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第三章 田島歩
第二十九話
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そして、僕たちは職員に注意され、逃げ出すように休憩所を出た。部活用のスポーツバッグを背負い、息を切らしながら公園の外まで走る。
公園の敷地を出て、僕たちは肩を並べて駅を目指した。抑えきれないくらい気持ちよくて、どうしようもなく清々しい気分だった。
息を整えながら、しばらく互いに黙っていたけれど、橋本くんの表情も、いつもの無色透明な爽やかさとはまた違った、背徳に色めく爽やかさを含んでいた。
「祐斗には秘密だな」
青空の遠い部分を見つめながら橋本くんは言った。
「なんで?」
「二人でこんな楽しいことやったなんて言ったら嫉妬するから」
「祐斗はそんなこと気にしないと思うけど」
「いや、あいつは黙って気にするタイプだよ」
そう、祐斗は口に出さないタイプなんだと、橋本くんはへらへら笑った。
ここが言うタイミングだろう、と僕は直感した。
「祐斗は口に出さないけど、事情あるよな」
橋本くんはぴたりと真剣な表情になる。
「田島も思ってた?」
「うん。状況証拠はいっぱいある。頑なにノートと鉛筆しか使わないし、お弁当の中身とバリエーションもそうだし、バドミントンしかやることないって言うのもきっと」
僕がそっと橋本くんを見上げると、橋本くんも軽く顎を引いた。
「しかも、そんなに好きなバドミントン部では体操服しか着ないし、私服もいつも同じだし、スマホのゲームばっかりで据え置き機も携帯機も持ってないし、東京でやってるイベントには行かないし」
「行ってるの橋本くんだけだよ」
「行こうぜ」
「わざわざ東京まで?」
「わざわざ東京まで」
橋本くんは力強く言って、自身のスポーツバッグについているキーホルダーに触れた。快活そうな美少女が勝気に微笑んでいる。インターネット経由では買えないグッズもあるらしい。
「祐斗に黙って行くことになるよね」
「行ってもいいだろ。お土産買ってきてやればいい。あいつは気にするだろうけど、でも、あとから黙ってたことがばれたら余計に気まずい。俺たちが遠慮してるところを見せる方がよくないと思う」
強い陽ざしはアスファルトを溶かしそうなくらいだった。つばの広い帽子を被った女性がベビーカーを押しながら僕たちとすれ違って、橋本くんの肩には午前中に使ったのであろうバドミントンのラケットケースが掛かっていて、僕のバッグにはちょっと背伸びした値段の卓球ラケットが入っていた。
橋本くんと別れ、帰り道に一人になると、思わずダンスで使う歌を口ずさんでしまう。僕の夏はそうやって過ぎていった。
二年生になっても、僕と祐斗と橋本くんの日々は続いていた。
特進科は一クラスだけだから、クラス替えでメンバーが入れ替わることはない。このまま卒業まで、三人で過ごせる。昨日まではそう思っていた。
昨日、部活が終わったあと、部室の前で待っていた栢原さんに捕まった。栢原さんは祐斗の彼女。僕たちが文化祭のステージに立ったあと、二人は付き合い始めた。
僕が卓球で地区大会の三回戦まで進んだあの夏、祐斗は県大会の学年別で三位入賞を果たして、休み明けの実力テストで学年総合一位になって、彼女まで得たというわけだ。
栄光に満ち溢れた学校生活のはず。でも、祐斗の表情は浮かなかった。
「バドミントンのプロになれるわけじゃないし、勉強だって全国で見ればもっと上の進学校のやつらに勝ててないし」
「どっちも祐斗以下の俺はどうすりゃいいんだよ?」
「美晃はコミュ力が高い」
「コミュニケーションのプロにはなれないし、普通の学校の普通のクラスにはもっとコミュ力高いやついるだろ」
「橋本くん、彼女ができるのはコミュニケーションのプロだよ」
