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第六章 宮沢瑞姫
第六十三話
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「宮沢さんがこんなこと聞いてくるなんて意外だった。偶然こういうことを知ってもそっとしておきそうに見えるけど、でも、部室棟の裏でお弁当食べたり、結構度胸あるよな」
わたしは大きくゆっくりと首を横に振る。
「そんなことありませんよ……辛いんです。学校辞めようと思うくらい」
「そうなんだ。大丈夫?」
副島先輩が慌てた様子で聞く。わたしは泣いていた。学校を辞めたいくらい、なんて告白できたのは初めてだった。
「大丈夫、です」
目じりを拭ってわたしは強がった。涙は突発的なものだったようで、次々と零れ落ちてくるということはなかった。
「辞めたら負けだよ。バドミントンも、学校も」
そう言いながら、副島先輩は通りかかったウェイターを手で呼び止め、ケーキを二つと飲み物のお代わりを注文した。先ほどとは異なるコーヒーの産地名と、ダージリンでもアッサムでもない紅茶。
わたしの顔にはまだ涙の跡が残っていて、きっと目も充血していたと思うけれど、副島先輩は構わずウェイターを呼び止めて注文を敢行した。学校制服を着用した、明らかに高校生な風体の男女。一方は先ほどまで泣いていたようだ。
そんな状況でも、ウェイターは何事もなかったかのように承諾の旨を述べて引き下がった。
そして、わたしたちは黙ってケーキを食べた。最初は少し気まずく感じたけれど、副島先輩が一心不乱にむしゃむしゃと食べるので、わたしもそれにならった。気を遣わずに、味わうことに集中して食べたほうが、食べ物の美味しさは感じられるものだ。
副島先輩が注文してくれた、凝った名前のケーキは、とても不思議な味がして、よく紅茶にあっていた。
「お金払ってくるよ」
副島先輩はそう言って立ち上がった。副島先輩は食べ終わっていて、わたしが最後のひとかけらを残したタイミングだった。
「いいです」
そう言いつつわたしも立ち上がりかけて、副島先輩がそれを身振りで制した。
「いいんですか?」
「秘密を守ってもらいたいからね」
副島先輩はきびすを返し、カバンを持ち上げてレジカウンターへと歩いていく。
わたしは最後のひとかけらを口に含み、ゆっくりと咀嚼しながらその後姿に見入っていた。レジのウェイトレスと社交的な微笑みの応酬。財布をカバンから取り出しての支払い。そして、副島先輩はそのままロビーへと消えていった。
わたしは慌てて立ち上がり、脇目もふらず駆け出した。
「副島先輩」
わたしがロビーでそう叫んだとき、副島先輩はちょうど自動扉の前にいて、まさにホテルの建物を出ようとしていた。わたしの声に反応して副島先輩はぴたりと止まり、おもむろに振り返った。まさか走ってくるとは思わなかったのか、その表情には若干の困惑も浮かんでいる。
「副島先輩」
つかつかと歩み寄りながら、わたしはもう一度言った。衆目を集めていることに気づいても、わたしは意に介さなかった。
副島先輩はわずかに首をかしげ、近づいてくるわたしを黙って見つめている。
「頑張ってください」
「えっ」
会話するには少し遠い距離で、わたしは「頑張ってください」と副島先輩に言った。
「頑張ってください。どんなに惨めでも諦めず、どんなに姑息でも勝とうとする副島先輩が好きです。わたしには、悪意を持つ勇気すらありません」
「そう。ありがと」
理解しているのかしていないのかわからないような微笑みで副島先輩は答えた。そして、わたしの返事を待たないままに自動扉を抜け、人ごみへと混ざっていく。
人間関係は打算なんかじゃなく、勝負は正々堂々が肝心。そんなことは理想に過ぎない。理想を実行する才能を持った人々のたわごとだ。
でも、才能を持っている人と持っていない人だけが人間の分類じゃない。
少なくとも、才能を持っていない人間は二種類に分かれる。努力する人と、しない人だ。
努力する人は、才能のある人ほどきらめいてはいないけれども、それでも、そこには妖しくも美しい輝きがある。
わたしのように、くすんだ色の人生を歩んでなどいない。
実果や副島先輩の、たとえ愚かしくとも挑戦し続ける後姿が、わたしには眩しかった。
わたしは大きくゆっくりと首を横に振る。
「そんなことありませんよ……辛いんです。学校辞めようと思うくらい」
「そうなんだ。大丈夫?」
副島先輩が慌てた様子で聞く。わたしは泣いていた。学校を辞めたいくらい、なんて告白できたのは初めてだった。
「大丈夫、です」
目じりを拭ってわたしは強がった。涙は突発的なものだったようで、次々と零れ落ちてくるということはなかった。
「辞めたら負けだよ。バドミントンも、学校も」
そう言いながら、副島先輩は通りかかったウェイターを手で呼び止め、ケーキを二つと飲み物のお代わりを注文した。先ほどとは異なるコーヒーの産地名と、ダージリンでもアッサムでもない紅茶。
わたしの顔にはまだ涙の跡が残っていて、きっと目も充血していたと思うけれど、副島先輩は構わずウェイターを呼び止めて注文を敢行した。学校制服を着用した、明らかに高校生な風体の男女。一方は先ほどまで泣いていたようだ。
そんな状況でも、ウェイターは何事もなかったかのように承諾の旨を述べて引き下がった。
そして、わたしたちは黙ってケーキを食べた。最初は少し気まずく感じたけれど、副島先輩が一心不乱にむしゃむしゃと食べるので、わたしもそれにならった。気を遣わずに、味わうことに集中して食べたほうが、食べ物の美味しさは感じられるものだ。
副島先輩が注文してくれた、凝った名前のケーキは、とても不思議な味がして、よく紅茶にあっていた。
「お金払ってくるよ」
副島先輩はそう言って立ち上がった。副島先輩は食べ終わっていて、わたしが最後のひとかけらを残したタイミングだった。
「いいです」
そう言いつつわたしも立ち上がりかけて、副島先輩がそれを身振りで制した。
「いいんですか?」
「秘密を守ってもらいたいからね」
副島先輩はきびすを返し、カバンを持ち上げてレジカウンターへと歩いていく。
わたしは最後のひとかけらを口に含み、ゆっくりと咀嚼しながらその後姿に見入っていた。レジのウェイトレスと社交的な微笑みの応酬。財布をカバンから取り出しての支払い。そして、副島先輩はそのままロビーへと消えていった。
わたしは慌てて立ち上がり、脇目もふらず駆け出した。
「副島先輩」
わたしがロビーでそう叫んだとき、副島先輩はちょうど自動扉の前にいて、まさにホテルの建物を出ようとしていた。わたしの声に反応して副島先輩はぴたりと止まり、おもむろに振り返った。まさか走ってくるとは思わなかったのか、その表情には若干の困惑も浮かんでいる。
「副島先輩」
つかつかと歩み寄りながら、わたしはもう一度言った。衆目を集めていることに気づいても、わたしは意に介さなかった。
副島先輩はわずかに首をかしげ、近づいてくるわたしを黙って見つめている。
「頑張ってください」
「えっ」
会話するには少し遠い距離で、わたしは「頑張ってください」と副島先輩に言った。
「頑張ってください。どんなに惨めでも諦めず、どんなに姑息でも勝とうとする副島先輩が好きです。わたしには、悪意を持つ勇気すらありません」
「そう。ありがと」
理解しているのかしていないのかわからないような微笑みで副島先輩は答えた。そして、わたしの返事を待たないままに自動扉を抜け、人ごみへと混ざっていく。
人間関係は打算なんかじゃなく、勝負は正々堂々が肝心。そんなことは理想に過ぎない。理想を実行する才能を持った人々のたわごとだ。
でも、才能を持っている人と持っていない人だけが人間の分類じゃない。
少なくとも、才能を持っていない人間は二種類に分かれる。努力する人と、しない人だ。
努力する人は、才能のある人ほどきらめいてはいないけれども、それでも、そこには妖しくも美しい輝きがある。
わたしのように、くすんだ色の人生を歩んでなどいない。
実果や副島先輩の、たとえ愚かしくとも挑戦し続ける後姿が、わたしには眩しかった。
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