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僕の女神さま
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ある会社である。その年、入社した新入社員で。京子と順子は、隣り合わせに、座ることになった。同じく、同期で入社した山野哲也がいた。山野哲也は、無口で、いつも一人である。飲み会にも宴会にも出ない。京子は、女子社員の中でも、一番、美人だった。京子の隣りは、順子だった。季節は、蒸し暑い七月に入っていた。
△
ある日の会社が、終わった後。京子と順子の、二人は、近くの喫茶店に入った。
「ねえ。山野君って、誰とも話さなくて、孤独そうね」
順子が言った。
「どんな職場でも、学校でも、一人くらいは、そういう人、いるわよ」
「でも、事務的な連絡は、ちゃんとしてるわ」
「内気な人って、何を考えているのか、わからないわね」
「女に興味がないのかしら?」
「さあ。それは、わからないわ」
「京子のこと、どう、思ってるのかしら?京子ほどの美人にも、関心がないのかしら?」
「そうかもしれないわね」
「新入社員の男子で、京子に関心を持ってない人なんて、誰もいないんじゃない」
順子が言った。
新入社員の男子は、みな、京子を好きだった。それは、ある日の、飲み会の時、男の一人が、いい心持に酔って、ふざけ半分に、「京子が好きな人は手を上げて」と言ったら、みなが手を上げたからである。「二番は?」と聞いたら、それは順子だった。
実際、京子は、大学でも、ミス慶応に立候補するよう勧められた。が、京子は照れくささから、立候補しなかった。
「司法試験を目指して勉強でも、しているんじゃないかしら?」
「そうね。彼は、法学部、卒業だものね」
「でも、そんなふうにも、見えないわ」
「じゃ。絵画か、小説でも、書いているんじゃ、ないかしら」
「そうね。もし、熱中している物があったら、それに、のめり込んで、他の事には関心がなくなるって、こと、あるものね」
「そうね。作家って、面白い作品を書けるのに、性格が暗い人って、結構、いるものね」
「小説だったら、どんな作品を書いているのかしら?」
「んー。わからないわ。ミステリー小説・・・にも見えないし、真面目で学究肌だから、きっと純文学じゃないかしら。芥川賞を狙ってたりして」
「恋愛小説じゃ、ないでしょう」
「そうね。そんなふうには見えないわね」
「ところで、京子。今度の土曜日、空いてる?」
「ええ。別に何も予定はないわ。でも、何で?」
「海に行かない?」
「ええ。いいわよ。どこへ行く?」
「京子は、どこへ行きたい?」
「そうね・・・海じゃなく、大磯ロングビーチに行かない?海じゃ泳げないし、大磯ロングビーチなら、きれいだし、砂もつかないし、泳げるし・・・」
「それに、片瀬江ノ島だとか、入れ墨してる人ばかりで、男も、しつこくナンパするのが多いでしょ」
「じゃあ、大磯ロングビーチにしましょう」
そういうことで、京子と順子の、二人は、週末の土曜日、大磯ロングビーチに行くことになった。
△
土曜日になった。
順子の車キューブで、二人は、大磯ロングビーチに行った。開館時間の9時ちょうどに着いた。大磯ロングビーチの土日は混む。駐車場には、かなりの車が止まっていた。9時、開館といっても、もう、9時前に開けたらしく、入場している客が、かなりいて、ウォータースライダーで、歓声を上げる客の姿が見えた。
入場を待つ客の列も長かった。京子と順子の、二人は、その最後尾についた。しかし、入場券、売り場は、窓口が5ヵ所、あって、素早く捌いているので、どんどん列は進み、すぐに入れた。二人は、場内に入ると、更衣室で着替えて、屋外に出た。二人は、当然、ビキニだったが、順子の方が、露出度の高いビキニだった。しかし、プロポーションは、京子の方が、断然、上だった。
二人は、奥の、波のプールの所に、ビニールシートを敷いて、荷物を置いた。
二人は、日焼け止めのローションを塗った。
「京子。ウォータースライダーに行ってみない」
順子が言った。
「ええ」
京子は肯いた。
二人は、ウォータースライダーへ向かった。ウォータースライダーは、待つ人が多い。それだけ人気があるのである。20人くらい、の人達が待っていた。10分くらい待った。京子たちの番が来た。京子と順子は、二人用のボートを、降りてきた二人組から、受けとって、スライダーの頂上へ登っていった。
「京子。前に乗りなさいよ」
「えっ。こわいわ」
「大丈夫よ。私が、しっかりと、後ろで、体を、つかんでてあげるから」
そういうわけで、京子が前に乗り、順子が後ろに乗った。
係員の指示て、二人はスタートした。
「うわー」
「きゃー」
遊園地のジェットコースターくらいのスピードが出て、二人は、何とか無事に、着水地点に、たどりついた。
「こわかったわー」
「でも、スリルがあって、面白いわ。もう一度、やりましょう」
順子の提案で、二人は、三回、ウォータースライダーをやった。
その後、二人は、大きな浮き輪を借りて、流れるプールで、流れに、身をまかせた。
「今度は、波のプールに行きましょう」
順子の提案で、二人は、波のプールに向かった。
△
「ちょっと、咽喉が渇いちゃった。ハウスの中の自動販売機に、アイスココアがあったわ。あれを、飲みたいから、私、ちょっと、もどるわ。京子は、先に行ってて。何か用があったら、携帯でかけて」
「わかったわ」
そう言って、順子は、パタパタと、ハウスにもどっていった。
京子は、波のプールへと向かった。
△
ちょうどダイビングプールの前を通りかかった時だった。
「あっ」
京子は、思わず声を出した。
「ああっ」
相手は、京子以上に、驚いて、立ち竦んだ。
何と、相手は、山野哲也だった。
短めのトランクスを履いて、スイミングキャップとゴーグルを持っている。
「こんにちは」
京子は、ニコッと微笑んで、挨拶した。
「こ、こんにちは」
哲也は、ガチガチに緊張していた。
「誰か、連れの方がいらっしゃるのでしょうか?」
京子が、辺りを、ちょっと見回して聞いた。
「い、いえ」
哲也は、真っ赤になって、言った。
(じゃ、一人で来たのかしら)と京子は、考えた。
(しかし、一人で、何のために、大磯ロングビーチに来たのかしら?)
スイミングキャップとゴーグルを持っているから、泳ぎに来たのだろう。しかし、泳ぎたいのなら、わざわざ、大磯ロングビーチに来なくても、家の近くに、市営プールがあるはずである。
大磯ロングビーチに一人で来る客はいない。友達か、彼氏と彼女、か、家族で来ているはずである。大磯ロングビーチは、友達とワイワイと遊ぶ所である。
哲也は、まるで、覗き、などの、犯罪をモロに見られて、どうしようもなく当惑している、といった感じである。
哲也にしてみれば。もう万事休す、なのである。一人で、大磯ロングビーチに来た所を見られた、という事実は、消すことは出来ない。
あわてて去ろうとすれば、ますます不自然になってしまう。
そんなことらが、京子の頭を瞬時にかすめた。
前から望んでいた、哲也と話す、ちょうどいい機会でもある。
「哲也さん。よろしかったら、少しお話、しませんか?」
京子は、微笑して聞いた。
「は、はい」
哲也は、へどもどして答えた。
京子と哲也は、並んで、歩き出した。
二人は、京子が敷いた波のプールの前に敷いたビニールシートに、並んで座った。
△
「哲也さん。ちょっと待ってて」
そう言って京子は、カバンの中から、携帯電話を取り出した。そして順子にかけた。
トルルルルッ。
「はい。なあに。京子?」
順子が出た。
「順子。悪いけど、別行動しない」
「どうしたの?突然」
「ちょっと・・・」
「ああ。誰かに、ナンパされたのね」
「いや。そうじゃないんだけど・・・」
京子は言い澱んだ。
「いいわよ。京子が一人でいたら、ナンパされるのは当然だわ」
「・・・・」
「わかったわ。私、もう、十分、楽しんだから帰るわ」
順子が言った。
「ごめんね」
「いいわよ。全然、気にしてないわよ。まだ、時間があるから、私、これから、車で、茅ヶ崎サザンビーチに行くわ」
「ごめんね」
「一人か、数人か、わからないけど、京子と夏を楽しむことが、出来る幸運な男は、京子との出会いが、一生の内でも、一番の、宝石のような、素晴らしい思い出になるわ」
そう言って順子は、携帯を切った。
「順子さんと、来ていたんですね」
哲也が言った。
「ええ。でも、順子は、茅ヶ崎サザンビーチに行きたいから、帰るって」
「いえ。せっかく二人で楽しんでいたのに、帰してしまって、申し訳ないです」
京子は、辺りを見回した。ウォータースライダーが目に止まった。
「ところで、哲也さん」
「はい」
「哲也さんは、あのウォータースライダー、やったことありますか?」
京子は、青い、うねうねと曲りくねるメビウスの輪のような、ウォータースライダーを指差して聞いた。
「い、いえ。な、ないです」
「よかったら、やってみませんか?」
「は、はい」
京子と哲也は立ち上がった。そしてウォータースライダーの方へ向かって歩いた。
ウォータースライダーは、20人くらい、待って行列が出来ていた。といっても、ほとんどは、二人組なので、10番目くらいである。京子と哲也は、列の最後尾に並んだ。
列の前に、手をつないでいる恋仲の男女が、京子の目にとまった。
「ふふふ。私たちも」
そう言って、京子は、隣りにいる哲也の手を、そっと握った。
握った瞬間は、ビクッと哲也の手が震えた。
しかし、震えは、だんだん、おさまっていった。
しかし、哲也の方から、握り返す握力は、返ってこなかった。
やがて、京子と哲也の番になった。
京子と哲也は、二人乗りのゴムボートを、一緒に運んで、ウォータースライダーの頂上に行った。
「哲也さんは、前と後ろの、どっちに乗りますか?」
「僕は、どちらでも、いいです。京子さんが、好きな方に乗って下さい」
「じゃあ、私は、後ろに乗るわ。こわいから」
「じゃあ、僕は、前に乗ります」
こうして、まず京子がゴムボートの後ろに乗り、ついで哲也が前に乗った。
ちょうど、オートバイの二人乗りのような形になった。
「これ。ちょっとスリルがあり過ぎて、私、すごく、こわいんです」
そう言って、京子は、前の哲也に、ヒシッとしがみついた。
京子のビキニで包まれた豊満な胸が、ピッタリと哲也の背中に、貼りついた。
それを感じてか、哲也の体が一瞬、ビクッと震えた。
係員がピッとスタートの合図をした。
ゴムボートは、スライダーの水路を水を掻き分けながら、勢いよく、滑り出した。
「わー」
「きゃー」
京子は、哲也にヒシッと、しがみつきながら、子供のように、叫び声を上げた。
ゴムボートは、メビウスの輪のような、スライダーの水路の中を、勢いよく滑って、ゴールに、ドボンとついた。
「もう一度、やりませんか?」
京子が聞いた。
「はい」
哲也は、二つ返事で元気よく、答えた。哲也の表情は明るかった。
二人は、また、ウォータースライダーを待つ人達の、列の最後尾に並んだ。
京子は、また隣りにいる哲也の手を、そっと握った。
今度は、哲也の手は震えていなかった。
むしろ京子の手を、握る力が、少しあるのを、京子は確かに感じた。
二人の番が来た。
京子と哲也の、二人は、さっきと同じように、二人乗りのゴムボートを、一緒に運んで、ウォータースライダーの頂上に登った。
「今度は、私が前に乗っていいかしら?」
「ええ。じゃあ、僕は後ろに乗ります」
こうして、京子が前に乗り、哲也が後ろに乗った。
「哲也さん。私をしっかり、つかんで、守って下さいね」
「はい」
哲也は、背後から、手を廻して、京子の体を、しっかりと、つかんだ。
二人乗りの、ゴムボートでは、言わずとも、そうするものである。
それは、人間の手、の安全ベルトであり、京子は、哲也の手、が京子の体を、しっかり、つかまえているのを、確認すると、その手を、ギュッと握った。
そして、その図は、ちょうど、哲也が、背後から京子を、抱きしめている形と同じだった。
係員がピッと合図した。
ゴムボートは、スライダーの水路を水を掻き分けながら、勢いよく、滑り出した。
「わー」
「きゃー」
京子は、子供のように、無邪気な、叫び声を上げた。
哲也の手は、ガッシリと、京子の体を、つかんでいた。
ゴムボートは、スライダーの水路の中を、勢いよく滑って、ゴールに、ドボンと着水した。
△
「哲也さん。有難うございました。守って下さって」
京子は、礼儀正しく、ペコリと頭を下げた。
「い、いえ」
哲也は、照れて、笑った。
「シートの所に戻りませんか?」
京子が聞いた。
「はい」
哲也は、二つ返事で答えた。
ウォータースライダーは、大磯ロングビーチの入り口のテラスハウスの前にあり、京子の、敷いたシートは、一番、奥の、波のプールの前なので、かなりの距離がある。およそ、200mくらいである。
△
二人は、並んで、波のプールの方へ歩き出した。
京子の左手が、哲也の右手に、触れ合った。
京子は、そっと、哲也の手を握った。
哲也も、京子の手を、ごく自然に、握った。
二人は、手をつないで、歩いた。
△
二人は、波のプールの前の、芝生の上に敷いてあるシートに座った。
「あ、あの。哲也さん」
京子が切り出した。
「は、はい。何でしょうか?」
「つかぬことを、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「は、はい。何でも?」
「哲也さんは、大磯ロングビーチに、よく来られるんでしょうか?」
「え、ええ。一夏に一回か、二回くらいですが」
「そうなんですか」
しばしの沈黙があった。
京子は、もっと、つっこんだ事を聞きたかったが、哲也のプライバシーを、根掘り葉掘り、聞くのは、失礼だと思って、聞けなかった。それを察するように、哲也は、告白し出した。今、京子と、ウォータースライダーで楽しんで、気持ちが、ほぐれたのだろう。
「僕は、夏、泳ぐのが好きなんです。かなり泳げます。しかし、泳ぐだけなら、近くに50mの市営プールが、あります。そこでも、泳いでいますが、大磯ロングビーチに、来るのは、ビキニ姿の女の人を見にくるため、なんです。美しいビキニ姿の女性を、一夏に、一度は、見ておきたいんです」
哲也は、心の中の思いを、大胆に、告白した。
「そうなんですか」
京子は、相槌を打った。
「彼女は、いません。僕は、彼女をつくることが下手で、出来ないんです。憶病なんです。だから、彼女と来ているカップルを見ると、すごく、うらやましく思います。でも、僕は、彼女がいなくても、さほど、さびしいとも思いません」
哲也は、大胆に、自分の思いを打ち明けた。
「そうなんですか。でも、それは、どうしてですか?」
哲也が、堂々と、自分の思いを打ち明けているので、京子も、勇気を出して聞いてみた。
△
「僕も女性を好き、という気持ちは、他の男と同じくらいにあります。でも、高校でも、大学でも、今まで多くの女性を見てきましたが、この女性こそは、完全な純粋な、女性と、思って信じてみても、長く見ていると、やっぱり、陰で、人の、さらには、仲のいい友達の、悪口をさえ言います。そうなると、ガッカリです。僕は、女性に失望したくないので、女性は、見るだけに、することに決めたんです」
哲也は、ことさら、京子に、胸の内を明かすように堂々と言った。
「そうだったんですか」
京子は、哲也の、孤独の、身の上話を聞いて、溜め息まじりに言った。
「ても、さびしくありませんか?」
京子が聞いた。
「確かに、さびしいです。実を言うと、僕は、小説を書いています。恋愛小説です」
「それで、さびしさ、を、紛らわしているのですね」
「そうです。あまり女性を知り過ぎて、幻滅しないように、その人の、いい所だけを、見ています」
「哲也さんが、人と付き合わないのには、そういう理由があったんですね」
「ええ。まあ、そうです。でも僕は、さびしさを、紛らわすためだけに、恋愛小説を書いているわけでも、ないんです」
京子は、黙って、肯きながら、哲也の告白を聞いていた。
哲也は、続けて言った。
「オーバーかもしれませんが、僕は、小説を書くことだけが、生きがい、なんです。僕は、恋愛小説いがいの小説も書いています。実人生を選ぶか、芸術を選ぶかで、僕は、ためらいなく、芸術を書く方を選んだのです」
「哲也さんの書いた小説、読んでみたいわ」
△
「ええ。いいですよ。5年前に、ホームページを作って、書いた小説を出しています。山本哲男というペンネームを使っています。その名前で、検索すれば、僕のホームページが出て来ます。ちょっと恥ずかしいですが・・・」
「じゃあ、今日、帰ったら、読まさせて頂きます」
「でも、今日、素晴らしい小説を思いつきました。多分、今まで書いてきた、小説以上の、僕にとっての、最高傑作が書けると思います」
「それは、どんなストーリーなのですか?」
「それは、今日、京子さんと、過ごしたことを、そのまま、正直に書くことです」
「それが、そんなに素晴らしい小説になるんでしょうか?」
「素晴らしい、最高傑作の小説ですよ。恋愛小説は、女性に、輝く物がないと、書けないんです」
「私なんかに輝く物なんて、ないと思うのですが・・・」
「ありますとも。京子さん。あなたは自分の素晴らしさ、に気づいていません」
「そうでしょうか?」
「そうですとも。人間は、自分のことを知っているようで、知っていない。僕が小説を書いているのも、僕は一体、何者なのか、ということを知るためでも、あるのです」
「そうなんですか・・・」
