上げてみると海の青の向こうに小さな島が見えた。あれが大島なのだろう。

 それは、真っ青な海と水色の空との狭間に浮かんでいるような神秘的な島に思えた。かつて観た映画の冒頭シーンにもこのような場面があった気がしたが、何という映画だったかを思い出せなかった。

 僕は十五分あまりもその情景に釘付けになっていた。女の子がバス停で待っていることが頭から消えていることにハッと気づき、急いで戻った。竹やぶを抜けてバス停が見えると、トタン屋根の待合室の向こうにバスが停車していた。

「おじさん、早く、早く!」

 女の子の声が僕を呼んでいた。

 ようやくやって来たバスはかなり年季が入ったオンボロバスで、エアコンなんて洒落たものはもちろん付いていなくて、座席の皮シートのところどころに破れが見え、中のクッションが剥き出しになっていた。

 でも僕はそんなことよりも、バスが到着したことにホッとして、女の子と並んで真ん中あたりの座席についた。
バスには三人の乗客がいた。ひとりは運転席のすぐ後ろの席にいた老婆で、あと二人は最後尾の長いシートに座っている若いカップルだった。

 バスは僕たちが座ったのを確かめてから、ブルンブルンと大きなエンジン音を立てて出発した。少し開いた窓から土埃が入って来そうだったので慌てて閉めようとしたが、留め金が錆び付いていてまったく動かなかった。

「埃が入ってくるから席を替わろう」

「じゃ、空いてるから向こうの通路側に座るわ」

 ボクと女の子は通路を挟んで並ぶように座り直した。

 バスは出発して海沿いの道路をひたむきに走った。途中、バス停の目印が何箇所か見えたが、バスは気にもせず素通りして走り続けるのであった。

「ねえ、このバスは次にどこに停るの?」

「分かんないわ、だって私も初めて乗るんだもん」

 ほかの三人の乗客の様子を眺めてみると、最前席の老婆は居眠りをしているし、最後尾のカップルといえば笑いながら戯れ合っている風で、それぞれの目的地は知る由もないが、不安な表情ひとつ見受けられなかった。僕は揺れるバスの通路を注意深く歩き、運転席の横に立った。

「運転手さん、このバスは次にどこに停車するんですか?」

 もう初老近くにも見える運転手は、前方にしっかりと目を据えて、大きなハンドルを左右に小刻みに動かしながら、チラッとこちらを見た。

「次は後ろのふたりが降りるところだで、まだずっと先だな」

「ずっと先って、どこです?」

「益田で降りるちゃ」

 運転手は前方と僕の方とを交互にチラチラ見ながら言った。

「その次はどちらですか?」

「なしてそげなこと訊くんね?」

「いえ、皆行き先をちゃんと告げているんですね」

 運転手は僕の言葉に不思議そうな表情を見せ、「アンタは安来に行くんじゃろ?そやけど、今日は江津までしか行かんからね。昨日もろくすっぽ寝ちょらんでな」と言った。

 なぜ行き先が安来だと知っているのか唖然としている僕に、さらに彼は「一緒のお嬢ちゃんも安来に行くんじゃろ?そう指示が出とるっちゃ」と言うのであった。

「今夜は江津で停るから、バスの中で寝ればよかろうって。婆さんは出雲じゃけ、明日の昼までには着くがね」

 運転手はこちらを向いてニヤっと笑い、「心配せんでもちゃんと明日のうちには安来に連れて行くっちゃ」と言った。

「なぜ、安来って分かるんです?行き先をまだあなたに告げてないですよ」

「このバスは必要としたお客さんがいるときだけ走るっちゃ。行き先もお客さんが思ったところへ行くことになっちょる」

「そんな・・・」

 運転手はそれきりこちらを向かず、注意深く前方を睨みつけながらバスを走らせた。僕は呆然として席に戻り、女の子に「ねえ、君は安来に行くの?」と訊いてみた。

「そうよ、安来よ」

「おじさんも同じなんだよ。ちょっと頭が痛くなってきた」

 女の子は「フフッ」と微笑んで、バッグからチョコの箱を取り出し、またひと欠片をパキッと音を立てて割り、ゆっくりと口に運んだ。

 これはおそらく夢に違いない。いつ夢が覚めるのだろうと、僕は窓の外に広がる日本海を見ながらため息を吐いた。

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