100 / 194
翌木曜日
12
しおりを挟む
そしてリビングのテレビを点けると、車道を爆走する自転車の後ろ姿が映し出された。
どうやらニュース番組のようだ。見慣れた街並みなのでローカル情報なんだろうな、と原田はその自転車ライダーの背中を見ている。
じきに赤信号で自転車が停まり、カメラが自転車に追いつき、真横からそのライダーの顔を捉えた。
そして、自転車のハンドルを握ったまま振り向いた君島と、目が合った。
あまりに驚いたので原田は持っていたリモコンを落とした。
それと同時に、玄関が開く音がして声が聞こえた。
「ただいまーーーーっ!」
どどどどっと廊下を走る音が聞こえ、ドアがバンと開けられ、
登場したのは今テレビに映っていた君島。
「あーっ!今頃起きたんだ?!僕らがどんな苦労したと思ってるんだ!」
と原田に向かって叫び、ちらりと視線を外してテレビ画面に映っている自分の姿を見つけて、続けて叫ぶ。
「これ見て!ここここ!ここの角で撒くから!ねっ!僕ここでカメラ全員置き去りにしたんだよ!」
直後、画面から自転車の君島が消えた。
『さすがだね、秋ちゃん』
『まぁね!朱鷺ちゃんも来てくれてありがとう』
朱鷺が手話で褒め、君島も手話で応える。
そして、ニュースは次の話題に移った。
特に今の映像の解説注釈もなし。
茫然と突っ立ったまま、原田が振り向いて君島に訊いた。
「……なんなんだ?なんでお前の逃走模様がニュースになってるんだ?」
「えー。説明するの面倒」
「朝までそこに報道が詰めかけてたっていうのは?」
「そうそう。カメラマンが敷地内にまで踏み込んだからね、僕が蹴っておいた」
「は?」
「それで、食べ物も飲み物もないし僕は買い出しに出掛けたんだけど、途中で朱鷺ちゃんに連絡つけたら妙さんが怒ってて、僕たちの許可があったらいつでも弁護士でも政治家でも役人でも動かすっていうからとりあえず僕の名前で頼んでおいた」
「は?」
「多分放送局の上層部に警告が行ったと思う。他のメディアにもね、それなりの圧力が掛かったはず。一般視聴者からの苦情も殺到したらしいから、多分今後は僕らの映像は流れない。今のが最後だと思う。それから榎本さんにも連絡して制服警官を派遣してもらった」
「……」
「なんか、甘かったよね。こんなに世間が容赦ないとは思ってなかったよ」
君島が頭を掻いた。
原田も頭を掻いて、首を傾げた。
寝ている間に色々あったようだ。が、やはりわからない。話が大きすぎる。君島の説明でもわからない。
一体誰に訊けばわかるんだ?妙さんか?いや、妙さんは事件自体を知らない。しかしいずれにしても橘家に礼に行かなければならないだろうな。
それはそれとして、事件から何もかも全て知っていると言えば、
……警察か。
いや、警察は事件の後のこの家のことは知らないだろう。
結局わからないのか。
原田がため息をつき、天井を見上げる。
その時にふと、頭の中に声がよぎった。
『たまにね。事件が解決した後にお礼に来てくれる人がいる』
耳元で囁かれた低い声。
『そういう時はおまわりさんになってよかったなって思うよ』
固い膝に座り背を預け、温かい両腕で抱えられ、幼い原田に聞こえているのは父の声。
『お父さんの部署は厳しい事件ばかりだから、そういうことはほとんど無いんだけどね』
『寂しい?』
『寂しくはないよ。来てくれたら嬉しいけどね』
子供の問いに父が笑って応えた。
なんで、今こんな記憶が上ってくるんだ。
原田は首を振った。
顔を顰めてまだ天井を見上げていると、袖を引かれた。
「父さん」
健介が原田を見上げている。
「あのね、僕学校に行くでしょ?だけどランドセルとか持ってきてないの」
「ん?」
「ほら、お母さんの家に置いたままだから、教科書もないの」
「ああ。そうか。ん?今どこにあるんだろうな?」
「榎本さんに訊くよ」
君島が携帯を操作しながらそう言い、すぐに相手と繋がったらしくさっさと段取りを組んでしまった。
「全部、県警で保管してるって。できたら健介自身に確認してもらって引き取ってもらいたいから印鑑を持って県警まで来てくれって」
「……いますぐ?」
原田が君島を凝視して訊いた。
君島はにっこり微笑んであっさり答えた。
「分刻みスケジュールの刑事部長さんが、今は奇跡的に時間が空いてるんだって」
「刑事部長さんって、この前のおまわりさん?」
健介の問いに君島が頷く。
「父さんの父さんの友達なんでしょ?」
健介が原田を振り向いた。
ん?
