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ASMR好きの台所事情

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 サライは、今日の弁当に詰める豆腐ハンバーグをこねている。

 枇々木ひびき家は、キッチンがやたら大きい。リビングより、キッチンの方が広いのだ。両親は、共に経営者である。が、別に料理系の仕事に就いてるわけではない。料理はあくまでも趣味で、「頭の体操」に過ぎなかった。たまに友人を招いて、料理を振る舞うこともある。が、あくまでも個人的な目的でしかキッチンを使わない。

 ミチュ、ミチュと、手の中でミンチ肉と豆腐が混ざり合う。

『ああ、この環境音も至福……』

 サライが弁当を作っているのも、弁当作り自体がASMRとなっているからだ。

「ボールに手を突っ込みながら、何をニヤニヤしているの。サライちゃん?」

 タケルが食べる姿を想像してニヤニヤしていると、母からツッコミが入った。

 母は、サライのASMR趣味を知らない。教えるつもりもなかった。

「何でもないわ、母さん。人のを見ているヒマがあったら、自分の分を作れば?」

 ニヤけ顔から、サライはいつものクール顔へ作り替える。

「もう作り終わったわ。朝ごはんはなにがいい?」

 家族の中で一番弁当作りが早いのは、母だ。手を抜くことが多いのも、母である。おにぎりだけ持っていき、社食で豚汁とサラダというケースもあった。たいてい社内トラブルや家の行事など、自分以外の用を済ませるときだ。

「気を遣わないでちょうだい。自分でトーストを焼くわ」
「まあまあ。そんな手でトーストなんて掴んだら生肉の匂いが付くでしょ? いくらビニール手袋しているって言っても」

 サライは、自分の手の匂いを嗅ぐ。確かに、このスメルがついたトーストは食べたくないかも。

 エプロンを外し、母は自分とサライの食パンをトースターに。

「サライは優しいね」
「別にそんなんじゃないわよ、父さん」

 両親からすれば、サライは親の手伝いをする優しい娘か、親に苦労を掛けまいとしている甲斐甲斐しい娘に映っているだろう。
 しかし、サライは料理する音も好きなだけ。サライが料理好きになったのも、単に調理する音が好きだからである。

「母さん、ぼくの分は?」
 卵焼きをわずかに焦がしながら、父が自分を指さす。

「あなたは自分で焼きなさい」
 母にガン無視され、父が眉間に皺を寄せる。

「……なあ母さん、サライに追求しないのか? サライがこんなに張り切るなんて。今までは、もっと簡単なメニューが多かったじゃないか」

 父の問いかけを、サライは気にも留めない。黙々とハンバーグを焼く。

「知りませんよ。志摩ちゃんにでも食べさせているんでしょ?」
「だったら、大きい箱に詰めてシェアすればいいじゃないか。それに、志摩ちゃんは好き嫌いが多いじゃん」

 確かに、志摩は我が家によく遊びに来る。だが、肉やデザートばかり食べて野菜をあまり口にしない。幼なじみであるが、ASMR要因としては志摩に物足りなさを感じている。とはいえ、友人までやめるつもりは決してない。

「男ができたんじゃないか?」

 思わず、サライは手を一瞬止めてしまう。

「ほらほらほらほら、サライの手が止まったよ母さん! 手が!」
 大げさに、父が吠え出す。

「キャンキャンうるさいわねぇ、朝っぱらから。無粋な質問を、娘にぶつけるんじゃありませんよ」

 もうこの話は終わりだというゴングか、トースターのタイマーが切れた。

 豆腐ハンバーグをフライパンにオンした後、サライは手を洗う。

「ほいっ、サライちゃんっ」
 母は焼けた食パンを、サライにフリスビーよろしく投げつける。

「ありがとう」
 サライも慣れたモノで、真剣白刃取りでキャッチした。側にあったお皿に、トーストを載せ、バターを塗る。

「しかし、大事な話だ。もし、娘が我が家に男子を連れてきたなら、ねえ?」

「知りませんよ。サライちゃんが勝手に話を進めますよ」
 母は自分のトーストを半分に切った。ジャムを塗って、父の口へ放り込む。

「もぐもぐ、ありがと母さん」

 父と同じジャムを塗って、母も朝食にした。弁当詰め作業で手が離せない父に、コーヒーも飲ませてあげる。
 優しいとか、ベタベタとイチャついているのではない。このままでは父が会社に間に合わないと思ったからだ。「もうしゃべるな」という意味も込められているのだろう。

「だけど、我々親にも知る権利があるじゃないかっ」

 心配性な父に反し、母は放任主義である。自分がお見合いを蹴って、父を選んだくらいだから。

 会話に入らず、サライは弁当詰め作業へ。今は調理に忙しい。トーストをかじりつつ、こんがり豆腐ハンバーグを二人分に切り分ける。

「必要ありませんよ。サライちゃんを信じましょ」
「信じてるけど、間違いがあってからじゃ遅いじゃん。ぼくたち親が見守ってやらねば」

 父の助言に対し、母は「フン」と鼻で笑った。
「まるで、過ちが起きて欲しいみたいな言い草ですね」

「母さんってば!」

「娘で欲情なさらないでください」
 とっとと包み終えた母は、自分の着替えに向かう。

「ほら、サライも何か言いなさいよ。酢豚の余りあげるから」

 箸につままれた酢豚を無視して、サライは父に「いってきます」と告げて玄関へ。

 振り返ると、父はふてくされながら酢豚を自分で食べていた。
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