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第6章

第三十一話 避けるラウラリス

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「それで、次は何を教えてくださるのですか!?」
「まぁ待ちなって。始まってから今の今までずっと通しで来てんだ。しかもテンション高くて気がついてないだろうけど、もう王子の体力は限界だよ」
「でもっ────」

 己の中にある感覚が消えぬうちに続けたいのだろうと食い下がる王子。気持ちはわからなくもないが、これ以上はむしろ逆効果だ。限界を越えるための鍛錬というのもありはするが、少なくともまだ躰が未成熟なアベルに課すものではない。

 そのことを伝えようとしたラウラリスであったが、彼女が発するよりも想定外のところから待ったの声が掛かった。

「何をしているのですかっっっ!?」

 覚えのない声にそちらを向けば、美しい女性が険しい表情でこちらに近づいてくる姿があった。歳の頃は三十を超えて入るだろうが、まだ二十代と呼んでも通ずるほどに若々しく、その顔たちはどことなくアベルに似ていた。後ろには騎士が幾人かと、全身を鎧に身を包んだ者が一人だ。

(あの全身鎧フルプレートは)

 ラウラリスは興味深そうに目を細めたが、アベルは女性を見るなり「まずい」と言わんばかりに慌てた顔になった。

「は、母上……」
「アベル!」

 仮にもこの国の王子を呼び捨てにし、彼から母と呼ばれる人物。つまりは、あの不機嫌を露わにしている女性がカイン王の妻であり王妃ということになる。

(そういやぁ名前知らないわ)

 王妃は怒り顔のままで ラウラリスの側まで来ると右手を振り上げた。

 ──ブンッ!

「うおっ」

 いささかキレのあり過ぎる平手が飛んできて、ラウラリスは身を逸らし紙一重で回避する。王妃の細腕から繰り出されるには妙なほどに風を切っており、当たれば痛いで済むか不安になる程だ。

 避けられるとは思っていなかったようで、王妃は驚いた表情を浮かべるが、空気を切った手の平を握ると怒気を孕んだ視線をラウラリスに向ける。

 さすがは一国を納める人物の伴侶。鋭い視線の切れ味に、並の胆力の持ち主であれば気後れして口篭ってしまうだろう。

 並の胆力ではないラウラリスは、困ったふうに頭を掻きながら王妃を見返す。ふと目につくのは、彼女の胸元に下がっている首飾り。非常に凝った装飾がなされており、ラウラリスからしてもなかなかの一品であると分かる。

 と、それはいいとして。

「……アベルに無理をさせるなど何様のつもりですか。この子は将来、我がエフィリス王国を継ぐ大事な存在です。もし万が一があれば──」
「お言葉ですが、汗の一つも掻かぬ鍛錬に意味があるとでも? 生兵法は怪我の元とはよく言います。下手に情けをかけて中途半端な技術を学ばせることこそ、指南役に任命された者にとってあるまじき行いかと存じます」

 半分くらいは真実であるが、もう半分ほどはこの場で考えた適当な理由だ。とはいえ、適当な理由をもっともらしく言葉で飾り立てるのはラウラリスにとっては朝飯前だ。

「であれば、傷を負うこともやむなしと?」
「傷の一つも負わずに育つ王によりは遥かにマシかと」

 真正面から反論に、王妃は眉を顰める。

「母上っ、これは私がお願いして──」
「あなたは黙っていなさい。母はこの女に話をしているのです」

 咄嗟にアベルが止めに入ろうとするが、王妃のピシャリとした一言で押し黙ってしまった。やはり母親には逆らえないようだ。

「存じていますよ。一角では剣姫けんきと呼ばれているとか。とはいえ、まさか王族の教育にまで口を挟める立場であるとは思っていませんわよね」
「少なくとも、此度の指南に限っては、王より許しを賜っておりますので」
「────陛下ッ!」

 王妃はアベルの手を引くと、王の元に詰め寄る。どうやら意識を逸らすことに成功したようだ。王が若干恨めしい目を向けてくるが、ラウラリスは肩を竦める。ラウラリスに指導の内容を一存したのであれば、責を負うべきは一存した王様だ。

「いつも申しているはずです! この子にはまだ剣術稽古は早いと! 体調を崩しただろうされるおつもりですか!!」
「お前の気持ちも分からなくもないが、だからと言ってずっと部屋に篭りきりというのも」
「であるにしろ、どこの馬の骨とも知れぬ者に預けるなどもってのほかです! 体力がつく前に変な癖でもついたら──」
「馬の骨ではなかろう。献聖教会やレヴン商会、ハンターギルドも保証している」
「そういう問題では──」

 王妃の剣幕を前に、王は困り顔を浮かべつつも落ち着いて言葉を連ねていく。話の中心であるアベルはそんな二人を前にオロオロするばかりだ。

「……ラウラリス殿、気を悪くされぬように」

 ラウラリスに近づき謝を述べたのは、王の護衛をしていた騎士の一人だ。最初は警戒されていたようだが、アベルの指導ぶりを見せたことで程度の信用は得られたようだ。

「普段の王妃様はああではないのです。あのお方は本来、聡明で声を荒げるようなことはないのですが、アベル王子が絡むとどうしても」
「子を持つ親ってのは、子供のことになると我を忘れるもんさ。気にするほどのことでもないさ。ちゃんと想われているようで王子が羨ましいよ」

 王妃の苛烈さは、王子への愛情の裏返しであることはラウラリスも理解していた。王子という立場に囚われた上辺だけのものではない。真に王子を案しているからこそであると、痛いほど伝わってきた。

「アベル王子は国王夫妻にできた唯一のお子。その上、十歳を越えるまでは病気がちでありまして。元気に走り回れるようになったのも、ここ数年になってからなのです」
「だからあの過保護っぷりか」
「当初は、剣術指南を行うことすら猛反対していたところを、陛下がどうにか説き伏せた次第でして。王子当人は非常にやる気なのですが」

 歳の割には少し躰の出来具合が心許ないと思っていたが、事情があったということか。ラウラリスに敢えて伝えなかったのは、彼女に要らぬ心遣いをさせぬようにとの判断であろう。

「誤解してたよ。王子様だからって鍛錬が甘くなってるかと思ってたが、あんたらなりに色々あったわけだ。変に勘繰ってすまんね」
「いえ。我らとしても少し王子の身を案じすぎていたのかもしれません。先ほどに王子が放った一振りは見事なものでした。そしてあれほど充実した様子の王子も我らは見たことがありません。良い勉強になりました」
「そっか」

 ラウラリスは再度、アベルたちの方に目を向ける。

 あるのは、王という立場さえなければ、どこにでもありふれた家族の光景であろう。間違いなく、それは尊いものであるとラウラリスにも分かった。
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