「そうです。人間が、何か表現しようとすると、必ず、その作品には、自分の個性が出ます。たとえば、漫画家なら、漫画の絵に、その人の個性が出ます。作曲家でも、そうです。たとえば、サザンオールスターズの全ての曲は、全て違うメロディーですね」
「ええ」
「でも、サザンオールスターズの全ての曲に、サザンオールスターズらしさ、というのを感じませんか。いとしのエリー、と、津波、と、みんなの歌、などは、全てメロディーが違いますよね」
「ええ」
「でも、全てのサザンオールスターズの曲には、メロディーを聞くと、いかにも、サザンらしいな、というのを感じませんか?」
「そうですね。そう言われると、確かに、その通りですね」
「松任谷由美でも、そうですし、山下達郎でも、そう感じませんか?」
「ええ。確かに、感じます」
「それが、作曲家の個性というものです」
「なるほど。そうですね」
「ところで。小説のタイトルも、もう決めました。というか、決まりました」
哲也が言った。
「何というタイトル何ですか?」
京子は、微笑んで聞いた。
「僕の女神さま、というタイトルです」
「そ、その女神というのは、もしかして、私のことですか?」
「他に誰がいますか?」
△
「私なんか、が、女神だなんて、変な感じですわ。でも、すごく嬉しいです。哲也さんに女神、だ、なんて言われて」
「そうです。正直に言います。僕は、京子さんを、初めて、見た時から、ずっと、京子さんが好きでした」
「有難うございます」
「いえ。僕の方こそ、何とお礼を言っていいか・・・。有難うございます」
そう言って、哲也は、深々と頭を下げた。
「ところで、私に輝く物があるって、言いましたけれど、それは何ですか?」
「それは・・・。京子さんが僕を見つけた時、京子さんが、挨拶だけではなく、お話し、しませんか、と、誘ってくれたことです。そして、ウォータースライダーで、僕の手を握ってくれたことです」
「単に、性格が子供っぽい、だけです」
京子は照れくさそうに言った。
△
京子は、ダイビングプールの方を見た。若いカップルが、笑顔で肩を組んでいて、その前に、大磯ロングビーチの制服を着た男が、カメラを構えていた。OISOでカシャ、である。大磯ロングビーチでは、写真撮影を希望すると、撮ってくれる。そして、その日の、大磯ロングビーチのホームページに撮った写真をアップしてくれる。ただし、これは、土日だけで、平日は、やっていない。
「京子さん。写真、撮ってもらいませんか?」
「ええ」
京子は、二つ返事で、肯いた。
京子と哲也は、カメラを持っている男の方へ行った。
「すみません。写真、撮って貰えませんか?」
哲也がカメラマンに声を掛けた。
「ええ。いいですよ」
カメラマンは笑顔で答えた。
京子は、哲也と、横にピッタリとくっついた。哲也は、京子の腰に手を回した。
「では、撮りますよ」
カシャ。
シャッターが切られた。
京子は、ほっとして、嬉しそうな表情だった。
京子が、ベンチにもどろうとすると、哲也が京子の手を掴んで、引きとどめた。
哲也は、カメラマンの所に行って、何か、ヒソヒソと話した。
カメラマンは、
「わかりました」
と言って嬉しそうに肯いた。
「京子さん。二人で並んでいる写真も、いいですけど、京子さん一人の、美しい写真も、撮ってみませんか?芸術的ですよ」
「はい。哲也さんが勧めるのなら、そうします」
そう言って、京子は、カメラマンの前に立った。
「京子さん。髪を掻き上げて、腰に手を当てて、曲線美を強調するような、セクシーなポーズをとってみて下さい」
哲也が、横からアドバイスした。
京子は、哲也に、言われたように、髪を掻き上げて、腰に手を当てて、曲線美を強調するような、セクシーなポーズをとった。
「いいですよ。そのポーズ」
カメラマンが言った。
カシャ。
シャッターが、切られ、京子のセクシーなポーズの写真が撮影された。
「何だか、恥ずかしいわ」
京子が言った。
二人は、元のベンチに戻って腰かけた。
「ところで、哲也さん。カメラマンの人と、何か話していましたが、何を話したんですか?」
「いやあ、たいした事じゃないです。ちょっとしたことです」
と哲也は、頭をかいた。
「ところで、京子さん」
「はい」
「京子さんは、海の女王コンテストに、出たいとは、思いませんか?」
「それほど出たいとは、思いません。応募者が多いですし、まず、書類審査の段階で、落ちるのが、関の山だと思います」
「そんな、やる前から、あきらめるのは、よくないと思います。自分の事は、自分では、わかりません。僕は、京子さんなら、海の女王コンテストに、応募すれば、優勝すると確信しています」
「そうでしょうか?」
「そうですとも。それで、お願いなんですが、今年の、海の女王コンテストに応募してもらえないでしょうか?」
「哲也さんが、望むのであれば、応募してもいいです。でも、書類審査で、落ちるのが、山だと思うんですが・・・」
「何事も、やってみなければ、わからないんじゃないでしょうか?」
「それは、確かに、そうですね」
△
彼女は照れくさそうに笑った。
「哲也さん。哲也さんは、さっき、今日の出来事の小説は、ありのままに書くと言いましたよね。そして、それが、哲也さんにとっての、最高傑作の恋愛小説になると」
「ええ。言いましたよ」
「でも、私は、それを、書けなくすることも出来ますよ」
京子は少し、悪戯っぽく言った。
「どうしてですか?」
「だって、小説を面白くするためにフィクションは入れないで、私のしたこと、私の話したことを正直に書くんですよね」
「ええ。そうですよ」
「なら、私が、あなたなんか、暗くて、大嫌いと言って、あなたを、ビンタしたら、ふられ小説になって、恋愛小説には、ならないのでは、ないですか?」
「ははは。面白い発想ですね。しかし、はたして、その通りにいくでしょうか?」
「そうとしか、考えられませんわ。私の発言や行動が、そのまま小説になるんなら」
「さあ。そう、上手く、あなたの思い通りになるでしょうか?」
「なりますわ」
そう言って、彼女は、立ち上がった。
彼女は自信満々の様子だった。
「みなさーん」
と京子は、大声で、場内の客たちに呼びかけた。
皆の視線が京子に集まった。
「ビートたけし、のコマネチをやります」
そう言って、京子は、足をガニ股に開いて、
「コマネチ」
と言って、両手を股間の前でVの字にして引きあげて、ビートたけし、の、コマネチをやった。
「では、次に鳥居みゆき、のヒット・エンド・ラーンをやります」
そう言って、彼女は、鳥居みゆき、のヒット・エンド・ラーンをやった。
皆は、あはははは、と腹を抱えて笑った。
彼女は、すぐに哲也の所に戻ってきた。そして、哲也の隣りに腰かけた。
「どうですか。こんな下品なことを、もう実際にしてしまったのですから、ロマンチックな恋愛小説には、なりませんよね」
彼女は、勝ち誇ったように言った。
「ははは。残念ですが、ちゃんとマンチックな恋愛小説に、なりますよ」
哲也は自信満々に言った。
「どうして、ですか?私小説は、私の話したこと、したこと、を正直に書くのではないですか?」
「それは、そうです。しかし、あなたは一つ、大切なことを忘れている」
「何ですか。それは?」
彼女は、推理小説のトリックを知りたがる人のような好奇心、満々の目で哲也を見た。
「確かに、事実をありのままに書く私小説では、起こってもいないことを書くことは、出来ません。ところで、京子さんは、川端康成の、伊豆の踊子、は、知っていますか?」
「ええ」
「いくら、文学に興味のない京子といえども、伊豆の踊子、は知っています」
「あれは、川端康成、自身、言っていますが、何の脚色も入れずに、事実そのものを書いた小説です」
「それも知っています」
「しかし、川端康成が、自作解説で言っていますが、「伊豆の踊子」は、事実そのものを忠実に書いた。一切の脚色はしていない。あるとすれば、省略だけである。と」
彼女は、一心に哲也を見つめた。
「つまり、事実を書く小説でも、重要でない、一部、いや、かなりを省略することは出来ます。そして、それは、何ら、事実を歪めたり、脚色したものでは、ありません。伊豆の踊子、を読むと、あの小説には、起こった全ての事柄が書かれているように、ほとんどの読者は、錯覚してしまうでしょう。しかし、実際には、あの小説には書かれいない、様々な出来事や会話のやりとり、も起こっているはずです。しかし、それらを、全て書いていては、小説が読みにくくなってしまいます。だから、踊子が、あの小説で、発言していること、行動していること、以外にも、様々なことを、主人公である川端康成に、言ったり、したり、しているはずです。しかし、小説を、読みやすく、するために、作者である川端康成が、小説を作る上で、必要な、踊子の発言だけをピックアップしているはずです。それは、何も、事実を書いた私小説だけに限ったことでは、ありません。全ての小説の創作で言えることです。ですから、僕は、今、あなたが、やったコマネチや、鳥居みゆき、のヒット・エンド・ラーンをやったことは、省略して書かないか、あるいは、「彼女はユーモラスな性格で、ロングビーチの客に、ある面白いパフォーマンスをして客を楽しませた」と書くたけです」
哲也の説明は、完膚なきまでに理路整然としていた。
「なるほど。そう言われれば、その通りですね。ガッカリ」
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彼女は、哲也との頭脳的な戦いに負けて、自分の思考力が哲也に負けたことに、落胆している様子だった。しかも、皆の前で、コマネチをやったり、鳥居みゆきの、ヒット・エンド・ラーンをやったりと、ムキになって、バカなことをやって、恥をかいたことも、後悔している様子だった。
「ははは。京子さん。そう思いつめないで下さい。僕は小説を書いているから、思いつくのは、簡単なことです。小説を書いたことのない人では、思いつかない人もいるでしょう。あなたの思考力が劣っているわけでは、ありませんよ」
哲也は、そう言って、落ちこんでいる京子を優しく慰めた。
△
時計を見ると、4時45分だった。
大磯ロングビーチは、昨年までは、午後6時まで、やっていたのだが、今年から、午後5時で閉館となった。経営が厳しいのである。
一度、3700円の、1日券で客を入れてしまえば、6時までやらなくても、5時で閉館にしても、入場料は同じなのである。パラソルや、浮き輪の類も、使った時間には、関係ない。レンタル料は定額である。ズラリと並んだ、飲食店も、正午から、午後3時までが、客が飲食物を買うピークであり、午後4時を過ぎると、もう、ほとんど、飲食物を買う客は、いなくなる。
「さて。そろそろ閉館の時間ですね」
「ええ」
「京子さんは車で来たんですか?」
「順子の車に乗せてもらったんです」
「でも、順子さんは、茅ヶ崎サザンビーチに、行ってしまいましたよね」
「ええ」
「哲也さんは、車で来たんですか?」
「ええ。でも、オートバイなんです」
「そうなんですか。哲也さんが、オートバイに乗るなんて、知りませんでした」
「僕は、風を切って走るオートバイが大好きなんです」
「ロマンチックなんですね」
「京子さん。もし、よろしかったら、帰りは、僕のオートバイで送らせて貰えませんか?」
「わあ。嬉しいわ。お願いします」
「でも、僕。人を乗せて走ったこと、一度も、ないんです。もしかすると、転倒して、死んだり、一生、身体障害者に、なってしまうかもしれませんよ」
「哲也さんと一緒に、死ねるんなら、幸せです」
そんな会話をしながら、二人は、テラスハウスに向かった。
二人は、それぞれ、男子更衣室と女子更衣室の前で別れた。
そして、10分とかからず、着替えて、出てきた。
京子は、ブルーのTシャツに短いスカートだった。
哲也は、Tシャツに、ジーパンだった。
二人は、ロングビーチを出た。
大磯ロングビーチへ来る客は、電車なら、大磯駅からの、送迎バスで来る。車で来る客は、家族や友達と来るから、全て四輪の自動車である。そもそも、一人で、ロングビーチに来る客は、いないので、オートバイで来る客は、いない。従って、駐車場に止めてあるのは、四輪自動車だけである。
「あっ。あれですね。哲也さんのオートバイって」
そう言って、京子は、駐車場に、一台だけある、青い色のオートバイを指差した。
「ええ。そうです」
二人は、オートバイの前に来た。
哲也のオートバイは、ホンダCB750だった。名前の通り、排気量750ccの大型バイクである。
「本当は、オートバイは、真夏で、暑くても、ツナギを着ていた方が安全なんです。ツナギにフルフェイスのヘルメットを着けていれば、転倒しても、まず大怪我にはなりません。でも、やっぱり、夏に、ツナギというのは、格好悪く、つい普段着で来てしまいました」
と哲也は説明した。
「京子さん。どうしますか。乗りますか?」
「ええ。ぜひ」
「では、僕は、二人乗りで走るのは、初めてなので、ちょっと試してみましょう」
そう言って、哲也は、オートバイに跨り、スターターを押して、エンジンを始動させた。
バルルルルルッ。
と、重厚なエンジン音が鳴った。
大磯ロングビーチの駐車場は、広い上に、夕方になると、もう入場客も来なくなり、帰りの客だけになるので、駐車場には、ロングビーチの係員は、いなくなる。その上、大磯ロングビーチの駐車場は広い。車、400台、止められるほどの広さである。哲也は、場内を、小さく8の字に、運転してみた。かなりのリーン・アウトの姿勢で。全く簡単に運転できた。
「では、京子さん。試しに、後ろに乗ってみて下さい」
「はい」
そう言って、京子は、後部座席に乗った。そして、京子を乗せて、大きな円状に、リーン・インの姿勢で、回転した。リーン・インとは、オートバイは倒さず、体を内側に傾けることで、回転する回り方である。よく、オートバイのロードレースで、極端に、体だけを、内側に傾けて、回っているが、あの曲がり方である。リーン・インだと、オートバイを、あまり倒さずに、回れるので、安全な回り方である。
哲也は、だんだん、円の半径を小さくしていった。そして、8の字状に運転したり、した。
「京子さん。僕にとっては、初めての二人乗りですが、問題ないと、わかりました。それに、帰りの国道134号線は、ずっと、真っ直ぐですから、問題ないでしょう」
そう哲也は、京子に言った。
だが、これは、試さなくても、まず大丈夫ではある。750ccの大型バイクは、重量、250kg以上あり、それを普段から自在に、乗りこなしていれば、45kgの女性の重量が加わっても、ほとんど、影響はない。ただ哲也は、心配性なので、試して安全を確認しなくては、気がすまなかったのである。
「大丈夫そうです。では。京子さん。行きますよ」
「はい」
そう言って、京子は、哲也にヒシッと抱きついた。
ちょうど、ウォータースライダーで、京子が、後ろから哲也にしがみついたのと、同じ格好になった。
哲也は、駐車場を出て、大磯西インターチェンジから、国道134号線に出た。ここからは、片側二車線で、ほとんど、海沿いに、一直線だった。
夏の午後5時は、まだ、昼間の続きのような感覚だった。
遠くに、江の島が見える。
哲也は、どんどんスピードを上げていった。
「最高だわ。哲也さん」
京子は、そう言って、哲也にヒシッと、しがみついた。
「私たち、恋人みたいね」
京子は、そんな、戯れを言った。
大磯を出た時は、空いていたが、帰りの車で、時々、渋滞になることもあった。
オートバイは、渋滞でも、車の間をスイスイ抜けるし、国道134号線の道路の道幅も広かったが、哲也は、無理な追い越しはしなかった。京子の安全を考えているのだろう、と京子は思った。
二人を乗せたバイクは、やがて、茅ヶ崎サザンビーチを越し、江の島に着いた。
「哲也さん。江の島海岸の、海の家で、ケバブを売っている店があります。私、ちょっとケバブを食べたいんですが、哲也さんは、どうしますか?」
京子が言った。
「僕も食べます」
哲也、は答えた。
哲也は、オートバイを片瀬西浜の駐車場に止めた。二人は、海岸に出た。片瀬西浜は、海の家がぎっしり、並んでいた。時間は、午後6時になっていたが、まだ、ビーチで、戯れている客が、ちらほら、あった。哲也は、京子に誘導されて、ケバブを売っている店に来た。
二人は、ケバブを注文して、買って食べた。ケバブは大盛りで、600円だった。
「私。ケバブ、好きなんです。哲也さん、は、どうですか?」
「僕も好きです。このパンの歯ごたえ、と、ソースが美味しいですね」○○○○○○
湘南の海では、江の島をはさんで、西の、片瀬西浜と東の片瀬東浜、その東の先の由比ヶ浜、が、海水浴場のメインだった。しかし、江の島の方が、小田急線の江ノ島駅から近いため、由比ヶ浜よりは、江ノ島の方が、海水浴客は多い。由比ヶ浜の海水浴場は、最寄りの駅が、横須賀線の鎌倉駅で、駅から、かなり歩くので、客は、江ノ島よりは少ない。
「ここ。入りませんか?」
京子が、海の家の一つの前で止まった。そこは、バラックではなく、木を組んで作ってある、ログハウスだった。
「ええ」
二人は、ログハウスに入った。ゆったりしていて、潮風が心地いい。ちょうど南国のリゾートビーチのような気分である。
「哲也さんは何を飲みますか?」
京子が聞いた。
「僕は、お酒は飲めません。コーラにします」
「じゃ、私もコーラにするわ」
そう言って二人は、海を見ながら、コーラを飲んだ。
午後6時から、サーファーが入ってきて、サーフィンをするようになる。
