大っ嫌い!

松田 かおる

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大っ嫌い!

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ぱんっ!
ぱんっ!
ぱぁんっ!

乾いた音が、買い物客で賑わう夕方の商店街のど真ん中に響き渡った。

道ゆく人々が音のした方を振り返ると、一組の男女がいた。
制服を着ているところを見ると、どうやら高校生のようである。
「痛いじゃないか」
靖夫は頬を押さえながら言った。
「あったり前でしょ!痛くしたんだから!」
恵は右手をひらひらさせながら大声で言った。
その様子を見ていた周りの人達が、くすくすと笑いながら二人の横を通り過ぎる。
恵はそれに気付いて、ちょっとだけ恥ずかしそうな表情を見せたけれども、すぐにおっかない表情に戻り、
「いい、もうこれ以上あたしに付きまとわないで!今度はこんなもんじゃ済まないからね!」
そう言って振り返ると、すたすたと歩いて行った。

その場に一人ぽつんと取り残された靖夫の肩を、後ろからぽんと叩く者がいた。
「また今回は随分と派手にやられたな」
靖夫が振り向くと、隆二がにやにやしながら突っ立っていた。
「なんだ、隆二か」
隆二はまだにやにやしたまま、
「じゃ、どこかでゆっくりと今日の戦果を聞かせてもらおうか」
そう言って歩き始めると、靖夫もその後に付いて行った。

とあるファストフード店。
「…で、今日はどうしたんだ?」
隆二がフライドポテトを口に放り込みながら聞いた。
「どうって、いつもと同じだよ」
靖夫がジュースをひとくち飲みながら答えた。
「いつもと同じっていうと、『恵さん、好きです、僕と付き合ってください』か?」
隆二がそう言うと、靖夫は無言で頷いた。
それを聞いて、隆二は軽く溜め息をついて、
「夕方の、人通りの多い、商店街のど真ん中で?」
少し呆れたような口調で言った。
靖夫はまたジュースを一口飲みながら、
「そう。そしたら…」

「『いい加減にしてよ!』って怒鳴り付けてやったわよ」
恵が腹立たしげに言った。
電話の向こうから、一枝のくすくすと笑う声が聞こえた。
「それで?」
「思いっきり一往復半」
恵は右の手のひらを見ながら言った。
「でもさ、そこまでする事ないんじゃない?」
という一枝の言葉に、恵はすかさず、
「じょーだん。なんであんな奴にそこまで気を使わなきゃいけないのよ」
本当に嫌そうな口調で答えて、
「大体そんな事、普通商店街のど真ん中で言う?本当にデリカシーってもんがないんだから」
と続けた。
「じゃあ商店街じゃなきゃいいの?例えば放課後の図書室とか…」
一枝が聞くと、恵は一瞬言葉を詰まらせたが、
「…そういう問題じゃないの。たとえ図書室でも映画館でも戦場の最前線でも、あいつだけは絶対にイヤ」
と言った。
「そんなに嫌いなんだ」
あまりの毛嫌い加減に、一枝が感心したような口調で言った。
その言葉に恵は、
「大っ嫌い!」
力一杯答えた。
「どうしてそんなに毛嫌いするの?ルックスだってそこそこだし、優しそうだし」
一枝の質問に、恵は
「それは確かにそうかもしれないわよ。でもあのデリカシーのなさだけは、何よりも大っ嫌いなのよ。虫酘が走るの」
と答えた。
「そんなもんかな?」
「商店街のど真ん中で告白されれば、イヤでもわかるわよ」

