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二章
第22話 正直者の狼
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数刻が経った。
日没が近い。ルアン峠にたどり着いたのはナプスブルク軍のみであり、フィアット軍の姿はまだ見えなかった。
ナプスブルク軍は周囲を見渡せる峠の尾根に陣幕を置き、フィアット軍の到着を待った。
「ロッドミンスターでの戦の折では世話になりましたな、ホランド殿」
野営地の陣幕で、ランドルフは一千の兵を率い、将軍に昇格したホランドに声をかけた。
「それはこちらも同じこと。おかげさまであの戦は勝つことができました」
ホランドの言葉とは裏腹に、その語気からは感謝があまり感じられない。宿敵であるナプスブルクのランドルフに対して好感を抱いていないだろうということは容易に察することができた。
「しかし今回の戦いも、勝てますかな?」
懐疑的な含みを込めてホランドが問いかける。その言葉にランドルフは眉を少し動かして答えた。
「勝たねばならない、と思っております」
「ほう、意外ですな」
「……意外とは?」
「あなたは現ナプスブルク王家に忠誠を誓われた方。心中複雑ではないのですか」
ホランドの発言には若干の悪意が込められていた。
しかしランドルフはその挑発に乗らず平然と「複雑……そうですな、そうかもしれません」と答えたため、ホランドの方が面を食らったような形となった。
「お怒りになるのかと思いましたが」
無礼な探りを入れたことでランドルフが不快感を見せるだろうと思っていたホランドは、率直にそれを伝えた。
だがランドルフは目の前の机をじっと見つめたまま呟く。
「怒るというのなら国王のもとで何もなそうとしなかった自分自身に対してです。……それに摂政が現れなければ国が平和なままだったというわけでもありません」
「摂政についてあなたは認めていると?」
「少なくとも悪ばかりではない。そう思っております」
ランドルフはロイがやってきてからナプスブルクが変わりつつあることを思ってそう答えた。
むしろ悪事といえば国を乗っ取ったことだけかもしれない。
いやそれこそ見過ごせない大罪であるといえるが、国王の親政のままであればこの国の行く末は暗い闇に満ちていた。だからロイに対し憎悪を向けきれないでおり、そんな自分にもどかしさを覚えている。
それでもランドルフは前王の時代のことを懐かしむことを止められないでいる。
あの頃は全てが輝いていた。迷いに苛まされることなどなかった。そう思うたび、虚無感に包み込まれる。
「……なるほど、ナプスブルクにとってはそうかもしれません」
ホランドは目を細めてそう言った。ロッドミンスターにとってはロイの存在は凶事なのだという含みがある。
「……さて、フィアットはまだ着かぬようだ。私は少し夜風にでもあたってくるとします」
ホランドは雑談はここまでだと示して陣幕の出口に向かう。ランドルフはそれを呼び止めた。
「ホランド殿。貴殿のご主君、ウルフレッドとはどのような人物なのか。あなたは幼少の頃より仕えていると聞いた」
その言葉にホランドは立ち止まり、背を向けたまま答えた。
「そうですな、酒好きの女好き。周りがどれだけ学問を勧めても興味を示されないし、その上疑い深く、小心です」
悪口にも聞こえるその言葉にランドルフは思わず眉をしかめた。そしてホランドに問い続ける。
「それほどのお方であっても、あなたの忠誠に曇りはないように見える」
ホランドは首を捻ってランドルフを見やると、言った。
「正直なのです。あのお方はただ、ひたすらに。私にとっては、それだけで充分ということです」
そう言ってホランドはランドルフの視線を背に受けながら、陣幕の外へ出ていった。
「……正直、か」
ホランドを羨むような気持ちがランドルフに芽生えていた。
同時に共感も覚える。今のナプスブルクは、嘘に満たされているから。
おそらくはホランドにとってウルフレッドとは主従の関係にあるだけではなく、友ともいえる情があるのだろう。
友。ランドルフはその文字を心のなかに描き、それをゆっくりと履き消すように首を振った。
ランドルフにとっての友は、誰一人として、もうこの世にはいない。
「ランドルフ殿!」
ホランドが叫び声を上げて陣幕に戻ってきた。
「西の方角に、火の手が」
「まさかフィアット軍か」
「おそらくは」
ランドルフがホランドと共に陣幕を飛び出し、西に広がる原野を尾根から見下ろす。
