ARROGANT

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翌月曜日

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「この後は家に帰るだけだからね。もう寝てもいいんじゃない?」
 君島が笑い声で言う。
「うん。僕、眠いよ」
 健介も笑って答えた。
 しかし原田がナビの指示に従い高速に向かって交差点を曲がろうとウィンカーを出した時に、朱鷺母が言った。

「原田君。ここ真っ直ぐ。葬儀会館に行ってちょうだい」

 全員、沈黙した。

「鷹村会長のお通夜がもう始まってるから。元々これが目的で来たんだしね。参列する義理はあるのよ」
 朱鷺母がそう言い、さらに続けた。

「そうだ。健介君も行く?」

「え?」
 驚いたのは原田だ。
「ああ。いいかも」
 賛同したのは君島。
「いやしかし葬式に参列できるような服装じゃ、」
「あら。そのつもりで私病院の購買で健介君に黒のトレーナー選んだのよ?」
 そう。健介は新しい黒のトレーナーを着ていた。
「トレーナーでいいんですか?」
「子供は何でもいいの」
 原田と朱鷺母が応酬している間に、健介が呟いた。

「どうして?」

 そして続けた。

「誰が死んだの?どうして僕が行くの?」


 再び全員沈黙した。




 ……あれ?




「あら。健介君知らないの?」
「何を?」
 さすがの朱鷺母も、言葉に詰まった。
「あれ?健介、じゃ、昨日のことはなんだったと思ってる?」
 君島が振り向いて訊いた。
「全然わかんない。黒い男とお母さんが怖かったから逃げただけ」
 健介が首を振りながら応えた。

 誰もが言葉を探して車内は沈黙している。
 原田が一つ息をついて、言った。

「……つまり、昨日行った家で葬式してただろ?」
「昨日の?うん。朱鷺ちゃんも黒い服だった」
「そう。死んだ人があの家にいたんだ」
「うん」
「会ったか?」
「会わないよ。家にも入らなかったよ」
「そうか。その死んだ人がな。お前の父親らしい」


 健介が黙り込んだ。


 君島が後を引き取った。
「昨日、……一昨日?その前かな?健介に説明したよね?お前は浩一と血が繋がってないって。その、健介と血の繋がった父親が、これからお葬式をする人なんだ」
 健介はまた首を振りながら、問う。
「なんで?わかんない、」
「健介のお母さんが、お前を本当のお父さんに会わせようとしたんだ」


 健介はまた黙った。



 思い出していた。
 車の後ろで聞いていた、男とお母さんの会話。

 百万とは安い子供だな、
 この子できた時もっともらえたけど、
 こいつさえいればいくらでも引き出せるさ、
 見つかってよかった、
 おろさなくてよかった、


 意味は正確にはわからない。
 ただ、すごく悲しい。
 正確にはわからないけど、それを笑いながら言ったお母さんの気持ちはきっと健介をトランクに閉じ込めた気持ちと一緒だと思った。
 健介はまた首を振った。

 そういうお母さんと、もう死んでるお父さん。
 お母さんとお父さん。
 それが僕のお母さんとお父さん。

 それが本当のお母さんとお父さん。

 わからない。
 健介はまた首を振る。


 すると、隣に座る朱鷺が、健介の頭を抱えて撫でた。
 温かい手が頬に触れて、健介は目を閉じる。



 大人たちは全員、説明する言葉を見つけ出せずにいた。
 母親に捨てられた子供に。

 すでに死んでいる父親にも望まれた子供ではないということ。
 父親が死んだからこそ母親に探し出されたのだということ。
 その遺産を得るために連れて来られたということ。
 どちらの親にとっても子供の価値は金に換算されるに過ぎないこと。

 それらの全てに繋がらない言葉を、探し出せずにいた。



「あら。知らなかったのね。それじゃちょっと無理かしら。無理に行くこともないわね。私だけお焼香してくるわ」
 沈黙を破って朱鷺母が微笑み提案を撤回したが、君島が振り向いて健介に迫った。

「健介。写真見てきたら?」

 朱鷺の温かい手に頭を抱えられて、健介は君島を見詰めた。

 君島の目は、健介を射るように厳しい。


「写真の顔ぐらい見てきたらいいよ。初めまして、さよなら、って言ってきたらいい」


 立ち向かえ、とその厳しい目は命じている。


「それからみんなで家に帰ろう」



 朱鷺に温められたまま、健介は頷いた。



「あらそう?一緒に行く?そうね、どうせ最後だから行った方がいいわね。それじゃ、健介君も行くんだから原田君もお焼香しなさい」
「は?」
 原田がさっきよりも驚いた。
「いい機会よ。こういうことは思いついたらやっておいた方がいいの」
「いえ、俺思いついてませんが」
「いいから行っておきなさい。後で後悔しても遅いのよ。やらない後悔よりもやった後悔の方が先々マシなんだから」
「俺はそうは思いませんが」
「いいじゃないの。じゃ、私の付き添いならいいでしょ?朱鷺は怪我して欠席だから」
「歩けるじゃないですか」
「朱鷺のジャケット着たらいいわ」
「小さいです」
「今時は小さいジャケットが流行りよ」
「嘘ですよね」
「大丈夫よ。どうせ大きな社葬だから誰も一々服装チェックしてないわ」

 そんな言い合いをしているうちに、大きな葬儀場に到着し、結局強引な朱鷺母に引き摺られるまま原田と健介も会場に向かった。
 朱鷺のジャケットは思った程は小さくはなかった。もしかしたら自分がこの一週間で縮んだのかも知れないとも原田は思う。グレーのセーターを脱いで黒のTシャツになったからまだごまかせている気はする。

 開け放たれた広い出入り口のガラスドア。中に入るとずらりと花輪が段になって並ぶ。当然喪服姿の大人数が出入りしている。
 そして当然朱鷺母はきちんと喪服を着ている。
 昨日のフレンチに続いてドレスコード違反の原田は肩身が狭い。朱鷺母にいじめられているような気がしている。
 記帳している朱鷺母を、なるべく小さくなって健介と二人で壁際まで下がって待つ。

 すると、がやがやと葬儀場に似つかわしくない騒々しい集団が入ってきた。
 一見して、夜の蝶たち。
 金や赤や紫の頭に、黒を着ている集団は全体的に服の面積が小さい。
 見える程のマイクロミニスカート、見える程深い襟ぐり、美しい刺繍を施されたレース仕様ジャケット、ピンヒール、そしてモフモフの毛皮。そしてその中の数人は黒ではない。寒色系のスーツならまだしも、大きな柄の入ったジャケットや黄色のバッグ、赤い靴。

 最近お見えにならないわぁと思ってたのよね、
 あら、ママのところも?うちだけかと思ってたわよ
 お悪いとは聞いてたんだけどね、
 早かったわよねぇ、残念だわぁ
 そうねぇ、この前見えたのはいつだったかしら?
 がちゃがちゃと、静かだったフロアに小鳥が集団で飛び込んできたかのようだ。

 原田は苦笑し、安心した。

 あれが喪服として認定されるなら、俺と健介もぎりぎりセーフじゃないだろうか。
 いや。やっぱりないよな。俺ジーンズなんだよな。と、やはり俯く。

「さ。行きましょう」
 記帳を終えた朱鷺母が振り向き、会場を指差した。
 はい、と原田が頷き、健介の手を掴んだ。
 怯えた表情のまま健介が原田を見上げた。



 これから初めて、健介の父親の顔を見る。
 一生会うはずのなかった、知るはずのなかった、相手。


 怖いよな。


 原田は健介の肩を引き寄せ、くっついてホールに入った。
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