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戻るべき場所 14
しおりを挟む第14話
僕は今、部屋の窓から眼下に大阪の風景が広がっている山の上の病院にいる。
JRと阪急電車の高架のずっと向こうに淀川がほんの微かに見える。
山間部の短い距離の部分を新幹線の高架が走っていて、トンネルから突然現れた美しいフォルムを描く新幹線列車は、ほんの数秒間だけ疾風のように勇ましく駆け抜け、次のトンネルに消える。毎回見惚れてしまう光景である。
もうここに入って十年あまりにもなる。
でもずっとこの病院で治療しているわけではない。
むしろ病院を出て社会復帰していた年月のほうが長い位だ。
由美子から「別れる必要」を宣告されたあと、しばらく僕は誰とも接触を持たず、まるで廃人のような暮らしを送った。
蓄えがなくなればそれで終わり、自殺のマニュアル本なんかを買ってきて、最終行為の手段の選択に迷っていた。
由美子は二ヶ月か三ヶ月おきに僕の様子を見に来てくれた。
彼女は幸せへ突き進みながらも僕のことをずっと気にかけてくれていた。
彼女が来てくれるたびに僕は一瞬だけ喜びに浸れるのだが、一緒にいる時間が長くなればなるほど、あの恐ろしい夜のことがよみがえってきて身体が震えだす。
「もう無理に来なくてもいいよ」と由美子に訴えると、彼女は彼女で「そんなこと言わないで、辛くなるから」と言って泣く、ということを繰り返していた。
もはや僕と由美子とは元に戻ることなど不可能なのだ。
だが、彼女は次の男性へ移った多くの女性が、前の男と共有した時間をテレビを切るように消去するようなことはせず、別れる必要があった僕の元へ、忘れる必要など感じることもなく定期的に来てくれた。
そんな律儀ともいえる由美子がときどき会いに来てくれるたびに、僕は嬉しさと不安とを伴った複雑な気持ちでドアを開けるのだった。
由美子の勧めでこの病院に相談したのが、彼女に振られた翌年の平成十一年春のことだった。
年が明けてから職場にいったんは復帰したのだが、仕事中や会社への行き帰りの雑踏の中で突然こころが破裂した。
そのたびに、その場に蹲って動けなくなってしまうことや、大声で意味不明なことを叫びながら走り出すといったことを繰り返した。
警察に保護されたときに身内の人の連絡先を聞かれたが、「身内は誰もいない。でもすぐに来てくれる人がひとりだけいる」と、そのたびに僕は言った。
由美子はすぐに駆けつけてくれた。
「リョウ、可哀相なリョウ、もう大丈夫よ」
由美子は警察に来てくれたとき、最初にそう言った。
でも僕は可哀相な男だとは決して思わなかった。
なぜなら、連絡すると、すぐに駆けつけてくれる由美子が存在しているのだから。
「ユミ、僕はもうだめだな。働けない人間になってしまったよ」
「そんなことないわ。ゆっくりと治せばいいのよ」
「いや、だめだろう。僕はきっと重い病気なんだ。落ち着いているときと、パニックになったときの差が激しすぎる。自分ではどうすることもできないんだよ。生まれつきの性質に違いない」
「私の責任なのよ。ごめんなさい」
「ユミに責任なんてあるわけないじゃないか。ユミはむしろ被害者なんだよ。顔面神経麻痺だって、僕の異常な気持ちがユミには大きなストレスとなっていたことが原因に違いないんだから」
確かに僕は異常とも言えるほど由美子を愛した。
でもその愛は自己愛の裏返しに他ならなかった。
いくら由美子を思う気持ちが強烈だったとしても、それは自分のためのものだった。
こころの浅い位置で僕は由美子を激しく思っていたに過ぎず、彼女を形成しているすべてのものを僕は愛しいと思っていたが、それは今になって考えてみると押し付けの愛情だったに違いなかった。
由美子を一途に愛している自分自身を愛しく感じていたに過ぎなかった。
由美子の立場や気持ちを汲み取っての愛情ではなく、こころの深い位置の愛とは程遠いものだったのだ。
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