せっかく、休日の一日を、わざわざ、東京から来たのだから、夏の一日を、ギリギリまで楽しもうと、6時を過ぎても、まだ、かなりの客が、砂浜で、ビーチバレーをやったり、して楽しんでいる。しかし、京子も哲也も、大磯ロングビーチで、十分、楽しんだので、また、水着に着替えて、遊ぶ気にはなれなかった。
「京子さん。来月の8月12日に、海の女王コンテストがありますから、出でみたら、どうですか。京子さんなら、きっとなれますよ」
哲也の提案は、本気なのか、からかい、なのかは京子には、わからなかった。
「哲也さんは、他人事だから、簡単に言えるんですわ。片瀬西浜には、綺麗な人がたくさん来ます」
実際、片瀬西浜は都心から一番近い身近な海水浴場であるが、綺麗な、プロポーションも抜群の女が、かなり多い。というか、プロポーションに自信のない女は、来にくい、という面がある。しかし綺麗でも、タトゥーをしている男女が多い。なので、彼らは、大磯ロングビーチには、入れない。大磯ロングビーチは、タトゥーをした人は入れないのである。タトゥーをしているからって、悪い人というわけではないし、大磯ロングビーチとしても、客の確保に必死で、経営がギリギリなのだから、それは緩和してもよさそうなものだが、大磯ロングビーチでは、それは、しない。また、京子には、タトゥーをする女の気持ちが解らなかった。
「京子さん。僕がついています。他人事だから無責任に言えるのかも、しれませんが、人生は、何事も挑戦することに、意味があるのでは、ないですか。僕だって、小説を書くことに、挑戦しようと思った時は、自分に、小説なんて、書けるのだろうか、と、かなり迷いました。しかし、僕は、今では、もう、何作も書いていて、今では、もう自信を持って、自分が小説を書いている、と人に言えます」
哲也は堂々と言った。哲也の発言を、確かに、その通りだと京子は思った。「人生は、失敗をおそれずに、挑戦することに人生の価値がある」という、意味の格言は、数多くの思想家が言っていることである。
「わかりました。では、海の女王コンテストに出てみようと思います。でも、一人では、怖いので、その日は、哲也さんも来て下さいね」
と京子は言った。
「ええ。行きますとも」
と、哲也は嬉しそうに言った。
「それで、芸能プロダクションに目をつけられて、声をかけられたら、どうしますか?会社をやめて芸能人になりますか?」
「そこまでは、わかりません。それに、まだ、海の女王コンテストで優勝してもいませんもの」
「京子さんの、ハワイロケの写真集、プロモーションビデオ、全て買いますよ。僕も、京子さんの売り込みに協力して、大いに宣伝に協力します」
そんな会話をした後、二人は、ログハウスを出た。
そして、哲也は京子を江ノ島の駅まで、送った。
△
「哲也さん。今日は、色々と、楽しかったでした。有難うございました。帰ったら、哲也さんの、ホームページの小説、読まさせて頂きます」
「京子さん。僕の方こそ、本当に有難うございました。今日は、生まれて、一番、幸せな日です。帰ったら、すぐに、今日のことを、小説に書き始めます」
そう言って、二人は、江ノ島駅で別れた。
△
帰りの小田急線は、帰りの海水浴客で一杯だった。京子は、中央林間で、田園都市線に乗り換えた。
アパートに着いたのは、夜の7時30分くらいだった。
△
京子は、まず、シャワーを浴びた。プールで濡れて、ベトついた体を隈なく、石鹸で洗い流した。そして、水着やタオルを、他の洗濯籠に入っている物と一緒に、全自動洗濯機に入れて、洗濯機のスイッチを押した。京子は、冷蔵庫から、ワインを持ってきて、少し飲んだ。
そして、ノートパソコンを、持って、ベッドの上にゴロンと横たえた。そして、Yahooの画面を出して、「山本哲男」で検索した。すると、トップに、「山本哲男のホームページ」というのが出てきた。京子は、それをクリックした。ゴテゴテした飾りのない、極めてシンプルなWebサイトだった。
表紙には、「ホームページへ来て下さってありがとうございます。内容はすべて私の書いた小説です。小説を書くことは三度のメシより好きで、10年以上書きつづけてきました。できうる事なら作家になりたいと思っています。でも作家になれなくても小説は一生、書きつづけます。書きためてきた小説は、たくさんありますので、これからどんどん発表していこうと思っております。H13年3月に小説集を出版しました。買って下さるとうれしいです。どこの書店でもネットでも注文で買えます」と書いてあり、タイトルは、「女生徒、カチカチ山と十六の短編」となっている。
目次を見ると、たくさんの小説のタイトルが並んでいた。長い小説もあれば、短い小説もある。その中で、京子は、「少年とOL」というのを読んでみた。少年がOLと、海水浴場で、遊ぶ、という、たわいもないストーリーの小説だった。しかし、極めて読みやすく、また、その光景が鮮明にイメージされた。少年とOLの恋愛小説だった。京子は、次に、「失楽園」というのを、読んでみた。旧約聖書の、アダムとイブの話を、小説風に書いたもので、アダムとイブの何か、独特のキリスト教解釈の会話があったが、京子には、その意味が解らなかった。だが、まあ、面白かった。ともかく読みやすいので、京子は、短い小説をどんどん、読んでいった。
その時。さっき、洗濯機に入れた、水着やタオルなどが、洗い終わって、それを知らせる、ビビーという音が鳴った。京子は、水着を、洗濯機から取り出して、洗濯物干しに、吊るした。
そして、戻ってきて、小説の続きを読んだ。
京子は、ふと思い出して、大磯ロングビーチのホームページを見た。哲也の小説を、真っ先に読みたいという意識があったので、哲也のホームページを開いたのだが、大磯ロングビーチでは、今日、OISOでカシャ、の写真を撮ったので、京子の写真がアップされているはずである。京子は、急いで、大磯ロングビーチのホームページを開いた。すると、案の定、京子のセクシーなビキニ姿が、アップされていた。しかも、驚いたことがあった。
OISOでカシャ、の写真では、写真の下に、簡単なコメントが書かれる。名前は、ほとんど、全部、ハンドルネームで、本名は書かない。日本人はシャイなのである。しかし、京子のビキニの写真の下には、本名の、岡田京子、と書かれてあり、その上、何と、「岡田京子と言います。8月12日の片瀬西浜の、海の女王コンテストに出場します。ヨ・ロ・シ・ク?」と書かれてあった。山野がロングビーチの係員と、コソコソ話していたのは、これだな、と京子は、気づかされた。大磯ロングビーチに、その日、行った人は、まず、全員、大磯ロングビーチの、大磯でカシャ、の写真を見る。そして、ロングビーチに行かない人も、かなり見る。大体、10万人くらいの人が見る。京子は、ネットで全国の人に、見られることになって、恥ずかしいやら、何となく、嬉しいやら、で、いろんな感情が頭の中をグルグルと回った。
いつまでも、大磯ロングビーチのホームページを見ていても、仕様がないので、京子は、哲也のホームページに戻った。そして、今度はブログを見た。哲也のブログは、2008年から、始められていて、写真は、一つもなく、全部、ゴチャゴチャした、雑感文ばかりだった。しかし、京子が、哲也の小説や、大磯ロングビーチのホームページを見ている間に、哲也が、今日のブログ記事がアップされていた。タイトルは、もろに、「岡田京子」である。本文には、「今日は、最高に幸せな日だった。会社の同僚と大礒ロングビーチで出会った。大磯ロングビーチのホームページの、OISOでカシャ、に彼女の写真が載っていますので、どうか見て下さい。彼女は、8月12日の、片瀬西浜の、海の女王コンテストに出ます。どうか、応援して下さい。彼女は、容姿が美しいだけでなく、とても明るい性格です。なんと、今日、大磯ロングビーチで、コマネチやヒット・エンド・ラーンを、堂々とやるほどです。ホームページに、彼女の動画と写真を載せましたので、ぜひご覧ください」と書かれてあった。
京子は、あわてて、ホームページを開いた。すると、ホームページに、「岡田京子」というタイトルが、出ていた。クリックしてみると、新しいWebページで、You-Tubeの動画で、京子のコマネチをする動画と、ヒット・エンド・ラーンをしている動画が載っていた。そして、数枚の京子のビキニ姿のスナップ写真が載っていた。そして、「岡田京子と申します。8月12日の片瀬西浜の、海の女王コンテストに出場します。応援、ヨ・ロ・シ・ク?」
と書いてあった。横顔であるが、動画も、写真も、はっきりと、京子の顔が、写っていた。哲也が、さり気なく、自分に気づかれないように、スマートフォンで、動画や写真を撮っていたのだろう。コマネチや、ヒット・エンド・ラーンの動画は、少し恥ずかしかったが、こうまで、世間に自分を宣伝されては、嬉しいやら、恥ずかしいやら、で、京子は、いてもたっても、いられなくなった。
その晩、京子は、なかなか寝つけなかった。
△
翌日、京子は、トーストとゆで卵とコーヒーを飲んで出社した。
「お早うございます」
と挨拶して、デスクに座ると、早速、隣りの席の順子が話しかけてきた。
「京子。OISOでカシャ、見たわよ。一体、どうしたの?本名を名乗ったりして。それに、8月12日の、片瀬西浜の、海の女王コンテストに出るので、応援、よろしく、なんて・・・」
順子が聞いた。
「え、ええ。ちょっと、妙な成り行きになっちゃって・・・」
京子は、困惑して、しどろもどろに言葉を濁した。
「私が帰った後、ナンパされたんでしょう?」
「いえ。ナンパじゃないわ。ある男の人と少し喋ったの」
「どんな人と?」
「それは、ちょっと言えないわ・・・」
「ナンパじゃなくて、男と喋るなんて、どういうことだか、よくわからないわ」
「わかった。芸能プロダクション関係の人でしょう。なら、辻褄があうわ」
「い、いや。芸能プロダクション関係の人じゃないわ」
そうは、言っても、哲也は、京子を売り出そうしている、のだから、あながち、完全な間違いとも、言えない。
「それで、8月12日の、片瀬西浜の、海の女王コンテストには、本当に出るの?」
「え、ええ。迷ったけど、出ようと思うわ」
「そうなの。よくわからないけど、じゃあ、私も協力するわ」
そんな会話があって、仕事が始まった。
京子は、離れた席にいる哲也をチラッと見た。
哲也は、京子と視線が合うと、微笑した。
しかし京子は、嬉しいんだか、口惜しいんだか、愛憎まじった複雑な感情だった。
△
昼休みになった。
「京子。食堂に行こうよ」
という順子の誘いを、
「ちょっと用事があるから・・・ゴメンね」
と言って、京子は、断って、オフィスに残った。順子は、一人でオフィスを出た。
皆、昼食のため、社内の食堂へ出た。
ただ一人、哲也だけが残った。
京子は、哲也のデスクに行った。
「哲也さん。ちょっとお話ししたくて・・・。外へ出ませんか?」
「ええ。いいですよ」
そう言って、二人は、社外に出た。
そして、社外から、少し離れた喫茶店のルノアールに入った。ここは、サンドイッチの類と、飲み物しかメニューにないので、昼食に来る社員はいない。なので、社員と顔を合わせることも、まずない。京子は、哲也と二人きりで、話している所を、会社の社員に見られて、会社で、変な噂をされるのが嫌だったのである。ルノワールという店名だけあって、壁には、印象画家のルノワールの絵画のレプリカが飾られている。そこの店には、「マドモアゼル・イレーヌ・カーン・ダンベーユ」の絵画が飾られていた。この「マドモアゼル・イレーヌ・カーン・ダンベーユ」の絵を京子は、ルノワールの絵画の中で、一番、気にいっていた。ルノワールの最高傑作だとも思っていた。たんに、あどけない少女の肖像画だが、実に美しい。ルノワールのような、印象派の画家は、絵画における色彩の使い方を絵画の価値と見て工夫し、表現しているので、肖像画の少女を、ことさら美形にして描いたりは、しないだろうから、実物の、マドモアゼル・イレーヌ・カーン・ダンベーユも、絵画の通り、非常に美しい少女だったのであろう。
△
京子は、サンドイッチと、アイスティーを注文した。
哲也も、京子と同じ、サンドイッチと、アイスティーを注文した。
△
京子は、さっそく、有り余る思いを哲也にぶつけた。
「哲也さん。ひどいわ。大磯でカシャ、の、コメントに、私の本名を出して、コメントに、8月12日の片瀬西浜の、海の女王コンテストに出場します。ヨ・ロ・シ・ク?、なんて書いて・・・それに、哲也さんのホームページやブログにも、同じようなことを書いて・・・」
「ごめんなさい。京子さん。怒っているんですか?」
「それは、人間なら、みな、怒りますよ。了解を得ないで、かってな事をされては」
「すみません。そのことは、心よりお詫び申し上げます」
哲也は深々と頭を下げた。その態度には確かな誠実さがあった。
「どうして、あんな事を書いたんですか?」
京子は、哲也が、了解もとらないで、ああいう派手なことを書いた理由を知りたかった。
「それは、僕は、京子さんほど魅力のある人は、会社のOLをして、無名でいるより、もっと多くの人に知られて、世間のアイドルになって欲しかったからです。京子さんにしてみれば、世の中には、綺麗な女はたくさんいる、と言うでしょう。それは、その通りです。それで尻込みしてしまうでしょう。しかし、京子さんの優しい、明るい性格は、きっと世間に受け入れられる、と思ったからです。人間は、自分では、自分の良さが、どうしても見えません。また自分で自分をアピールすることも、出来にくいものです。なので、京子さんには、申し訳ないと思いましたが、僕が京子さんを、アピールしてしまいました。ふざけた気持ちや悪意は、全くありません」
と哲也は説明した。
「そうですか。わかりました。確かに哲也さんの言うことも、もっともです。それに、尻込みしている、という哲也さんの言ったことも、事実です」
「では、8月12日の片瀬西浜の、海の女王コンテストには、出場してくれますか?」
「もう、こうなったら、出場するしかありません。私も、本気で挑戦してみようと思います。むしろ、勇気がなかった私に、決断させてくれた哲也さんに、口惜しいですけど、感謝するしかありません」
「よかった。では、僕も、もっと、もっと、宣伝します」
「でも、宣伝なんかして、いいのでしょうか?それに、宣伝したからといって、効果があるのでしょうか?」
「それは、ありますよ。宣伝しても、魅力のない人には、人気は出ませんから」
二人はアイスティーを飲んで、一息ついた。
「ところで、山野さんの書いた小説、少し、読ませて頂きました」
「それは、どうも有難うございます。感想はいかが、ですか?」
「そうですね。読みやすいです。爽やかな恋愛小説ですね。文章から、場面がはっきりイメージされるような感じです。昨日は、色々なことがあって、気が動転していたので、とても、落ち着いて読む気分にはなれませんでしたけれど、今日から、また、読みます。お世辞でなく、良い小説だと思います」
「それは、有難うございます」
「それで、山野さんは、文学賞とかに応募したりとか、作家になりたい、とか本気で思っているんでしょうか?」
「文学賞に応募したことは、三回、あります。しかし、三回とも第一次選考にも通りませんでした」
「そうですか。良い小説だと思うんですが・・・ダメなんですか?」
「オール読物とか、権威のある文学賞は、今までの作品にない、新しい感性、や、奇抜なストーリーを求めています。それに、枚数の規定があって、80枚から150枚まで、というような、枚数の規定があります。枚数の多い作品の方が、内容が豊富に出来ますから、枚数の多い作品の方が選ばれやいんです。それと、何度も、応募してくる人も、結構いて、さすがに、選考委員も、情がありますから、同じ人が作品を何回も投稿してくると、それなりに、しっかりした作品なら、今回は受賞を認めよう、という、ことも、あるんです。僕にも感性は、ありますが、子供っぽいですし、奇抜なトーリーというのも、書けない、というか、書く気がしない、というか、で、結局、受賞は無理です。小さな文学賞の募集は、100以上、たくさん、あります。しかし、ほとんど人に知られていないような、マイナーな文学賞に応募して、当選したからといって、たいした意味はありません。そんなことを、しているより、僕は、もっと、もっと、出来るだけ、たくさん作品を書きたいんです」
「そうですか」
京子は、はあ、と溜め息をついた。
京子は、人に、「勇気を出して挑戦せよ」と言っている哲也本人は、はたして、勇気を出して挑戦しているのか、と、問い詰めたかったのだが、残念ながら、哲也は、三回も、文学賞に応募して、落選しても、書くのをあきらめないで、書いていることを知って、哲也を非難できなくなって、ガッカリした。
哲也が、自分がしていないことを、他人に、偉そうに要求しているのなら、海の女王コンテストに出ない口実になるのだが、それは出来なくなった。からである。
「では、海の女王コンテストに出ます」
京子は、自信を持って言った。
「では、僕は、ネットで、大いに宣伝します。いいですか?」
「ええ。構いません」
京子は、少し、もう、どうとでもなれ、という、なげやりな気持になっていた。
そんな会話をして二人は、喫茶店を出た。
△
その日の仕事が終わって、順子と帰りの電車に乗っている時だった。
前の座席に座っている、中学生くらいの男の子が、スマートフォンをピコピコしながら、座っていた。
京子は、その男の子を何度か見たことがあった。
「あのー」
と少年は、京子に、話しかけてきた。
「はい。何でしょうか?」
