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第6章

第九話 時代の傑物

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 ラウラリスとて生涯を無敗としていたわけではないが、少なくとも先代から地位を簒奪し皇帝に即位する直前の時期からは無敗を誇っていた。少なくとも一対一の立ち会いにおいては正真正銘の常勝であり、勇者たちに打ち取られたその瞬間こそが彼女にとっての最盛期であった。

 転生を果たした今のラウラリスには、かつてほどの力はない。老皇帝ラウラリスが生涯を掛けて研鑽し培い続けた『最強』を体現するには、少女ラウラリスの躯は未熟すぎたのだ。

 少女の躰に転生してからしばしの時が経過し、格段に身体の掌握は進んでいる。当初は全盛期の三割にも満たなかったところが、今はちょうど三割・・・・・・に至っている。

 三割とはいうが、元は最強の三割。迫る者はいたが、誰一人として届いた者はいなかった。

「────ッッ!」

 奥歯を噛み締め力を貯めたラウラリスは、強く踏み込み剣を振るう。シドウも真っ向から受けて立つと、同じく模造剣を打ち込む。

 互いの得物が打つかり合い、刃引きと鞘が衝突する鈍い音が響く。それも一度や二度ではない。もしかすれば子供の喧嘩にも見える武器の撃ち合いが繰り広げられていた。双方共に表情は真剣そのものであり、自暴自棄になっているわけではない。

 がむしゃらに剣を振るっているようではあるが、実際には力の篭った『ことわり』を含む斬撃たち。全身連帯駆動の体得者が戦う際に陥る現象だ。躰の全てを余さず使い切る身体操作は、足を踏み出す動作すら最適解であり、振るわれる剣は常に最善の一撃となる。

 獣殺しの刃の実行部隊において、強い権限を得る『執行官』の立場。彼らこそがまさしく『無法の許可者』。認められるためには全身連帯駆動を習得することが条件となっている。

 そして、無法の許可者を統括する総長シドウが全身連帯駆動の体得者なのは自明の理である。

 両者一歩も引かず、ラウラリスもシドウは踏みとどまって剣を振るう。時を置くごとに剣速が増していき、苛烈さを帯びていく。最初の一合目が仄かな種火と例えるなら、五合目からは木を焼く火炎。十合目ともなれば森を焼く業火と化していた。

 しかし、徐々にではあるが押し込まれていくのは──ラウラリスであった。

 己の背丈を大きく上回る巨体を相手にしても揺るがなかった彼女が、シドウの剣圧を前にしてジリジリと下がっていく。

 そして、

「んぎっ!?」

 ついにラウラリスは、剣戟の猛火に弾き飛ばされた。

 否、あえて弾かれる選択をした。あのままでは猛火に呑まれ痛烈な一撃を身に受けていた。完全に耐えきれなくなる前にわざと躰が弾き飛ばされる形で剣を受けたのである。

 地面に背中から落ちるが、勢いそのままに受け身を取ると後転してすぐさま体勢を立て直す。

 しかし、彼女が正面を向いた時には既に、シドウが踏み込んでいた。

「────ッ、ラァァァァ!!」
「なんとっ!?」

 追撃を仕掛けるシドウにラウラリスが大きく吼える。気勢を込めて放たれた大振りが、シドウの振るった剣を躰ごと押し返し吹き飛ばした。

 両者の距離が離れて仕切り直しの形。 

「いや驚いた。今ので終わると思っていたんだが……あそこで返されるとは思わなんだ」
「意外性のある女とは……よく言われるよ」

 シドウの感心に、ラウラリスは口端の片側を釣り上げる。けれども、少女の声からは普段の覇気は薄れていた。

 ほんの僅かの間で行われた一進一退の攻防。

 けれども、両者に差があるのは一目瞭然であった。

 ラウラリスは長剣を構えながら大きく肩を揺らしていた。顎から雫がこぼれ落ちるほどに汗を垂らし、鋭く正面の相手を見据えていた。対してシドウも、呼吸は平時よりも激しいものの、明らかにラウラリスよりも消耗は少ない。

 現時点で、ラウラリスとシドウでは後者が優勢なのは間違いなかった。

(ついに出てきたか)

 ラウラリスは呼吸こそ乱していたが裡の動揺はほとんどなかった。自らを常勝無敗の達人であることを誇ったことは、前世を含めて一度たりともない。いつかは必ず自分に匹敵するか上回る傑物が現れることを覚悟──むしろ期待していた節もある。

 若い芽が育っていく様を目の当たりにするのは、ラウラリスにとっての大きな喜びであるからだ。

(かと言って、素直に負けてやるつもりもまだないんだがね)

 全身連帯駆動の始祖たるラウラリスならば当然、シドウの剣を理解している。当然対処法も熟知していた。もっとも、対処法を知っているからと言って、完全に対処できるかはまた別ではあるが、だからこそ挑みがいがある。

 と、意気揚々にラウラリスに切先を向けられていたシドウは、徐に剣を下ろした。

「ここまでとしておこう。本心を言えばまだ続けていたい気持ちもあるが、ここから先は手合わせの範疇を超えてしまう」
「…………なら仕方がないね」

 シドウの戦意が完全に失せたのを確認すると、ラウラリスも構えを解いた。彼の言葉には同意するし実際にその通りであった。これ以上やり合うと、シドウもラウラリスも無事では済まされない。

 ……手合わせをしていた理由を今更ながらに思い出して、ちょっと焦ったのはここだけの話。

 立会人として一部始終を見守っていたケインは、胸中に溜まっていた重い空気を大きく吐き出した。ラウラリスの|実力把握しきれているとは言い難い状況。総長シドウの実力は知っているが、万が一を心配しかなり気を揉んでいたようだ。総長にもラウラリスにも深刻な怪我がないようで安堵する。

 時間にして数分程度。けれども、当事者や見守っていた者にとっては十倍以上にも感じられる一戦であった。

「それで、総長の見解は?」

 ケインの問いかけに、シドウは笑みを浮かべながら頷いた。

「ラウラリス君の剣には強いものを感じられた。ただの気まぐれで悪さをするような安い人間ではないだろう」
「では……」
「よろしい。ラウラリス君の要望に応え、総長たる私の権限において、獣殺しの刃が保有する亡国に関わる資料の閲覧を許可しよう」
「────ほっ」

 シドウの口から無事に許可を引き出すことに成功したようで、さしものラウラリスもホッと胸を撫で下ろした。さしもの彼女も、ここでしくじると次の手を考えるのは困難だった。ケインに目を向けると、彼からも頷きが返ってくる。

 次に目を向けた時、獣殺しの総長は悩ましげな表情を浮かべながら顎に手を当てていた。

「実に惜しいかな。私の剣に余さず反応していながら、肉体が追いついていない。あと数年もすれば──」

「いや、違うな」とシドウは自身の見解を一度否定した。

「完成した技術に、未熟な躰が耐えきれていないのか」
「────…………」

 少女の視線に気がついたシドウは肩を竦めた。

「っと、申し訳ない。当人を前にして少し失礼だったか」
「…………いや、かまわないさ」

 この短時間の手合わせでラウラリスの身体的な事情を直感で見抜いてのけた。シドウの慧眼には、さすがのラウラリスも内心に驚きを禁じ得なかった。これほどまでに鋭い感性を持った人間は、ラウラリスも前世を含めてそうそうお目にかかったことは無かった。

 剣の実力、人を見定める目。己の感性を信じる度量。どれもが一級品を超えている。

 シドウ・クリュセ。彼もまた、ラウラリスが認めるこの時代の傑物には違いなかった。
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