するとそこには乱れたフィアット軍の隊列と、それに襲いかかる黒い無数の人影が火矢によって生み出された炎に浮かび上がっていた。
日没が近い。ルアン峠にたどり着いたのはナプスブルク軍のみであり、フィアット軍の姿はまだ見えなかった。
ナプスブルク軍は周囲を見渡せる峠の尾根に陣幕を置き、フィアット軍の到着を待った。
「ロッドミンスターでの戦の折では世話になりましたな、ホランド殿」
野営地の陣幕で、ランドルフは一千の兵を率い、将軍に昇格したホランドに声をかけた。
「それはこちらも同じこと。おかげさまであの戦は勝つことができました」
ホランドの言葉とは裏腹に、その語気からは感謝があまり感じられない。宿敵であるナプスブルクのランドルフに対して好感を抱いていないだろうということは容易に察することができた。
「しかし今回の戦いも、勝てますかな?」
懐疑的な含みを込めてホランドが問いかける。その言葉にランドルフは眉を少し動かして答えた。
「勝たねばならない、と思っております」
「ほう、意外ですな」
「……意外とは?」
「あなたは現ナプスブルク王家に忠誠を誓われた方。心中複雑ではないのですか」
ホランドの発言には若干の悪意が込められていた。
しかしランドルフはその挑発に乗らず平然と「複雑……そうですな、そうかもしれません」と答えたため、ホランドの方が面を食らったような形となった。
「お怒りになるのかと思いましたが」
無礼な探りを入れたことでランドルフが不快感を見せるだろうと思っていたホランドは、率直にそれを伝えた。
だがランドルフは目の前の机をじっと見つめたまま呟く。
「怒るというのなら国王のもとで何もなそうとしなかった自分自身に対してです。……それに摂政が現れなければ国が平和なままだったというわけでもありません」
「摂政についてあなたは認めていると?」
「少なくとも悪ばかりではない。そう思っております」
ランドルフはロイがやってきてからナプスブルクが変わりつつあることを思ってそう答えた。
むしろ悪事といえば国を乗っ取ったことだけかもしれない。
いやそれこそ見過ごせない大罪であるといえるが、国王の親政のままであればこの国の行く末は暗い闇に満ちていた。だからロイに対し憎悪を向けきれないでおり、そんな自分にもどかしさを覚えている。
それでもランドルフは前王の時代のことを懐かしむことを止められないでいる。
あの頃は全てが輝いていた。迷いに苛まされることなどなかった。そう思うたび、虚無感に包み込まれる。
「……なるほど、ナプスブルクにとってはそうかもしれません」
ホランドは目を細めてそう言った。ロッドミンスターにとってはロイの存在は凶事なのだという含みがある。
「……さて、フィアットはまだ着かぬようだ。私は少し夜風にでもあたってくるとします」
ホランドは雑談はここまでだと示して陣幕の出口に向かう。ランドルフはそれを呼び止めた。
「ホランド殿。貴殿のご主君、ウルフレッドとはどのような人物なのか。あなたは幼少の頃より仕えていると聞いた」
その言葉にホランドは立ち止まり、背を向けたまま答えた。
「そうですな、酒好きの女好き。周りがどれだけ学問を勧めても興味を示されないし、その上疑い深く、小心です」
悪口にも聞こえるその言葉にランドルフは思わず眉をしかめた。そしてホランドに問い続ける。
「それほどのお方であっても、あなたの忠誠に曇りはないように見える」
ホランドは首を捻ってランドルフを見やると、言った。
「正直なのです。あのお方はただ、ひたすらに。私にとっては、それだけで充分ということです」
そう言ってホランドはランドルフの視線を背に受けながら、陣幕の外へ出ていった。
「……正直、か」
ホランドを羨むような気持ちがランドルフに芽生えていた。
同時に共感も覚える。今のナプスブルクは、嘘に満たされているから。
おそらくはホランドにとってウルフレッドとは主従の関係にあるだけではなく、友ともいえる情があるのだろう。
友。ランドルフはその文字を心のなかに描き、それをゆっくりと履き消すように首を振った。
ランドルフにとっての友は、誰一人として、もうこの世にはいない。
「ランドルフ殿!」
ホランドが叫び声を上げて陣幕に戻ってきた。
「西の方角に、火の手が」
「まさかフィアット軍か」
「おそらくは」
ランドルフがホランドと共に陣幕を飛び出し、西に広がる原野を尾根から見下ろす。
するとそこには乱れたフィアット軍の隊列と、それに襲いかかる黒い無数の人影が火矢によって生み出された炎に浮かび上がっていた。
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