「もしかして、あなたは、岡田京子さんじゃありませんか?」
「え、ええ。そうです」
京子は、恥ずかしそうに答えた。
「やっぱり。・・・昨日の、大磯ロングビーチの、大磯でカシャを見て、似てるなー、と思い、つい声を掛けてしまいました。すみません」
「い、いえ」
京子は、ネット公開した効果が、こんなに大きいことに、驚かされた。
「あのー。8月12日の海の女王コンテストに出場するんですか?」
「え、ええ」
「じゃ、僕、応援します。ネットでいっぱい、宣伝します。学校でも、みんなに宣伝します」
「そ、それは、ありがとう」
「岡田さんのコマネチとヒット・エンド・ラーンの動画も、見ました。岡田京子、で、Yahooで検索したら、山本哲男という人のホームページに載っていましたので・・・。それと、岡田さんは、××商事に勤めているOLなんですね」
京子は、あまりにも、自分のことが、知られているので、驚いて聞き返した。
「どうして知っているのですか?」
「岡田京子、で、Yahooで検索したら、××商事会社に、名前と顔が、出ていて、わかったんです」
京子の会社で、以前、経理課の紹介として、顔と名前を、××商事会社のホームページにアップしていたのである。それに辿り着いたのだろう。
あのー、と少年は、顔を赤くして、カバンから、ノートとシャープペンを取り出した。
「はい。何でしょうか?」
「サインして頂けないでしょうか?」
そう言って、少年は、京子の方にノートとシャープペンを差し出した。
京子は、恥ずかしそうに、それを受けとると、「岡田京子」とサインして、少年に返した。
「有難うございます」
少年は、嬉しそうに礼を言って受けとった。
そして次の駅で少年は降りた。
「京子。はやくも、有名人ね」
と、からかうように、順子が笑って言った。
△
京子は、順子と別れて、アパートに着いた。
そして、昨日のように、ノートパソコンを持って、ベッドにゴロンと身を投げ出した。
哲也がYou-Tubeにアップした、京子の、コマネチとヒット・エンド・ラーンの動画は、すでに10万人の閲覧者を記録していた。大磯ロングビーチの、大磯でカシャ、の影響と、哲也の宣伝、などのためだろう。一日で、10万人の閲覧者の数には、さすがに京子も驚いた。さらに、「美人すぎるOL」というスレッドが立っていた。その閲覧者も、相当な数になっていた。哲也のホームページには、「僕の女神さま」という、タイトルが、加わっていた。クリックすると、哲也と、江ノ島駅で、別れるまでの出来事が、ほとんど正確に書かれてあった。京子は、一気に読んだ。そして、小説の最後には、「これは事実です。まだ、未完で、続きます」と書かれてあった。哲也のブログには、「僕の女神さま、という小説を書き出しました。まだ未完で、途中までですが、アップします。これは、事実を正直に書いたもので、岡田京子さんは、僕の会社の同僚です」と書かれてあった。
順子のブログにも、京子の写真が、たくさん、載せられて、色々と書かれてあった。
もう、ここまできたら、海の女王コンテストに出場しないわけには、いかない。
△
その時、ピピピッと京子のスマートフォン、Galaxy XJが鳴った。
母親からだった。
「あっ。お母さん。久しぶり」
「京子。ネットで見たわよ。海の女王コンテストに出場するって、本気なの?」
「え、ええ。ちょっとした、いきがかり上、そうしなくちゃならなくなっちゃったの」
「そうしなくちゃならなくなっちゃった・・・って、いうと、あなたの意志じゃなくて、誰かが勧めたのね」
「え、ええ。まあ。そうだけど、お母さんは反対?」
「別に賛成でも、反対でも、ないわ。あなたが、出るというのなら、私は反対しないわよ」
京子の母親は寛容な性格だった。
「ちょっと将太に代わるわね」
母親は、そう言った。
「お姉ちゃん。海の女王コンテストに出場に出場するんだってね。僕、姉ちゃんの、子供の頃からの写真で、お姉ちゃんのホームページを作っている所だよ。僕も応援するから、頑張ってね」
と弟の高校一年生の将太が言った。
「ありがとう。頑張るわ」
と京子は言って電話を切った。
それ以外にも、京子の、中学校、高校、大学、からの友人たちから、ひっきりなしに、応援の電話やメールが、やって来た。京子は、友人が多いので、100人以上の友人から、電話やメールが、やって来て、その都度、京子は、「ありがとう。頑張るわ」と返事した。ブログやホームページを持っている者は、「京子の写真、や、京子のこと、書いてもいい?」と聞いてきた。そういう質問には、全て、「いいわよ」と京子は、答えた。
△
海の女王コンテストに、「頑張る」と言っても、スポーツ競技でもなければ、資格試験でもない。コンテステトに出るだけである。何を頑張る、というのだろう。何かを頑張ったからといって、容姿や体型が良くなるわけでもない。美容整形で、直したい顔の部分というものも、なければ、体型も、京子は、元々、特にダイエットしなくても、小食で、プロボーションは、抜群に良かった。トレーニングジムに行って、肉体を引き締める必要も感じていなかった。
△
ともかく、もう、ここまできたら、海の女王コンテストに出場しないわけには、いかない。
京子は、海の女王コンテストのホームページを開いた。
すると、それには、こう書かれてあった。
【必要書類】
履歴書1通(身長、スリーサイズを記入すること)
サービス版カラー写真1枚(3ヶ月以内に撮影した着装で全身のもの)
※応募書類は返却いたしません
【審査日程】
2014年7月20日 募集締切【午後5時必着】
2014年7月20日から 書類審査 非公開
2014年7月30日 面接審査 非公開
2014年8月12日 ステージ審査 公開
【審査】
書類審査(非公開) 参加資格の適否及び応募書類を審査する。
合格者:40~50名程度
面接審査(非公開) 書類審査通過者を対象に内面的適否を審査する。
合格者:5名
ステージ審査(公開) 面接審査通過者を対象に、投票によって決定する。
【応募宛先】
〒251-0035
藤沢市片瀬海岸0-00-00 公益社団法人藤沢市観光協会内
「海の女王コンテスト」係
となっていた。京子は、履歴書を書き、写真を塗布して、ポストに投函した。
△
数日後、書類審査での、合格の葉書が京子の所に来た。
「書類審査、合格です。つきましては、面接審査を行いますので、7月30日の12時に藤沢市民体育館に、お出で下さい」
と書かれてあった。
△
その時、順子から電話がかかってきた。
「京子。履歴書と写真は、もう出したんでしょ?」
「ええ。今日、書類審査、合格のハガキが来たわ」
「そう。よかったわね。というより、京子なら、当然だわ」
△
30日の、面接審査の日になった。
審査場所は藤沢市市民体育館だった。
京子が、着いた時には、もうすでに、10人以上、来ていた。
書類審査が通った人達だけあって、みな、美人である。
一人の女が、京子を見つけると、駆け寄ってきた。
大学時代の、同級の友人の圭子だった。
「やあ。圭子」
「やあ。京子」
二人は、久闊を除した。
「京子。あなた、ずいぶんと派手に、ネットで、宣伝してるわね」
圭子が言った。
「え、ええ。本当は、私の意志じゃないの。成り行き上、ああ、なっちゃったんで。私は、元々は、出るつもりはなかったんだけど。こうなったら、みんなの期待に応えるためにも、出ようと思い決めたの」
「そうなの。ホントかしら?」
圭子が、疑り深そうな目で京子を見た。
圭子は、積極的な性格で、大学時代から、ミス慶応に立候補していた。大学のミスコンは、かなり、ステータスがあり、選ばれると、マスコミに知られて、芸能プロダクションから、声が掛かって、芸能人になるキッカケに成りやすい。圭子は、ミス慶応になって、女子アナに、なるのが、夢だった。だが、圭子は、なれなかった。
一方、京子も、立候補してみたら、と誘う友人も多かったが、京子は、目立ちたくなかったので、断った。
「京子。応募した人数、知ってる?」
圭子が聞いた。
「わからないわ」
「5000人以上、だそうだわ」
圭子が答えた。
「ええー。そんなに、多かったの?」
「そうよ。海の女王コンテストも、ステータスが上がってきて、応募者は、年々、増えているらしいわよ」
「5000人、応募して、第一次選考の、50人に入れたのだから、100人の中で一人、選ばれたことになるわ」
圭子が言った。
「江ノ島、海の女王コンテストの応募資格は、神奈川県在住だから、応募するために、神奈川県に住所を移す人も、かなり、いるのよ」
圭子が、そう説明した。
△
正午になった。
「それでは、応募者のみなさん。面接審査を行います。面接室にお入り下さい」
面接審査は、第一次選考で、通った50人が10人ずつ、審査員の前で審査される、というものだった。京子と圭子は、一緒の組になった。
面接室には、5人の審査員がいて、その前に、椅子が10個、横一列に並んでいた。京子は、何だか、就職の面接の時のような感覚を思い出した。就職面接の時は、ガチガチに緊張したが、今度は、別に、さほど、ムキになって、海の女王コンテストの第二次テストに、通りたいとも思っていなかったので、リラックスした気分で、いられた。
「岡田京子さん。自己紹介をして下さい。特技は、スキー、水泳、趣味は、読書、となっていますが、スキーはSAJで何級ですか?」
審査員が、履歴書を見ながら京子に質問した。
「はい。一級です」
と京子は、答えた。
本当は、京子は、緩斜面のパラレルターンを滑れる3級、程度の実力しかないのだが、それを、わざわざ、証明することもないし、少し、大袈裟に書いておいた。のである。
というのも、最近の就職難から、少しでも自己アピールすることは、もう日本社会では常識となっている、ので、正直で、謙虚な、京子も、そう書いておいた。のである。
別に、スキーが出来たからといって、仕事の能力とは、関係ないが、趣味や、特技は、何かあったら、書いておいた方が、「何事にも、積極的な性格」と見なされて評価される、ということを京子は、就職試験で知っていた。
「趣味は、読書と、ありますが。一番、好きな作家は誰ですか?」
「はい。山本哲男です」
審査員は、顔を見合わせた。
「山本哲男って、知ってる?」
「いや」
「いや」
審査員は、全員、誰も、知らなかった。
「山本哲男という作家は、どういう小説を書くのですか?」
「恋愛小説です」
審査員の一人が、パソコンで、「山本哲男」で検索した。
「あなたの写真が載っていますね。彼とは、どういう関係なのですか?」
「はい。私の会社の同僚です。私を海の女王コンテストに出場するよう、勧めてくれた人です」
「僕の女神さま、という、書きかけの小説の主人公はあなたがモデルなのですか?」
審査員が、山本哲男のブログを見ながら聞いた。
「はい。そうです。あの小説の男の人が、山本哲男さんで、話は、ほとんど、事実に忠実です」
京子は、淡々と答えた。
「わかりました。合否の結果は、1週間以内に、ハガキで知らせます」
そんな具合で、面接は簡単に終わった。
しかし、面接の後、スリーサイズを、厳密にチェックするため、ブラジャーもとって、パンティー一枚で、係りの女に、スリーサイズを、測定された時には、さすがに京子も恥ずかしかった。
△
ちょうど一週間後に、二次面接の合格のハガキが京子に届いた。
京子は、順子に電話した。
「二次面接も受かっちゃった」
「よかったじゃない」
△
さて、とうとう、8月12日の、海の女王コンテストの、ステージ審査の日が来た。
日曜日で、雲一つない青空で、会場の片瀬西浜は、海水浴客でいっぱいだった。
二次面接で、ふるいにかけらけて、合格した者は、5人だった。
その中に、圭子もいた。
圭子は、派手な露出度の高いセクシーなビキニだったが、京子は、普通のセパレートのビキニだった。
「京子。あなたも合格したのね」
「ええ」
「圭子。あなた。少しやせ過ぎじゃない?」
「ええ。体重が増えるのが怖くて、食べるのが怖くなって、摂食障害ぎみになってしてしまって・・・」
「そうなの」
「あなた。ダイエットとか、スポーツジムとか、行ってるの?」
「行ってないわ」
「そうなの。それにしては、凄く良いプロボーションね。私なんか、海の女王コンテストで優勝するために、ダイエットしていたし、スポーツジムにも、通っていたわよ。あなたの体は健康的だわ」
△
二時になった。
「会場のみなさん。これから、海の女王コンテストを始めます。どうぞ、お集まり下さい」
アナウンスが鳴った。客達が集まってきた。
「では、これより、海の女王コンテストを行います」
そんな具合に、コンテストが始まった。
二次審査を通った5人が、一人ずつ、ステージの上に立って、簡単な自己紹介をした。
他の4人は、みな、綺麗で、京子は、これでは、とても勝ち目がない、と思った。
ビキニ姿の最終候補の5人が、一人ずつ、ステージに上がって、自己紹介をした。
1番。「佐々木希子です。特技は、新体操です。趣味は、音楽鑑賞、ピンク&キラキラもの収集です。それと、天竺に大乗仏教の経典をとりに行く旅をすることです」
2番。「能年玲奈子です。特技は絵を描くことです。趣味はギター演奏、読書、アニメ鑑賞です。性格は、あまちゃん、です。特技は、素潜り、です。海女さんにも負けません」
3番。「武井咲子です。趣味、特技はバスケットボールです。好きなものは、太賀誠さんです。好きな言葉は、愛と誠、です。趣味は、大賀誠さんに、一生、償うことです」
4番。「筒井順子です。特技は、ピアノの演奏と、新体操です。趣味は、読書です」
5番。「岡田京子です。特技は、スキー、水泳です。趣味は、読書です」
京子が、ステージに立った時、観客達がどよめいた。
「あっ。大磯でカシャの人だ」
「ネットで話題の、岡田京子さんだ」
「写真より、きれいだなー」
そんな声が、たくさん沸き起こった。
△
「さあ。みなさん。携帯か、スマホで投票、お願いします。30分で締め切りです。これは、全国中継されていて、全国からのネット投票で、決定されます。一人一票を守るため、同じIPアドレスからの、票は、自動的にチェックされて、除外され、一人一票となります」
「では、始めて下さい」
みなは、カチャカチャとスマホを操作した。
30分は、あっという間に経った。
「はい。終了です」
審査員が、言った。
「結果を発表します」
と言って、審査員は、コホンと咳払いした。
「結果、発表。岡田京子さん、500万票。筒井圭子さん、3万票、佐々木希子さん、2万票、能年玲奈子さん、1万票、武井咲子さん、1万票。よって、岡田京子さんの優勝です」
「京子。おめでとう」
圭子が祝福した。しかし、圭子は、明らかに、落ちこんでいた。
「ありがとう」
京子は、心からの、お礼を言った。
「残念。もう、ミスコンは、あきらめるわ」
圭子が、さびしそうな口調で言った。
「でも、私は、前宣伝が大きかったから・・・受賞したのに過ぎないわ。あなたも、夢をあきらめないで」
「いや。私、決めてたの。今回の、ミスコンで、優勝できなかったら、もう、あきらめようと。宣伝しても、人が魅力を感じなければ、どんなに、宣伝しても、無駄なだけよ。私には、あなたのような、天性の魅力がないんだわ」
京子は、なぐさめる適切な言葉を見つけられなかった。
「ねえ。岡田京子さん。コマネチとヒット・エンド・ラーンをやってよ」
客の中から、そんなリクエストが出た。
京子は、その場で、客の要望に応えて、コマネチとヒット・エンド・ラーンをやった。
京子の頭に冠が乗せられた。
イベントが終わると、みなが、京子に、握手やサインを求めてきた。京子は、それに全て、答えた。
「あ、あの。私は、こういう者ですが・・・」
一人の男が、京子に近づいて、名刺を渡した。
それには、オスーカプロダクションと書かれてあった。
△
こうして京子は、オスーカプロダクションから、スターデビューした。
京子の話題は、ネットを通じて、一気に広まった。
大手20の週刊誌のグラビアに載った。
社長はじめ、会社も、彼女のデビューを喜んだ。
初めのCMは、当然のことながら、京子の会社のCMと決まった。
△
哲也の小説、「僕の女神さま」も、京子のスターデビューまでで完成した。この小説は、京子の生き様を小説にしたものなので、京子が生きている限り、書き続けられるが、山野は、京子がスターデビューした時点で、一応、完成とした。
そして、何と、恋愛小説が、不毛の中で、久々の良い恋愛小説ということで、哲也の、「僕の女神さま」が芥川賞候補になり、その年、山野哲也は、芥川賞を受賞した。
△
宝映映画から、京子主演の映画作製の話が持ち込まれた。
当然のごとく、哲也の、「僕の女神さま」の映画化で、京子が主演、哲也も主演となった。
哲也が、映画の脚本も書いた。が、話が単純で、会話が多いので、ほとんど、小説の会話に、手を入れず、脚本を書いた。
「僕の女神さま」は、「事実」を、本人二人が演じる映画、ということで、しかも、芥川賞の小説の映画化ということで、話題になり、久々の大ヒットとなった。観客は、100万人を突破した。映画は、日本だけではなく、アメリカ、中国、韓国、など、世界、27ヵ国で、上映された。
△
そして、哲也の小説、「僕の女神さま」は、その年、ノーベル文学賞候補にあがり、十分な選考の結果、ノーベル文学賞と決まった。これで、山野哲也は、川端康成、大江健三郎についで、三人目の、日本人のノーベル文学賞の受賞者となった。
ノーベル文学賞の受賞式のストックホルムには、京子と一緒に行った。
山野哲也の、「僕の女神さま」は、世界、27ヵ国語に翻訳された。