翌日、金曜日。
静まり返った放課後の図書室。
すっかーん!!
軽くて、けれども痛そうな音が、図書室中に響き渡った。
図書室にいた全員が音のした方を見ると、靖夫と恵がいた。
恵は、右手に缶ペンケースを握り締めていた。
見事に歪んだそれが、今一体何があったかを雄弁に物語っていた。
「…何度も何度も何度も何度も…」
恵が静かに口を開いた。
やがて、
「いい加減にしてよっ!」
今までにないほどの大声を上げた。
怒髪天を突くとはまさにこの事を言うのだろう。
恵は遠慮抜きで怒っていた。
「何度言えば解かるのよっ!あたしはあんたが大っ嫌いだって言ってるでしょ!『嫌い』って言葉の意味、解かる?ねぇ、解かってんの?」
ただでさえ大きな声で、しかも図書室のど真ん中でそんな事をするものだから、図書室中の視線が恵に向いている。
しかし恵はもう、そんな事は気にしていない。
まるで怒りで我を忘れているようである。
もしかしたら本当に忘れているのかもしれない。
恵はその後5分くらい罵詈雑言を靖夫に浴びせかけ、ひとしきり悪態をつき終わると、肩で息をしていた。
おっかない目で靖夫を睨み付けていると、靖夫が口を開いた。
「でも僕は、君が好きだ…」
恵はその言葉を聞くと、思いっきり靖夫の襟首を締め上げた。
「あんた一体国籍どこよ?日本語解かる?解かんなきゃ英語で言ってあげるわよ!I hate you!! 他の国の言葉がよかったら、その辺から辞書引っ張り出して訳してあげるわよ!」
怒鳴り散らすようにそう言うと、襟首からゆっくりと手を離して、
「この際だからもっとはっきり言っとくわ。あんたみたいにデリカシーがなくって図々しい奴は、大っ嫌いなの。あんたみたいなのと付き合うくらいだったら、どっかそのへんのオヤジ捕まえて『エンコー』してもらう方のが何百倍もマシ。だから、もうあたしに付きまとわないで」
と、妙に落ち着いた口調で言った。
靖夫はそれを聞いて、
「『エンコー』は、よくないよ」
と言った。
恵は一瞬表情が固まると、
「もう、いやぁぁっ!」
泣きだしそうな声で叫び、図書室を駆け出していった。
扉を閉めた勢いが強くて、いったん閉まった扉はばんと跳ね返って、開けっぱなしになってしまった。

「ありゃりゃ、大荒れだ」
書架の影から一部始終を見ていた隆二が、ひょっこりと顔を出して言った。
「どうしよう…」
隆二の隣に顔を並べて、一枝が言った。
「あの怒り方はただ事じゃないぜ。お前、彼女に何か変な事吹き込んだんじゃないの?」
隆二が一枝の方を向いて聞くと、
「…まさか本当に図書室で告白するとは思ってなかったなぁ…」
一枝はちょっとだけ後悔するように言った。
「とにかく何とかしないと、うちらまでとばっちり食っちまう」
「わかった。あたしが何とかなだめてくる」
一枝はそう言って、ぱたぱたと図書室を出て行った。
隆二はその姿を見送ると、靖夫の方へ歩き出した。

夜10時半。
「いーのぉ!まだ遊ぶのぉ!」
恵が、少しろれつの回らない口調で言った。
その様子を見て、
「ねぇ恵、もう帰ろうよ。ね」
一枝はなだめるように言った。
図書室での一件の後、一枝は取りあえず恵を落ち着かせようと思って、「少しだけ」のつもりで夜遊びに出た。
少しはおとなしくなるだろうと思ったけれど、恵は全然おとなしくならず、それどころかカラオケボックスでお酒をたくさん飲みまくったせいで、かえってひどくなってしまった感じだ。
「ほら、そろそろ帰らないと、怖いおじさんが来るよ」
一枝が子供に言い聞かせるように言っても、
「いーもーん、おじさん来たら、楽しいトコロ連れてってもらうんだもーん、『エンコー』してもらうんだもーん」
恵は全く聞く耳を持たない。
けれども恵の代わりに聞く耳を持ってしまった者がいたようで、
「そりゃぁ、本当かい?」
という声が二人の後ろから。
二人が振り向くと、
「うげっ」
一枝は思わず小さな声で言ってしまった。
すだれ頭に脂ぎったオデコ。
下品な顔付き。
信楽焼のタヌキみたいなお腹。
見るからにオヤジ。
しかもヨッパライ。
下品な信楽タヌキが背広を着て歩いているようだった。
どう控えめに見ても、靖夫の方がマシである。
『いくら何でも…』
一枝がそう思って恵の方に視線を移すと、
「行こ行こー!遊び行こー!」
とはしゃぎまくって、信楽オヤジの腕にしがみついている。
「ちょ、ちょっと恵、待ちなさいよ」
さすがにこれには一枝も焦って、本気で恵を止めにかかったけれども、
「なーによぉ。人がせっかく楽しい思いしようとしてるんだから、邪魔しないでよぉ。あたしはこのオジサマと一緒に、楽しく遊ぶんだからぁ。じゃーね、ばいばーい」
恵はそう言って、虫でも追っ払うみたいに手を動かして、一枝をおいて行ってしまった。
「大変だ…」

