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序章:異世界転生編

4話 少女は異世界で絆を深める

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「私は杏よ。言ってみて」
「ア……アンじゅ」
「惜しいわね。あ・ん・ず。はい、もう一回」
「あんジ……アんズ……」
「いい感じよ。がんばって」
「あん……あんズ……あんず? ――あんず!」
「言えたじゃない! すごいわ、ミント!」

 私はスライムの少女にミントと名付けた。
 チョコミント味のお菓子の色からイメージした安易なものだったけれど、ミントは思いの外喜んでくれた。その喜びようは、安直な発想で名付けたことに罪悪感を感じる程だった。

 そして今はミントに言葉を教えている。
 といっても何故か日本語を話す知識をミントは持ち合わせていた。文法などはほぼ問題なかったため、発音や息継ぎのタイミングといった、会話の練習がメインだ。

「あんず。みんと、しゃべれてる? へんじゃない?」
「変じゃないわ。上手よ」

 私はそう言ってミントの頭を撫でる。ミントは花のような笑顔を見せ、気持ち良さそうに目を細めた。
 実際、ミントの会話力上昇速度は大したもので、多少舌足らずではあるものの、外見相応には日本語を話せるようになっている。
 このあたり、何かからくりがあるのかもしれないけれど、どこぞの天使がちゃんと説明する前にこっちの世界に飛ばしたせいで、詳しいことは何も分からない。

 どのみちこの世界で生きていかなければいけないことに変わりはなく、私は大きなため息をついた。

「あんず? しあわせがにげるよ?」
「どうしてそんな言葉知ってるのよ……。それに私はミントがいれば幸せだからいいの」
「ほんと! みんともあんずといるとしあわせだよ!」

 輝くような笑顔が私の心を貫いた。
 今日はめいっぱいかわいがることにしよう。

 そんなことを考えながら、私は話を切り替える。

「さてと、そろそろ今日食べるもの探しましょうか」
「みつかるかな?」
「見つからないとミントの“ごはん”もないのよ」
「――! みつけなきゃ!」

 ミントは急にやる気をだして、きょろきょろと上を見回し始めた。
 私が食べているのは基本的に果物だ。そして私が食べた後、ミントの“ごはん”に移るのが最近の食事事情になっている。

「この辺りは取っちゃったから、別の場所にいきましょう」
「うん!」

 最近の食糧事情は深刻だ。
 ミントと出会った水辺で見つけた果物はすべて食べてしまった。
 この森にはほとんど動物が生息していないようで、ミントも近隣の森からスライムを狙ってやってくる翼の生えた動物しか知らないらしい。
 魚なら取れるかとも思ったけれど、この湖はスライムが吐き出した水が溜まって出来た湖らしく、スライム以外は生息していないようだ。稀に迷い込んだ生物は水底に潜むスライムによって分解され、湖の一部となってしまうらしい。

 そして、私が食料問題と合わせて解決したいことがもう一つ。

「やっぱり、寝るのは夜がいいわ……」

 この森は日が暮れるということがない。太陽のようなものが空に見えるが、それは微動だにせず常に同じ場所から照らし続けている。

「このもりは、ずっとあかるいよ。となりのもりは、ずっとくらいの」

 とはミントに尋ねた時の返事である。

 どうやらこの森は朝もしくは昼という概念が固定されているらしい。ミントの言葉を信じるなら、隣の森は夜という概念で固定されているのだろう。

 時間に追われることがないので差し迫った問題はない。けれども自律神経が完全に狂い始めているのは何とかして矯正したい。明るい中寝て、明るい中起きてもしっかり眠った気がしないのだ。最近は起きていてもふっと気が遠くなることがある。流石に限界が近いのかもしれない。

 果物がなっている木を見つけたミントが歓声を上げて走り出した。もはや慣れたもので、太い幹に飛び付いて器用に登っていく。

「気を付けなさいよ。調子に乗って落ちないでね」
「だいじょうぶ!」

 ミントは片手を話して私の言葉に応える。
 糠に釘、という言葉を思い出して私は肩をすくめる。この場合はスライムに釘と言うべきだろうか。

 「手のかかる子……。本当の妹みたいね」

 妹。
 深く考えずに発した言葉に、忘れていたある事実を思い出した。――思い出してしまった。

 私は心筋梗塞で死んだ。
 私は家族に別れを告げられなかった。

 家族仲が特別良かったかと問われれば、それは否だろう。
 同じように仲が悪かったかと聞かれれば、こちらも否定できる。
 当たり前に顔を合わせ、当たり前に挨拶を交わし、当たり前に喧嘩し、当たり前に暮らしていた。
 でも、その当たり前が一瞬で崩れてしまった。