こうして哲也は作家的地位を確立した。
一方の、京子も、映画、「僕の女神さま」の成功によって女優としての地位を確立した。
京子は、哲也に結婚を申し出たが、哲也は、「物書きは女を幸せに出来ない」と言って、京子の申し出を受けず、京子とは、友達の関係にとどめている。
△
ある日の会社が、終わった後。京子と順子の、二人は、近くの喫茶店に入った。
「ねえ。山野君って、誰とも話さなくて、孤独そうね」
順子が言った。
「どんな職場でも、学校でも、一人くらいは、そういう人、いるわよ」
「でも、事務的な連絡は、ちゃんとしてるわ」
「内気な人って、何を考えているのか、わからないわね」
「女に興味がないのかしら?」
「さあ。それは、わからないわ」
「京子のこと、どう、思ってるのかしら?京子ほどの美人にも、関心がないのかしら?」
「そうかもしれないわね」
「新入社員の男子で、京子に関心を持ってない人なんて、誰もいないんじゃない」
順子が言った。
新入社員の男子は、みな、京子を好きだった。それは、ある日の、飲み会の時、男の一人が、いい心持に酔って、ふざけ半分に、「京子が好きな人は手を上げて」と言ったら、みなが手を上げたからである。「二番は?」と聞いたら、それは順子だった。
実際、京子は、大学でも、ミス慶応に立候補するよう勧められた。が、京子は照れくささから、立候補しなかった。
「司法試験を目指して勉強でも、しているんじゃないかしら?」
「そうね。彼は、法学部、卒業だものね」
「でも、そんなふうにも、見えないわ」
「じゃ。絵画か、小説でも、書いているんじゃ、ないかしら」
「そうね。もし、熱中している物があったら、それに、のめり込んで、他の事には関心がなくなるって、こと、あるものね」
「そうね。作家って、面白い作品を書けるのに、性格が暗い人って、結構、いるものね」
「小説だったら、どんな作品を書いているのかしら?」
「んー。わからないわ。ミステリー小説・・・にも見えないし、真面目で学究肌だから、きっと純文学じゃないかしら。芥川賞を狙ってたりして」
「恋愛小説じゃ、ないでしょう」
「そうね。そんなふうには見えないわね」
「ところで、京子。今度の土曜日、空いてる?」
「ええ。別に何も予定はないわ。でも、何で?」
「海に行かない?」
「ええ。いいわよ。どこへ行く?」
「京子は、どこへ行きたい?」
「そうね・・・海じゃなく、大磯ロングビーチに行かない?海じゃ泳げないし、大磯ロングビーチなら、きれいだし、砂もつかないし、泳げるし・・・」
「それに、片瀬江ノ島だとか、入れ墨してる人ばかりで、男も、しつこくナンパするのが多いでしょ」
「じゃあ、大磯ロングビーチにしましょう」
そういうことで、京子と順子の、二人は、週末の土曜日、大磯ロングビーチに行くことになった。
△
土曜日になった。
順子の車キューブで、二人は、大磯ロングビーチに行った。開館時間の9時ちょうどに着いた。大磯ロングビーチの土日は混む。駐車場には、かなりの車が止まっていた。9時、開館といっても、もう、9時前に開けたらしく、入場している客が、かなりいて、ウォータースライダーで、歓声を上げる客の姿が見えた。
入場を待つ客の列も長かった。京子と順子の、二人は、その最後尾についた。しかし、入場券、売り場は、窓口が5ヵ所、あって、素早く捌いているので、どんどん列は進み、すぐに入れた。二人は、場内に入ると、更衣室で着替えて、屋外に出た。二人は、当然、ビキニだったが、順子の方が、露出度の高いビキニだった。しかし、プロポーションは、京子の方が、断然、上だった。
二人は、奥の、波のプールの所に、ビニールシートを敷いて、荷物を置いた。
二人は、日焼け止めのローションを塗った。
「京子。ウォータースライダーに行ってみない」
順子が言った。
「ええ」
京子は肯いた。
二人は、ウォータースライダーへ向かった。ウォータースライダーは、待つ人が多い。それだけ人気があるのである。20人くらい、の人達が待っていた。10分くらい待った。京子たちの番が来た。京子と順子は、二人用のボートを、降りてきた二人組から、受けとって、スライダーの頂上へ登っていった。
「京子。前に乗りなさいよ」
「えっ。こわいわ」
「大丈夫よ。私が、しっかりと、後ろで、体を、つかんでてあげるから」
そういうわけで、京子が前に乗り、順子が後ろに乗った。
係員の指示て、二人はスタートした。
「うわー」
「きゃー」
遊園地のジェットコースターくらいのスピードが出て、二人は、何とか無事に、着水地点に、たどりついた。
「こわかったわー」
「でも、スリルがあって、面白いわ。もう一度、やりましょう」
順子の提案で、二人は、三回、ウォータースライダーをやった。
その後、二人は、大きな浮き輪を借りて、流れるプールで、流れに、身をまかせた。
「今度は、波のプールに行きましょう」
順子の提案で、二人は、波のプールに向かった。
△
「ちょっと、咽喉が渇いちゃった。ハウスの中の自動販売機に、アイスココアがあったわ。あれを、飲みたいから、私、ちょっと、もどるわ。京子は、先に行ってて。何か用があったら、携帯でかけて」
「わかったわ」
そう言って、順子は、パタパタと、ハウスにもどっていった。
京子は、波のプールへと向かった。
△
ちょうどダイビングプールの前を通りかかった時だった。
「あっ」
京子は、思わず声を出した。
「ああっ」
相手は、京子以上に、驚いて、立ち竦んだ。
何と、相手は、山野哲也だった。
短めのトランクスを履いて、スイミングキャップとゴーグルを持っている。
「こんにちは」
京子は、ニコッと微笑んで、挨拶した。
「こ、こんにちは」
哲也は、ガチガチに緊張していた。
「誰か、連れの方がいらっしゃるのでしょうか?」
京子が、辺りを、ちょっと見回して聞いた。
「い、いえ」
哲也は、真っ赤になって、言った。
(じゃ、一人で来たのかしら)と京子は、考えた。
(しかし、一人で、何のために、大磯ロングビーチに来たのかしら?)
スイミングキャップとゴーグルを持っているから、泳ぎに来たのだろう。しかし、泳ぎたいのなら、わざわざ、大磯ロングビーチに来なくても、家の近くに、市営プールがあるはずである。
大磯ロングビーチに一人で来る客はいない。友達か、彼氏と彼女、か、家族で来ているはずである。大磯ロングビーチは、友達とワイワイと遊ぶ所である。
哲也は、まるで、覗き、などの、犯罪をモロに見られて、どうしようもなく当惑している、といった感じである。
哲也にしてみれば。もう万事休す、なのである。一人で、大磯ロングビーチに来た所を見られた、という事実は、消すことは出来ない。
あわてて去ろうとすれば、ますます不自然になってしまう。
そんなことらが、京子の頭を瞬時にかすめた。
前から望んでいた、哲也と話す、ちょうどいい機会でもある。
「哲也さん。よろしかったら、少しお話、しませんか?」
京子は、微笑して聞いた。
「は、はい」
哲也は、へどもどして答えた。
京子と哲也は、並んで、歩き出した。
二人は、京子が敷いた波のプールの前に敷いたビニールシートに、並んで座った。
△
「哲也さん。ちょっと待ってて」
そう言って京子は、カバンの中から、携帯電話を取り出した。そして順子にかけた。
トルルルルッ。
「はい。なあに。京子?」
順子が出た。
「順子。悪いけど、別行動しない」
「どうしたの?突然」
「ちょっと・・・」
「ああ。誰かに、ナンパされたのね」
「いや。そうじゃないんだけど・・・」
京子は言い澱んだ。
「いいわよ。京子が一人でいたら、ナンパされるのは当然だわ」
「・・・・」
「わかったわ。私、もう、十分、楽しんだから帰るわ」
順子が言った。
「ごめんね」
「いいわよ。全然、気にしてないわよ。まだ、時間があるから、私、これから、車で、茅ヶ崎サザンビーチに行くわ」
「ごめんね」
「一人か、数人か、わからないけど、京子と夏を楽しむことが、出来る幸運な男は、京子との出会いが、一生の内でも、一番の、宝石のような、素晴らしい思い出になるわ」
そう言って順子は、携帯を切った。
「順子さんと、来ていたんですね」
哲也が言った。
「ええ。でも、順子は、茅ヶ崎サザンビーチに行きたいから、帰るって」
「いえ。せっかく二人で楽しんでいたのに、帰してしまって、申し訳ないです」
京子は、辺りを見回した。ウォータースライダーが目に止まった。
「ところで、哲也さん」
「はい」
「哲也さんは、あのウォータースライダー、やったことありますか?」
京子は、青い、うねうねと曲りくねるメビウスの輪のような、ウォータースライダーを指差して聞いた。
「い、いえ。な、ないです」
「よかったら、やってみませんか?」
「は、はい」
京子と哲也は立ち上がった。そしてウォータースライダーの方へ向かって歩いた。
ウォータースライダーは、20人くらい、待って行列が出来ていた。といっても、ほとんどは、二人組なので、10番目くらいである。京子と哲也は、列の最後尾に並んだ。
列の前に、手をつないでいる恋仲の男女が、京子の目にとまった。
「ふふふ。私たちも」
そう言って、京子は、隣りにいる哲也の手を、そっと握った。
握った瞬間は、ビクッと哲也の手が震えた。
しかし、震えは、だんだん、おさまっていった。
しかし、哲也の方から、握り返す握力は、返ってこなかった。
やがて、京子と哲也の番になった。
京子と哲也は、二人乗りのゴムボートを、一緒に運んで、ウォータースライダーの頂上に行った。
「哲也さんは、前と後ろの、どっちに乗りますか?」
「僕は、どちらでも、いいです。京子さんが、好きな方に乗って下さい」
「じゃあ、私は、後ろに乗るわ。こわいから」
「じゃあ、僕は、前に乗ります」
こうして、まず京子がゴムボートの後ろに乗り、ついで哲也が前に乗った。
ちょうど、オートバイの二人乗りのような形になった。
「これ。ちょっとスリルがあり過ぎて、私、すごく、こわいんです」
そう言って、京子は、前の哲也に、ヒシッとしがみついた。
京子のビキニで包まれた豊満な胸が、ピッタリと哲也の背中に、貼りついた。
それを感じてか、哲也の体が一瞬、ビクッと震えた。
係員がピッとスタートの合図をした。
ゴムボートは、スライダーの水路を水を掻き分けながら、勢いよく、滑り出した。
「わー」
「きゃー」
京子は、哲也にヒシッと、しがみつきながら、子供のように、叫び声を上げた。
ゴムボートは、メビウスの輪のような、スライダーの水路の中を、勢いよく滑って、ゴールに、ドボンとついた。
「もう一度、やりませんか?」
京子が聞いた。
「はい」
哲也は、二つ返事で元気よく、答えた。哲也の表情は明るかった。
二人は、また、ウォータースライダーを待つ人達の、列の最後尾に並んだ。
京子は、また隣りにいる哲也の手を、そっと握った。
今度は、哲也の手は震えていなかった。
むしろ京子の手を、握る力が、少しあるのを、京子は確かに感じた。
二人の番が来た。
京子と哲也の、二人は、さっきと同じように、二人乗りのゴムボートを、一緒に運んで、ウォータースライダーの頂上に登った。
「今度は、私が前に乗っていいかしら?」
「ええ。じゃあ、僕は後ろに乗ります」
こうして、京子が前に乗り、哲也が後ろに乗った。
「哲也さん。私をしっかり、つかんで、守って下さいね」
「はい」
哲也は、背後から、手を廻して、京子の体を、しっかりと、つかんだ。
二人乗りの、ゴムボートでは、言わずとも、そうするものである。
それは、人間の手、の安全ベルトであり、京子は、哲也の手、が京子の体を、しっかり、つかまえているのを、確認すると、その手を、ギュッと握った。
そして、その図は、ちょうど、哲也が、背後から京子を、抱きしめている形と同じだった。
係員がピッと合図した。
ゴムボートは、スライダーの水路を水を掻き分けながら、勢いよく、滑り出した。
「わー」
「きゃー」
京子は、子供のように、無邪気な、叫び声を上げた。
哲也の手は、ガッシリと、京子の体を、つかんでいた。
ゴムボートは、スライダーの水路の中を、勢いよく滑って、ゴールに、ドボンと着水した。
△
「哲也さん。有難うございました。守って下さって」
京子は、礼儀正しく、ペコリと頭を下げた。
「い、いえ」
哲也は、照れて、笑った。
「シートの所に戻りませんか?」
京子が聞いた。
「はい」
哲也は、二つ返事で答えた。
ウォータースライダーは、大磯ロングビーチの入り口のテラスハウスの前にあり、京子の、敷いたシートは、一番、奥の、波のプールの前なので、かなりの距離がある。およそ、200mくらいである。
△
二人は、並んで、波のプールの方へ歩き出した。
京子の左手が、哲也の右手に、触れ合った。
京子は、そっと、哲也の手を握った。
哲也も、京子の手を、ごく自然に、握った。
二人は、手をつないで、歩いた。
△
二人は、波のプールの前の、芝生の上に敷いてあるシートに座った。
「あ、あの。哲也さん」
京子が切り出した。
「は、はい。何でしょうか?」
「つかぬことを、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「は、はい。何でも?」
「哲也さんは、大磯ロングビーチに、よく来られるんでしょうか?」
「え、ええ。一夏に一回か、二回くらいですが」
「そうなんですか」
しばしの沈黙があった。
京子は、もっと、つっこんだ事を聞きたかったが、哲也のプライバシーを、根掘り葉掘り、聞くのは、失礼だと思って、聞けなかった。それを察するように、哲也は、告白し出した。今、京子と、ウォータースライダーで楽しんで、気持ちが、ほぐれたのだろう。
「僕は、夏、泳ぐのが好きなんです。かなり泳げます。しかし、泳ぐだけなら、近くに50mの市営プールが、あります。そこでも、泳いでいますが、大磯ロングビーチに、来るのは、ビキニ姿の女の人を見にくるため、なんです。美しいビキニ姿の女性を、一夏に、一度は、見ておきたいんです」
哲也は、心の中の思いを、大胆に、告白した。
「そうなんですか」
京子は、相槌を打った。
「彼女は、いません。僕は、彼女をつくることが下手で、出来ないんです。憶病なんです。だから、彼女と来ているカップルを見ると、すごく、うらやましく思います。でも、僕は、彼女がいなくても、さほど、さびしいとも思いません」
哲也は、大胆に、自分の思いを打ち明けた。
「そうなんですか。でも、それは、どうしてですか?」
哲也が、堂々と、自分の思いを打ち明けているので、京子も、勇気を出して聞いてみた。
△
「僕も女性を好き、という気持ちは、他の男と同じくらいにあります。でも、高校でも、大学でも、今まで多くの女性を見てきましたが、この女性こそは、完全な純粋な、女性と、思って信じてみても、長く見ていると、やっぱり、陰で、人の、さらには、仲のいい友達の、悪口をさえ言います。そうなると、ガッカリです。僕は、女性に失望したくないので、女性は、見るだけに、することに決めたんです」
哲也は、ことさら、京子に、胸の内を明かすように堂々と言った。
「そうだったんですか」
京子は、哲也の、孤独の、身の上話を聞いて、溜め息まじりに言った。
「ても、さびしくありませんか?」
京子が聞いた。
「確かに、さびしいです。実を言うと、僕は、小説を書いています。恋愛小説です」
「それで、さびしさ、を、紛らわしているのですね」
「そうです。あまり女性を知り過ぎて、幻滅しないように、その人の、いい所だけを、見ています」
「哲也さんが、人と付き合わないのには、そういう理由があったんですね」
「ええ。まあ、そうです。でも僕は、さびしさを、紛らわすためだけに、恋愛小説を書いているわけでも、ないんです」
京子は、黙って、肯きながら、哲也の告白を聞いていた。
哲也は、続けて言った。
「オーバーかもしれませんが、僕は、小説を書くことだけが、生きがい、なんです。僕は、恋愛小説いがいの小説も書いています。実人生を選ぶか、芸術を選ぶかで、僕は、ためらいなく、芸術を書く方を選んだのです」
「哲也さんの書いた小説、読んでみたいわ」
△
「ええ。いいですよ。5年前に、ホームページを作って、書いた小説を出しています。山本哲男というペンネームを使っています。その名前で、検索すれば、僕のホームページが出て来ます。ちょっと恥ずかしいですが・・・」
「じゃあ、今日、帰ったら、読まさせて頂きます」
「でも、今日、素晴らしい小説を思いつきました。多分、今まで書いてきた、小説以上の、僕にとっての、最高傑作が書けると思います」
「それは、どんなストーリーなのですか?」
「それは、今日、京子さんと、過ごしたことを、そのまま、正直に書くことです」
「それが、そんなに素晴らしい小説になるんでしょうか?」
「素晴らしい、最高傑作の小説ですよ。恋愛小説は、女性に、輝く物がないと、書けないんです」
「私なんかに輝く物なんて、ないと思うのですが・・・」
「ありますとも。京子さん。あなたは自分の素晴らしさ、に気づいていません」
「そうでしょうか?」
「そうですとも。人間は、自分のことを知っているようで、知っていない。僕が小説を書いているのも、僕は一体、何者なのか、ということを知るためでも、あるのです」
「そうなんですか・・・」
「そうです。人間が、何か表現しようとすると、必ず、その作品には、自分の個性が出ます。たとえば、漫画家なら、漫画の絵に、その人の個性が出ます。作曲家でも、そうです。たとえば、サザンオールスターズの全ての曲は、全て違うメロディーですね」
「ええ」
