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第6章
第三十九話 壊れた合理主義
しおりを挟む彼女にとっては、文字通り初めての経験だ。前世を含めて、ここまで自身と似通った存在には出会ったことがない。同族嫌悪であると気がつけなかったのは、そうした人間と遭遇したことがなかったからだ。
「俺も剣士の端くれだ。お前の実力に到底及ばないのは承知している。あれは『血が滲むような』などという生やさしいもので辿り着ける領域では無い」
ケインはラウラリスの過去を知る由もない。けれども、彼女と過ごした短いながらも肩を並べて共に戦った感覚を通し、幾多の修羅場を潜り抜けてきた歴戦の勇姿を風格を肌で感じた。そして、この時代においておそらく剣の頂に近しい男と誰よりも剣を交えた感覚が、二人の共通部分を見出していた。
「総長から直々に指南していただくことに感謝しながら、贅沢ながら不安に思うよ。果たして俺はあの高みに至れるのか。……お前と知り合ってからより一層に思い知らされる。今の俺が立っている位置と総長と──そしてお前のいる場所がいかに離れているか、嫌というほどな」
真っ当な人間が剣に限らず、どのような形であれ研鑽を積み重ねていれば、誰もが行き当たる壁がケインの前に立ち塞がっている。今の彼にかける言葉など、たとえラウラリスとてありきたりなものしか思い浮かばなかった。
「あの人は俺が想像すらできないほどの多くの苦難を経験しているのだと、剣の重さから伝わってくる。機関では俺が次期総長などとまことしやかに噂されているのは知っているが、はっきり言って俺程度の男に務まるか甚だ疑問だよ」
ケインは、ラウラリスが掛け値なしに認める才能を有している。驕り高ぶらず、そして貪欲に磨き続けていれば、きっとかつての四天魔将に届きうる傑物になり得ると確信できるほどに。しかし、ケインに伝えたところで彼の迷いが晴れることはないだろう。
もしかすると、昨日今日で抱いたものではないのかもしれない。小さいながらも確実に内包していたものが、ラウラリスとの縁によって存在感を増し膨れ上がった。
深く息を吐くと、ケインは肩に入っていた力を抜く。
「……これは結局、俺の愚痴だ。お前と話していると、いつも余計な事まで口にする」
「まぁあれだ。安い答えは出してやれないが、聞き手ぐらいにはいつでもなってやるさ。身内ほど話せない内容ってのはあるだろうしね」
ラウラリスにとって、若人の悩みを聞くのは全く苦ではなかった。
だがしかし、ケインには違ったようだ。歯を噛み締める表情からそれが伺えてしまった。
「総長は獣殺しの刃の総長として、自らの責務として命を賭している。それは、あの人がこれまで幾多の経験を経て導き出した在り方だ。もしかしたら俺も獣殺しの刃としてあり続ければ、あるいは可能性だってあるだろう」
だが──。
「お前はどうだ。お前のような少女が、総長と同じであることが不思議で仕方がない。俺よりも若くありながらも、どうしてだ」
「そいつは──」
「俺より若くて強い奴なんぞ探せばごまんといるだろう。だが、その在り方はあり得ない。この戦乱とは程遠い世で、どれほどの修羅場を経ればシドウ総長と同じ局地に行き着くんだ」
シドウの覚悟は、長きにわたって獣殺しの刃としてあり続けた末に辿り着いた覚悟だ。水面下では絶えず争いの火種が燻っていたとして、それらを味わったとしてもたかだか十代の年月で極めるにはあまりにも短い年月だ。
「こいつは、突き詰めてしまえばさっきまでの愚痴の延長上だ。今の俺には、歴史に名を残すほどの汚名を背負う覚悟は無い。俺より若いお前がその域に辿り着いていることが納得できない。腹立たしいほどにな」
「あまりに苛ついたのか、正気を疑うような可能性まで考えるほどだ」
「──────」
この時、ラウラリスは喉の奥にほのかに生じた衝動を抑え込んだ。
一瞬の気の迷いであった。
──ケインであれば、真実を語っても良いのではないだろうか、と。
自分が悪逆皇帝ラウラリス当人であり、第二の人生を歩んでいる最中であると。
どうしてそう思ってしまったのか、彼女自身にも理由が分からなかった。もしかしたら彼なら受け入れてくれるのではと。
単なる気の迷い。あまりにも早計だ。
首を左右に振ったラウラリスを見て、ケインは拳を強く握った。
「答えてはくれないのか」
「ああ、答えられないね。こいつばかりは」
ごく一部の例外を除けば、ラウラリスは今世において己の身の上を語るつもりはない。己が背負った罪禍を、僅かたりとも誰かに背負わせるつもりはなかった。
静かながらも厳とした気配に、ケインは肩から力を抜いた。
「だいたい……私の『在り方』の根源を聞いて、あんたはどうするつもりだったんだい?」
「…………」
ケインは無言であった。答えが欲しかったのか。納得したかったのか。自分もその路を辿りたいのか。きっと、ケインの中でも明確に言葉で表せるものでもない。
「そもそもの話、人に進められるできるもんじゃないよ、こいつは」
ラウラリスが口元に浮かべた笑みは自嘲であった。
ケインの隣に並ぶと、世闇の広がる街並みを見据える。明かりが灯り昼間には見えない美しい光景がそこにはあった。
シドウが具体的にどのような人生を経たのかは分からない。ただラウラリスは、自分にできることを精一杯。文字通り、身体の隅々を一片たりとも余さず、宿した魂すらも残さずに使って生きていた。辛い経験など一言では片付けられない多くの傷を負いながら、ただ何かしらの劇的な切っ掛けがあったと、己を振り返ってみても分からなかった。
「あんたは覚悟の違いや経験を重ねた極地なんだとそれらしく表現したが、私からしたらそんなご大層なもんじゃない」
自己犠牲を美しく飾るつもりはない。ラウラリスは二度目の人生を存分に楽しむつもり満々だ。亡国を憂える者を潰した後も、面白おかしく生きる予定である。
その一方で、肝心な時には最も大切にすべき己が勘定に入っていない自覚もあるのだ。
「貧乏くじを自分から引いてるようなもんだ。別に好き好んで引いてる訳じゃぁない。できることなら引きたくもない。けど、その時にそれが最善であれば迷う余地が無くなっちまう。ただの壊れた合理的主義だよ」
だが皮肉なことに、そうでなければ大願を果たせなかった。
ラウラリスは身をもって証明してしまった。
時にはそうした犠牲がなければ果たせない本懐があるのだと。
「できることなら、総長にも──お前にもその選択をして欲しくない」
「奇遇だね……私もだよ」
ケインが少なからず己の身を案じてくれている──そのことがラウラリスは不思議と嬉しかった。彼女の強さと孤高を知ってなおも気遣う者など滅多にいなかったからだ。
「ところで、さっき行った正気を疑う可能性ってのは、いったいなんなんだい?」
「こういう時のお前は本当に性格が悪いな……」
「よせやい、そんなに褒めるんじゃないよぉ。照れるじゃないか」
ペシペシと笑いながら背を叩くラウラリスに、ケインは苦虫をすり潰したような顔になりながらついぞ話すことはなかった。
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