また眉を顰めた原田を見て、君島が笑った。
「覚えてないの?学生の頃一度会ってるよ、榎本さん」
「榎本さん?」
「そう。事件現場に居合わせたことがあっただろ?向こうは一目で浩一だって分かったらしいよ」
「……事件?榎本?」
「刑事さん。浩一のお父さんの学生時代の親友の一人」
原田が絶句した。そしてわずかに顔色を失った。
「……なんで、お前が知ってるんだ?」
「だから、初めて会った時に榎本さんに浩一のことを根掘り葉掘り訊かれたからだよ」
「何を、」
「何って、当時は全然教えてあげられなかったんだけどね。でも就職したりこの家買ったり子供ができたりしたことは報告してた。だから今回、捜査本部を立ち上げてもらえた」
原田は目を逸らして俯いた。
どうしてか、今日は父を思い出す。
何年も思い出すことはなかったのに。
榎本という名ももちろん知っている。
もう何十年も思い出したことはなかったけれど。
どうやらニュース番組のようだ。見慣れた街並みなのでローカル情報なんだろうな、と原田はその自転車ライダーの背中を見ている。
じきに赤信号で自転車が停まり、カメラが自転車に追いつき、真横からそのライダーの顔を捉えた。
そして、自転車のハンドルを握ったまま振り向いた君島と、目が合った。
あまりに驚いたので原田は持っていたリモコンを落とした。
それと同時に、玄関が開く音がして声が聞こえた。
「ただいまーーーーっ!」
どどどどっと廊下を走る音が聞こえ、ドアがバンと開けられ、
登場したのは今テレビに映っていた君島。
「あーっ!今頃起きたんだ?!僕らがどんな苦労したと思ってるんだ!」
と原田に向かって叫び、ちらりと視線を外してテレビ画面に映っている自分の姿を見つけて、続けて叫ぶ。
「これ見て!ここここ!ここの角で撒くから!ねっ!僕ここでカメラ全員置き去りにしたんだよ!」
直後、画面から自転車の君島が消えた。
『さすがだね、秋ちゃん』
『まぁね!朱鷺ちゃんも来てくれてありがとう』
朱鷺が手話で褒め、君島も手話で応える。
そして、ニュースは次の話題に移った。
特に今の映像の解説注釈もなし。
茫然と突っ立ったまま、原田が振り向いて君島に訊いた。
「……なんなんだ?なんでお前の逃走模様がニュースになってるんだ?」
「えー。説明するの面倒」
「朝までそこに報道が詰めかけてたっていうのは?」
「そうそう。カメラマンが敷地内にまで踏み込んだからね、僕が蹴っておいた」
「は?」
「それで、食べ物も飲み物もないし僕は買い出しに出掛けたんだけど、途中で朱鷺ちゃんに連絡つけたら妙さんが怒ってて、僕たちの許可があったらいつでも弁護士でも政治家でも役人でも動かすっていうからとりあえず僕の名前で頼んでおいた」
「は?」
「多分放送局の上層部に警告が行ったと思う。他のメディアにもね、それなりの圧力が掛かったはず。一般視聴者からの苦情も殺到したらしいから、多分今後は僕らの映像は流れない。今のが最後だと思う。それから榎本さんにも連絡して制服警官を派遣してもらった」
「……」
「なんか、甘かったよね。こんなに世間が容赦ないとは思ってなかったよ」
君島が頭を掻いた。
原田も頭を掻いて、首を傾げた。
寝ている間に色々あったようだ。が、やはりわからない。話が大きすぎる。君島の説明でもわからない。
一体誰に訊けばわかるんだ?妙さんか?いや、妙さんは事件自体を知らない。しかしいずれにしても橘家に礼に行かなければならないだろうな。
それはそれとして、事件から何もかも全て知っていると言えば、
……警察か。
いや、警察は事件の後のこの家のことは知らないだろう。
結局わからないのか。
原田がため息をつき、天井を見上げる。
その時にふと、頭の中に声がよぎった。
『たまにね。事件が解決した後にお礼に来てくれる人がいる』
耳元で囁かれた低い声。
『そういう時はおまわりさんになってよかったなって思うよ』
固い膝に座り背を預け、温かい両腕で抱えられ、幼い原田に聞こえているのは父の声。
『お父さんの部署は厳しい事件ばかりだから、そういうことはほとんど無いんだけどね』
『寂しい?』
『寂しくはないよ。来てくれたら嬉しいけどね』
子供の問いに父が笑って応えた。
なんで、今こんな記憶が上ってくるんだ。
原田は首を振った。
顔を顰めてまだ天井を見上げていると、袖を引かれた。
「父さん」
健介が原田を見上げている。
「あのね、僕学校に行くでしょ?だけどランドセルとか持ってきてないの」
「ん?」
「ほら、お母さんの家に置いたままだから、教科書もないの」
「ああ。そうか。ん?今どこにあるんだろうな?」
「榎本さんに訊くよ」
君島が携帯を操作しながらそう言い、すぐに相手と繋がったらしくさっさと段取りを組んでしまった。
「全部、県警で保管してるって。できたら健介自身に確認してもらって引き取ってもらいたいから印鑑を持って県警まで来てくれって」
「……いますぐ?」
原田が君島を凝視して訊いた。
君島はにっこり微笑んであっさり答えた。
「分刻みスケジュールの刑事部長さんが、今は奇跡的に時間が空いてるんだって」
「刑事部長さんって、この前のおまわりさん?」
健介の問いに君島が頷く。
「父さんの父さんの友達なんでしょ?」
健介が原田を振り向いた。
ん?
また眉を顰めた原田を見て、君島が笑った。
「覚えてないの?学生の頃一度会ってるよ、榎本さん」
「榎本さん?」
「そう。事件現場に居合わせたことがあっただろ?向こうは一目で浩一だって分かったらしいよ」
「……事件?榎本?」
「刑事さん。浩一のお父さんの学生時代の親友の一人」
原田が絶句した。そしてわずかに顔色を失った。
「……なんで、お前が知ってるんだ?」
「だから、初めて会った時に榎本さんに浩一のことを根掘り葉掘り訊かれたからだよ」
「何を、」
「何って、当時は全然教えてあげられなかったんだけどね。でも就職したりこの家買ったり子供ができたりしたことは報告してた。だから今回、捜査本部を立ち上げてもらえた」
原田は目を逸らして俯いた。
どうしてか、今日は父を思い出す。
何年も思い出すことはなかったのに。
榎本という名ももちろん知っている。
もう何十年も思い出したことはなかったけれど。
0
お気に入りに追加
4
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる