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第七章 富田祐斗
第七十話
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もう一度俺のサーブ。音からしていいショットが理想の軌道を描いて相手コートの奥に落ちていく。副島先輩は初手からスマッシュ。すかさず前に詰めてくる。俺は威力を殺した球をネット前に上げる。副島先輩が叩く。二―一。
次は副島先輩のサーブ。ロングサーブが来て、俺は大きくクリアを打ち返して、副島先輩は力強いスマッシュで応えて、俺はそれを、先ほどのクリアよりも緩く打ち返す。副島先輩は前進しながらスマッシュ。俺はラケットに当てるけれど、シャトルはネットに刺さる。二―二。
どんなにいいラリーがあろうと、このセットは副島先輩が獲って、副島先輩がこの試合を制するのだ。点数調整も意識しなければならない。
試合は順調に進んで、得点は九―十になった。第三セットは十一点目が入るとチェンジエンドになる。九―十一が節目の得点だ。
副島先輩がロングサーブを放つ。俺はドロップを選択。シャトルは副島先輩の左前方に向かって進み、ネットを過ぎたところで失速し頭を垂れる。余裕ある形でネット際まで詰めた副島先輩は、シャトルにラケットをちょこんと当てる。ヘアピンと呼ばれるショットで、シャトルは自分側のネット際から、ネットの上端をギリギリで越えて相手のネット際に落ちる。副島先輩はラケットに角度をつけ、ヘアピンをクロスに打ってきた。俺が打った場所から対角線にあたる場所にシャトルは向かう。俺は追いつけずに、シャトルはぽとりと地面に落ちる。
九―十一になって、俺と副島先輩はほとんど同時にコートの外に出た。
「祐斗!」
俺たちがコート外に出た、まさにそのとき、背後の高い場所から声が聞こえた。思わず言ってしまったような、語尾が消え入るような声。それでも、ここまで届くくらいには大きな声。俺は思わず振り返った。実果がこれでもかと身体を前に乗り出し、悲壮な顔つきでこちらを見ていた。
副島先輩も、三人の審判も、壁際にいた三年生の先輩たちも、みんな実果を見上げていた。
実果が何を思って声を出したのか。最初に気づいたのは、きっと俺が気付くべきだったのだろうけど、でもこういうときに気づくのはいつも美晃だった。
「コート替えてくださーい」
のんきにそう言って、にやにやと笑いながら俺を見る美晃。実果は両手を口元にあてる。
その仕草で三年生たちも気づいたようで、一様ににやけた表情をしている。
俺と副島先輩は黙ってネット横をすれ違い、逆側のエンドに入った。正面から実果が見える位置。俺が見上げても、実果はうつむいて視線を合わせようとしない。実果は俺が負けたと思ったのだ。副島先輩が得点して、俺たちが同時ネットを出たから。三セット目は途中でエンドを変えるなんて、確かに未経験者には分からないだろう。
「ひーさーとーもー」
突然、試合を観戦している三年生の一人が、かん高い声を出してふざけた。副島尚智先輩が振り返って声の主を見る。声の主の隣に立つ先輩が同じような声で「がーんーばーれー」と言い、挑発的な笑顔を見せた。別のコートの試合を見ていた男子の先輩たちも続々とこちらに目を遣り、数人がわざと黄色い歓声を上げた。女子バドミントン部の面々が遠くから、ちらちらと、不思議そうに様子を見ている。
「がーんーばーれー」
そしてついに、試合を観戦していたレギュラーの一人までそう声を挙げた。セカンドダブルスを任されている先輩の一人。普段は真面目で静かな先輩。彼までが副島先輩に声援を送った。副島先輩は彼から目をそむけ、そのまま憮然とした顔つきでこちらに向き直った。
三年生たちの声援に対抗したのは美晃だった。
「祐斗、頑張れっ」
地声で発せられる、まともな応援。呼応するように、二年生の男子たちが口々に叫ぶ。「富田っ」「ファイトっ」「祐斗っ」。まるで練習していたかのような応援が続く。手の空いてる二年生がコートの周りで叫ぶのはもちろん、別の試合の審判に入っている二年生も一瞬の隙を突いて叫んだりした。
「祐斗っ!」
実果がもう一度叫んだ。実果がこんな大声を出すこところを見たことがない。これがありったけの声ですと、その響きが高らかに主張するような叫び。
体育館が異様な興奮に包まれていた。試合の続いているコートから打球音が聞こえてくることが、かえって嘘みたいだった。
副島先輩の目がはっと見開かれる、その視線の先は俺の斜め後ろ。三上先生がそこに座っているはずだった。俺は顔を少しだけ動かし、横目で三上先生の顔を視界に収める。苛立たしげに足を小刻みに震わせ、体育館の方々に視線を送っている。
これはヤバい、と俺は直感して、同時にパン、と打球音が聞こえた。咄嗟に音の方向を向く。副島先輩がラケットを振りぬいていた。見上げるとシャトルが高々と舞っている。