 今はミントがいる。私を慕ってくれる、大切な新しい家族。

 でも、ミントはこの森で生まれ育った、この森の生命体だ。
 私がこの森を出ていくというのなら、遠からず別れは来てしまう。

 ――もし私が森を出ていくって言ったらミントはどうするのか……。

 いってらっしゃい、と笑顔で送り出してくれるのか。
 いかないで、と泣きながら引き止めてくれるのだろうか。

 どうなるのかは分からない。
 だからこそ、今度は黙っていなくならないように、ちゃんとお別れをしよう。

 両手に果物を抱え、笑顔で走り寄ってくるミントを見ながら、そう心に誓った。




「あんず……? こわいかおしてるよ? だいじょうぶ?」
「ええ……大丈夫よ」

 ミントがとってきてくれた果物を齧る。この世界に来てから毎日食べている、リンゴに似た果物。私が美味しいと言ってから、ミントは毎日この果実を探してきてくれた。

 ミントはすべて私のために行動してくれる。地球と同じ時間が流れていれば一週間もないであろう短い期間。そんな僅かな間に、ミントは私の中でかけがえのない存在になっていた。

 だからこそ、黙っていなくなるなんていう不義理はしたくなかった。

「ミント……。大切なお話があるの」
「あんず……?」
「私とミントは……もうすぐお別れしなくちゃいけないの」

 笑顔がミントの顔から消えていく。見ていられなくて、私は視線を落とした。

「どう……して……」
「この森は、私にとっては暮らしにくい場所なの。ここで暮らしていたら、きっと近いうちに体を壊してしまう。だから、私がちゃんと生活できる場所に行かなきゃいけないの」

 ミントはきっと引き留めようとするだろう。だから、私がここにいられない理由をちゃんと説明する。ミントは賢い子だからきっと分かってくれる――。

 けれども、返された言葉は想像していたものとは違っていた。

「あんずは……みんとが……きらいなの?」
「――っ! そんな訳ない……」

 思わず声を張り上げる。しかし、その言葉はミントの顔を見て尻すぼみに消えて行った。

 ミントは泣いていた。

 排水でしか水を出さないミントが、水を自在に操れるミントが、悲しみで頬を濡らしていた。

「みんと、がんばるから……。あんずがすきなくだもの、もっとあつめるから……。おみずをのみやすいようにれんしゅうするから……。あんずのいうこと、ちゃんときくから……。だから……すてないで……。きらわないで……!」
「嫌う訳ない! でも、ミントの居場所はこの森で、私の居場所はここじゃないんだよ。だから私たちは、いつかは……」
「みんとのいばしょは……あんずのいるところ、だよ……」
「――――っ」
「あんずが、もりをでていくなら……みんともついていくよ。みんとはずっと、あんずといっしょが、いい……」

 ミントが抱きついてくる。私はそれを体で受け止める。

「みんとね、あんずといると、ぽかぽかして、すごくたのしいの。ごはんのときは、すごくどきどきするの。いまのみんとは、すごくしあわせなの。だって――」

 ミントが身を乗り出してくる。
 唇と唇が触れ合う。

「ん…………」

 時間にしてたった数秒。それは“ごはん”でも“水分補給”でもない、初めての純粋なキス。

「――だって、みんとは、あんずがだいすき、だから」
「ミント……」
「はじめてのごはんで、あんずがおどろいたの、いまならわかるよ。だって、きすって、こんなにあたたかいの」

 ああ、私は大馬鹿だ。
 不意に思いついただけの罪悪感で、ミントを悲しませてしまった。
 ミントの為にと言い訳して、ミントのことを何一つ考えていなかった。

 自律神経が狂ってた?
 不義理をしたくなかった?

 すべて、自分が楽になりたいがためのいい訳じゃない!

「ごめんなさい……ミント。私が間違っていたわ……」
「あんず……?」
「私もミントが大好きよ。大好きで、大切で、なくすのが怖かったの」

 意識している分、なくすよりも捨てる方が心に負う傷は少ない。私はそれに逃げてしまっていた。なくしたものは見つかる可能性があるけれど、捨てたものは見つからないという当然のことに気付くことができなかった。

「ごめんなさい、ミント。私が弱くて、悲しませてしまって」
「あんず……あんずぅ……」

 泣きじゃくるミントを強く抱きしめる。ミントもそれに応える様に腕に力を込めた。
 心に温かさが広がっていく。
 弱い私の心が満たされていく。

「あんず……」
「ミント……」

 抱き合いながらお互いに顔を見つめ合う。

 どちらが求め、どちらが応えたのか。

 それすら分からないほど自然に、二人は唇を重ね合った。
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