「でも、サザンオールスターズの全ての曲に、サザンオールスターズらしさ、というのを感じませんか。いとしのエリー、と、津波、と、みんなの歌、などは、全てメロディーが違いますよね」
「ええ」
「でも、全てのサザンオールスターズの曲には、メロディーを聞くと、いかにも、サザンらしいな、というのを感じませんか?」
「そうですね。そう言われると、確かに、その通りですね」
「松任谷由美でも、そうですし、山下達郎でも、そう感じませんか?」
「ええ。確かに、感じます」
「それが、作曲家の個性というものです」
「なるほど。そうですね」
「ところで。小説のタイトルも、もう決めました。というか、決まりました」
哲也が言った。
「何というタイトル何ですか?」
京子は、微笑んで聞いた。
「僕の女神さま、というタイトルです」
「そ、その女神というのは、もしかして、私のことですか?」
「他に誰がいますか?」
△
「私なんか、が、女神だなんて、変な感じですわ。でも、すごく嬉しいです。哲也さんに女神、だ、なんて言われて」
「そうです。正直に言います。僕は、京子さんを、初めて、見た時から、ずっと、京子さんが好きでした」
「有難うございます」
「いえ。僕の方こそ、何とお礼を言っていいか・・・。有難うございます」
そう言って、哲也は、深々と頭を下げた。
「ところで、私に輝く物があるって、言いましたけれど、それは何ですか?」
「それは・・・。京子さんが僕を見つけた時、京子さんが、挨拶だけではなく、お話し、しませんか、と、誘ってくれたことです。そして、ウォータースライダーで、僕の手を握ってくれたことです」
「単に、性格が子供っぽい、だけです」
京子は照れくさそうに言った。
△
京子は、ダイビングプールの方を見た。若いカップルが、笑顔で肩を組んでいて、その前に、大磯ロングビーチの制服を着た男が、カメラを構えていた。OISOでカシャ、である。大磯ロングビーチでは、写真撮影を希望すると、撮ってくれる。そして、その日の、大磯ロングビーチのホームページに撮った写真をアップしてくれる。ただし、これは、土日だけで、平日は、やっていない。
「京子さん。写真、撮ってもらいませんか?」
「ええ」
京子は、二つ返事で、肯いた。
京子と哲也は、カメラを持っている男の方へ行った。
「すみません。写真、撮って貰えませんか?」
哲也がカメラマンに声を掛けた。
「ええ。いいですよ」
カメラマンは笑顔で答えた。
京子は、哲也と、横にピッタリとくっついた。哲也は、京子の腰に手を回した。
「では、撮りますよ」
カシャ。
シャッターが切られた。
京子は、ほっとして、嬉しそうな表情だった。
京子が、ベンチにもどろうとすると、哲也が京子の手を掴んで、引きとどめた。
哲也は、カメラマンの所に行って、何か、ヒソヒソと話した。
カメラマンは、
「わかりました」
と言って嬉しそうに肯いた。
「京子さん。二人で並んでいる写真も、いいですけど、京子さん一人の、美しい写真も、撮ってみませんか?芸術的ですよ」
「はい。哲也さんが勧めるのなら、そうします」
そう言って、京子は、カメラマンの前に立った。
「京子さん。髪を掻き上げて、腰に手を当てて、曲線美を強調するような、セクシーなポーズをとってみて下さい」
哲也が、横からアドバイスした。
京子は、哲也に、言われたように、髪を掻き上げて、腰に手を当てて、曲線美を強調するような、セクシーなポーズをとった。
「いいですよ。そのポーズ」
カメラマンが言った。
カシャ。
シャッターが、切られ、京子のセクシーなポーズの写真が撮影された。
「何だか、恥ずかしいわ」
京子が言った。
二人は、元のベンチに戻って腰かけた。
「ところで、哲也さん。カメラマンの人と、何か話していましたが、何を話したんですか?」
「いやあ、たいした事じゃないです。ちょっとしたことです」
と哲也は、頭をかいた。
「ところで、京子さん」
「はい」
「京子さんは、海の女王コンテストに、出たいとは、思いませんか?」
「それほど出たいとは、思いません。応募者が多いですし、まず、書類審査の段階で、落ちるのが、関の山だと思います」
「そんな、やる前から、あきらめるのは、よくないと思います。自分の事は、自分では、わかりません。僕は、京子さんなら、海の女王コンテストに、応募すれば、優勝すると確信しています」
「そうでしょうか?」
「そうですとも。それで、お願いなんですが、今年の、海の女王コンテストに応募してもらえないでしょうか?」
「哲也さんが、望むのであれば、応募してもいいです。でも、書類審査で、落ちるのが、山だと思うんですが・・・」
「何事も、やってみなければ、わからないんじゃないでしょうか?」
「それは、確かに、そうですね」
△
彼女は照れくさそうに笑った。
「哲也さん。哲也さんは、さっき、今日の出来事の小説は、ありのままに書くと言いましたよね。そして、それが、哲也さんにとっての、最高傑作の恋愛小説になると」
「ええ。言いましたよ」
「でも、私は、それを、書けなくすることも出来ますよ」
京子は少し、悪戯っぽく言った。
「どうしてですか?」
「だって、小説を面白くするためにフィクションは入れないで、私のしたこと、私の話したことを正直に書くんですよね」
「ええ。そうですよ」
「なら、私が、あなたなんか、暗くて、大嫌いと言って、あなたを、ビンタしたら、ふられ小説になって、恋愛小説には、ならないのでは、ないですか?」
「ははは。面白い発想ですね。しかし、はたして、その通りにいくでしょうか?」
「そうとしか、考えられませんわ。私の発言や行動が、そのまま小説になるんなら」
「さあ。そう、上手く、あなたの思い通りになるでしょうか?」
「なりますわ」
そう言って、彼女は、立ち上がった。
彼女は自信満々の様子だった。
「みなさーん」
と京子は、大声で、場内の客たちに呼びかけた。
皆の視線が京子に集まった。
「ビートたけし、のコマネチをやります」
そう言って、京子は、足をガニ股に開いて、
「コマネチ」
と言って、両手を股間の前でVの字にして引きあげて、ビートたけし、の、コマネチをやった。
「では、次に鳥居みゆき、のヒット・エンド・ラーンをやります」
そう言って、彼女は、鳥居みゆき、のヒット・エンド・ラーンをやった。
皆は、あはははは、と腹を抱えて笑った。
彼女は、すぐに哲也の所に戻ってきた。そして、哲也の隣りに腰かけた。
「どうですか。こんな下品なことを、もう実際にしてしまったのですから、ロマンチックな恋愛小説には、なりませんよね」
彼女は、勝ち誇ったように言った。
「ははは。残念ですが、ちゃんとマンチックな恋愛小説に、なりますよ」
哲也は自信満々に言った。
「どうして、ですか?私小説は、私の話したこと、したこと、を正直に書くのではないですか?」
「それは、そうです。しかし、あなたは一つ、大切なことを忘れている」
「何ですか。それは?」
彼女は、推理小説のトリックを知りたがる人のような好奇心、満々の目で哲也を見た。
「確かに、事実をありのままに書く私小説では、起こってもいないことを書くことは、出来ません。ところで、京子さんは、川端康成の、伊豆の踊子、は、知っていますか?」
「ええ」
「いくら、文学に興味のない京子といえども、伊豆の踊子、は知っています」
「あれは、川端康成、自身、言っていますが、何の脚色も入れずに、事実そのものを書いた小説です」
「それも知っています」
「しかし、川端康成が、自作解説で言っていますが、「伊豆の踊子」は、事実そのものを忠実に書いた。一切の脚色はしていない。あるとすれば、省略だけである。と」
彼女は、一心に哲也を見つめた。
「つまり、事実を書く小説でも、重要でない、一部、いや、かなりを省略することは出来ます。そして、それは、何ら、事実を歪めたり、脚色したものでは、ありません。伊豆の踊子、を読むと、あの小説には、起こった全ての事柄が書かれているように、ほとんどの読者は、錯覚してしまうでしょう。しかし、実際には、あの小説には書かれいない、様々な出来事や会話のやりとり、も起こっているはずです。しかし、それらを、全て書いていては、小説が読みにくくなってしまいます。だから、踊子が、あの小説で、発言していること、行動していること、以外にも、様々なことを、主人公である川端康成に、言ったり、したり、しているはずです。しかし、小説を、読みやすく、するために、作者である川端康成が、小説を作る上で、必要な、踊子の発言だけをピックアップしているはずです。それは、何も、事実を書いた私小説だけに限ったことでは、ありません。全ての小説の創作で言えることです。ですから、僕は、今、あなたが、やったコマネチや、鳥居みゆき、のヒット・エンド・ラーンをやったことは、省略して書かないか、あるいは、「彼女はユーモラスな性格で、ロングビーチの客に、ある面白いパフォーマンスをして客を楽しませた」と書くたけです」
哲也の説明は、完膚なきまでに理路整然としていた。
「なるほど。そう言われれば、その通りですね。ガッカリ」
△
彼女は、哲也との頭脳的な戦いに負けて、自分の思考力が哲也に負けたことに、落胆している様子だった。しかも、皆の前で、コマネチをやったり、鳥居みゆきの、ヒット・エンド・ラーンをやったりと、ムキになって、バカなことをやって、恥をかいたことも、後悔している様子だった。
「ははは。京子さん。そう思いつめないで下さい。僕は小説を書いているから、思いつくのは、簡単なことです。小説を書いたことのない人では、思いつかない人もいるでしょう。あなたの思考力が劣っているわけでは、ありませんよ」
哲也は、そう言って、落ちこんでいる京子を優しく慰めた。
△
時計を見ると、4時45分だった。
大磯ロングビーチは、昨年までは、午後6時まで、やっていたのだが、今年から、午後5時で閉館となった。経営が厳しいのである。
一度、3700円の、1日券で客を入れてしまえば、6時までやらなくても、5時で閉館にしても、入場料は同じなのである。パラソルや、浮き輪の類も、使った時間には、関係ない。レンタル料は定額である。ズラリと並んだ、飲食店も、正午から、午後3時までが、客が飲食物を買うピークであり、午後4時を過ぎると、もう、ほとんど、飲食物を買う客は、いなくなる。
「さて。そろそろ閉館の時間ですね」
「ええ」
「京子さんは車で来たんですか?」
「順子の車に乗せてもらったんです」
「でも、順子さんは、茅ヶ崎サザンビーチに、行ってしまいましたよね」
「ええ」
「哲也さんは、車で来たんですか?」
「ええ。でも、オートバイなんです」
「そうなんですか。哲也さんが、オートバイに乗るなんて、知りませんでした」
「僕は、風を切って走るオートバイが大好きなんです」
「ロマンチックなんですね」
「京子さん。もし、よろしかったら、帰りは、僕のオートバイで送らせて貰えませんか?」
「わあ。嬉しいわ。お願いします」
「でも、僕。人を乗せて走ったこと、一度も、ないんです。もしかすると、転倒して、死んだり、一生、身体障害者に、なってしまうかもしれませんよ」
「哲也さんと一緒に、死ねるんなら、幸せです」
そんな会話をしながら、二人は、テラスハウスに向かった。
二人は、それぞれ、男子更衣室と女子更衣室の前で別れた。
そして、10分とかからず、着替えて、出てきた。
京子は、ブルーのTシャツに短いスカートだった。
哲也は、Tシャツに、ジーパンだった。
二人は、ロングビーチを出た。
大磯ロングビーチへ来る客は、電車なら、大磯駅からの、送迎バスで来る。車で来る客は、家族や友達と来るから、全て四輪の自動車である。そもそも、一人で、ロングビーチに来る客は、いないので、オートバイで来る客は、いない。従って、駐車場に止めてあるのは、四輪自動車だけである。
「あっ。あれですね。哲也さんのオートバイって」
そう言って、京子は、駐車場に、一台だけある、青い色のオートバイを指差した。
「ええ。そうです」
二人は、オートバイの前に来た。
哲也のオートバイは、ホンダCB750だった。名前の通り、排気量750ccの大型バイクである。
「本当は、オートバイは、真夏で、暑くても、ツナギを着ていた方が安全なんです。ツナギにフルフェイスのヘルメットを着けていれば、転倒しても、まず大怪我にはなりません。でも、やっぱり、夏に、ツナギというのは、格好悪く、つい普段着で来てしまいました」
と哲也は説明した。
「京子さん。どうしますか。乗りますか?」
「ええ。ぜひ」
「では、僕は、二人乗りで走るのは、初めてなので、ちょっと試してみましょう」
そう言って、哲也は、オートバイに跨り、スターターを押して、エンジンを始動させた。
バルルルルルッ。
と、重厚なエンジン音が鳴った。
大磯ロングビーチの駐車場は、広い上に、夕方になると、もう入場客も来なくなり、帰りの客だけになるので、駐車場には、ロングビーチの係員は、いなくなる。その上、大磯ロングビーチの駐車場は広い。車、400台、止められるほどの広さである。哲也は、場内を、小さく8の字に、運転してみた。かなりのリーン・アウトの姿勢で。全く簡単に運転できた。
「では、京子さん。試しに、後ろに乗ってみて下さい」
「はい」
そう言って、京子は、後部座席に乗った。そして、京子を乗せて、大きな円状に、リーン・インの姿勢で、回転した。リーン・インとは、オートバイは倒さず、体を内側に傾けることで、回転する回り方である。よく、オートバイのロードレースで、極端に、体だけを、内側に傾けて、回っているが、あの曲がり方である。リーン・インだと、オートバイを、あまり倒さずに、回れるので、安全な回り方である。
哲也は、だんだん、円の半径を小さくしていった。そして、8の字状に運転したり、した。
「京子さん。僕にとっては、初めての二人乗りですが、問題ないと、わかりました。それに、帰りの国道134号線は、ずっと、真っ直ぐですから、問題ないでしょう」
そう哲也は、京子に言った。
だが、これは、試さなくても、まず大丈夫ではある。750ccの大型バイクは、重量、250kg以上あり、それを普段から自在に、乗りこなしていれば、45kgの女性の重量が加わっても、ほとんど、影響はない。ただ哲也は、心配性なので、試して安全を確認しなくては、気がすまなかったのである。
「大丈夫そうです。では。京子さん。行きますよ」
「はい」
そう言って、京子は、哲也にヒシッと抱きついた。
ちょうど、ウォータースライダーで、京子が、後ろから哲也にしがみついたのと、同じ格好になった。
哲也は、駐車場を出て、大磯西インターチェンジから、国道134号線に出た。ここからは、片側二車線で、ほとんど、海沿いに、一直線だった。
夏の午後5時は、まだ、昼間の続きのような感覚だった。
遠くに、江の島が見える。
哲也は、どんどんスピードを上げていった。
「最高だわ。哲也さん」
京子は、そう言って、哲也にヒシッと、しがみついた。
「私たち、恋人みたいね」
京子は、そんな、戯れを言った。
大磯を出た時は、空いていたが、帰りの車で、時々、渋滞になることもあった。
オートバイは、渋滞でも、車の間をスイスイ抜けるし、国道134号線の道路の道幅も広かったが、哲也は、無理な追い越しはしなかった。京子の安全を考えているのだろう、と京子は思った。
二人を乗せたバイクは、やがて、茅ヶ崎サザンビーチを越し、江の島に着いた。
「哲也さん。江の島海岸の、海の家で、ケバブを売っている店があります。私、ちょっとケバブを食べたいんですが、哲也さんは、どうしますか?」
京子が言った。
「僕も食べます」
哲也、は答えた。
哲也は、オートバイを片瀬西浜の駐車場に止めた。二人は、海岸に出た。片瀬西浜は、海の家がぎっしり、並んでいた。時間は、午後6時になっていたが、まだ、ビーチで、戯れている客が、ちらほら、あった。哲也は、京子に誘導されて、ケバブを売っている店に来た。
二人は、ケバブを注文して、買って食べた。ケバブは大盛りで、600円だった。
「私。ケバブ、好きなんです。哲也さん、は、どうですか?」
「僕も好きです。このパンの歯ごたえ、と、ソースが美味しいですね」○○○○○○
湘南の海では、江の島をはさんで、西の、片瀬西浜と東の片瀬東浜、その東の先の由比ヶ浜、が、海水浴場のメインだった。しかし、江の島の方が、小田急線の江ノ島駅から近いため、由比ヶ浜よりは、江ノ島の方が、海水浴客は多い。由比ヶ浜の海水浴場は、最寄りの駅が、横須賀線の鎌倉駅で、駅から、かなり歩くので、客は、江ノ島よりは少ない。
「ここ。入りませんか?」
京子が、海の家の一つの前で止まった。そこは、バラックではなく、木を組んで作ってある、ログハウスだった。
「ええ」
二人は、ログハウスに入った。ゆったりしていて、潮風が心地いい。ちょうど南国のリゾートビーチのような気分である。
「哲也さんは何を飲みますか?」
京子が聞いた。
「僕は、お酒は飲めません。コーラにします」
「じゃ、私もコーラにするわ」
そう言って二人は、海を見ながら、コーラを飲んだ。
午後6時から、サーファーが入ってきて、サーフィンをするようになる。
せっかく、休日の一日を、わざわざ、東京から来たのだから、夏の一日を、ギリギリまで楽しもうと、6時を過ぎても、まだ、かなりの客が、砂浜で、ビーチバレーをやったり、して楽しんでいる。しかし、京子も哲也も、大磯ロングビーチで、十分、楽しんだので、また、水着に着替えて、遊ぶ気にはなれなかった。
「京子さん。来月の8月12日に、海の女王コンテストがありますから、出でみたら、どうですか。京子さんなら、きっとなれますよ」