祐斗と栢原さんが付き合いだして一ヶ月くらい経った時に、橋本くんも彼女ができたと僕たちに明かしてくれた。
別の学校に通っている同級生。写真さえ見たことがないけれど、きっと良い彼女さんであろうということを僕は微塵も疑っていないし、祐斗もそうだろう。
「……気にするな田島。というか、祐斗にも彼女いるから大丈夫だ」
「祐斗はコミュ力低いわけじゃないし、スポーツも勉強もできるし」
僕がそう言うと、祐斗はただ単に苦笑いした。上手く謙遜できる人じゃないから、祐斗はそういう表情を浮かべたのかもしれないとそのときは思ったけど、「お前たちには金があるじゃないか」を言いたくて、どうしても言えなかったのかもしれない。
一年生の冬、年が明けてからしばらくして、祐斗の表情には切迫感が増して、なのに、授業中に寝ることも多くなっていた。バドミントンも不調で、冬の大会では個人戦入賞を逃していた。
「うちってどれくらい強いの?」
その頃、僕はなにげなく橋本くんにそう聞いたことがある。
「スポーツ推薦やってる強豪二校の次くらいかな。普通の高校と比べたらかなり強いと思うよ。特にいまの二年生はめちゃくちゃ強い学年だと思う。『史上最強世代』って呼ばれてるし」
「祐斗は?」
「一年生で一番、圧倒的に強い。二年生を倒してレギュラーになるかも」
僕は元旦のことを思い出した。橋本くんに誘われて、僕たちは十二月三十一日の深夜に大きな神社へ行った。その帰り道、「今日も朝練」と祐斗が言って、僕たちは家まで走って帰ることにした。
三人の帰路が別れるところまで走っても、祐斗はちっとも苦しそうじゃなかった。とてつもなくタフな選手なんだろう。でも、日常のふとした瞬間にこそ辛そうな表情を見せることがある。
「栢原ってどうなの?」
春先に橋本くんが聞いた。これはなかなか勇気のあることだったと思う。遠慮しているわけではないけれど、こういう話にはなかなかならない。
「まぁ、優しいよ」
「そりゃそうだろ。どMでもない限り優しくない女子と付き合えん」
橋本くんはそう茶化しながら、あっさり話題を切り上げた。優しいよ、という時の、祐斗のなぜか辛そうな顔に遠慮したのだろう。
公園の敷地を出て、僕たちは肩を並べて駅を目指した。抑えきれないくらい気持ちよくて、どうしようもなく清々しい気分だった。
息を整えながら、しばらく互いに黙っていたけれど、橋本くんの表情も、いつもの無色透明な爽やかさとはまた違った、背徳に色めく爽やかさを含んでいた。
「祐斗には秘密だな」
青空の遠い部分を見つめながら橋本くんは言った。
「なんで?」
「二人でこんな楽しいことやったなんて言ったら嫉妬するから」
「祐斗はそんなこと気にしないと思うけど」
「いや、あいつは黙って気にするタイプだよ」
そう、祐斗は口に出さないタイプなんだと、橋本くんはへらへら笑った。
ここが言うタイミングだろう、と僕は直感した。
「祐斗は口に出さないけど、事情あるよな」
橋本くんはぴたりと真剣な表情になる。
「田島も思ってた?」
「うん。状況証拠はいっぱいある。頑なにノートと鉛筆しか使わないし、お弁当の中身とバリエーションもそうだし、バドミントンしかやることないって言うのもきっと」
僕がそっと橋本くんを見上げると、橋本くんも軽く顎を引いた。
「しかも、そんなに好きなバドミントン部では体操服しか着ないし、私服もいつも同じだし、スマホのゲームばっかりで据え置き機も携帯機も持ってないし、東京でやってるイベントには行かないし」
「行ってるの橋本くんだけだよ」
「行こうぜ」
「わざわざ東京まで?」
「わざわざ東京まで」
橋本くんは力強く言って、自身のスポーツバッグについているキーホルダーに触れた。快活そうな美少女が勝気に微笑んでいる。インターネット経由では買えないグッズもあるらしい。
「祐斗に黙って行くことになるよね」
「行ってもいいだろ。お土産買ってきてやればいい。あいつは気にするだろうけど、でも、あとから黙ってたことがばれたら余計に気まずい。俺たちが遠慮してるところを見せる方がよくないと思う」