俺は慌てて後ろに下がり、高いクリアを打ち返した。その瞬間、「ひーさーとーもー」という小さな呟きがすぐそばで聞こえた。声で分かる。背後で宮沢がそう発したのだった。
次は副島先輩のサーブ。ロングサーブが来て、俺は大きくクリアを打ち返して、副島先輩は力強いスマッシュで応えて、俺はそれを、先ほどのクリアよりも緩く打ち返す。副島先輩は前進しながらスマッシュ。俺はラケットに当てるけれど、シャトルはネットに刺さる。二―二。
どんなにいいラリーがあろうと、このセットは副島先輩が獲って、副島先輩がこの試合を制するのだ。点数調整も意識しなければならない。
試合は順調に進んで、得点は九―十になった。第三セットは十一点目が入るとチェンジエンドになる。九―十一が節目の得点だ。
副島先輩がロングサーブを放つ。俺はドロップを選択。シャトルは副島先輩の左前方に向かって進み、ネットを過ぎたところで失速し頭を垂れる。余裕ある形でネット際まで詰めた副島先輩は、シャトルにラケットをちょこんと当てる。ヘアピンと呼ばれるショットで、シャトルは自分側のネット際から、ネットの上端をギリギリで越えて相手のネット際に落ちる。副島先輩はラケットに角度をつけ、ヘアピンをクロスに打ってきた。俺が打った場所から対角線にあたる場所にシャトルは向かう。俺は追いつけずに、シャトルはぽとりと地面に落ちる。
九―十一になって、俺と副島先輩はほとんど同時にコートの外に出た。
「祐斗!」
俺たちがコート外に出た、まさにそのとき、背後の高い場所から声が聞こえた。思わず言ってしまったような、語尾が消え入るような声。それでも、ここまで届くくらいには大きな声。俺は思わず振り返った。実果がこれでもかと身体を前に乗り出し、悲壮な顔つきでこちらを見ていた。
副島先輩も、三人の審判も、壁際にいた三年生の先輩たちも、みんな実果を見上げていた。
実果が何を思って声を出したのか。最初に気づいたのは、きっと俺が気付くべきだったのだろうけど、でもこういうときに気づくのはいつも美晃だった。
「コート替えてくださーい」
のんきにそう言って、にやにやと笑いながら俺を見る美晃。実果は両手を口元にあてる。
その仕草で三年生たちも気づいたようで、一様ににやけた表情をしている。
俺と副島先輩は黙ってネット横をすれ違い、逆側のエンドに入った。正面から実果が見える位置。俺が見上げても、実果はうつむいて視線を合わせようとしない。実果は俺が負けたと思ったのだ。副島先輩が得点して、俺たちが同時ネットを出たから。三セット目は途中でエンドを変えるなんて、確かに未経験者には分からないだろう。
「ひーさーとーもー」
突然、試合を観戦している三年生の一人が、かん高い声を出してふざけた。副島尚智先輩が振り返って声の主を見る。声の主の隣に立つ先輩が同じような声で「がーんーばーれー」と言い、挑発的な笑顔を見せた。別のコートの試合を見ていた男子の先輩たちも続々とこちらに目を遣り、数人がわざと黄色い歓声を上げた。女子バドミントン部の面々が遠くから、ちらちらと、不思議そうに様子を見ている。
「がーんーばーれー」
そしてついに、試合を観戦していたレギュラーの一人までそう声を挙げた。セカンドダブルスを任されている先輩の一人。普段は真面目で静かな先輩。彼までが副島先輩に声援を送った。副島先輩は彼から目をそむけ、そのまま憮然とした顔つきでこちらに向き直った。
三年生たちの声援に対抗したのは美晃だった。
「祐斗、頑張れっ」
地声で発せられる、まともな応援。呼応するように、二年生の男子たちが口々に叫ぶ。「富田っ」「ファイトっ」「祐斗っ」。まるで練習していたかのような応援が続く。手の空いてる二年生がコートの周りで叫ぶのはもちろん、別の試合の審判に入っている二年生も一瞬の隙を突いて叫んだりした。
「祐斗っ!」
実果がもう一度叫んだ。実果がこんな大声を出すこところを見たことがない。これがありったけの声ですと、その響きが高らかに主張するような叫び。
体育館が異様な興奮に包まれていた。試合の続いているコートから打球音が聞こえてくることが、かえって嘘みたいだった。
副島先輩の目がはっと見開かれる、その視線の先は俺の斜め後ろ。三上先生がそこに座っているはずだった。俺は顔を少しだけ動かし、横目で三上先生の顔を視界に収める。苛立たしげに足を小刻みに震わせ、体育館の方々に視線を送っている。
これはヤバい、と俺は直感して、同時にパン、と打球音が聞こえた。咄嗟に音の方向を向く。副島先輩がラケットを振りぬいていた。見上げるとシャトルが高々と舞っている。
俺は慌てて後ろに下がり、高いクリアを打ち返した。その瞬間、「ひーさーとーもー」という小さな呟きがすぐそばで聞こえた。声で分かる。背後で宮沢がそう発したのだった。
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