ARROGANT

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土曜日

19

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 暗闇が怖くて、そこに漂うタバコの臭いが怖くて、そこで響く大きな音が怖い。
 その健介の不可解な癖の原因は、

 全部、押入れの中の体験だった。

 赤ん坊の時に何度も何度も繰り返し同じ恐怖を味わったのだ。
 そんな体験の記憶がない今でも、恐怖だけを覚えている。

 こんなことがあるなんて。
 頭が忘れた恐怖を体が覚えているなんて。

 健介は、やっと痛みが去ってきた腹を抱えながら、考える。


 火を押し付けられたんだ。
 皮膚を焼かれる痛みを体が覚えているなら、なおさらタバコなんか。
 タバコなんか怖くて堪らないはずなのに。

 それなのに僕は、父さんのタバコを許した。

 どうしてだろう。
 どうして父さんのタバコは怖くないんだろう。

 小さく丸く身体を固めて、呼吸を整える。


 きっと父さんが、そうやって僕のいろんなことを、治してくれる。
 父さんのところに戻れば怖くない。

 帰りたい。



「……帰して」



 健介の呟きに、お母さんが慌てて応えた。

「あ、あら!起きてたの!そ!これから家に帰るからね!」
「……僕の、家は、」
「本当の家!楽しみでしょ!」
「僕の家に、帰して」
「だからこれから行くったら!」


「戻してよ!僕を捨てたお母さんなんかと、どこにも行かない!」


 そう叫んだ後、健介の身体がふわりと浮いた。
 同時に高い金属音が聞こえた。
 お母さんが短い悲鳴を上げた。
 直後、浮いた身体をフロントシートに強く打ち付けられた。



「お母さんに向かってそういう口を利くようなバカ息子は、お仕置きだな?」



 運転席のシートの横から顔を出した黒い男が、笑いながら健介のパーカーのフードを掴みあげた。
 周囲の車が一斉にクラクションを鳴らし、バイパスのど真ん中で急停止したこの車に抗議している。
 男は気にするでもなくリアシートから落ちた健介の身体を引き上げて、運転席に引き摺り出し、ドアを開けた。


「お仕置きの定番だ。物置に閉じ込めますよ!」


 男は、運転席から健介を引き摺ったまま降りて、開けたトランクに健介を放り込んで、閉めた。

 後ろの何台かの車から、それを見ている人が何人もいた。

 しかし誰も止められないまま、車は動きだしバイパスを降り走り去った。







 息もできないほどの恐怖。

 暗闇。
 ただでさえ怖い暗闇。
 そして轟音。
 そして絶え間なく跳ねる床面。
 そして狭い。寒い。
 閉じ込められた。

 叫ぶこともできなかった。
 ただただ後退った。
 冷たい金属の壁面に背中をつけて、跳ねる床に両脚を踏みしめて、両手で耳を塞いだ。

 夢だ。
 夢だ。
 夢だ。


 誰か、助けて。


 健介は声も立てずに小さく固く蹲って震えていた。
 トランクの隅で耳を塞いで目を閉じて。

 怖くて怖くて怖くて、
 家に帰りたいと言う希望を忘れた。


 何も望まないから、

 この恐怖だけを、

 取り去って。

 何もいらないから。



 しばらくして車が止まり、二つのドアが開いて閉まる音が聞こえた。
 二つの足音が遠ざかる音が聞こえた。


 恐怖に打ちのめされている健介は、これ以上絶望することが怖かった。


 ここで声を上げて、救いを求めて、応えられないことを知るのが怖かった。



 健介はトランクの中で丸く蹲り、震えながら長い夜を越えた。
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