強い陽ざしはアスファルトを溶かしそうなくらいだった。つばの広い帽子を被った女性がベビーカーを押しながら僕たちとすれ違って、橋本くんの肩には午前中に使ったのであろうバドミントンのラケットケースが掛かっていて、僕のバッグにはちょっと背伸びした値段の卓球ラケットが入っていた。
橋本くんと別れ、帰り道に一人になると、思わずダンスで使う歌を口ずさんでしまう。僕の夏はそうやって過ぎていった。
二年生になっても、僕と祐斗と橋本くんの日々は続いていた。
特進科は一クラスだけだから、クラス替えでメンバーが入れ替わることはない。このまま卒業まで、三人で過ごせる。昨日まではそう思っていた。
昨日、部活が終わったあと、部室の前で待っていた栢原さんに捕まった。栢原さんは祐斗の彼女。僕たちが文化祭のステージに立ったあと、二人は付き合い始めた。
僕が卓球で地区大会の三回戦まで進んだあの夏、祐斗は県大会の学年別で三位入賞を果たして、休み明けの実力テストで学年総合一位になって、彼女まで得たというわけだ。
栄光に満ち溢れた学校生活のはず。でも、祐斗の表情は浮かなかった。
「バドミントンのプロになれるわけじゃないし、勉強だって全国で見ればもっと上の進学校のやつらに勝ててないし」
「どっちも祐斗以下の俺はどうすりゃいいんだよ?」
「美晃はコミュ力が高い」
「コミュニケーションのプロにはなれないし、普通の学校の普通のクラスにはもっとコミュ力高いやついるだろ」
「橋本くん、彼女ができるのはコミュニケーションのプロだよ」
祐斗と栢原さんが付き合いだして一ヶ月くらい経った時に、橋本くんも彼女ができたと僕たちに明かしてくれた。
別の学校に通っている同級生。写真さえ見たことがないけれど、きっと良い彼女さんであろうということを僕は微塵も疑っていないし、祐斗もそうだろう。
「……気にするな田島。というか、祐斗にも彼女いるから大丈夫だ」
「祐斗はコミュ力低いわけじゃないし、スポーツも勉強もできるし」
僕がそう言うと、祐斗はただ単に苦笑いした。上手く謙遜できる人じゃないから、祐斗はそういう表情を浮かべたのかもしれないとそのときは思ったけど、「お前たちには金があるじゃないか」を言いたくて、どうしても言えなかったのかもしれない。
一年生の冬、年が明けてからしばらくして、祐斗の表情には切迫感が増して、なのに、授業中に寝ることも多くなっていた。バドミントンも不調で、冬の大会では個人戦入賞を逃していた。
「うちってどれくらい強いの?」
その頃、僕はなにげなく橋本くんにそう聞いたことがある。
「スポーツ推薦やってる強豪二校の次くらいかな。普通の高校と比べたらかなり強いと思うよ。特にいまの二年生はめちゃくちゃ強い学年だと思う。『史上最強世代』って呼ばれてるし」
「祐斗は?」
「一年生で一番、圧倒的に強い。二年生を倒してレギュラーになるかも」
僕は元旦のことを思い出した。橋本くんに誘われて、僕たちは十二月三十一日の深夜に大きな神社へ行った。その帰り道、「今日も朝練」と祐斗が言って、僕たちは家まで走って帰ることにした。
三人の帰路が別れるところまで走っても、祐斗はちっとも苦しそうじゃなかった。とてつもなくタフな選手なんだろう。でも、日常のふとした瞬間にこそ辛そうな表情を見せることがある。
「栢原ってどうなの?」
春先に橋本くんが聞いた。これはなかなか勇気のあることだったと思う。遠慮しているわけではないけれど、こういう話にはなかなかならない。
「まぁ、優しいよ」
「そりゃそうだろ。どMでもない限り優しくない女子と付き合えん」
橋本くんはそう茶化しながら、あっさり話題を切り上げた。優しいよ、という時の、祐斗のなぜか辛そうな顔に遠慮したのだろう。
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