『チャララーン』
テレビゲームが何とも軽快な音楽を奏でた。
「あー、ゲームオーバー」
そう言って隆二はコントローラーを投げだした。
その投げだされたコントローラーを靖夫が拾って、ゲームの続きを始めた。
隆二の部屋。
明日は学校が休みなので、一緒に夜通し遊ぼうと思って、靖夫を誘ったのだ。
その他にも、図書室で派手にやられたショックを少しでも和らげようというのも半分くらいあった。
けれども靖夫はこたえているのかいないのか、いつもと全く変わらない感じだった。
その様子を隆二が横で見ていると、
ピロロロロロ…
隆二の携帯電話が鳴った。
「はい、もしもし?あぁ、一枝か。どうした?」
大した事のない話だと思って聞いているうちに、みるみる隆二の表情が変わっていく。
「うん、うん、わかった。じゃ、何かあったらまた連絡入れて。うん、それじゃ」
電話を切って、靖夫の方を向き直る。
「おいヤバいぞ。恵さんが酔っ払って、変なオヤジに連れてかれた。今一枝が後を付けてるけど、どうなるかわかんないぞ」
その言葉に靖夫は一瞬だけ眉を動かして、
「ふーん」
と一言だけ言った。
「おい、靖夫」
隆二の言葉が聞こえないかのように靖夫はゲームを続けたが、5秒も経たないうちにミスった。
靖夫はポーズボタンを押すと、
「ちょっと、トイレ」
そう言っておもむろに立ち上がった。
それを見て隆二は、
「じゃ、おれも連れション」
と言いながら、一緒に立ち上がった。