哲也の提案は、本気なのか、からかい、なのかは京子には、わからなかった。
「哲也さんは、他人事だから、簡単に言えるんですわ。片瀬西浜には、綺麗な人がたくさん来ます」
実際、片瀬西浜は都心から一番近い身近な海水浴場であるが、綺麗な、プロポーションも抜群の女が、かなり多い。というか、プロポーションに自信のない女は、来にくい、という面がある。しかし綺麗でも、タトゥーをしている男女が多い。なので、彼らは、大磯ロングビーチには、入れない。大磯ロングビーチは、タトゥーをした人は入れないのである。タトゥーをしているからって、悪い人というわけではないし、大磯ロングビーチとしても、客の確保に必死で、経営がギリギリなのだから、それは緩和してもよさそうなものだが、大磯ロングビーチでは、それは、しない。また、京子には、タトゥーをする女の気持ちが解らなかった。
「京子さん。僕がついています。他人事だから無責任に言えるのかも、しれませんが、人生は、何事も挑戦することに、意味があるのでは、ないですか。僕だって、小説を書くことに、挑戦しようと思った時は、自分に、小説なんて、書けるのだろうか、と、かなり迷いました。しかし、僕は、今では、もう、何作も書いていて、今では、もう自信を持って、自分が小説を書いている、と人に言えます」
哲也は堂々と言った。哲也の発言を、確かに、その通りだと京子は思った。「人生は、失敗をおそれずに、挑戦することに人生の価値がある」という、意味の格言は、数多くの思想家が言っていることである。
「わかりました。では、海の女王コンテストに出てみようと思います。でも、一人では、怖いので、その日は、哲也さんも来て下さいね」
と京子は言った。
「ええ。行きますとも」
と、哲也は嬉しそうに言った。
「それで、芸能プロダクションに目をつけられて、声をかけられたら、どうしますか?会社をやめて芸能人になりますか?」
「そこまでは、わかりません。それに、まだ、海の女王コンテストで優勝してもいませんもの」
「京子さんの、ハワイロケの写真集、プロモーションビデオ、全て買いますよ。僕も、京子さんの売り込みに協力して、大いに宣伝に協力します」
そんな会話をした後、二人は、ログハウスを出た。
そして、哲也は京子を江ノ島の駅まで、送った。
△
「哲也さん。今日は、色々と、楽しかったでした。有難うございました。帰ったら、哲也さんの、ホームページの小説、読まさせて頂きます」
「京子さん。僕の方こそ、本当に有難うございました。今日は、生まれて、一番、幸せな日です。帰ったら、すぐに、今日のことを、小説に書き始めます」
そう言って、二人は、江ノ島駅で別れた。
△
帰りの小田急線は、帰りの海水浴客で一杯だった。京子は、中央林間で、田園都市線に乗り換えた。
アパートに着いたのは、夜の7時30分くらいだった。
△
京子は、まず、シャワーを浴びた。プールで濡れて、ベトついた体を隈なく、石鹸で洗い流した。そして、水着やタオルを、他の洗濯籠に入っている物と一緒に、全自動洗濯機に入れて、洗濯機のスイッチを押した。京子は、冷蔵庫から、ワインを持ってきて、少し飲んだ。
そして、ノートパソコンを、持って、ベッドの上にゴロンと横たえた。そして、Yahooの画面を出して、「山本哲男」で検索した。すると、トップに、「山本哲男のホームページ」というのが出てきた。京子は、それをクリックした。ゴテゴテした飾りのない、極めてシンプルなWebサイトだった。
表紙には、「ホームページへ来て下さってありがとうございます。内容はすべて私の書いた小説です。小説を書くことは三度のメシより好きで、10年以上書きつづけてきました。できうる事なら作家になりたいと思っています。でも作家になれなくても小説は一生、書きつづけます。書きためてきた小説は、たくさんありますので、これからどんどん発表していこうと思っております。H13年3月に小説集を出版しました。買って下さるとうれしいです。どこの書店でもネットでも注文で買えます」と書いてあり、タイトルは、「女生徒、カチカチ山と十六の短編」となっている。
目次を見ると、たくさんの小説のタイトルが並んでいた。長い小説もあれば、短い小説もある。その中で、京子は、「少年とOL」というのを読んでみた。少年がOLと、海水浴場で、遊ぶ、という、たわいもないストーリーの小説だった。しかし、極めて読みやすく、また、その光景が鮮明にイメージされた。少年とOLの恋愛小説だった。京子は、次に、「失楽園」というのを、読んでみた。旧約聖書の、アダムとイブの話を、小説風に書いたもので、アダムとイブの何か、独特のキリスト教解釈の会話があったが、京子には、その意味が解らなかった。だが、まあ、面白かった。ともかく読みやすいので、京子は、短い小説をどんどん、読んでいった。
その時。さっき、洗濯機に入れた、水着やタオルなどが、洗い終わって、それを知らせる、ビビーという音が鳴った。京子は、水着を、洗濯機から取り出して、洗濯物干しに、吊るした。
そして、戻ってきて、小説の続きを読んだ。
京子は、ふと思い出して、大磯ロングビーチのホームページを見た。哲也の小説を、真っ先に読みたいという意識があったので、哲也のホームページを開いたのだが、大磯ロングビーチでは、今日、OISOでカシャ、の写真を撮ったので、京子の写真がアップされているはずである。京子は、急いで、大磯ロングビーチのホームページを開いた。すると、案の定、京子のセクシーなビキニ姿が、アップされていた。しかも、驚いたことがあった。
OISOでカシャ、の写真では、写真の下に、簡単なコメントが書かれる。名前は、ほとんど、全部、ハンドルネームで、本名は書かない。日本人はシャイなのである。しかし、京子のビキニの写真の下には、本名の、岡田京子、と書かれてあり、その上、何と、「岡田京子と言います。8月12日の片瀬西浜の、海の女王コンテストに出場します。ヨ・ロ・シ・ク?」と書かれてあった。山野がロングビーチの係員と、コソコソ話していたのは、これだな、と京子は、気づかされた。大磯ロングビーチに、その日、行った人は、まず、全員、大磯ロングビーチの、大磯でカシャ、の写真を見る。そして、ロングビーチに行かない人も、かなり見る。大体、10万人くらいの人が見る。京子は、ネットで全国の人に、見られることになって、恥ずかしいやら、何となく、嬉しいやら、で、いろんな感情が頭の中をグルグルと回った。
いつまでも、大磯ロングビーチのホームページを見ていても、仕様がないので、京子は、哲也のホームページに戻った。そして、今度はブログを見た。哲也のブログは、2008年から、始められていて、写真は、一つもなく、全部、ゴチャゴチャした、雑感文ばかりだった。しかし、京子が、哲也の小説や、大磯ロングビーチのホームページを見ている間に、哲也が、今日のブログ記事がアップされていた。タイトルは、もろに、「岡田京子」である。本文には、「今日は、最高に幸せな日だった。会社の同僚と大礒ロングビーチで出会った。大磯ロングビーチのホームページの、OISOでカシャ、に彼女の写真が載っていますので、どうか見て下さい。彼女は、8月12日の、片瀬西浜の、海の女王コンテストに出ます。どうか、応援して下さい。彼女は、容姿が美しいだけでなく、とても明るい性格です。なんと、今日、大磯ロングビーチで、コマネチやヒット・エンド・ラーンを、堂々とやるほどです。ホームページに、彼女の動画と写真を載せましたので、ぜひご覧ください」と書かれてあった。
京子は、あわてて、ホームページを開いた。すると、ホームページに、「岡田京子」というタイトルが、出ていた。クリックしてみると、新しいWebページで、You-Tubeの動画で、京子のコマネチをする動画と、ヒット・エンド・ラーンをしている動画が載っていた。そして、数枚の京子のビキニ姿のスナップ写真が載っていた。そして、「岡田京子と申します。8月12日の片瀬西浜の、海の女王コンテストに出場します。応援、ヨ・ロ・シ・ク?」
と書いてあった。横顔であるが、動画も、写真も、はっきりと、京子の顔が、写っていた。哲也が、さり気なく、自分に気づかれないように、スマートフォンで、動画や写真を撮っていたのだろう。コマネチや、ヒット・エンド・ラーンの動画は、少し恥ずかしかったが、こうまで、世間に自分を宣伝されては、嬉しいやら、恥ずかしいやら、で、京子は、いてもたっても、いられなくなった。
その晩、京子は、なかなか寝つけなかった。
△
翌日、京子は、トーストとゆで卵とコーヒーを飲んで出社した。
「お早うございます」
と挨拶して、デスクに座ると、早速、隣りの席の順子が話しかけてきた。
「京子。OISOでカシャ、見たわよ。一体、どうしたの?本名を名乗ったりして。それに、8月12日の、片瀬西浜の、海の女王コンテストに出るので、応援、よろしく、なんて・・・」
順子が聞いた。
「え、ええ。ちょっと、妙な成り行きになっちゃって・・・」
京子は、困惑して、しどろもどろに言葉を濁した。
「私が帰った後、ナンパされたんでしょう?」
「いえ。ナンパじゃないわ。ある男の人と少し喋ったの」
「どんな人と?」
「それは、ちょっと言えないわ・・・」
「ナンパじゃなくて、男と喋るなんて、どういうことだか、よくわからないわ」
「わかった。芸能プロダクション関係の人でしょう。なら、辻褄があうわ」
「い、いや。芸能プロダクション関係の人じゃないわ」
そうは、言っても、哲也は、京子を売り出そうしている、のだから、あながち、完全な間違いとも、言えない。
「それで、8月12日の、片瀬西浜の、海の女王コンテストには、本当に出るの?」
「え、ええ。迷ったけど、出ようと思うわ」
「そうなの。よくわからないけど、じゃあ、私も協力するわ」
そんな会話があって、仕事が始まった。
京子は、離れた席にいる哲也をチラッと見た。
哲也は、京子と視線が合うと、微笑した。
しかし京子は、嬉しいんだか、口惜しいんだか、愛憎まじった複雑な感情だった。
△
昼休みになった。
「京子。食堂に行こうよ」
という順子の誘いを、
「ちょっと用事があるから・・・ゴメンね」
と言って、京子は、断って、オフィスに残った。順子は、一人でオフィスを出た。
皆、昼食のため、社内の食堂へ出た。
ただ一人、哲也だけが残った。
京子は、哲也のデスクに行った。
「哲也さん。ちょっとお話ししたくて・・・。外へ出ませんか?」
「ええ。いいですよ」
そう言って、二人は、社外に出た。
そして、社外から、少し離れた喫茶店のルノアールに入った。ここは、サンドイッチの類と、飲み物しかメニューにないので、昼食に来る社員はいない。なので、社員と顔を合わせることも、まずない。京子は、哲也と二人きりで、話している所を、会社の社員に見られて、会社で、変な噂をされるのが嫌だったのである。ルノワールという店名だけあって、壁には、印象画家のルノワールの絵画のレプリカが飾られている。そこの店には、「マドモアゼル・イレーヌ・カーン・ダンベーユ」の絵画が飾られていた。この「マドモアゼル・イレーヌ・カーン・ダンベーユ」の絵を京子は、ルノワールの絵画の中で、一番、気にいっていた。ルノワールの最高傑作だとも思っていた。たんに、あどけない少女の肖像画だが、実に美しい。ルノワールのような、印象派の画家は、絵画における色彩の使い方を絵画の価値と見て工夫し、表現しているので、肖像画の少女を、ことさら美形にして描いたりは、しないだろうから、実物の、マドモアゼル・イレーヌ・カーン・ダンベーユも、絵画の通り、非常に美しい少女だったのであろう。
△
京子は、サンドイッチと、アイスティーを注文した。
哲也も、京子と同じ、サンドイッチと、アイスティーを注文した。
△
京子は、さっそく、有り余る思いを哲也にぶつけた。
「哲也さん。ひどいわ。大磯でカシャ、の、コメントに、私の本名を出して、コメントに、8月12日の片瀬西浜の、海の女王コンテストに出場します。ヨ・ロ・シ・ク?、なんて書いて・・・それに、哲也さんのホームページやブログにも、同じようなことを書いて・・・」
「ごめんなさい。京子さん。怒っているんですか?」
「それは、人間なら、みな、怒りますよ。了解を得ないで、かってな事をされては」
「すみません。そのことは、心よりお詫び申し上げます」
哲也は深々と頭を下げた。その態度には確かな誠実さがあった。
「どうして、あんな事を書いたんですか?」
京子は、哲也が、了解もとらないで、ああいう派手なことを書いた理由を知りたかった。
「それは、僕は、京子さんほど魅力のある人は、会社のOLをして、無名でいるより、もっと多くの人に知られて、世間のアイドルになって欲しかったからです。京子さんにしてみれば、世の中には、綺麗な女はたくさんいる、と言うでしょう。それは、その通りです。それで尻込みしてしまうでしょう。しかし、京子さんの優しい、明るい性格は、きっと世間に受け入れられる、と思ったからです。人間は、自分では、自分の良さが、どうしても見えません。また自分で自分をアピールすることも、出来にくいものです。なので、京子さんには、申し訳ないと思いましたが、僕が京子さんを、アピールしてしまいました。ふざけた気持ちや悪意は、全くありません」
と哲也は説明した。
「そうですか。わかりました。確かに哲也さんの言うことも、もっともです。それに、尻込みしている、という哲也さんの言ったことも、事実です」
「では、8月12日の片瀬西浜の、海の女王コンテストには、出場してくれますか?」
「もう、こうなったら、出場するしかありません。私も、本気で挑戦してみようと思います。むしろ、勇気がなかった私に、決断させてくれた哲也さんに、口惜しいですけど、感謝するしかありません」
「よかった。では、僕も、もっと、もっと、宣伝します」
「でも、宣伝なんかして、いいのでしょうか?それに、宣伝したからといって、効果があるのでしょうか?」
「それは、ありますよ。宣伝しても、魅力のない人には、人気は出ませんから」
二人はアイスティーを飲んで、一息ついた。
「ところで、山野さんの書いた小説、少し、読ませて頂きました」
「それは、どうも有難うございます。感想はいかが、ですか?」
「そうですね。読みやすいです。爽やかな恋愛小説ですね。文章から、場面がはっきりイメージされるような感じです。昨日は、色々なことがあって、気が動転していたので、とても、落ち着いて読む気分にはなれませんでしたけれど、今日から、また、読みます。お世辞でなく、良い小説だと思います」
「それは、有難うございます」
「それで、山野さんは、文学賞とかに応募したりとか、作家になりたい、とか本気で思っているんでしょうか?」
「文学賞に応募したことは、三回、あります。しかし、三回とも第一次選考にも通りませんでした」
「そうですか。良い小説だと思うんですが・・・ダメなんですか?」
「オール読物とか、権威のある文学賞は、今までの作品にない、新しい感性、や、奇抜なストーリーを求めています。それに、枚数の規定があって、80枚から150枚まで、というような、枚数の規定があります。枚数の多い作品の方が、内容が豊富に出来ますから、枚数の多い作品の方が選ばれやいんです。それと、何度も、応募してくる人も、結構いて、さすがに、選考委員も、情がありますから、同じ人が作品を何回も投稿してくると、それなりに、しっかりした作品なら、今回は受賞を認めよう、という、ことも、あるんです。僕にも感性は、ありますが、子供っぽいですし、奇抜なトーリーというのも、書けない、というか、書く気がしない、というか、で、結局、受賞は無理です。小さな文学賞の募集は、100以上、たくさん、あります。しかし、ほとんど人に知られていないような、マイナーな文学賞に応募して、当選したからといって、たいした意味はありません。そんなことを、しているより、僕は、もっと、もっと、出来るだけ、たくさん作品を書きたいんです」
「そうですか」
京子は、はあ、と溜め息をついた。
京子は、人に、「勇気を出して挑戦せよ」と言っている哲也本人は、はたして、勇気を出して挑戦しているのか、と、問い詰めたかったのだが、残念ながら、哲也は、三回も、文学賞に応募して、落選しても、書くのをあきらめないで、書いていることを知って、哲也を非難できなくなって、ガッカリした。
哲也が、自分がしていないことを、他人に、偉そうに要求しているのなら、海の女王コンテストに出ない口実になるのだが、それは出来なくなった。からである。
「では、海の女王コンテストに出ます」
京子は、自信を持って言った。
「では、僕は、ネットで、大いに宣伝します。いいですか?」
「ええ。構いません」
京子は、少し、もう、どうとでもなれ、という、なげやりな気持になっていた。
そんな会話をして二人は、喫茶店を出た。
△
その日の仕事が終わって、順子と帰りの電車に乗っている時だった。
前の座席に座っている、中学生くらいの男の子が、スマートフォンをピコピコしながら、座っていた。
京子は、その男の子を何度か見たことがあった。
「あのー」
と少年は、京子に、話しかけてきた。
「はい。何でしょうか?」
「もしかして、あなたは、岡田京子さんじゃありませんか?」
「え、ええ。そうです」
京子は、恥ずかしそうに答えた。
「やっぱり。・・・昨日の、大磯ロングビーチの、大磯でカシャを見て、似てるなー、と思い、つい声を掛けてしまいました。すみません」
「い、いえ」
京子は、ネット公開した効果が、こんなに大きいことに、驚かされた。
「あのー。8月12日の海の女王コンテストに出場するんですか?」
「え、ええ」
「じゃ、僕、応援します。ネットでいっぱい、宣伝します。学校でも、みんなに宣伝します」
「そ、それは、ありがとう」
「岡田さんのコマネチとヒット・エンド・ラーンの動画も、見ました。岡田京子、で、Yahooで検索したら、山本哲男という人のホームページに載っていましたので・・・。それと、岡田さんは、××商事に勤めているOLなんですね」
京子は、あまりにも、自分のことが、知られているので、驚いて聞き返した。
「どうして知っているのですか?」
「岡田京子、で、Yahooで検索したら、××商事会社に、名前と顔が、出ていて、わかったんです」
京子の会社で、以前、経理課の紹介として、顔と名前を、××商事会社のホームページにアップしていたのである。それに辿り着いたのだろう。
あのー、と少年は、顔を赤くして、カバンから、ノートとシャープペンを取り出した。
「はい。何でしょうか?」
「サインして頂けないでしょうか?」
そう言って、少年は、京子の方にノートとシャープペンを差し出した。
京子は、恥ずかしそうに、それを受けとると、「岡田京子」とサインして、少年に返した。
「有難うございます」
少年は、嬉しそうに礼を言って受けとった。
そして次の駅で少年は降りた。
「京子。はやくも、有名人ね」
と、からかうように、順子が笑って言った。
△
京子は、順子と別れて、アパートに着いた。
そして、昨日のように、ノートパソコンを持って、ベッドにゴロンと身を投げ出した。
哲也がYou-Tubeにアップした、京子の、コマネチとヒット・エンド・ラーンの動画は、すでに10万人の閲覧者を記録していた。大磯ロングビーチの、大磯でカシャ、の影響と、哲也の宣伝、などのためだろう。一日で、10万人の閲覧者の数には、さすがに京子も驚いた。さらに、「美人すぎるOL」というスレッドが立っていた。その閲覧者も、相当な数になっていた。哲也のホームページには、「僕の女神さま」という、タイトルが、加わっていた。クリックすると、哲也と、江ノ島駅で、別れるまでの出来事が、ほとんど正確に書かれてあった。京子は、一気に読んだ。そして、小説の最後には、「これは事実です。まだ、未完で、続きます」と書かれてあった。哲也のブログには、「僕の女神さま、という小説を書き出しました。まだ未完で、途中までですが、アップします。これは、事実を正直に書いたもので、岡田京子さんは、僕の会社の同僚です」と書かれてあった。
順子のブログにも、京子の写真が、たくさん、載せられて、色々と書かれてあった。
もう、ここまできたら、海の女王コンテストに出場しないわけには、いかない。
△
その時、ピピピッと京子のスマートフォン、Galaxy XJが鳴った。
母親からだった。
「あっ。お母さん。久しぶり」
「京子。ネットで見たわよ。海の女王コンテストに出場するって、本気なの?」
「え、ええ。ちょっとした、いきがかり上、そうしなくちゃならなくなっちゃったの」
「そうしなくちゃならなくなっちゃった・・・って、いうと、あなたの意志じゃなくて、誰かが勧めたのね」
「え、ええ。まあ。そうだけど、お母さんは反対?」
「別に賛成でも、反対でも、ないわ。あなたが、出るというのなら、私は反対しないわよ」
京子の母親は寛容な性格だった。
「ちょっと将太に代わるわね」
母親は、そう言った。
「お姉ちゃん。海の女王コンテストに出場に出場するんだってね。僕、姉ちゃんの、子供の頃からの写真で、お姉ちゃんのホームページを作っている所だよ。僕も応援するから、頑張ってね」
と弟の高校一年生の将太が言った。
「ありがとう。頑張るわ」
と京子は言って電話を切った。
それ以外にも、京子の、中学校、高校、大学、からの友人たちから、ひっきりなしに、応援の電話やメールが、やって来た。京子は、友人が多いので、100人以上の友人から、電話やメールが、やって来て、その都度、京子は、「ありがとう。頑張るわ」と返事した。ブログやホームページを持っている者は、「京子の写真、や、京子のこと、書いてもいい?」と聞いてきた。そういう質問には、全て、「いいわよ」と京子は、答えた。
△
海の女王コンテストに、「頑張る」と言っても、スポーツ競技でもなければ、資格試験でもない。コンテステトに出るだけである。何を頑張る、というのだろう。何かを頑張ったからといって、容姿や体型が良くなるわけでもない。美容整形で、直したい顔の部分というものも、なければ、体型も、京子は、元々、特にダイエットしなくても、小食で、プロボーションは、抜群に良かった。トレーニングジムに行って、肉体を引き締める必要も感じていなかった。
△
ともかく、もう、ここまできたら、海の女王コンテストに出場しないわけには、いかない。
京子は、海の女王コンテストのホームページを開いた。
すると、それには、こう書かれてあった。
【必要書類】
履歴書1通(身長、スリーサイズを記入すること)
サービス版カラー写真1枚(3ヶ月以内に撮影した着装で全身のもの)
※応募書類は返却いたしません
【審査日程】
2014年7月20日 募集締切【午後5時必着】
2014年7月20日から 書類審査 非公開
2014年7月30日 面接審査 非公開
2014年8月12日 ステージ審査 公開
【審査】
書類審査(非公開) 参加資格の適否及び応募書類を審査する。
合格者:40~50名程度
面接審査(非公開) 書類審査通過者を対象に内面的適否を審査する。
合格者:5名
ステージ審査(公開) 面接審査通過者を対象に、投票によって決定する。
【応募宛先】
〒251-0035
藤沢市片瀬海岸0-00-00 公益社団法人藤沢市観光協会内
「海の女王コンテスト」係
となっていた。京子は、履歴書を書き、写真を塗布して、ポストに投函した。
△
数日後、書類審査での、合格の葉書が京子の所に来た。
「書類審査、合格です。つきましては、面接審査を行いますので、7月30日の12時に藤沢市民体育館に、お出で下さい」
と書かれてあった。
△
その時、順子から電話がかかってきた。
「京子。履歴書と写真は、もう出したんでしょ?」
「ええ。今日、書類審査、合格のハガキが来たわ」
「そう。よかったわね。というより、京子なら、当然だわ」
△
30日の、面接審査の日になった。
審査場所は藤沢市市民体育館だった。
京子が、着いた時には、もうすでに、10人以上、来ていた。
書類審査が通った人達だけあって、みな、美人である。
一人の女が、京子を見つけると、駆け寄ってきた。
大学時代の、同級の友人の圭子だった。
「やあ。圭子」
「やあ。京子」
二人は、久闊を除した。
「京子。あなた、ずいぶんと派手に、ネットで、宣伝してるわね」
圭子が言った。
「え、ええ。本当は、私の意志じゃないの。成り行き上、ああ、なっちゃったんで。私は、元々は、出るつもりはなかったんだけど。こうなったら、みんなの期待に応えるためにも、出ようと思い決めたの」
「そうなの。ホントかしら?」
圭子が、疑り深そうな目で京子を見た。
圭子は、積極的な性格で、大学時代から、ミス慶応に立候補していた。大学のミスコンは、かなり、ステータスがあり、選ばれると、マスコミに知られて、芸能プロダクションから、声が掛かって、芸能人になるキッカケに成りやすい。圭子は、ミス慶応になって、女子アナに、なるのが、夢だった。だが、圭子は、なれなかった。
一方、京子も、立候補してみたら、と誘う友人も多かったが、京子は、目立ちたくなかったので、断った。
「京子。応募した人数、知ってる?」
圭子が聞いた。
「わからないわ」
「5000人以上、だそうだわ」
圭子が答えた。
「ええー。そんなに、多かったの?」
「そうよ。海の女王コンテストも、ステータスが上がってきて、応募者は、年々、増えているらしいわよ」
「5000人、応募して、第一次選考の、50人に入れたのだから、100人の中で一人、選ばれたことになるわ」
圭子が言った。
「江ノ島、海の女王コンテストの応募資格は、神奈川県在住だから、応募するために、神奈川県に住所を移す人も、かなり、いるのよ」
圭子が、そう説明した。
△
正午になった。
「それでは、応募者のみなさん。面接審査を行います。面接室にお入り下さい」
面接審査は、第一次選考で、通った50人が10人ずつ、審査員の前で審査される、というものだった。京子と圭子は、一緒の組になった。
面接室には、5人の審査員がいて、その前に、椅子が10個、横一列に並んでいた。京子は、何だか、就職の面接の時のような感覚を思い出した。就職面接の時は、ガチガチに緊張したが、今度は、別に、さほど、ムキになって、海の女王コンテストの第二次テストに、通りたいとも思っていなかったので、リラックスした気分で、いられた。
「岡田京子さん。自己紹介をして下さい。特技は、スキー、水泳、趣味は、読書、となっていますが、スキーはSAJで何級ですか?」
審査員が、履歴書を見ながら京子に質問した。
「はい。一級です」
と京子は、答えた。
本当は、京子は、緩斜面のパラレルターンを滑れる3級、程度の実力しかないのだが、それを、わざわざ、証明することもないし、少し、大袈裟に書いておいた。のである。
というのも、最近の就職難から、少しでも自己アピールすることは、もう日本社会では常識となっている、ので、正直で、謙虚な、京子も、そう書いておいた。のである。
別に、スキーが出来たからといって、仕事の能力とは、関係ないが、趣味や、特技は、何かあったら、書いておいた方が、「何事にも、積極的な性格」と見なされて評価される、ということを京子は、就職試験で知っていた。
「趣味は、読書と、ありますが。一番、好きな作家は誰ですか?」
「はい。山本哲男です」
審査員は、顔を見合わせた。
「山本哲男って、知ってる?」
「いや」
「いや」
審査員は、全員、誰も、知らなかった。
「山本哲男という作家は、どういう小説を書くのですか?」
「恋愛小説です」
審査員の一人が、パソコンで、「山本哲男」で検索した。
「あなたの写真が載っていますね。彼とは、どういう関係なのですか?」
「はい。私の会社の同僚です。私を海の女王コンテストに出場するよう、勧めてくれた人です」
「僕の女神さま、という、書きかけの小説の主人公はあなたがモデルなのですか?」
審査員が、山本哲男のブログを見ながら聞いた。
「はい。そうです。あの小説の男の人が、山本哲男さんで、話は、ほとんど、事実に忠実です」
京子は、淡々と答えた。
「わかりました。合否の結果は、1週間以内に、ハガキで知らせます」
そんな具合で、面接は簡単に終わった。
しかし、面接の後、スリーサイズを、厳密にチェックするため、ブラジャーもとって、パンティー一枚で、係りの女に、スリーサイズを、測定された時には、さすがに京子も恥ずかしかった。
△
ちょうど一週間後に、二次面接の合格のハガキが京子に届いた。
京子は、順子に電話した。
「二次面接も受かっちゃった」
「よかったじゃない」
△
さて、とうとう、8月12日の、海の女王コンテストの、ステージ審査の日が来た。
日曜日で、雲一つない青空で、会場の片瀬西浜は、海水浴客でいっぱいだった。
二次面接で、ふるいにかけらけて、合格した者は、5人だった。
その中に、圭子もいた。
圭子は、派手な露出度の高いセクシーなビキニだったが、京子は、普通のセパレートのビキニだった。
「京子。あなたも合格したのね」
「ええ」
「圭子。あなた。少しやせ過ぎじゃない?」
「ええ。体重が増えるのが怖くて、食べるのが怖くなって、摂食障害ぎみになってしてしまって・・・」
「そうなの」
「あなた。ダイエットとか、スポーツジムとか、行ってるの?」
「行ってないわ」
「そうなの。それにしては、凄く良いプロボーションね。私なんか、海の女王コンテストで優勝するために、ダイエットしていたし、スポーツジムにも、通っていたわよ。あなたの体は健康的だわ」
△
二時になった。
「会場のみなさん。これから、海の女王コンテストを始めます。どうぞ、お集まり下さい」
アナウンスが鳴った。客達が集まってきた。
「では、これより、海の女王コンテストを行います」
そんな具合に、コンテストが始まった。
二次審査を通った5人が、一人ずつ、ステージの上に立って、簡単な自己紹介をした。
他の4人は、みな、綺麗で、京子は、これでは、とても勝ち目がない、と思った。
ビキニ姿の最終候補の5人が、一人ずつ、ステージに上がって、自己紹介をした。
1番。「佐々木希子です。特技は、新体操です。趣味は、音楽鑑賞、ピンク&キラキラもの収集です。それと、天竺に大乗仏教の経典をとりに行く旅をすることです」
2番。「能年玲奈子です。特技は絵を描くことです。趣味はギター演奏、読書、アニメ鑑賞です。性格は、あまちゃん、です。特技は、素潜り、です。海女さんにも負けません」
3番。「武井咲子です。趣味、特技はバスケットボールです。好きなものは、太賀誠さんです。好きな言葉は、愛と誠、です。趣味は、大賀誠さんに、一生、償うことです」
4番。「筒井順子です。特技は、ピアノの演奏と、新体操です。趣味は、読書です」
5番。「岡田京子です。特技は、スキー、水泳です。趣味は、読書です」
京子が、ステージに立った時、観客達がどよめいた。
「あっ。大磯でカシャの人だ」
「ネットで話題の、岡田京子さんだ」
「写真より、きれいだなー」
そんな声が、たくさん沸き起こった。
△
「さあ。みなさん。携帯か、スマホで投票、お願いします。30分で締め切りです。これは、全国中継されていて、全国からのネット投票で、決定されます。一人一票を守るため、同じIPアドレスからの、票は、自動的にチェックされて、除外され、一人一票となります」
「では、始めて下さい」
みなは、カチャカチャとスマホを操作した。
30分は、あっという間に経った。
「はい。終了です」
審査員が、言った。
「結果を発表します」
と言って、審査員は、コホンと咳払いした。
「結果、発表。岡田京子さん、500万票。筒井圭子さん、3万票、佐々木希子さん、2万票、能年玲奈子さん、1万票、武井咲子さん、1万票。よって、岡田京子さんの優勝です」
「京子。おめでとう」
圭子が祝福した。しかし、圭子は、明らかに、落ちこんでいた。
「ありがとう」
京子は、心からの、お礼を言った。
「残念。もう、ミスコンは、あきらめるわ」
圭子が、さびしそうな口調で言った。
「でも、私は、前宣伝が大きかったから・・・受賞したのに過ぎないわ。あなたも、夢をあきらめないで」
「いや。私、決めてたの。今回の、ミスコンで、優勝できなかったら、もう、あきらめようと。宣伝しても、人が魅力を感じなければ、どんなに、宣伝しても、無駄なだけよ。私には、あなたのような、天性の魅力がないんだわ」
京子は、なぐさめる適切な言葉を見つけられなかった。
「ねえ。岡田京子さん。コマネチとヒット・エンド・ラーンをやってよ」
客の中から、そんなリクエストが出た。
京子は、その場で、客の要望に応えて、コマネチとヒット・エンド・ラーンをやった。
京子の頭に冠が乗せられた。
イベントが終わると、みなが、京子に、握手やサインを求めてきた。京子は、それに全て、答えた。
「あ、あの。私は、こういう者ですが・・・」
一人の男が、京子に近づいて、名刺を渡した。
それには、オスーカプロダクションと書かれてあった。
△
こうして京子は、オスーカプロダクションから、スターデビューした。
京子の話題は、ネットを通じて、一気に広まった。
大手20の週刊誌のグラビアに載った。
社長はじめ、会社も、彼女のデビューを喜んだ。
初めのCMは、当然のことながら、京子の会社のCMと決まった。
△
哲也の小説、「僕の女神さま」も、京子のスターデビューまでで完成した。この小説は、京子の生き様を小説にしたものなので、京子が生きている限り、書き続けられるが、山野は、京子がスターデビューした時点で、一応、完成とした。
そして、何と、恋愛小説が、不毛の中で、久々の良い恋愛小説ということで、哲也の、「僕の女神さま」が芥川賞候補になり、その年、山野哲也は、芥川賞を受賞した。
△
宝映映画から、京子主演の映画作製の話が持ち込まれた。
当然のごとく、哲也の、「僕の女神さま」の映画化で、京子が主演、哲也も主演となった。
哲也が、映画の脚本も書いた。が、話が単純で、会話が多いので、ほとんど、小説の会話に、手を入れず、脚本を書いた。
「僕の女神さま」は、「事実」を、本人二人が演じる映画、ということで、しかも、芥川賞の小説の映画化ということで、話題になり、久々の大ヒットとなった。観客は、100万人を突破した。映画は、日本だけではなく、アメリカ、中国、韓国、など、世界、27ヵ国で、上映された。
△
そして、哲也の小説、「僕の女神さま」は、その年、ノーベル文学賞候補にあがり、十分な選考の結果、ノーベル文学賞と決まった。これで、山野哲也は、川端康成、大江健三郎についで、三人目の、日本人のノーベル文学賞の受賞者となった。
ノーベル文学賞の受賞式のストックホルムには、京子と一緒に行った。
山野哲也の、「僕の女神さま」は、世界、27ヵ国語に翻訳された。
こうして哲也は作家的地位を確立した。
一方の、京子も、映画、「僕の女神さま」の成功によって女優としての地位を確立した。
京子は、哲也に結婚を申し出たが、哲也は、「物書きは女を幸せに出来ない」と言って、京子の申し出を受けず、京子とは、友達の関係にとどめている。
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