繁華街から少し離れた、いかにも怪しげな雰囲気の場所に、恵と信楽オヤジはいた。
「ねぇオジサマ、楽しいトコロって、どこ?」
恵が聞くと、信楽オヤジは、
「さぁ着いた、ここだよ」
と言って、ある場所の前で止まった。
とろんとした目で見上げると、そこには「大人のお楽しみ」の入り口があった。
いくら恵が酔っ払っていると言っても、そこが一体どこであるかくらいは判る。
「いやよ。あたしそんなコトしないもん」
恵が言うと、信楽オヤジは
「まぁまぁ、固いこと言わずに」
そう言って恵の手をぐいっと引っ張って、入り口をくぐろうとする。
「やーよ!ゼッタイそんなところ、行かないモン!」
そう言いながら足を踏ん張っていると、
「いつまでもガタガタいってんじゃねぇ!」
突然信楽オヤジが声を荒げた。
「どうせ最初からそのつもりで付いて来たんだろ!今更イイ子ぶってんじゃねぇよ」
見た目の割には結構凄みのある声で言った。
その声に気圧されたのか、恵は身体の力が抜けてしまった。
「やぁだぁ!やめてよぉ!放してよ!」
それでも足を踏ん張って、大きい声を出すけれど、次第にずるずると信楽オヤジに引きずられていく。
「…うあぁぁ、どうしよう…」
離れて様子を見ていた一枝がうろたえていると、背後から二台の自転車が一枝に近づき、一台は一枝の横で止まり、一台は一枝をそのまま追い越して行った。
「どうやら、間に合ったみたいだな」
自転車に乗った隆二がそう言うのと同時に、靖夫の乗った自転車はそのままスピードを緩めずに信楽オヤジに体当たりして、信楽オヤジは派手に吹っ飛ぶ。
靖夫は素早く信楽オヤジを引きずり起こして、胸倉をつかみ上げる。
「な、何だね君は。危ないじゃないか!」
信楽オヤジが奮然と抗議したが、何も言わずに胸倉をつかんだままの靖夫の視線にただならぬものを感じたのか、
「…は、ははは、やだなぁ、冗談だよ、冗談。ちょっとからかおうと思っただけだって…」
卑屈な笑い声を上げて、なんとかごまかそうとしている。
「冗談?」
靖夫が低い声で聞くと、信楽オヤジは、
「そうそう、ヨッパライの冗談。悪いのはみんなボクでーす。ごめんなちゃいねー」
と、ひきつった笑いをうかべながら、信楽オヤジは思いっきりおどけてみせた。
けれどもそれがかえって逆効果だったようで、
「仮に冗談だとして…」
靖夫は信楽オヤジの胸倉をぐいっと引き寄せて、
「程度ってものがあるだろう!」
そう言うなり、力一杯突き飛ばした。
信楽オヤジはそのまま建物の壁に背中からぶつかって、ずるずると倒れ込んだ。
やがてだらしなく起き上がると、「うひはゃぁひあいうああ」などと訳のわからない声を上げて、四つん這いになって逃げ出してしまった。
靖夫はそれを見届けると、視線を恵に向けた。
信楽オヤジに凄まれたショックか、それとも自転車がぶつかったショックか、すっかり酔いも醒めて、ぺたんと地面に座り込んでいた。
靖夫が手を差し出すと、恵はそろりと手を出して、立たせてもらう。
何も言わずにじっと見ている靖夫の視線に耐えられなくなったのか、恵はそっぽを向いて、負け惜しみのように言った。
「な、なによ、あんたなんか来なくたって、あたしひとりでも何とかなったんだから…」

ぱんっ!

靖夫は何も言わずに自転車にまたがり、立ち去ってしまった。
隆二と一枝が恵の所に行くと、恵は頬を押さえてじっと立っていた。
「…大丈夫?」
と一枝が聞くと、
「…痛かった…」
恵はぽつんとつぶやいた。

月曜日。お昼休み。
「もう!いい加減にしてよ!」
恵の大きな声が教室中に響き渡った。
靖夫がいつものように、恵に時と場所を考えずに告白してきたのである。
しかも今回は、片手に昼ゴハンの焼きそばパン(食べかけ)を、そしてもう片方の手に牛乳パックを持って。
教室の連中は、『あぁ、またか』といった感じで、もう誰も気にしていない。
このやり取りを見て、隆二と一枝はまるで週末のあの出来事が嘘のように思えた。
そんな二人の気持ちを知ってか知らずか、
「何度言ったらわかるのよ!あたしはあんたなんか嫌いだって言ってるでしょ!」
いつにも増して大声を張り上げた。
恵のその言葉に、
「どこが?」
靖夫は全く悪びれた感じもなく、デリカシーのカケラもない口調で聞いた。
「そーゆーところが嫌いなのよっ!大体どこの世界に食べかけの焼きそばパンと牛乳パック持って、前歯に青ノリくっつけたまま告白する奴がいるってぇのよ!」
恵は心底呆れ返って怒鳴り散らした。
「じゃあ、焼きそばパンも牛乳パックも無しだったら?」
靖夫がそう聞くと、
「大っ嫌い!」
恵はすかさず答えた。
そしてぷいっとそっぽを向いて、
「…でもまぁ、『エンコーオヤジ』よりはマシかもね…」
ぽそっとつぶやいた。
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